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9/22

幕間 応援団長たちの、秘密の同盟

2月も半ばを過ぎた、ある日の昼休み。


横浜海星高校の教室の片隅で、相沢七海は親友の姿に、もどかしさと愛おしさが入り混じった、複雑なため息を漏らしていた。


当の夏山桃香は、少し離れた席で、友人たちと楽しそうに談笑している。その横顔は、以前のどこか儚げな雰囲気は消え、自信に満ちた、柔らかな光を放っていた。バレンタイン以降、彼女は目に見えて明るくなった。それは、七海にとっても、心から嬉しいことだった。


問題は、その「中身」だ。


「――でね、昨日も樹くんが、『桃香、おやすみ』って」


「きゃー!名前呼び、定着してるじゃん!」


「うん……でも、それだけ、なんだよね」


「……はあ?」


休み時間になるたびに、七海は桃香から近況報告を受ける。樹が、LINEで毎日、律儀に彼女の名前を呼んでくれること。教室で目が合う回数が、ほんの少しだけ増えたこと。その一つ一つを、桃香は宝物のように語る。


だが、七海が「で?デートは?次の約束はしたの?」と核心を突くと、桃香は決まって、「う、ううん……まだ、そんな……」と、顔を真っ赤にしてしぼんでしまうのだ。


(もどかしい!もどかしすぎる!)


七海は、購買で買ったメロンパンを、ぐっと握りしめた。

あの歴史的なバレンタインから、もう一週間以上が経つ。桃香の渾身の告白(とも言えるチョコレート)と、樹の誠実な返答(とも言えるLINE)。客観的に見て、二人の間には、もう何の障害もないはずだった。それなのに、この牛歩のごとき進展は、一体どういうことか。


「あの二人、あと一押し、いや、崖から突き落とすくらいの衝撃がないと、進まないんじゃないかな……」


七海の呟きは、冬の終わりの、まだ少しだけ冷たい空気に溶けて消えた。



時を同じくして、横浜市内の大学のキャンパス。

春石碧は、講義室の窓から見える景色をぼんやりと眺めながら、弟の顔を思い浮かべて、盛大なため息をついていた。


(……あの朴念仁、どうするつもりなのかしら)


弟の樹が、バレンタインに、それはそれは見事なチョコレートをもらってきた日。


家族の前で、あの芸術品を前に呆然としていた弟の顔を、碧は忘れることができない。そして、自室に駆け込んだ後、しばらくしてから、リビングにやってきて「母さん、これ……」と、少しだけ欠けたチョコレートを家族に差し出したのだ。


『すごく、美味しかった』


そう呟いた時の、彼の耳まで真っ赤に染まった、あの表情。

姉として、あれほど分かりやすい弟の恋心を見たのは、初めてだった。


それからというもの、樹の様子は、少しだけ変わった。

以前は、自室にこもっていても、どこか張り詰めた空気を漂わせていた。だが最近は、スマホを眺めて、ふっと口元を緩ませている瞬間がある。明らかに、桃香さんとのやりとりを楽しんでいる証拠だ。


だが、それだけだった。

ホワイトデーまで、あと三週間。

当然、弟が桃香さんのためだけに、特別なスイーツを作るであろうことは、碧には分かっていた。だが、肝心の「その先」に進む気配が、全くない。


「あの子、お返しを渡して、それで満足する気じゃないでしょうね……」


それでは、何も変わらない。バレンタイン前の、もどかしい関係に逆戻りだ。


「やっぱり、私が介入するしかないのかしら……」


弟の恋路に口を出すのは、趣味ではない。だが、このままでは、貴重な青春が、ただただ甘いお菓子と共に消費されていくだけだ。碧は、弟の将来を憂い、再び深いため息をついた。



運命の出会いは、週末の午後に、不意に訪れた。

碧は、課題の資料を探しに、元町にある、少しお洒落なブックカフェを訪れていた。落ち着いた雰囲気の店内は、休日の午後を楽しむ人々で賑わっている。窓際の席に座り、コーヒーを飲みながら文献を広げていると、快活な声が聞こえた。


「お待たせいたしました、ご注文のカフェラテです」


顔を上げると、そこにいたのは、栗色の髪をポニーテールにした、快活な印象の店員だった。その制服の名札には、『相沢』と書かれている。


(どこかで、見たことがあるような……)


碧は、記憶を探る。弟の文化祭にでも来たことがあっただろうか。

その時、碧のテーブルの上に置いてあったスマホの画面が、ふと点灯した。樹から送られてきた、『試作品』とだけ書かれた、新作ケーキの写真だった。

それを見た店員――相沢七海の目が、きらりと光った。


「あの……失礼ですけど、そのケーキの写真……」


「え?」


「もしかして、春石樹くんの、お姉さんですか?」


「……!」


碧は、驚きに目を見開いた。なぜ、ただのケーキの写真で、弟の名前が?

七海は、悪戯っぽく笑うと、声を潜めて言った。


「私、樹くんのクラスメイトで、相沢七海って言います。そして……彼の未来の彼女である、夏山桃香の、大親友です」


未来の彼女、というパワーワード。

その一言で、碧は全てを理解した。目の前にいるこの快活な少女は、自分と同じ種類の、もどかしさを抱えている、いわば「同志」なのだと。


「……少し、お話できるかしら」


碧がそう言うと、七海は「ちょうど今、休憩に入るところなんです!」と、満面の笑みで頷いた。



店のテラス席。向かい合って座った二人の間には、奇妙な連帯感が、すでに生まれていた。


「――というわけでして。桃香のやつ、樹くんから名前で呼ばれるようになっただけで、もう天に昇る勢いなんです。それはいいんですけど、そこから一歩も進まない!」


「分かるわ……。うちの弟も、桃香さんからのLINEを待ってる時なんて、犬みたいに健気なくせに、自分から『会おう』の一言が、どうしても言えないのよ」


二人は、それぞれの視点から見た、樹と桃香の様子を報告し合った。

碧が語る、樹の過去のトラウマ。一人、自分の殻に閉じこもって、誰にも才能見せようとしなかった不器用な弟が、桃香という理解者を得て、どれだけ変わったか。


七海が語る、桃香の家庭の事情。自分の夢を、経済的な理由で諦めかけていた親友が、樹というパートナーを得て、どれだけ輝き始めたか。


話せば話すほど、二人の確信は深まっていく。


「「あの二人、放っておいたら、卒業までこのままだ……!」」


声が、綺麗にハモった。


「もう、もどかしい通り越して、じれったい!」


「ええ。弟ながら、本当に情けないわ」


「桃香も、もう少し積極的になってくれれば……」


「あの子は、きっと自分から『好き』なんて言えないでしょうね。桃香さんを、不安にさせたくない、なんて思ってるに違いないわ」


お互いの情報分析は、完璧だった。問題は、どうやって、この膠着状態を打破するか。


沈黙の中、先に口火を切ったのは、碧だった。彼女は、カップを置くと、真剣な眼差しで、目の前の快活な後輩を見つめた。


「相沢さん……いえ、七海ちゃん」


「は、はい!」


「どうやら、私たちには、共通の目的があるようね」


「……と言いますと?」


「『あの不器用な二人を、さっさと正式なカップルにすること』よ」


碧の言葉に、七海は、まるで待ってましたとばかりに、ぱあっと顔を輝かせた。


「私も、同じことを考えてました!」


「でしょうね。そこで、提案があるの。私たち、ここで『秘密の同盟』を結成しない?」


秘密の同盟。その、少しだけ大げさで、最高にワクワクする響き。

七海は、テーブルから身を乗り出すと、ぐっと右手を差し出した。


「望むところです、お姉さん!いえ、司令官と呼ばせてください!」


「ふふ、いいわよ、参謀。よろしくね」


碧も、その手を、力強く握り返した。

こうして、横浜の片隅のカフェで、二人の恋路を裏から操る、最強の応援団長による、秘密の同盟が、ここに結成されたのだった。



「さて、参謀。まずは、当面の作戦目標を定めましょう」


すっかり司令官になりきった碧が、スマホのメモ帳を開く。


「はい!目標は、3月14日、ホワイトデー!」


「正解。あの朴念仁が、ただお返しを渡すだけで終わらせないために、私たちで完璧な『舞台』を整える必要があるわ」


「舞台、ですか」


「ええ。まず、樹が最高の『答え』を用意できるように、私の方で誘導する。問題は、それを渡すシチュエーションよ」


碧の計画は、こうだった。


作戦名:『オペレーション・ホワイトデー・サプライズ』


まず、碧が、弟である樹の意識を徹底的にホワイトデーに向けさせる。彼が、桃香のためだけに、特別なスイーツを作るように、あらゆる情報と心理的圧力を駆使して誘導する(内部工作)。

そして、七海は、桃香の好みや、最近の行動を探り、最高のプレゼントを渡すためのシチュエーションをお膳立てする(外部工作)。


「なるほど……。桃香の好み、ですね。任せてください!」


「お願い。それとなく聞き出して、私に情報を送って。私が、それを『偶然』を装って、樹の耳に入れるわ」

「連携プレイですね!了解です!」


二人は、秘密裏にLINEを交換すると、作戦の成功を誓って、力強く頷き合った。



同盟結成から、数日後。


七海は、学校帰りに、桃香を雑貨屋巡りに誘い出した。


「ねえ、桃香。このマカロンのキーホルダー、可愛くない?ピスタチオの色、綺麗だよね」


「うん、本当だ。ピスタチオのスイーツって、見た目も可愛いし、味も美味しいよね。ラズベリーとかと合わせると、最高なんだよ」


「へえー!」


その夜、碧の元に、七海から短いLINEが届いた。


『司令官。ターゲット、ピスタチオとラズベリーの組み合わせがお好みの模様』


さらにその週末。


ホワイトデーのお返しについて、デザインを練っている樹の部屋を、碧が何気ない顔で訪れた。


「あら、熱心ねえ。……でも、苺のショートケーキじゃ、普通すぎない?」


「……うるさいな」

「まあ、桃香ちゃんなら何でも喜んでくれるでしょうけど。どうせなら、あっと驚くような、お洒落なものの方が、女の子は嬉しいんじゃない?……ほら、最近はピスタチオとか、流行ってるじゃない」


「……」


弟が、ぴくりと反応したのを、碧は見逃さなかった。

作戦は、始まったばかり。

最強の応援団長二人に見守られていることなど、露知らず。

樹と桃香の、甘くて、少しだけ不器用な恋は、秘密の同盟の力によって、新しいステージへと、静かに、だが確実に、導かれようとしていた。

ご一読いただきありがとうございます!

思った以上に読んでくださる方がいて、とても嬉しいです。

もっと楽しんでもらえるように頑張りたいと思います。

今後の励みになりますので、ぜひページ下のいいねボタンで応援してください。

よろしくお願いします(^O^)/

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