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【完結】そのケーキのレシピ、俺が本物にするよ ~不器用な天才パティシエと、私だけの夢の設計図~  作者: 坂道 昇


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17/22

約束の花、咲く

三時間に及ぶ死闘が終わり、清掃と審査のために設けられた一時間のインターバルの後。


再びホールに集められた二十校の選手たちは、誰もが固い表情で、ステージの壇上を見つめていた。


あれだけ熱気に満ちていた会場は、今は水を打ったように静まり返り、張り詰めた緊張感が支配している。


選手たちのコックコートには、戦いの跡である疲労の色が滲んでいた。


桃香は、ぎゅっと強く手を握りしめ、必死に平静を装っていた。隣に立つ樹は、先程の激闘が嘘のように、静かな表情で正面を見据えている。


ステージ脇のテーブルには、各チームが三時間の全てを注ぎ込んで作り上げた二十台のホールケーキが、照明を浴びて並べられている。


自分たちの『約束 〜茨の道の先に〜』は、他のケーキと比べると、少しだけ形が不格好に見えた。トラブルのせいで、ムースのエッジには僅かな乱れがある。

完璧なシンメトリーを描く自由が丘調理学校のケーキの隣では、まるで乱雑に咲く、野花のようだった。


(……ダメ、かな)


弱気な心が、鎌首をもたげる。

あれだけ頑張った。樹くんが、あんなにすごい力を見せてくれた。でも、結果が伴わなければ、意味がない。


祈るような気持ちで、桃香は壇上を見つめた。


やがて、審査員長の柏木遼平が、マイクの前に立った。


「皆さん、三時間、本当にお疲れ様でした。どの作品も、皆さんの情熱が伝わってくる、素晴らしいものでした。ですが、勝負は勝負。これより、結果を発表します」


静かな声が、ホールに響き渡る。


「まずは、各賞の発表です」


司会者が、柏木から受け取った封筒を、ゆっくりと開封した。


「敢闘賞は、埼玉県代表、川越農業高校!」


名前を呼ばれたペアが、驚いたように顔を上げ、深々と頭を下げた。会場から、温かい拍手が送られる。


「続きまして、努力賞は、千葉県代表、成田国際調理専門学校!」


「審査員特別賞は、栃木県代表……」


次々と、賞が発表されていく。だが、その中に、『横浜海星高校』の名前は、一度も呼ばれることはなかった。

賞が発表されるたびに、桃香の心臓は、氷水に浸されたように冷たくなっていく。


(……もう、ダメかも)


賞にも、何も入らなかった。私たちのケーキは、やっぱり、評価されなかったんだ。トラブルを乗り越えたなんて、ただの自己満足で、審査員には、ただの出来の悪いケーキにしか見えなかったんだ。


ぎゅっと、目を瞑る。込み上げてくる涙を、必死に堪えた。隣に立つ樹の、固く握られた拳が、視界の端に映る。


「……それでは、いよいよ、全国大会への出場権が与えられる、上位二校の発表に移ります」


司会者の声に、会場の緊張が、最高潮に達した。

桃香は、もう、顔を上げることができなかった。ただ、俯いて、床の一点を見つめる。


(お願い、お願い、お願い……!)


誰にともなく、心の中で、何度も、何度も、祈った。


「まず、準優勝の発表です!全国大会、一つ目の席は……!」


ドラムロールが、心臓を直接叩くように、大きく響き渡る。

もう、桃香の耳には、何も入ってこなかった。ただ、自分の心臓の音だけが、うるさいくらいに響いている。


(ダメだ……準優勝でも、呼ばれないに決まってる……やっぱり、私たちのケーキは……)


(樹くん、ごめん……。私のせいで、夢、壊しちゃった……)


唇を噛み締め、涙がこぼれ落ちるのを、ただ、待っていた。


「準優勝は——」


一瞬の、永遠にも思えるほどの、静寂。


「神奈川県代表、横浜海星高等学校!!」


その名前が、ホールに響き渡った瞬間。

桃香は、自分の耳を疑った。


(……え?今、なんて……?)


ゆっくりと顔を上げる。ステージ上のスクリーンに映し出された、自分たちの高校名と、二人の名前。

夢じゃない。

現実だ。


「……やった……」


隣で、樹が、絞り出すような声で呟いた。

その声で、桃香の思考が、ようやく現実へと追いついた。


「やった……」


小さな、呟き。

そして、次の瞬間。


「やったああああああああああああああーーーーーっ!!!!」


桃香は、今まで出したこともないような大声で叫ぶと、隣に立つ樹の腕を、両手で、力一杯掴んだ。


「樹くん!樹くん!やったよ!私たち、二位だよ!全国だよ!!!」


ぴょんぴょんと、その場で飛び跳ねる。もう、周りの目など、気にならなかった。


「ああ……っ、ああ……!」


樹も、驚きと、込み上げてくる歓喜で、言葉にならない声を漏らしている。

桃香は、弾けるような笑顔で、樹の顔を見上げた。

そして、気づいた。


彼の、いつもは冷静なその瞳が、赤く潤んでいる。

必死に、堪えている。唇を、ぐっと引き結び、涙がこぼれ落ちないように、瞬きもせず、正面のスクリーンを、ただ、じっと見つめている。

その表情を見た瞬間、桃香の喜びは、少しだけ違う種類の、温かい感情へと変わっていった。


(……樹くんも、泣いてる)


いつもは、クールで、ポーカーフェイスで。

でも、本当は、誰よりも、この勝利を、渇望していた。


桃香は、掴んでいた彼の手を、今度は、そっと、自分の指と絡め合わせた。ぎゅっと、強く、握り返してくる、彼の大きな手。その温かさが、二人の勝利を、何よりも雄弁に物語っていた。


観客席は、涙と歓声に包まれていた。


「やったあああ!」


「桃香ー!樹ー!」


七海と梨香は、抱き合って、わんわんと泣いている。碧も、手で顔を覆いながら、その肩を震わせていた。

桃香の母は、ハンカチで何度も目元を拭い、嗚咽を漏らしている。


そして、樹の両親は。


母は、静かに涙を流し、父は、腕を組んだまま、一度だけ、深く、深く、頷いた。その厳格な表情が、ほんの少しだけ、誇らしげに、和らいで見えた。


やがて、一位である自由が丘調理学校の発表が終わり、表彰式が執り行われた。

最後に、審査員長の柏木が、総評のために、再びマイクの前に立った。


「一位、二位の作品は、甲乙つけがたい、素晴らしいものでした。特に、二位の横浜海星高校の作品、『約束 〜茨の道の先に〜』。この作品には、審査員一同、深く、心を動かされました」


柏木は、ステージ袖に立つ樹と桃香に、温かい視線を送った。


「まず、そのデザイン。苦難を乗り越えた先にある希望、という物語性が、見事に表現されていた。ほろ苦いチョコレートの土台、情熱的なベリーのジュレ、そして、それらを優しく包み込むムースと、未来を暗示する純白のクリーム。味の構成も、その物語を完璧に裏付けていました」


桃香の胸が、熱くなる。自分のデザインが、最高の形で評価された。

そして、柏木は、言葉を続けた。


「そして、何より、我々が評価したのは、その『実現性』です」


その言葉に、樹の肩が、微かに揺れた。


「正直に言います。この作品には、いくつか、技術的な苦戦の跡が見られました。ムースの層の僅かな乱れ、グラサージュの温度。おそらく、何らかの大きなトラブルに見舞われたのでしょう。しかし」


柏木は、そこで一度、言葉を切ると、強い口調で言った。


「そのトラブルを乗り越え、これだけのクオリティの作品を、制限時間内に完成させた。その精神力と、咄嗟の判断で代替案を構築し、実行に移せるだけの、極めて高い技術力。それこそが、我々が最も高く評価した点です。デザインという『理想』を、アクシデントという『現実』の中で、決して諦めず、形にしきった。その力は、全国の舞台でも、必ずや通用するでしょう。おめでとう」


その、万感の想いが込められた言葉。

それは、桃香のデザインと、樹の技術、二人で一つの、完璧な勝利宣言だった。


桃香は、隣に立つ樹の横顔を、そっと盗み見た。


彼は、もう、涙を堪えてはいなかった。

その頬を、一筋だけ、透明な雫が、静かに伝っていく。

それは、長年、一人きりで戦い続けてきた少年が、最高のパートナーと共に、初めて手にした、何よりも、甘い、勝利の味だった。



表彰式の興奮が冷めやらぬホールは、閉鎖的な緊張感から一転、華やかで、そして温かい祝祭の空気に満たされていた。


各ブースの前に置かれた二十台のケーキは、もはや競い合うための作品ではなく、それぞれのチームの健闘を称えるための記念碑のように輝いている。


やがて、観客席との間のロープが外されると、選手たちの健闘を祈っていた家族や友人たちが、一斉にフロアへと降りてきた。


「桃香ー!樹ー!」


涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、七海と梨香が真っ先に二人の元へと駆け寄ってくる。その後ろから、目を真っ赤に腫らした碧も、静かに続いていた。


「おめでとおおおお!もう、心臓止まるかと思った!」


「二人とも、本当にかっこよかった……!」


口々に、しかし心の底からの称賛の言葉をくれる友人たち。その輪に、両家の家族も加わった。


「桃香、よく頑張ったわね……。お父さんも、きっと、喜んでるわ」


母のその言葉に、桃香は、また涙がこみ上げてくるのを必死で堪えた。

樹の父は、何も言わずに、ただ息子の肩を、ポン、と一度だけ力強く叩いた。その無言の、しかし何よりも雄弁な一打に、樹の表情が、ほんの少しだけ、和らいだ。


やがて、スタッフの手によって、各チームのケーキが、試食用に小さく切り分けられていく。

七海たちが、自分たちのケーキが乗せられた紙皿を手に、わくわくした顔で戻ってきた。


「じゃーん!これが、あの奇跡のケーキね!」


「いただきます!」


七海が、一口、フォークで掬って口に運ぶ。そして、目を、大きく、大きく見開いた。


「…………おいっっっし……!」


その、あまりにもストレートな感想に、思わず笑みがこぼれる。


「本当だ……。チョコレートのほろ苦さと、ピスタチオの優しいコク、それに、このベリーの酸味が……すごい、全部がちゃんと意味のある味がする……」


碧が、専門家のように味を分析しながら、その瞳を潤ませている。


「うん……。すごく、優しい味がする……」


梨香も、小さな声で、そう呟いた。


みんなが、美味しい、美味しいと言ってくれる。

その言葉の一つ一つが、傷ついた心に沁みわたる、甘いシロップのようだった。


そして、桃香も、小さなフォークを手に取った。

自分がデザインし、樹と共に、命を吹き込んだケーキ。

そっと、一口、口に含む。


その瞬間。


三時間の、あの壮絶な記憶が、味覚となって、一気に全身を駆け巡った。


最初に感じる、チョコレートサブレの、力強いほろ苦さ。

それは、絶望の淵に立たされた、あの瞬間の味。


次に広がる、ピスタチオのムースの、穏やかで、優しい甘み。

それは、鬼神となって自分を救ってくれた、樹くんの、あの背中の温かさの味。


そして、舌の上で弾ける、ベリーのジュレの、鮮烈で、情熱的な酸味。

それは、絶対に諦めないと誓った、二人の魂の叫びの味。


最後に、全てをふわりと包み込む、フロマージュブランのクリーム。

それは、掴み取った未来への、希望の味。


全ての味が、口の中で一つに溶け合っていく。


(……ああ、そっか)


これは、ただ、美味しいだけのケーキじゃない。

私たちの、三時間の全てが詰まった、物語なんだ。


桃香の瞳から、また、涙がこぼれ落ちた。

でも、それは、もう悔しさや不安の涙ではなかった。

幸せな、どこまでも幸せな、涙だった。


顔を上げると、樹が、じっと、こちらを見ていた。彼もまた、小さなケーキのかけらを口に運び、静かに、その味を噛み締めている。


その潤んだ瞳と視線が合い、二人は、どちらからともなく、ふっと、笑い合った。





その日の夜。


自室のベッドの上で、桃香は、今日の大会で授与された、銀色のメダルを、ぼんやりと眺めていた。

ひんやりとした金属の重みが、まだ、夢じゃないんだと教えてくれる。


壁に貼られた、たくさんのデザイン画。その中に、今日、命を吹き込まれた『約束 〜茨の道の先に〜』のスケッチもあった。


(……次の、デザイン、考えなくちゃ)


ぼんやりと、そんなことを考えていると、枕元のスマートフォンが、ぶぶ、と短く震えた。

画面に表示されたのは、『樹くん』。

慌てて、LINEのトーク画面を開く。


『樹:今日はお疲れ。すごかったな。』


その、あまりにも短い、彼らしいメッセージに、桃香の口元が自然と綻んだ。


『桃香:樹くんこそ、本当にお疲れ様!ほんっとうにすごかったよ!鬼神みたいだった!』


すぐに、既読の文字がつく。


『樹:お前がいたからだろ。』


その、素直じゃない、でも、最高の賛辞に、胸がきゅんとなる。

桃香は、にこやかに笑うクマのスタンプを送った。


『桃香:そういえば、会場で発表された全国大会のテーマ、「宝物」だったね。』


『樹:ああ。』


『桃香:今度は、どんなケーキにしようかな。なんだか、ワクワクしない?樹くんにとっての宝物って、なあに?』


そう送ってから、少しだけ、踏み込みすぎた質問だったかもしれない、とドキリとする。

数秒。既読のまま、返信がない。

やっぱり、困らせちゃったかな、と思った、その時。


『樹:…考えとく。』


その、ぶっきらぼうな、でも、誠実な返事に、桃香は、また、笑ってしまった。


『桃香:うん!また明日から、一緒に頑張ろうね!』


『樹:ああ。おやすみ。』


『桃香:おやすみなさい。』


短いやり取りを終え、桃香は、再びメダルに視線を落とした。


(宝物、か……)


全国大会出場という、大きな宝物は手に入れた。

でも、本当の宝物を探す旅は、まだ始まったばかりなのかもしれない。


今はまだ、その答えが何なのか、桃香には、まったく想像がつかなかった。

ご一読いただきありがとうございます!

思った以上に読んでくださる方がいて、とても嬉しいです。

もっと楽しんでもらえるように頑張りたいと思います。

今後の励みになりますので、ぜひページ下のいいねボタンで応援してください。

よろしくお願いします(^O^)/

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