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第1話 大図書館への誘い――辺境侍女と暴君王子

「おい、そこの侍女。顔を上げろ。名を言え」


 大理石の回廊に鋭い声が響いた。

 ララは慌てて膝を折り、深く頭を下げる。呼ばれたのは――自分。


 恐る恐る視線を上げた瞬間、心臓が跳ね上がる。

 そこに立っていたのは、この国の王太子――ミサラサ・ヴェルディオン・アークレイド。


 金髪を揺らす美貌の青年。冷ややかな眼差しが、侍女見習いの少女を射抜いていた。

 だが、民の間で囁かれる彼の名は「英邁な王子」ではなく、「暴君」。


「ほ、本日から配属されました……ララ・シルヴェリスと申します!」


 背後の先輩に小突かれ、ララは慌てて声を張る。

 十五、六の年頃。三つ編みの小柄な少女。素朴ながら整った顔立ち。

 辺境伯家の娘として推薦を受け、希望と不安を胸に王宮へやって来たばかりだった。

 ――立派に勤めて家を助けたい。その一心で。


 なのに。


「ふん。辺境娘でも構わん。今夜は俺の世話をしろ。……使い物になるか、試してやる」


 その言葉が何を意味するか理解した瞬間、ララの顔から血の気が引いた。

 恐れていた「王宮の現実」が、いきなり牙を剥いたのだった――。


 震える声で、勇気を振り絞る。

「あ、あの……私では……恐れ多く……」


「なに……?」


 怒気を帯びた声。王太子の表情が歪む。

 王宮で彼の命に背くことは、反逆に等しい。


「無礼者め! 教育はどうなっている!」


 怒声が轟き、侍女長が慌てて飛び出した。地に額を擦りつける勢いで平伏する。


「ミサラサ様、どうかお許しを! この娘には厳しく言い聞かせます。必ず従順に仕えさせますゆえ!」


「……ちっ。俺は寛大だから一度は許してやる。だが――今夜は必ず俺のもとへ来させろ。従わぬなら、その家ごと潰してやる!」


 吐き捨てるように言い残し、王太子は従者を連れて去っていった。

 残された空間に重い沈黙が落ちる。ララの肩は震えていた。


 その震えに重ねるように、侍女長の怒声が飛ぶ。乾いた音――平手打ちが頬を打った。


「あなた! どういうつもり? 王太子様に口答えするなんて!」


 涙が滲む。だが誰も助けはしない。皆、自分の身が可愛いからだ。

 再び振り上げられる手――そのとき。


「……何をなさっているのです?」


 澄んだ声が回廊を貫いた。足音が近づき、抱えた本の束が衣擦れとともに揺れる。


「メ、メイリーン様……!」


 侍女長の顔が強ばる。内心、舌打ちをする。

(厄介な人物に見られた! 大図書館に引きこもっているはずなのに!)


 公爵令嬢――メイリーン・セレスタリア・ショカルナ。

 形式上とはいえ王太子の婚約者であり、王宮大図書館を預かる司書長がそこに立っていた。

 美人だがろくに化粧もせず、無愛想をもって知られる本オタクの彼女が、人前に姿を現すことはほとんどないはずだった。


「王宮内での暴力は禁じられているはずです。侍女長ともあろう方が、それを忘れるとは」


 淡々とした声。その一言で場が凍りつく。


「……申し訳ございません」


 しぶしぶ頭を下げる侍女長に、メイリーンは冷ややかに首を傾けた。


「謝る相手を、間違えていませんか?」


 唇を噛み、顔を赤らめながら、侍女長はララに向き直る。


「……す、すまなかったわね。無礼を許しなさい」


 呆然とするララの前で、彼女は頭を垂れた。


 その様子を見届けたメイリーンは、本を持ち直し、歩み去りかけて――ふと振り返る。


「司書の手が足りないの。……もし辛ければ西棟の大図書館においでなさい。あなたには静かに息をつける場所が必要でしょう」


 思いがけない誘いに、ララは目を瞬いた。

 それはつまり、王太子と侍女長に目をつけられた自分を、この方が守ってくれるということだろうか。


「あ、あのっ……!」

 感極まって言葉の出ないララ。


 メイリーンは本を抱え直し、ふっと目元を和らげる。

「……大図書館のラウンジには新しいお菓子もあるの。甘いものを食べたら、きっと幸せな気持ちになりますよ」


 そう言って踵を返す姿に、噂で聞こえる無愛想な公爵令嬢ではない一面を垣間見た気がして、ララは胸が温かくなった。


 信じられない。けれど、メイリーンの真っ直ぐな瞳と、柔らかな笑みに嘘はなかった。

 胸に小さな安心の灯がともるのを、ララははっきりと感じていた。

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