第9話
「おい、ねずみ女」
「な……」
そんな、ねずみ男のように呼ばれても。
おっとりとした性格の美守であるが、さすがに絶句した。
そもそも、このような言葉を投げかけられたのも初めてだ。
クラウの大きな体は否応なしに美守を威圧し、怯えさせる。
ねずみ女と呼ばれた衝撃で思わずクラウを見上げてしまったが、鋭いその視線に耐えられず、すぐに視線を逸らした。
「……人と話をするときは目を見て話すのが礼儀だろう。そんなことも知らないのか」
「し、知っています。……申し訳ありません」
クラウの声は、低くて腰にまで響く。
体がびりびりとして、余計に震えてしまう。
心の準備をしてクラウと目を合わせるが、やはりその目つきは鋭く、美守を睨んでいるようにしか見えない。
じわぁっと涙目になりながら、クラウを頑張って見つめていると、ぐっと眉間に皺を寄せられた。
「なんだその顔は。そんなに俺を見るのが嫌なのか」
「ち、違います。ごめんなさい」
「一々どもるな。煩わしい」
「……ごめんなさい」
煩わしい、何て初めて言われた。
いつも親の言いつけを守り、礼儀をわきまえ、深窓の令嬢を一生懸命にしていたつもりだ。
何を言われても言う通りにして、理想の娘になるべく頑張ってきた。
そんな’完璧なお嬢様’をしていた美守に、煩わしい……ましてや苦言を言うものなどいなかった。
そのかわり学校では「つりあわない」という理由で遠巻きにされていたのだが。
「その、すぐに謝るのもやめろ。別段悪いわけでも無いのに謝ると相手を付け上がらせる」
「……はい」
「……暗い女だな」
「……」
じわりと湧き上がった涙で視界がかすむ。
どうしてこの人はこんなにも冷たいのか。
怖くて、ドレスをぎゅっと握った。
顔を上げられないでいると、顎に大きな手がかかり上を向かされた。
「…………下を向くな。気持ちまで下を向く。それに……」
「……?」
急に言葉をきったクラウを不思議に思い、顎に手を掛けられたまま首を傾げると、また眉根にぎゅと皺を寄せられた。
……何がいけなかったんだろう。
必死に考えるが、どんどんクラウの表情は恐ろしくなっていく。
怖い。
ぐいっと目元を拭われた。
「男の前で無闇に泣くな。付け入られるぞ」
「ごめんなさ……むぐ」
「それも、止めろと言っただろう」
「……むぅ」
大きな手で口を覆われて唸るような声が出た。
「……だから、そう言う顔をするな。だいたいお前には警戒心が無いのか? 俺はお前にとって初対面も同じだろう。それなのにそんな隙だらけで……」
「むぅ」
「だからだな、その顔を……」
「むぐぅぅー!!!!!」
「……なんだ?」
「む、む、む、うー!!!!」
「あぁ、これか」
「ぷはぁ!」
ばしばしとクラウの手を手を叩くとやっと離してくれた。
「お前、鼻で息をしろ」
「鼻も塞いでたじゃないですかっ!」
大きすぎるクラウの手は美守の顔半分を綺麗に覆っていたのだ。
殺す気ですか!? と怒るとクラウが目をすっと細めたのでびくりと震える。
私、今……。
怒鳴ってしまった、と後悔しているとふっと笑う声が聞こえて、驚いて上を見上げた。
思いがけず、優しい顔で笑うクラウと目があった。
頭にぽん、と手を置かれる。
「なんだ。ちゃんと言えるじゃないか」
「え……あ」
「言いたいことははっきり言え。その方が良い」
「……」
「……なんだ? その鳩が豆鉄砲でも食ったような顔は。言いたいことは言えと言ったばかりだろう」
「あ……」
優しかった顔はまるで幻だとでも言うようにクラウの表情は険しいものに戻っていた。
優しく頭を撫でていた温かい大きな手が離れて、視線でそれを追ってしまう。
それを見たクラウが自分の手を見て、眉根を寄せた。
「……まさか、撫でられたいのか?」
「……」
言い当てられて、かぁっと顔が赤面した。
恥ずかしい。
これでは肯定しているようなものだ。
……この人に褒められたのが、嬉しかったなんて。
ふっとまた頭上で笑う声がして、恥ずかしくて震えてしまう。
その顔がもう一度見てみたいのに、恥ずかしくて、顔が見られない。
優しく、優しく、美守のまっすぐな黒髪を梳くように頭を撫でられる。
武骨な手からは想像も出来ないほどの優しさで。
……恥ずかしい。
「どうやら、お前の顔は言葉以上に雄弁らしい」
また、少し笑う声がした。
見たい。でも、恥ずかしい。
怖い顔じゃなくて、優しい顔を見たい。
おずおずと俯きながらも、目線だけでクラウを見て、目を逸らす。
手を口元にやり、少し落ち着いてから、えい! っとクラウを見た。
が。
「……あれ?」
「…………」
そこには呆然としたようなクラウがいて。
不思議に思っていると、はっとした瞬間鬼のような形相になった。
美守にもわかるほど怒気が伝わってきて、思わず一歩後ろに下がった瞬間。
「だから! その顔は止めろと言っただろうっ!!!」
「ご、ごめんなさいー!」
怒鳴られて、頭を抱えて、その場にしゃがみこんだ。
+++++++
(何なんだっ! この女はっ!)
クラウはイライラと美守を見下ろしていた。
神子の大切な人であるのなら、せめて挨拶をしておこうと自室を訪ねた。
そして普通に入ったわけだが、まずそこからして減点一だ。
部屋に入ってみれば誰も居ないのだ。
そんなところに男を招きいれ、二人っきりになるなど何をされても文句は言えない。
しかも寝台が目に入って落ち着かないことこの上ない。
年頃の女が、何とはしたない。
そう思い「ねずみ女」と言って、席を勧めようとした美守を引き止めた。
(そこで普通に席を勧めたら駄目だろう)
そう言って注意しようと思ったのに、目が合わない。
「……人と話をするときは目を見て話すのが礼儀だろう。そんなことも知らないのか」
「し、知っています。……申し訳ありません」
……声が震えている。
びくびくしながら上目遣いで見上げて来る様はまさに小動物で。
怒鳴りたいのをぐっと我慢した。
(ここをどこだと思っているんだ。少しは考えたらどうなんだ、こいつは)
会話を二、三するうちに怯えているのはなんとなく分かったがそれなら、もっと怖がっている顔をしろ、と思った。
上目遣い……は身長差ゆえに仕方が無いとは思うが、蒸気した頬やら、潤んだ瞳やらはなんとかならんのか。
誘っているとしか思えないぞ。
掌に感じた柔らかな感触も……いや、忘れろ。
「お前、鼻で息をしろ」
「鼻も塞いでたじゃないですかっ!」
いきなり怒鳴ってきた美守に驚いた。
そうか、鼻も塞いでいたのか。それはすまなかった。しかし小さい顔だな。
……ではなく。
「なんだ。ちゃんと言えるじゃないか」
思わず、手が勝手に動いていた。
美守の頭を撫でると、美守が呆けていたので、不快に思ったのだろうかと直に手を退けると。
物欲しげな顔で手を追うではないか!
「……まさか、撫でられたいのか?」
「……」
面白いほど美守の顔……いや、耳も首も全てが赤く染まった。
「どうやら、お前の顔は言葉以上に雄弁らしい」
まだ子供なのだな、と思い望み通り頭を撫でてやっていると、美守がちらっと見て、目を逸らしてきた。
頬が引きつった。
(こ、こいつは……!!)
蒸気した頬と、赤く染まった目元。
雫を蓄えた瞳に赤く熟れて濡れた唇が光ったような気がした。
子供だなんてとんでもない。女だ。
「えい!」と小さく掛け声を出して見てきた瞬間、何かが音を立ててぶち切れた。
「……あれ?」
「…………」
頬を赤く染めるな!
眉毛を頼りなさ気にハの字にするな!
目を潤ませるな!
上目遣いをするな!
唇をぬらすな! そして少し開けるのもやめろっ!
「だから! その顔は止めろと言っただろうっ!!!」
「ご、ごめんなさいー!」
怒鳴られて、頭を抱えてその場にしゃがみこんだ美守を、どうしてやろうかと思った。
お久しぶりです
遅れました、すみません……