第24話(光太郎視点)
「……光太郎はどうした」
フローディアの低い声が美守の桜貝のような唇から発せられる。
問われたダイヤは神気に怒気が混じった気迫に当てられ小刻みに震えた。
フローディアは分かっているのにあえてダイヤに問うている。
フローディアは真実を聞きたくないはずなのに、ダイヤに問う。
「わ、我が君は一人になりたいと仰って……」
「わらわを放ってか?」
八つ当たりなのは分かっている。
でも、もう一週間にもなるのだ。
「光太郎はどうして出てこぬのだっ!」
「か、神よ、どうか落ち着いて下さいっ!」
大気が動く。
『……ごめん、一人になりたいんだ』
目の下に出来た隈。
食は細くなり、目は窪んでしまっていた。
『近づくな』
そう言うくせに、光太郎は手を伸ばす。
伸ばした手を握り返そうとすればはっと目を見開き苦しげに顔を歪めた。
『……美守』
泣きそうな顔。
『……フローディア』
その顔には葛藤があった。
光太郎が何を考えているのか、フローディアにはさっぱり分からない。
今までと異なりすぎて、どうしたらいいのか分からない。
しかし、昔から一つだけ分かっていることがある。
光太郎が欲しい。
ただ、それだけ。
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がらんとした翳った部屋の寝台の上で光太郎は仰向けになって寝ていた。
「い……ま……っ……」
今は何日なのか、そう呟こうとすれば声が掠れていて水分すらろくに取っていないことを思い出す。
くっと乾いた笑みを浮かべるがそれすらも虚しい。
机の上にある水差しに手を伸ばし、喉を潤わせる。
空になったグラスから手を放せばそのまま床に当って砕け散った。
ばらばらになった破片を集め、元の形に組み立てる。
ある程度は形になるが、一度壊れたグラスは決して元に戻らない。
所々欠けたまま。
何よりもひびの入った見た目は醜い。
「……あ」
ばらばらと崩れ落ちたガラス。
底の部分は厚めに作られているため残っているが上の薄い部分は形にすらなっていない。
「……もう、塵だな」
そう、使えないグラスなんてただの塵だ。
光太郎は無表情に机の上に集めた破片を払い落とした。
割れたグラスに興味を失くし、光太郎は引き出しに手を伸ばした。
そこから取り出した指輪を何度も、何度も、撫でる。
「これが、これこそが、俺の証」
美守にプレゼントするはずだった指輪は鈍い光を放ち、薄暗い部屋で唯一輝いていた。
まるで神聖なものに触れるかのように光太郎は指輪に唇を寄せる。
「美守」
震えた声で紡がれた光太郎の言葉は薄く開けられた窓の隙間に吸い込まれてしまった。
「……何?」
「こんなことは前代未聞だ」
窓の外。
凭れかかるようにしてファイが寄りかかっていた。
光太郎はファイに見向きもせず、また寝台に仰向けになる。
意識はファイにあるが、内容よりもファイが饒舌なことを可笑しく思っていた。
「この神域に俺以外に血を持ち込もうとしている者がいる」
その遠まわしな言い方に光太郎は笑った。
「はっきりいいなよ、クラウが俺を殺しに来るって。あははは」
「……」
冗談のように言って笑う光太郎をいぶかしんでいるのだろう。
ファイは無言だった。
「……神子に剣を向けることは、許されない」
「じゃあ、ファイはどうするんだ?」
「……排除する」
「はっ」
模範的な答えにまた笑う。
神盾国国王、クラウ。
大きな体躯に鋭い眼差し。
同じ男であることが嫌になるほど男らしいと言えるだろう。
光太郎が施した美守の刷り込みを意図も簡単に破ってしまった男。
いつも泣いてばかりだった美守。
いつも不安げにしていた美守。
光太郎が中心に回っていたはずの美守。
怒った顔で拗ねる美守なんて知らない。
甘えた顔で我侭を言う美守なんて知らない。
熱に浮かされた恋する表情なんて見たこともない。
「なんで、あいつなのかな。俺の方がずっと美守と一緒にいたのに。俺の方がずっと美守のこと知っているのに」
「……」
ただの自白。
ファイはそれを理解し、返事を返さない。
「美守には俺が必要だったはずなのに」
しかし、そうしたのは光太郎。
それも自覚している。
「美守はもう俺なんて要らないのかな」
クラウがいるから、光太郎はもういらない。
クラウの燃えるような眼差しを思い出し、乾いた笑みを浮かべる。
「……あいつなら、いいか。殺されてやるのも」
フローディアと同化し、力を得た。
自分が神子であることを自覚した。
抗えない感情があった。
それでも一年もがき続けた。
過去の神子の記憶が、感情が、力と共に流れ込んで来る。
美守が好きだ。
愛している。
でも。
もう、どうすればいいかわからない。
自分が望んだはずなのに、美守が美守では無くなってしまった。
美守がいなくなってしまった。
美守だけが、光太郎の存在意義だったのに。
「……もう、疲れた」
この苦しみから解放されるなら、そしてその相手がクラウならば殺されてやってもいい。
いや、クラウこそが相応しい。
クラウだから、相応しい。
自嘲的な笑いを発する光太郎を遮るように、今まで気配を消していたファイが口を挟む。
「残念ながら、クラウではない」
「……は?」
光太郎は初めて窓の外にいるファイを見た。
いつも無表情のファイの戸惑った顔を、光太郎は初めて見た。
「……クラウ以外に誰が俺を殺したいほど憎んでいるって言うんだ? 自慢じゃないが、俺の外面は完璧だったと思うけど」
「神剣国」
軽く目を見開く。
「意味がわからないんだが」
「……」
俺に聞かれても、と困り顔のファイを見て光太郎も首を傾げる。
いくら考えても自分よりダイヤを仕留めに来ているとしか思えない。
どちらにしても。
「あいつ以外に殺される気はない」
返り討ちにしてくれる。