第21話
えと、ぎりぎりR15?
いえ、どうでしょう。
ぴくり、と目じりが顰められる。
今流行のスカートを大きく膨らませたものではなく、神域で着られている男女兼用のすとんと足首まである滑らかな生地は美守のために作り直されたのか、細身で身体のラインが全て出てしまっている。
上から羽織ったローブで誤魔化しているのかもしれないが気持ち悪いほど痩せてしまっていることは隠せる物ではない。
と言うか何故ここにいる、とクラウはやっと睨んでいた書類から顔をあげた。
隣にいるロトは珍しく感情をむき出しにして美守を睨みつけている。
二人の視線に気づいた美守は飲んでいたカップを置いて二人に極上の笑みを浮かべた。
咄嗟に感じたのは違和感。
美守はこんなふうに笑う女だっただろうか?
いつも不安げにクラウの表情を窺うように控えめな笑みを浮かべていたはずなのに、今の美守は堂々としていて自信に満ち溢れているように見えた。
これだから贅沢に馴れ、権力に溺れた人間は。
人は一度贅沢に慣れてしまえば以前の生活に戻れなくなるものだ。
今目の前にいる美守もきっと神子の寵姫として贅沢三昧していたに違いない。
そんな人間など話す価値もない、そう思ってクラウは美守の存在を頭から消そうと書類に視線を戻す……が。
「ふふ」
思わず、と言ったふうに零れた美守の鈴を転がしたような可憐な声が響く。
「……何がおかしい」
貴賓だからと言ってここまで気を使ってやる必要がどこにある?
クラウは美守を追い出したくて仕方が無かった。
地を這うような声を出せば美守は急にぶるりと震え、じわぁ……っと涙目になる。
その姿に舌打ちをして、これだから女は……と吐き捨てる。
胸の奥に感じた罪悪感には蓋をして。
本音を言うのならば。
抱きしめたい。
閉じ込めて、自分しか見れないようにしてしまいたい。
二度と、他の男を呼ぶ声など聞きたくない。
もし美守が今ここでクラウに乗り換えたなら、クラウはきっとそれを受け入れるだろう。
それほどに、美守はクラウの心を持っている。
しかし美守は以前の神殿に疎まれていた頃とは違う。
今は神殿の要たる神子に望まれてそこにいるのだ。
何も持たない少女だったからこそクラウと美守の間にはなんの障害もなかった。
でも今は。
神子の寵姫を奪うことがこの世界にとってどれだけの大罪となるのか、クラウにさえわからない。
民は混乱し、国が揺れる。
それは王としてしてはいけないこと。
王としての立場を重んじねばならない。
クラウはクラウだけのものではないのだ。
「ミモリ、毎日毎日来られるのは迷惑だ。去れ」
「うふふ」
「…………」
何を言ってもこれだ。
いいかげんこちらも飽き飽きしている。
辛辣な言葉を重ねるたび、美守はとても嬉しそうに微笑む。
本気で怒鳴っても、愛おしげに目を細められるのだ。
神子の趣味でおかしくなってしまったのか? と思わないでもないが、考えるのを止める。
クラウにとっては関係のないことだ。
しかし数日前に名残惜しげに神域へと帰っていった神子から離れてまで、神盾国に居残る意味が分からない。
こうして毎日クラウの執務室でクラウを眺めながら紅茶を飲んでいるだけ。
監視されているようで居心地が悪いことこの上ない。
しかもそれだけではない。
問題は夜だ。
いつも決まった時間に現れ、霰もない姿でクラウを誘惑しようとする。
『私を抱きたいのでしょう?』
そう言ってクラウの眠る褥に乗りあがってくる。
初めは刺客と勘違いして切り殺しそうになった。
呆然とするクラウの唇に唇を重ねそうになったところで正気を取り戻し「ふざけるな」とロトに回収させた。
毎夜毎夜繰り広げられる攻防にクラウはもちろんロトも辟易しているのだ。
ロトに関しては敬愛する主人を誘惑しようとする悪女としてその頭に刻まれている。
そして、今宵も。
醜い。
そう思う。
がりがりに痩せてしまった身体は骨ばっていて触り心地も抱き心地も悪い。
女特有の柔らかさがなくなんとも興醒めだ。
でも、目の前に居るのはクラウが惚れた女。
近づいたことでふわりと香った香がクラウを誘惑する。
妖艶に微笑みを浮かべた顔に一気に理性を取り戻したが。
「……ミモリ、いい加減にしろ。俺はお前を抱くつもりは無いと何度言えば理解する?」
「嘘つき」
確かに、嘘だ。
美守を取り戻したいと今でも思っている。
でも、何故か今目の前に居る美守をどうこうしようと言う気にはならなかった。
毎日、毎夜。
ロトの気配がすると言うことはいつもの時間なのだろう。
クラウの一言でロトは美守を追い出す。
しかしこんなことはいい加減終わらせなければならない。
なにより、クラウがもう限界だった。
早々にこの気持ちに区切りをつけなければ、奪ってしまいそうになる。
美守がそれを望んでいるのならば構わない。
美守が望むのならば、何からも守ってみせる。
でも、今の美守からクラウに対する恋情は一欠けらも感じられなかった。
言うなれば、戯れ。
そのようなものを望んでいるのではない。
奪っても傷つけるだけかもしれない。
クラウでは守れないかもしれない。
理性で欲望を押し込める。
「……」
「え!?」
骨と皮だけになっている手首を掴み、美守を褥に押し倒す。
美守は驚いたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
頼りない腕がクラウに向かって伸ばされ、クラウはそれを握って歪んだ笑みを美守に向けた。
美守が目を見開き、輝くような笑みを向けたのは一瞬。
きょとん、とクラウを見上げている。
「え……? クラウ様、どうし……んん!?」
押し付けるように唇を深く押し付ければ、瑞々しかった美守の唇はかさかさに荒れてしまっていた。
「望みどおり抱いてやる」
その唇を湿らせようとゆっくり自分の唾液を塗りこむように舌で舐め上げる。
は……と零れた熱い吐息を奪うように口付けた。
きゅっとクラウの夜着を握ってきた美守を何故か愛おしく感じ、まともに美守を見てしまった。
涙の溢れる瞳でクラウを見上げ、苦しげに顔を歪めていた。
以前の美守を思わせるその不安げな顔にクラウは心臓が締め付けられる思いだった。
「クラウ様……」
「……なんだ?」
自分でも信じられないほど優しい声。
美守の黒髪を優しく撫で、以前のように問いかける。
美守はクラウの手を大事そうに口元でぎゅっと握って溢れ出る涙を堪えることもなく泣き続けている。
「クラウ様、クラウ様ぁ……」
「だから、なんだ?」
先ほどまで、懲らしめるつもりで美守を押し倒したのだ。
酷く扱ってクラウを嫌い、近づかなくなればいいと。
欲望から押し倒したのではない。
ただ、諦めさせようと思っただけだ。
美守にどのような思惑があろうと、クラウは動かせない、と。
事実先ほどまで美守を見ても抱きたいとは思わなかった。
そう、さきほどまでは。
うわ言のようにクラウの名を呼び続ける美守が愛おしい。
クラウの手にすがり付いてくる様は庇護欲をそそり、クラウをどうしようもない気持ちにさせた。
「クラウ様……私、嬉しい」
「何がだ」
距離を縮め頬を伝う涙を舐め上げる。
涙を流しながらも、幸せそうに微笑む美守はどんな時よりも一番美しい。
少し青みがかった瞳が涙に濡れて深い蒼に変わる。
「だって、クラウ様がいる」
「なんだ、それは」
今までだって一緒にいただろう、と言えば美守が迷子の子供のように瞳を揺らした。
クラウもまた、美守が迷子になってどこかへ行ってしまいそうで、美守が縋る手をそのままに片手で強く抱き寄せた。
「クラウ様……もう、どこにも行かないで」
「それはこちらの台詞だ」
置いていったのはお前だろう、と眉をぎゅっと寄せると美守は子供のように泣く。
「だって、クラウ様はいなかったもの。私のものだって言ったのに、居なかったものっ!」
「ミモリ」
ヒステリックに叫ぶ美守をクラウは抱きしめる。
何を言っているのかは分からないが、今は美守を落ち着けさせる必要があった。
「私、何がなんだかわからなくてっ……。怖くて、怖かったのにっ……クラウ様、どこにも居なくて……」
「ミモリ……」
クラウの胸板を叩きながら首を振る美守を落ち着けさせようと、クラウはその唇に深く口付けた。
涙の味がする冷え切った唇を何度も貪り体温を分け与えるように。
美守もそれに答えるように舌を絡ませてきた。
お互いがお互いを貪りつくすような口付けを交わし息が上がる。
求めて止まない相手が今目の前にいて、自分を欲している。
忌々しい衣の胸のリボンを一つずつ解いていく。
「ミモリ……」
「クラウ様……」
頭を抱え込まれるように抱きしめられ、促されるままにクラウは美守の胸元に吸い付こうとした。
しかし。
「…………」
「クラウ様?」
無数に散りばめられた赤い花々。
胸元の際どいところに執拗に、無数に。
真新しいその痕に、クラウは自分の愚かな行為に絶望した。
何故、毎夜クラウの寝室に訪ねてくる美守を追い出してしまった?
もちろん今までクラウは美守と肌を合わせていない。
神子も今では神域に帰ってしまっている。
それなのに、美守の肌に残っている真新しい痕。
以前のように愛しい美守を目の当たりにして崩壊しかけた理性が戻ってくる。
好いた女だからといって、こうも簡単に騙されてしまうとは。
自分が情けない。
ふっと笑みを零し、上体を起き上がらせた。
急に離れた体温を追い求めて美守の腕が伸ばされるがそれは虚しく宙をきる。
「ロト、連れて行け」
「は」
「!?」
クラウの一言ですぐ傍で控えていたロトが姿を現し、クラウの寝台で横たわる美守に侮蔑の表情を向けた。
それに怯えた美守はクラウに助けを求めクラウを見やるがクラウの冷えた眼差しに今度こそ美守は凍りついた。
「く、らう……さま?」
「呼ぶな」
震える声。
縋るような眼差し。
怯えたその態度。
「……そんな目で見るな」
愛しい。
だからこそ、許せない。
「……お前は、俺のミモリの皮を被った化け物だ」
「!!」
目を見開いた美守がクラウにすがり付こうと手を伸ばすがその手はロトによって締め上げられた。
痛みに顔を顰めながらも美守はクラウに必死に助けを求める。
「クラウ様、違うんです、私っ……」
ロトに引きずられながら美守は訴える。
しかしクラウは何も言わずに美守を見つめるだけ。
その顔にあるのは疲労。
それを感じた美守は押し黙り、涙を流した。
クラウが最後に見たのは苦しげな泣き笑い。
美守は笑っていた。
「ごめんなさい」
「ミモリ……?」
言葉なき言葉を美守は口にする。
唇の動きを読み取ったクラウは胸騒ぎを覚え、ロトを引き止める。
が今まで必死に抵抗していた美守が気を失ったかのように四肢から力を抜き、ぐにゃりとその場に座り込んだ。
「な!?」
「ミモリ!?」
ロトが支えている美守にクラウは駆け寄るがそれは叶わなかった。
縛り付けられた四肢。
しゅるしゅると意思を持っているかのように植物がクラウとロトを拘束している。
解こうともがくが切っても切っても、どこからやってくるのか植物は絶えない。
「ふ、ふふ……ふふ……は、あはははははははははははははははは!」
場に似合わない声。
ゆらりと立ち上がった美守から上がる高笑い。
「ミモリ……?」
呆然と零れた言葉は美守に届くことはない。
振り向いた瞳は吸い込まれそうなほど澄んだ藍。
にぃ……と持ち上がった唇は血のような赤。
やせ細っていたはずの身体がふくよかになり、肌からは光る粒子のようなものが溢れている。
拘束され身動きの取れないクラウに美守がゆっくりと近づいてくる。
頤を掴まれて、クラウは咄嗟に顔を背けることでそれを振り払った。
しかし美守はそんなことも気にせず、愉快だと蕩けるような声をだす。
「クラウとか言ったか。礼を言うぞ」
その眼差しも、声も全てが美守のもののはずなのに、全てが異なっていた。
「これでこの身体はわらわのもの。……そなたのおかげでこの忌々しい女は完全に消えた」
「なにを……」
何を言っている。
喉が渇ききっていて最後まで言うことは出来なかった。
壮絶な輝きをもって微笑むそのさまは神々しく慈悲深い、人外のもの。
美しいその顔で女神はクラウを苦しめる。
「この女にとってそなたはよほど大きな存在だったらしいな。たかがそなたの他愛無い一言でどんどん弱りよって、ほんとうに愉快だった」
なにを。
「先ほどのそなたの顔を見たときのこの女ときたら! 同化しているわらわまで死ぬかと思ったわ」
「同化……?」
何を言っている。
「光太郎がコレがいいと言うのだから仕方あるまい? 入ったはいいが、中々にしぶとくてな。いつまでたっても身体を明け渡さないから焦れていたのだが……。そなたのおかげだ、礼を言うぞ?」
にっこりと笑むその顔は清らかでありながら禍々しい。
「何を……言って」
「よかったな。そなたはこの女が邪魔であっただろう? この女は今日、今このときをもって消えた」
「待て……」
頭が回らない。
血が逆流する。
クラウを拘束していた植物がほどけていく。
だが、クラウはその場に膝をついたまま。ロトは呆然と美守を見つめている。
窓に向かって歩みを進めていく美守に焦りを覚えるが頭が、心がついていかない。
「ああ、そうだ」
窓に手をかけた美守がクラウを振り返る。
「わらわの名はフローディア。忌々しい女の始末を手伝ってくれたそなたに、わらわの名を呼ぶことを許してやろう」
びくり、とクラウの肩が揺れる。
「……陛下」
ロトの声がする。
「陛下、サファイアが」
ロトを押しのけて美守の護衛に残っていたファイがクラウの前に立った。
「なぜ、ミモリを拒絶した」
その声には明らかな怒気が含まれていた。
「あなた以外、ミモリを引き戻せる人間はいなかった」
「……ちょっとまて、貴様知っていたのか?」
美守がフローディアに身体を捕られそうになっていたことを。
「知っていたが知らなかった」
「?」
「……もう、ミモリは居ないと思っていた。でもあなたに会って、ミモリがまだ居たことがわかった」
「なぜ……」
言わなかった、と行き場の無い怒りをファイにぶつけかけたが、ファイは所詮神域の宝石。
神に背く行為は許されない身。
今こうしてクラウに怒りをぶつけることすらもファイにとっては神に背く行為なのだ。
まだ思考のまとまらないクラウにファイは背を向ける。
「どこへ」
「……俺はミモリの護衛を任されている。ミモリが帰ったから、帰る」
そう言えば、美守……いや、フローディアの姿がない。
窓から飛んだのか、移動でもしたのか。
女神たるフローディアに不可能はないのだ。
まだ愕然としているクラウの変わりにロトがファイに問いかける。
「あれが、ミモリ様だと?」
「……わからない」
闇に溶け込むように姿を消したファイを見届け、ロトは一瞬躊躇ったものの一礼をして部屋を辞した。
部屋に一人残されたクラウは、その場に膝をついたまま愕然としていた。
『クラウ様』
「ミモリ」
『ごめんなさい』
「ミモリ」
『……さようなら』
「ミモリ」
護ると誓ったはずなのに。
「俺は」
なんてことを。
大変長らくお待たせいたしました。
ムーンライトノベルズのほうで「おまけのお姫様」番外編、クラウと美守の初夜「お姫様のおまけ」UPしました。
18歳以上の読者様はよろしければそちらもよろしくおねがいします。