第18話
早いに越したことは無い。
「……早すぎませんか?」
「なんだ、嫌なのか」
「……そんなこと、ありませんけど……」
「……」
しゅん、と項垂れる美守をクラウはじっと見つめた。
あれから二週間してクラウは宣言通り、美守を自国に迎える準備を終え直々に迎えに来た。
王でありながら潔癖で女人を寄せ付けなかったクラウの「妻を娶る」の宣言に家臣は喜びの余りその場で小躍りし始めたほどだった。
自分でしようと思っていた美守を迎え入れる準備も家臣たちが我先にと整え、神盾国では美守を今か今かと待ち構えていた。
予定よりも早く美守を迎えにくることができた。
しかし。
「……どうした。何かあったのか」
「……」
「おい」
「……」
「……おい」
「……」
心ここにあらずといった風な美守はずっと待っていたクラウが目の前に居ると言うのに、ぼーっと窓の外を眺めていた。
窓の外を見つめ、ぼんやりと浮かび上がった風景の中にある神殿を目に入れて、クラウはすっと目を細めた。
美守の腕を少し、力を入れて掴む。
「! え、な、なんですか? いた……」
「俺は」
戸惑う美守をひたと見つめる。瞬きさえせずに。
「俺は言ったはずだ。俺を好きなら神子は放っておけと」
「……だって」
「だってもくそもあるか。……お前が神子を選ぶならそれでも構わない。俺は去るだけだ」
「! ……あ、駄目! いやっ!!」
強く握った腕を離そうとすれば、美守が遠ざかろうとしたクラウの腕にしがみ付いた。
そのままクラウを潤んだ瞳で見上げ、真珠のような涙がぽろぽろと零れる。
その涙を無表情に拭ってやっていると、美守が声を荒げた。
「だって、こぉちゃんは私にとって一番大切な人なの。クラウ様、も、だけど……意味が違うの。私はこぉちゃんがいないと何もできなかった。こぉちゃんがいないと一人ぼっちだった。こぉちゃんにすっごく助けられて、いっぱい可愛がってもらって……」
「そうか」
「なのに、今こぉちゃんが困ってるかもしれないのに、私だけ幸せになるなんて、できない」
「……では、お前は神子を選ぶのだな」
「!」
美守の頬を零れる涙を抜くっていたクラウの大きな手がぴたりと止まり、下におろされた。
それが悲しくて、何故引き止めてくれないの、と自分勝手なことを思ってさらに涙が零れた。
「違います! ……でも、でも! 選ぶなんてできないっ……! 二人とも、私にとって掛け替えの無い人だからっ……」
昔から、美守のことを守って助けてくれた優しいお兄ちゃん。
出会ったばかりだけど、一緒にいるだけで幸せな気持ちになれる初恋の人。
意味は違っても、二人とも美守にとって掛け替えのない存在で選ぶことなんてできなかった。
泣き続ける美守をクラウはただ無表情に見下ろした。
「何度でも言う。俺を好きなら神子は放っておけ。……言っただろう。甘えと優しさは依存と執着を呼ぶと。お前はその’こぉちゃん’離れをすべきだ」
「今まで、すっごく、助けてもらって、大切にしてもらって……! 私、こぉちゃんに何にも返してないのにっ……! こぉちゃんご飯食べてないって、寝てないってぇ……!」
「では、神子を選べばいい」
「ど、うして……そんな意地悪言うんですかぁ……っ。……ひっく……クラウ様、全然、優しく、無いですっ……」
「当たり前だ。お前は俺との約束を破っているのだからな」
「……?」
首を傾げる美守を見下ろすクラウはピクリとも表情を崩さない。
美守の零れる涙を拭いもせず、震える肩を抱くこともない。
「俺の優しさは唯ではない。そう、言ったはずだ」
「……ひ……っく……」
嗚咽が漏れそうになるのを両手で口を押さえて堪え、ぎゅっと目を閉じて俯き、涙を止めようと必死になる。
身体の震えが止まらなくて、ちゃんと話さなくてはいけないのにいつまでたってもその状態から動けない。
時々、息を吸い込む音が室内に響く。
光太郎が、心配だった。
氷の柱に貫かれたときの光太郎の絶望した顔が忘れられない。
あんな顔、初めて見た。
ダイヤの言葉にそれを確信にかえ、居ても立ってもいられなくなった。
きっと光太郎は美守のことを心配しているから。
いつも美守を優先させて自分のことは二の次だった光太郎だから。
こんなとき、自分はどうすればいいのか分からなかった。
リュークやミラルダに頼めばきっと神殿まで連れて行ってくれるような気がしたが行ってもいいのかどうかさえわからない。
今まで受身だった美守が自発的な行為をするには理由が足らなかった。
もし、自分がそう行動したとしてどれだけの人に迷惑を掛けてしまうのか。
そもそも光太郎はそれを望んでいるのか。
それが分からなくて、ただ美守は考えるばかり。
だから、きっとクラウが答えを出してくれるのではないかと思ったのに。
クラウは光太郎のように甘くはなかった。
強引に、奪ってくれない。
自分で考えろという。
自分の意思で決めろという。
逃げ道を作ってくれない。
でも、答えなんて初めから決まっている。
クラウと離れたくない。
ずっと傍に居て、クラウに優しくして欲しい。
今までくれた優しさがまるで嘘のように、今のクラウは無表情に、無感動に美守を見下ろすだけ。
涙を拭って、抱きしめて、慰めの言葉をかけて欲しい、そう思った。
そしてキスをして甘い言葉を囁いてほしい。
でも。
それと同時に湧き上がるこの思いは……罪悪感。
光太郎は大変なのに、自分だけ幸せになってもいいのか、という思いに駆られる。
泣きながらぐるぐると考えると頭上から大きなため息が降ってきた。
びくっと飛び上がり、現実から目を反らしたくてさらにぎゅっと目を閉じた。
しかし。
美守の予想に反して、暖かな腕の中に閉じ込められた。
温かくて、涙が止まらない。
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震える自身を抱きしめ、必死に嗚咽をかみ殺している美守を見下ろす。
(……すがり付いてくればいいのに)
こうして目の前に立っているのだから、クラウにすがり付いて泣けばいい。
確かに美守に自分で選択させるために、クラウから手を出すことはしない。
ここで決めておかなければ、後々引きずるに決まっている。
問題を先送りにしては、それだけ苦しむことになる。
他人に決められたからと諦めるのではなく、自分で決めて意思を固めて欲しい。
クラウにとっても美守にとっても。
そのほうがこれから苦しまずに済む。
ここで美守が己の意思でクラウを選べば、一生離すつもりは無い。
(……まぁ、そうだな。選ばずとも、もう不可能だろうな)
「……やだ、いや……」と微かな声でクラウを止めようと声を漏らす美守はいつまでたっても決定的な言葉を口にしない。
それだけ、神子が大切なのだろう。
しかし、美守は幼馴染だと言っていたが、神子はそう言う目では見ていない。
美守と会場に戻ったあの時の神子の顔。
顔は笑っていたが……あの目。
クラウを見つめる神子の目はどこまでも深い、闇色をしていた。
その視線だけで人を飲み込み殺してしまうのではないかと思うほどの憎悪がそこにはあった。
美守を自分のものだと宣言するその言葉も。
ダンスのとき、叫んだ言葉も。
……その後の、狂ったような高笑いも。
(はやく、俺を選べ)
さもなくば、闇に囚われる。
はやく手元に置いて庇護しなければ、いつまでたっても断ち切れないままだろう。
だからこそ自分の意思で選ぶ必要がある。
守りたくとも、守られるべきものが不安定では守れない。
でも
本当は
離したくない、離さない。
(……俺以外を選ばせるつもりなどない)
どちらも選べられない掛け替えの無い大切な人だという。
意味は違うけれど、どちらも美守にとって大切だという。
不安定な状態。
このままでは神子を選んでしまうかもしれない。
それどころか考えるのが嫌になってどちらも遠ざけるという可能性もある。
はー、と大きくため息を吐けば何を勘違いしたのか美守が震えあがった。
心の中で舌打ちをして俯いたままの美守を抱きしめてやる。
今まで我慢していたのだろう。
すぐにクラウの胸に擦り寄り、涙も拭わずにクラウにしがみ付いてきた。
もう一度、大きなため息を吐く。
繋ぎとめておかなければ、すぐに傾いてしまいそうで。
柄にも無く、不安になる。
(……俺が好きなくせに、こいつは)
美守を抱きしめた腕に力が入る。
神子の顔を思い出して、ぎりっと歯が鳴る。
美守は言う、「こぉちゃんだけが」と。
この執着は少しおかしい。
まるで神子がいなければ生きていけないと、刷り込まれているような気がしてならないのだ。
答えが出せずに泣き続ける美守を見下ろし、まっすぐな黒髪をなでる。
(……やっておくか)
身体を繋ぐと不思議と心もついてくるものだ。
美守を抱き上げると目を見開いて息を呑んだ。
驚いている。
「ど、どうしてクラウ様が驚いているんですか」
お互いに目を見開いて驚いた顔をして見詰め合っていた。
驚いたクラウを見て美守は不思議そうだ。
「……お前、軽すぎないか。ちゃんと内臓が入っているのか?」
「は、入ってます! え、ちょ! お腹押さないでくださいっ!!」
腰に下げている剣よりも軽い気がした。
片手でもてる。
そんなことを思いながらも美守を抱き上げたまますたすたと寝台まで運ぶ。
寝台に下ろされながらも素直に従っている美守にぎゅっと眉根が寄った。
途端、美守の目が不安げに揺らめいた。
「お前、わかっているのか?」
片膝を乗り上げるとぎし……と寝台が鳴る。
クラウの下で美守は首をかしげたままだ。
「……お前……もっと警戒心を持て」
「え……どうして……」
「どうして、だと? そんなこともわからないのか」
「え、だって……んむぅ」
美守に覆いかぶさって、桜色の小さな唇を食んで舌を這わせる。
そして、牙を向く。
「!! い、痛いです……」
「仕置きだ」
「な、なんの……」
「少しは察しろ、馬鹿者」
「え、え? え……?」
下唇に噛み付いて、鼻に噛み付く。
顎を噛んで、首に歯形をつけた。
「お、怒ってますか……?」
「ああ」
「ああ、って……あ……!」
「……抵抗しないのか」
ドレスをたくし上げれば美守が驚いて声を上げたが、抵抗することはない。
真っ赤になっているだけだ。
露になった白い二本の脚が艶かしい。
流されやすすぎる。
心配を通り越して呆れとかすかな怒りを感じる。
「少しは自己防衛しろ」
「何でですか?」
「お前……」
そろそろはっきり言ったほうが今後のためだろうと思い、口を開きかけたが美守が先に口を開いた。
「なんで自己防衛なんですか? だってクラウ様なのに」
「……?」
「……クラウ様こそ、察してください。……ばか」
「!」
ぎゅっと首に抱きついてきた美守を抱きとめながら、クラウは察した。
クラウだから無防備なのだ、と言いたいらしい。
ふっと笑う。
「……気持ちなど、もうついてきていたようだな」
「え?」
首を傾げる美守ににやり、と笑みを向ける。
「なんでもない。……今から、お前を抱く。いいな」
「……はい」
目をゆっくりと閉じる美守にそのまま重なる。
もう絶対に離さない、離してやらない。
もう全てが自分のものだと、貪りつくす。
クラウが好き、離れたくない。
だから、クラウに身を任せる。
クラウを選んだ。
優しくて、意地悪で。
幸せで、満たされて。
いろんなクラウを見て、もっと愛おしくなって。
離れたくない、ずっと一緒にいたい。
想いは募るばかりで。
なのに。
これが最後だなんて、思いもしなかった。