第11話
今まで見たことの無い、まるで人形みたいに笑っている光太郎に、美守は愕然とした。
集まった民に向ける笑顔。
軽く手を振ればわーっと歓声が上がった。
真っ白の丈の長いローブのような服に、大きな白い帽子を被っていた。
そして光太郎のすぐ横に寄り添うようにして立っているダイア。
それでも。
美守は光太郎を見て、期待に心を弾ませた。
もう少しで、光太郎に会える。
もう少しで、光太郎が城内に入り、ここまでくる。
「こぉちゃん」
ふわりと微笑んだ美守は、このとき何も考えていなかった。
ただ、久しぶりに見た光太郎の姿を見つめていた。
+++++++
「……?」
周りから注がれる視線に美守はおろおろとなりそうになるのを必死に堪えた。
パーティー会場では、人の目がある。
たとえどんなことがあろうとも、背筋を伸ばし堂々とすること。
それが、神宮司家に生まれた美守が守っていたこと。
ぐっと腹に力を込め、前をむく。決して下は向かない。
美守の行動全てが神宮寺家の名誉に関ることなのだ。
だから。
(笑って)
美守は優雅に微笑む。
普段のおろおろとした弱気な美守とは違う。
ここは、美守の唯一の戦場と言ってよかった。
どんなに人から見られようとも、どんな人から声を掛けられようとも。
神宮司家の名に泥を塗るようなことだけはしてはならない。
だから、美守はこの瞬間鎧を纏う。
この瞬間だけは、両親の関心が美守に向く。
失敗は許されなかった。
だからこそ、このときだけは完璧に。
呆けた顔で美守を見つめていた人々がざわ……とざわめきだす。
開けられていた赤いカーペットが引かれた一本道をゆっくりと進むその人に、皆目を奪われる。
あまりの神々しさに、美守も目を細めた。
そして、ふっと目が合い、美守は胸に湧き上がるものがあった。
「こぉちゃ……」
思わず、光太郎を呼ぶその声は空気に霧散して、消えた。
美守を見とめた瞬間、光太郎が表情を消し、顔を逸らしたのだ。
愕然とした。
当たり前のように、光太郎は美守に笑顔を向けてくれるものだと思っていたから。
今、美守の傍には誰も居なかった。
王であるミラルダとクラウは光太郎が歩くその先に。
王子であるアランとティアもそれに習い、一段下に。
名誉騎士であるリュークも、このときばかりはミラルダの傍に控えていた。
光太郎の後ろを、ダイヤが歩き、その後ろを更に数名が従う。
ファイも、もちろんその中に。
このとき、美守が何も無かったように取り繕えたのは、ここがパーティー会場と類似していたから。
この場だけは、美守は自分を偽るのが、とても得意だった。
……この場だけは、誰も助けてくれなかったから。
それでも、美守の心は悲鳴を上げていた。
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「ほほぅ……見てみよ、リューク。あのミモリの変わりようを。……おやまぁ、また別の奴と踊るようじゃのぉ……。ん? どおしたのかえ? すぐにでも飛んで行きたそうな顔をしておるぞ?」
「……お人の悪い」
眉根を寄せるリュークをミラルダはからかうが、実のところミラルダは八つ当たりをしている。
神子と美守が幼馴染だと聞いていたので、感動の再会劇を期待していたのに、そんなことにはならなかった。
神子である光太郎は上座に座り、忌々しいダイアを横に従え、ただ静かな微笑みをその顔に張り付かせたまま会場を見つめている。
それならば、と美守を見れば別人のように変わり果てていた。
薄く化粧が施された顔はいつもより大人っぽく艶めき、ミラルダでも一瞬息を呑んだほど美しかった。
美守を見つめる唖然とした男達の顔がなんとも面白い。
それでリュークやアラン達の機嫌が悪いわけだがミラルダが不機嫌なのはそれが理由ではない。
(何故泣いておらぬのじゃっ!!!)
初めてのパーティーに美守がおろおろとするところが見たかったのに。
殺到するダンスの申し込みに涙を溜めてミラルダに助けを求めることを期待していたのに。
目の前で楽しげに踊る美守のステップは完璧で。
それどころかこの会場にいる誰よりも場慣れしている。
面白くない、面白くない、面白くないっ!!!
「のぉ、神子殿? 貴殿はミモリとは親しき仲と聞いておったのじゃが……」
「口を謹んでいただけますか?」
「貴様に話しかけた覚えはないっ!」
「はっ」
「~~~~!」
矛先を光太郎にすれば、返ってくるのはダイヤの腹の立つ言葉ばかり。
腰を浮かしそうになったミラルダをリュークが宥める。
ミラルダとダイヤの言い合いが続く中、光太郎は表情を崩さず、ただ会場を見つめていた。
そんな時、ふとクラウが立ち上がる。
光太郎に一礼して、会場の中心……美守の下までどんどん進んでいく。
美守とそのとき踊っていたアランは渋い顔をしつつも、神盾国の王に美守を譲った。
腰に手をあて、美守の前で腰を折るクラウ。
美守はこのとき、初めて笑顔以外の表情になる。
目をぱちぱちさせて差し出されたクラウの大きな手を凝視して、嬉しそうにその手を取った。
「リュークっ! お前もいかんかっ! 何をしておるのだっ」
「何って、陛下のお守……ではなく、護衛です」
「今、お守と言わなかったかえ!?」
「いえ、そんな……」
そんな二人は気づかなかった。
上座で笑顔を見せていた光太郎の指先がぴくりと反応していたことに。
+++++++
素直に嬉しかった。
クラウが、まるで王子様のように腰を折って美守にダンスを申し込んでくれたから。
申し込まれるままに何曲か踊ったが、下手な人が多いしほとんどが初対面で美守にとっては苦痛でしかなかった。
でも、お世話になっているミラルダの恥にはなりたくなかったから。
神子になってしまった、光太郎の顔に泥を塗るようなまねをしたくなかたから。
美守は必死に笑顔を振りまき、完璧な令嬢になった。
ティアのときもアランのときも、ダンスは上手だった。
さすが王子なだけある。
クラウもとても上手で安心して身を任せることができた。
くるくる、くるくる。
なんども同じステップを踏んだ。
ずっと、クラウと。
先ほど、ダンスを申し込んできた数名がクラウの身体越しにこっちを見ているのが分かったが、邪魔はしてこない。
何故だろう、と思ったところでクラウが王だと言うことを思い出す。
この場でクラウのすることに進言できるとすれば、同じ王のミラルダか、神子である光太郎のみ。
(もしかして、気遣ってくれたの?)
そう思うと心が少し温かくなった。
視線を交わすが、クラウの表情からは何も読み取れない。
美守も、相手がクラウだからとただ見つめていた。
少し、足が痛くなってほんの少しだけステップの歩幅を狭めれば、クラウがぴたりと止まった。
止まった瞬間、周りに人が拍手をしながら集まってくる。
その中には美守にダンスを申し込んできた人もいる。
さすがに疲れたので、いつものように笑顔で交わそうとしたのに、クラウが美守の前に立ちはだかった。
それだけで、クラウの前に道が出来る。
ああ、やっぱりクラウに見下ろされると怖いんだ、とぷっと笑ってしまったら、目線だけでクラウが睨んできた。
慌てて顔を取り繕い、にこっと笑う。
すると、手首を掴まれた。
え? と思ったときにはクラウはもう歩き出していた。
「あ、あの、クラウ、様?」
「……いいから、来い」
そう言うわけにはいかない。
皆の注目は今美守とクラウにある。
美守はその場にしゃがみこんだ。
「おいっ……?」
「痛いです」
しゃがみこんでわざとらしく足首を押さえ込んだ美守にクラウははっとして、そのまま渋い顔をした。
そして、なんと軽々と美守を抱き上げた。
「……あちらで、手当てを」
クラウは美守が言わんとしたことを分かってくれたようで、にっこりと笑い返した。
「ええ、ありがとうございます。クラウ様」
会場に集まった人々が「なんだそう言うことか」と二人に興味をなくしていく。
そのようすに、美守はほっと息をつき、クラウは渋い顔をしたままだった。
「きゃあ!」
「なんだ、うるさいぞ」
「だ、だだだだって」
「腫れてはいないようだな」
中庭までつれてこられた美守はそのままベンチに下ろされ、いきなり足を持ち上げられた。
何度か足首を撫でられ、美守は真っ赤になった。
「や、やややめてくださいっ」
「……それを最初から言えばどうだ? あんな無理をして笑わずに」
「!」
「それとも何か。お前は自分を痛めつけて喜ぶのが趣味か?」
会場でのことを言っているのだと、すぐにわかった反面、どうして……と思った。
美守は、いつも通り完璧だったはずなのに。
「どうして……」
「なんだ」
美守の前に跪いたまま、眉根を寄せて見上げて来るクラウに、美守は自分を抑えることが出来なかった。
「どうして、優しくしてくれないの?」
「は? 今はそんな話をしているのでは……」
不可解だ、とさらに険しい顔をしたクラウ。
怖くて、悲しくて、涙が溢れ出た。
「お、おい!? 何故泣くんだっ!?」
「どうしてそんな意地悪、言うの? ……私、ちゃんと、できてなかった?」
そうだとしたらどうすればいいのか、わからない。
「これ以上、どうすれば、いいの? どうすれば、私のことちゃんと見てくれるの? どうすれば、私のこと認めてくれるの? どうすれば、私に優しくしてくれるの?」
「……おい」
ぼたぼたと膝の上で握り締めた手の甲に涙が落ちる。
「お父様も、お母様もっ……友達だって……こぉちゃん、だけだったのに」
「……おい」
「こぉちゃんだけが私を……」
「……」
クラウがはーっと大きくため息を吐いて、びくっと美守は震え上がった。
光太郎にも突き放されたら、美守はどうして良いか分からなかった。
上座の、ミラルダよりもクラウよりも高いところに座る光太郎。
美守の手の届かない場所にいる光太郎。
美守は俺が守るよ、と言って優しく微笑んで頭を撫でてくれたのは昨日のことのように思い出せるのに、あのときの美守を見た瞬間の無表情な光太郎の顔が頭から離れない。
光太郎に見放されたことが、美守にはこの世の終わりのことのように思えた。
ぎゅっと目を閉じ、ぼたぼたと涙を流していると、手の甲に当らなくなった。
不思議に思って薄目を開けると、美守の手が、クラウの大きな手に握られていた。
思わず、クラウを見ると、苦しそうな顔で美守を見つめていた。
「……俺に、優しくされたいか」
苦しそうな声で、クラウが問う。
怒った顔ではない、苦しそうな顔。
困っているようにも見えた。
「俺に優しくされたいのなら、覚悟しろ。俺の優しさはただではない」
「……?」
意味が分からなくて首を傾げれば、クラウが困ったように笑った。
その顔が、思いがけず、とても優しいもので。
美守は、その笑顔が欲しくなった。
クラウに包まれた手の片方を引き抜き、クラウの頬に手を伸ばした。
そして、こぼすように言葉を落とした。
「優しく、して」
すると、クラウが下から身体を寄せてきて、美守の顔の少し手前で顔を止めた。
クラウの息が、唇に掛かる距離。
目が、逸らせない。
「では、覚悟しろ」
「っ!」
美守の頭を固定するように抱え込んでいたクラウの手が、下にぐっと力を加えてきた。
すぐ下にあるクラウの唇に、美守の唇が触れる。
驚いたのもつかの間、より強い力で引き寄せられ、美守はクラウの背中の衣服をぎゅと握り締めた。
クラウの手が、美守の後頭部を包み込むようにして、首筋にかかり、ぞくっとした。
美守の奥底まで貪るような、くちづけに、頭がくらくらする。
「はっ……」と言って息を吐き出すと、クラウがふっと笑った。
それが、嬉しくて微笑み返すとクラウは更に笑みを深くした。
「対価は、お前自身だ」
「んぅ……」
言って、すぐに与えられたくちづけに、美守は酔わされた。
クラウもまた、美守の柔らかく、甘いその唇に酔っていたのかもしれない。
だから、二人とも気づかなかった。
二人を見つめる、瞳があることに。
急展開……になるのでしょうか……