第10話
コンコンコン。
「なんだ」
ガチャ……と開くとそこにはピンクのドレスを着た美守。
「あの……」
ばんっ! とそれはもう勢い良く扉を閉じたクラウ。
外では美守が「え?! なんで?」と扉を小さく叩いていた。
しばらくそうしていたが外からすん、と鼻をすする音が聞こえた。
ここで負けては相手の思う壺だ。
我慢しろ、俺。
心を鬼にして美守が扉の前から去るのを待つ。
が、扉の外には美守一人ではなかったらしい。
声が二つ、響いてきた。
「ミモリ様、諦めましょう。クラウ様は気難しいので有名な方。そうそう簡単に会える方ではありません」
「りゅーちゃん。……で、でもぉ」
りゅーちゃん? と眉を顰めつつその声で名誉騎士のリュークだと思い至る。
柔らかな物腰と優しいその性格で女性の心を鷲掴みしているとかいう噂の。
美守を慰めるようにかける声はひたすら甘い。
「ミモリ様のお気持ちも分かりますが、クラウ様はそのようなことを一々気にするようなお方ではありません」
「……」
「そんな顔をなさらないで下さい。……可愛らしい顔が台無しですよ」
「……」
「ああ、そのようにお振るえになられて……なんと可愛らし……」
ばんっ! と閉じられたときと同じように扉が開かれる。
そこには鬼のような形相をしたクラウが仁王立ちしていた。
ぎろりと二人を睨みつけ、怒声を浴びせた。
「俺の部屋の前でいちゃつくなっ! やるならよそへ行けっ!!!」
びりびりと全身に響いたその声に、美守がきょとんとして目をぱちぱちさせた後、じわ~っと涙を盛り上がらせた。
びきっとクラウの額に青筋がうかぶ。
「だからっ! その顔を止めろと言っているだろうっ!」
しょんぼりと落ち込む美守の肩を慰めるようにリュークが引き寄せようとしたのを見て、クラウは血管が切れそうになった。
「用がないなら帰れ。目障りだ」
「よ、用ならあります」
「なんだ」
きっと睨みあげてきた美守にクラウは片眉を上げてみせる。
リュークはそんな美守を驚いた顔で見つめている。
美守はクラウの前で一回転してみせた。
そしてまた、挑むような顔でクラウを見上げる。
「……?」
「…………」
「……なんだ? 何がしたい。言いたいことがあるならはっきりと言えと言ったはずだ」
「これくらい、さ、察してくださいっ」
かーっと真っ赤になった美守が意味不明すぎて眉を寄せる。
そんなことよりもその男を挑発するような顔を何とかできないのか、こいつは。
別に怒ってはいないのだが、そうとしか思えない表情のクラウに怯えつつも美守は立ちはだかるクラウをどけてクラウの部屋に入った。
「おい」
「お、お茶ぐらい、出してくださいっ!」
「……は? それは、まぁ構わないが」
ふーふーっと毛を逆立てて、クラウを威嚇する美守。
目には涙が溜まっているし、顔は真っ赤だ。
その様子は怖いくせに虚勢をはる子猫のよう。
茶を用意しようとすれば、リュークが「私が」と言ってきたので任せる。
人を傍に置くのはあまり好まないので、もちろん侍女は居ない。
何をしに来たのか全く意図の掴めない美守を観察する。
リュークに紅茶を入れてもらってふわりと嬉しそうに笑っている。
……。いや、なんでもない。これはなんでもないはずだ。
香りを楽しみつつ、ちびちびと紅茶を飲むその様に自然と頬が緩んだ。
そしてなんとはなしに思っていたことを口にする。
「そう言えば、そのドレス。やはり似合うな」
「……」
かしゃん……と小さく食器がぶつかる音がした。
全身が真っ赤になって美守がぷるぷると震えだす。
なんだ? と思ってまた眉根をよせると、リュークが耳うちしてきた。
「……クラウ様が選んでくださったものなので、クラウ様にもこの姿をお見せしておきたいと仰られまして」
ミラルダ様に見せた後、そのままこちらに来たんです。と言ったリュークの言葉を耳にして瞠目する。
そして。
「そんなくだらない理由でわざわざきたのか」
「!!」
リュークが頭が痛いとでも言うように手で片目を覆う。
愕然とした美守が、次の瞬間には今まで見た中で一番人間らしい、感情を露にした顔をした。
きっとクラウを思いっきり睨みあげて、一言。
「だいっ嫌いっ!」
……と。
そしてすぐに席を立って部屋を出て行ってしまう。
はじめて見る美守の怒りに、ぽかんとしてしまったリュークは我に返り、「失礼します」と一礼して足早に美守を追いかけていった。
どさっとクラウは椅子に座り込む。
美守のような小娘に睨まれたぐらいで怯むクラウではない。
しかし。
「……今のは、さすがに効いたな」
心臓部分の衣服を握り締めた。
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クラウが選んだものだから、一応見せておいた方が良いかな……とどきどきする胸を無理やりおしこめてクラウの元に行ったのに。
気づいてくれないなんて、酷い。
かと思えば欲しかった言葉をさらりと言う。
そしてその後の「くだらない」発言。
「ミモリ様!」
「りゅーちゃ……」
廊下を爆走する美守に追いついたリュークが美守を抱きしめるように捕獲する。
「全く……そのような格好で走り回らないでください」
めっと優しく怒られて、体の力が抜けた。
怒っているのに、優しい。
本気で怒っているわけじゃない。
「ごめんなさい」
素直に謝るとリュークが目を細めて美守の頭を撫でた。
慣れ親しんだ、対応。
クラウにも、美守はこうされることを望んでいた。
「似合う」と褒めて、笑って欲しかった。
甘やかすように、頭を撫でて欲しかった。
なのに、クラウは美守の欲しいものを何一つくれない。
それどころか、今まで感じたことのない、嫌な感情を呼び起こさせた。
「大嫌い」なんて、初めて言った。
嫌い、なんて感情は初めて。
好きも嫌いも感じたことはない。
美守が感じるのはいつも必要か、不必要か。
「……こんなに、苦しくて、嫌なものだったなんて」
「ミモリ様?」
「あ……。何でもないの。それより、これで明日も大丈夫かな?」
いよいよ明日に迫った神子のお披露目。
今、この城には信じられないほど多くの貴族が集まり、城門の外には神子を一目見ようと民衆が集まっていた。
「ええ。後は化粧と髪をすれば完璧です。どんな姫君にも負けない、お美しい姿になられるでしょう」
「……りゅーちゃん、褒めすぎだよ」
甘ったるい笑みを向けられると、照れてしまう。
重ね合わせるのは、離れ離れになった、あの人。
明日、会える。
「こぉちゃん」
先ほど感じた胸を突くような思いも忘れて、美守は光太郎の優しい笑顔を思い出した。