植木鉢と写真
ガーデンラックを元の位置に戻すと、千歳は改めて植木鉢を検分した。
紐で吊るされた物が三個、棚には四個並んでいる。
植えられているのは全て同じ種類の植物だ。
サイズに違いはあるが、どの鉢も、こんもり盛り上がった水苔の天辺から細長い茎が何本も伸びている。
今は冬枯れした侘しい姿だが、春になると、薄紅の花心をした白い花を満開に咲かせる。
母親が好きな花だった。
庭木に着生させ、毎年春に咲くのを楽しみにしていた。
満開の頃、母親は慣れない手つきでインスタントカメラを構え、花の写真を何枚も撮っていた。
練習と言って、千歳にもレンズを向けてきた。
その写真を、千歳は思う。
どういった経緯か、会社に押しかけてきた、記者を名乗る男が手にしていたその写真は、後に白瀬に回収され、今は千歳の手元にある。
引っ越しの荷物整理の際、スケッチブックに挟んでいたのを取り出し、改めて見ようとしたが、無理だった。
ピンボケした写真を見つめていると、思考と時間が止まるような気がする。
色褪せた情景に吸い込まれるような気がして、千歳は写真をスケッチブックに挟み直した。
千歳の生家は、子供の頃に焼失している。
思い出の品は全て炎に呑まれ、何一つ残っていない。
子供の頃の写真は貴重品といえるが、見たくない気持ちの方が大きい。
写真はスケッチブックに挟み直し、本棚の端っこに押し込んだ。
絵画や楽曲の教本が並ぶここなら、なくす事もないだろう。
……視界から遠ざけたところで、問題が消えるはずない。
あの記者はどこで写真を手に入れたのか。
千歳の過去に触れるような発言をしたそうだが、それ鑑みても、放置は出来ない。
会社も事態を把握している。
所属アーティストの個人情報流出に関わる事案として、ともすれば、千歳本人より深刻に受け止めているようだ。
こちらから依頼せずとも、調査に動いてくれるだろう。
上から報告があるまで、この件からは離れていたいのが千歳の本音だ。
苦く目を細め、
(今は色々きつい)
千歳は写真の事を、一旦忘れることにした。
ガーデンラックに並ぶのは、あの日、母親が撮影に成功した花から株分けされた花だ。
最初は小さなプラカップ一つきりだったが、気付けばここまで増えていた。
形見というものだろうか。
「辛気くさ」
嘆息一つ、千歳は植木鉢から目を反らした。
もう一度、うーんと大きく伸びをして気持ちを切り替える。
「朝飯行くかー」
空元気全開で肩を回しながら千歳は部屋に戻った。
千歳の部屋は、おおよそ十五畳の洋間だった。
三畳程度の小上がりが設置されているのが、何かと便利で使いやすい。
パソコンデスク以外の家具は最初から建物に付属いていた物なので、デザインはレトロ調で揃っている。
浴室とトイレが別になっているので、他の部屋よりも広めだ。
一人と一匹で使うには少しばかり気が引ける。
他はもう少し狭く、二間続きの和室だったりと、間取りに違いがあるらしい。
外観もそうだが、内装も凝っている。
このご時世、よくもまあ、ここまで金を掛けることが出来たと、経済格差を感じずにはいられない。
ポン吉はまだベッドで熟睡していた。
掛け布団の膨らみが緩やかに上下しているのを眺め、
(これで少しは落ち着くといいけど……)
どうやら、ポン吉は敷地内に入り込んだ野良動物の気配に苛立っていたらしい。
ポン吉自ら戦い、これを追い払った事で、少しは気も晴れただろう。
千歳は静かに横を通り過ぎた。
「顔、ひっど……」
洗面台の鏡に映った自分の顔に、千歳はげんなりとなった。
顔色は体を動かすことで多少はマシになったが、寝癖で好き放題に跳ねた髪は、アーティストにあるまじき醜態である。
「むしろアートか?」
顎に指を掛け、ポーズを決めて鏡を覗き込み、
「…………ふっ」
あまりの下らなさに嘆息すると、千歳はさっさと顔を洗った。
自分で散髪したこともあり、毎朝この有様な千歳は、あまり一般的ではない苗色の地毛にブラシを掛けながら、しみじみと、
「他の人はどうしてるんだろ……」
諸般の事情で地毛が変色した者は千歳の他にも大勢いるが、整髪について尋ねるのは何となく躊躇っていた。
「そんなこと言ってらんないか」
今度誰かに聞いてみようかと考えながら、手早く髪をハーフアップに結い、黒いニットターバンを被って、結った毛先をターバンの天辺から引き出した。
再び鏡を見て千歳は、
「――よし」
ターバンによって、辛うじて体裁を整えられた髪は、いつの間にか茶色に変化していた。
被ると髪の色を誤魔化す細工が施されたニットターバンは、悪目立ち防止用の必需品だ。
「よし、よーし。いつものカッコイイ千歳君」
鏡の前で改めてポーズを取り、千歳は不適に笑って見せた。
真実整った顔立ちだった。
左右相称の理想的なバランスをした容貌は、アーティストとして名を上げる為のパッケージとしては上々だろう。
千歳は軽く仰け反り、浮かれた口調で、
「ま、肝心なのは中身ですが、そちらも乞うご期待ということで――」
(――こうでも思ってないと、やってらんね)
瞬間、脳裏に、陽気さを嘲るような、冷めた皮肉が差し込まれた。
千歳は興醒めした目を鏡の向こうに見る。
無表情に動きを止め、一拍。
パンッと、千歳は両手で頬を挟み込むように叩いた。
「いつまでも寝ぼけないっ!」
気合いを入れ直し、上着を羽織って部屋を出た。