降霊術
臨時の学習室となった東館ラウンジにて。
喫茶店のようにテーブルセットが並ぶ空間の窓際の席に陣取り、筆記具や授業用端末を広げ、画面を操作していた千歳は、着信を告げる携帯端末に手を伸ばした。
作業しながら片手間に画面を開くと、
〈着信:事務所 同期 本郷ミドリ〉
〈おはよう〉
〈授業前で悪いんだけど、返信欲しい〉
「珍しいな。こんな時間に」
不思議に思いながら千歳は、
〈いいよ。何?〉
即座に既読がつき、
〈そっちで降霊術騒ぎがあったって聞いてる?〉
〈友達が推してるゲーム実況者がその近くで行方不明になったらしくて、心配してる〉
〈何か情報があったら教えて〉
「行方不明者?」
初めて聞く話だ。不穏さに千歳は眉を潜め、素早く文字を打つ。
〈現場の神社がおかしな崩れ方をしたらしい〉
〈界の人が再調査に入るとは聞いたけど、行方不明者の話は初耳〉
〈その配信者って誰?〉
読み込み、着信。
〈ローリングチャンネルのロール〉
〈一昨日の夜、罰ゲームで降霊術をやることになったとかで、現場付近に行ったんだって〉
〈けど、先に神社で別の配信者グループが降霊術やりながら大暴れしてた〉
(それで怒って割り込もうとした〉
〈配信でその様子を流してたけど、途中で回線落ちした〉
〈それから音沙汰ない〉
〈最後の映像におかしな物が映り込んでたって、リスナーの間で騒ぎになってる〉
「余所の配信に突撃するとか、怖いことするな……」
呆れながら、文字を入力。
〈それ、降霊術で作られた魔物じゃないのか?〉
着信。
〈ヌエみたいな人型じゃない〉
〈光の柱とか、赤いオーロラとか言ってる〉
〈蛇とか龍っぽいって言ってる人もいた〉
〈十メートルぐらいはあったって〉
「龍?」
即座に白玉を思い浮かべるが、サイズがまるで違う。
「さすがに巨大化とかしないだろうし」
千年は少し考えて、
〈悪い、分からない〉
既読、着信。
〈分かった〉
〈友達にもそう伝えとく〉
〈授業前にごめん。ありがと〉
通信はそれで終わった。
「――ローリングチャンネル、と……」
千歳は携帯端末を操作して動画投稿サイトを開くと、検索欄に文字を入力、件のチャンネルを開く。
本人の直筆と思われる、ゆるい鳥のイラストがトレードマークのチャンネルは、しかし該当すると思われる配信のアーカイブは既に削除済みだった。
リンク先のSNSを開くも、緊急野外配信の告知を最後に、その後、本人が更新した様子はない。
コメント欄にはフォロワーによる安否確認が大量に書き込まれている。
千歳は過去の動画を何本か流し見した。
普段はゲーム実況動画を投稿しているが、週末に配信を行っている趣味のゲームチャンネルといったところか。
登録者数は六桁前半の中堅クラス、コメント欄の文面も穏やかだ。
「治安良いな。結構人気だ」
チャンネルの傾向を分析して、千歳はうーんと考え込む。
「行方不明ねえ……。本当に降霊術騒ぎと関係あるのか?」
表向きの報道では、仮装した配信者グループが降霊術実践と称して古い神社のお社を破壊したり、騒ぎを聞きつた近隣住民に暴行を加えるといった様子を配信中、古くなった石畳や階段が崩れ落ち、全員が巻き込まれた事になっている。
視聴者によって直ちに通報され、駆けつけた消防によって、配信者グループは全員病院へ緊急搬送、回復を待って、事情を聞くことになるだろう云々、と、ネットニュースは締め括られていた。
実際は、仮装した配信者というのが魔物達で、近隣住民とされているのが配信者らだったりするのだが、化け物が実在するとは思わぬ視聴者には、通信状態の悪さも相まって、配信者らの暴挙にしか映らなかったらしい。
自業自得とはいえ、軽い気持ちでやったお遊びに高い代償がついたものだ。
面白半分に降霊術を実践し、自ら作り出した異形、人造魔に襲われるという霊的人災は、数年前から度々起きている。
術者の間でもかなり問題になっているらしく、部外者の千歳の耳にもよく届いていた。
原因は動画投稿サイトに投稿された降霊術実践動画だ。
オカルト系のコンテンツとして一時期人気を博し、比例するように事件が頻発したそうだが、流行廃れの激しい配信界隈、その人気も下火になって久しい。
と思っていたが、まだ手を出す輩はいたようだ。
ネットで収集した怪しげな情報を元に素人が魔物を作り出す。
荒唐無稽に思われるが、土地の力加減によって、割と簡単に出来るらしい。
豊かな土地には、神域や霊場から流れ来る力や、あるいは地力の余剰などを一時的に保管する性質があるという。
防災と、その後の復興の為だ。
力の貯蔵量は土地によってまちまちだが、霊感のない人間にも清浄さは感じる事が出来るそうで、寺社が建てられ、祀られていることが多い。
当然、力が枯渇することもある。時間経過で回復するらしいが、長い年月を要する。
事件があった隣町の神社は、昔は土地の人々の厚い信仰心に支えられ、たいそう栄えたそうだが、天災が続き、土地の力が尽きてしまったそうだ。
田畑が荒れ、人々が土地を離れざる終えなくなってからは、廃れる一方だったという。
それでもインチキ降霊術を発動させる程度には、力は残っていたようだ。
(僅かに残った土地の力が、下らないお遊びに使われたわけだ)
(あんまり良い気分はしないな)
術者界が荒れている理由にも通じる問題だ。
何となくモヤモヤしていると、授業用の端末から電子音が響いた。
玉垣山学園の授業アプリがタイマー起動する。
授業開始五分前。
千歳は椅子を引いて姿勢を正した。
恭弥か、あるいは白瀬がいれば話を聞けたかもしれないが、生憎二人共も今日は留守だ。
どちらかが戻ったら、尋ねてみようか。
(その前にジルの相談もあったっけ……)
千歳はノートを開いた。
(色々面倒になってきたけど、今は授業に集中しよう)
千歳はこの話題から一旦離れた。
同時に二度目の電子音が鳴った。
授業が始まる。
外回りの仕事がある日は録画だが、それ以外はリアルタイムで授業を受けるのが鉄則だ。
自室で授業を受けたいところだが、ネット回線の不具合に付き、文句は言っていられない。
玉垣山学園の通信課は術者御用達のようで、ジルと弦之も同じ授業を受けている。
学習の進捗状況はそれぞれ異なるので、適度に離れ、インカム装備で個別にパソコンに向き合っているが、同じ空間で授業を受けることに変わりはない。
今日はジルが終日外出のため、弦之と二人かと思っていたが、その弦之も、急用が出来たとかで姿はない。
(気が詰まらなくてよかった、かな……?)
ちょっとだけほっとしたような、複雑な気持ちで午前の授業に臨んだ千歳は、途中で居眠りするようなこともなく、無事に終了した。
いや、本当は何度か寝落ちしかけた。
夜明け前に叩き起こされた挙げ句、肉体労働を強いられ、それで眠くならないはずがない。
だが、その度に、いつの間にか椅子の下に入り込んだポン吉に、思いっきり足を噛まれて飛び起きた。
ポン吉は、白玉への鬱積を飼い主にぶつけることで解消することにしたらしい。
寝惚け眼の千歳の体が前のめりに傾くと、敏感に察したポン吉が容赦なく足の甲に牙を立てる。
ズボンに穴が開かないよう、毛糸の靴下を狙っている辺り、千歳の怒りを上手に躱しているのが腹立たしい。
(誰のせいで寝不足になったと思ってるんだよっ!)
内心歯噛みしながら、素知らぬ顔で毛繕いする飼い霊獣を見下ろす千歳だったが、その甲斐あってか、居眠り一つせず、午前の授業を終えることが出来たのだった。