白玉
精霊獣、白玉は、織部によって介抱された後、タオルを敷いた野菜干し用のザルに寝かされた。
「落ち着いたみたいだね」
ザルを覗き込み、織部が息を吐いた。
「それは良かったです……」
腕にポン吉を抱きながら、千歳は疲れ切った顔で言った。
体中に治療用の札や包帯やらが巻かれた白玉は、ザルの中でとぐろを巻いていた。
汚れを拭われ、首のリボンも蝶結びに結び直されて、体裁は整えられている。
傷も見た目ほど深くはないようで、それは良かったのだが、所々体毛がむしられ、地肌が露出した姿は何とも憐れだ。
頭を胴体の下に隠し、ヒックヒックと鼻をすすり上げる声が小刻みに聞こえるのも居たたまれない。
「お札、ありがとね、弦之君」
織部は術札の冊子を弦之に差し出した。
界の関係者だけあって、織部も千歳同様、術は使えなくとも術札を使うことは出来る。
霊獣の扱いにも慣れているそうで、治療も適切だった。
自失していた弦之とジルも、我に返れば行動は早かった。
治療用の術札や、体を洗うためのバケツやらを手早く揃え、織部の手伝いに回った。
千歳はといえば、この期に及んで白玉を攻撃しようと暴れるポン吉を押さえつけるだけで手一杯。
離れた場所で、ポン吉を拘束するのに終始した。
「いえ、こちらこそ。私の不手際に対処頂き、お礼申し上げます」
床に片膝を突き白玉の様子を窺っていた弦之は、受け取った術札をウエストポーチに仕舞うと織部の一礼した。
堅苦しいが様になっている。
時代劇の俳優だって、こうはいかないだろう。
(舞台の参考になるかも)
などと千歳が感心していると、カウンターの奥からジルが深皿を持って出てきた。
中身は霊獣用の餌をお湯でふやかした物だ。
「はい。ご飯だよ」
ザルの側に置いてやると、香ばしい匂いにつられて、白玉が体の下から頭を出した。
途端にシャーッとポン吉が、千歳の腕の中で牙を剥いた。
威嚇された白玉は飛び上がり、慌てて頭を引っ込める。
ぎゅっと身を固く縮め、いっそう引きこもってしまった。
「こらっ!」
千歳が叱りつけると、ポン吉は今度は千歳に向かって威嚇を始めた。抱っこする腕をバンバン叩き、不服を訴える。
「しょうがないだろ。霊獣用のご飯、お前のしかないんだから。ちょっとぐらい分けてやれ」
宥めるように言ってやっても、自分の食料を白玉に与えた事が相当不服のようで、ポン吉は抗議を止めない。
「あのなあ、あの子に怪我させたのはお前なんだぞ。って、聞いてるのかよ」
腕から逃れようと藻掻くポン吉を、千歳はうんざりしながら押さえつける。
「ポン吉君には干し芋あげようね」
織部が干し芋を差し出してきた。
途端にスンとポン吉は静まり、はしっと小バエを仕留める速さで干し芋を掴んだ。
「……おーい」
千歳は呆れて飼い霊獣を見下ろす。
織部はクスクス笑って、
「はい、どうぞ」
織部から干し芋を受け取ったポン吉は、真剣な眼差しで干し芋をすんすん嗅ぐと、ガツガツと囓り始めた。
無心に干し芋を貪りながら、しかしポン吉は白玉にガン飛ばすのをやめない。
「……お前、態度悪いぞ……」
飼い霊獣の怨念籠もった眼差しに、千歳は半眼になる。
「けど、ポン吉君と喧嘩したのが白玉ちゃんだったとはね」
織部は苦笑しながらポン吉を見た。
あっという間に干し芋を平らげたポン吉は、口の周りに食べかすをつけて、ふんっ、とそっぽを向いた。
不貞不貞しい顔つきに反省の色はない。
千歳は大慌てで、
「ほ、本当にすみませんでしたっ」
「千歳君が謝ることなんてないさ。全体、最初にちゃんと紹介しなかった飼い主が悪い」
織部は怒り心頭の様子で腕を組み、断言した。
「白瀬さんが飼い主だったんですね」
縮こまる白玉を横目に千歳が尋ねる。
のんべんだらりとしたあの寮監が生き物を飼うなど意外にも程があるが、白瀬が飼い主だと判明してみれば、どこか納得出来るのもまた事実だった。
(つまり白瀬さんの事をよく分かっていない訳か)
千歳はしみじみ考える。
「まだ子供だから、あんまり人前に出さない方が良いだろうとは言っていたけど、まさか部屋に放置してたなんて」
織部は、呆れ果てた様子で首を振る。
「お腹も空いていただろうに。千歳君のベランダに入り込んだのも、ポン吉君の餌の匂いを嗅ぎつけたからかもしれないね」
それでポン吉に撃退されたというなら哀れな話だ。
白玉に同情の眼差しを向けると、同じように白玉を見つめるジルが、深刻に考え込んでいるのに気がついた。
「白玉の具合で何か気になる所でもあるのか?」
「え? ……ううん、そうじゃなくて……」
ジルは話すのを躊躇うような素振りを見せていたが、彼が口を開くより先に、立ち上がった弦之が食堂の壁時計を見上げ、
「八房殿、今日は外出のご予定があったはずでしたが、時間はよろしいのですか?」
「――え? あっ、もうこんな時間っ⁈」
壁時計を見て、ジルが目を剥く。
「大丈夫かよ?」
「ちょっとゆっくりし過ぎたかもっ。千歳、ごめん。俺もう行くよ」
忙しなく言って、ジルはポン吉の頭を撫でた。
「お土産買ってくるから、あの子のこと、許してあげてね」
言われてポン吉は、しかし不満そうな上目遣いでジルを見る。
拗ねた顔つきに、ジルはちょっと笑った。
「まだちっちゃいから、あんまり物を分かってないんだよ。千歳、ポン吉君があの子に近づかないよう、気をつけてあげて。霊獣は縄張り意識が強いから。――それから」
視線はポン吉に向けたまま、周囲を憚るようにすっと額を寄せ、
「帰ったら少し相談したいことがあるんだけど……、いい?」
「ええ? まあ、いいけど……」
面倒臭そうに了承すると、ジルは晴れやかに笑い、
「うん。じゃあ、行ってくるね」
手を振り、足早に食堂を後にした。
(急に改まって何だ?)
深刻さを笑顔で誤魔化していたのは分かった。
(白玉の事か?)
朝食中に相談を持ちかけるような素振りを見せなかったところから間違いなさそうだが。
(もう一つ分かったこと言えば……)
千歳は体の向きを変えた。
その先には、織部と話し込む弦之の姿が見える。
(……理由をつけてジルを追い払おうとした、よな?)
弦之がジルに時間を教えたのは、親切心からだけではない。
ジルの言葉を封じる目的があった。
ただの推測だが、当たっていると、千歳の勘が告げている。
相変わらずの無表情を遠目に眺め、しかし溜息一つ、千歳はよいしょっとポン吉を抱き直した。
下手な考え休むに似たり。
「面倒に事にならなきゃいいけど。なあ?」
ポン吉に同意を求めるが、へそを曲げたままの相棒は、ムスッと頬を膨らませるだけだった。
ポン吉にちょっかいを掛けられないよう、白玉はゲージに入れられた。
と言っても、食卓用の蚊帳を術札で強化した即席のゲージだが。
短冊サイズの札が貼られた六角形の編み笠の中で、白玉はようやく安息を得たようだ。
餌を平らげた後、丸くなって静かに寝息を立てている。
千歳の腕から解放されたポン吉は、蚊帳から少し離れた場所で、往生際悪く白玉を睨んでいたが、さすがに食堂で暴れると心証が悪くなるのは分かっているらしい。
近くで弦之が朝食を取っていることもあり、ポン吉は暫くすると、日課にしている館内散策へ出かけていった。
ぽてぽて歩いて食堂を出る後ろ姿は不満たらたらだったが。
何はともあれ、ポン吉がずっと苛立っていたのは、白玉の存在のせいだと判明した。
原因が分かれば、対策を講じることも出来るだろう。
疲労半分、安堵の溜息を千歳は吐く。
(白瀬さん待ちか……)