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世界は表現規制という責任転嫁をしている

 そりゃあもちろんただの責任転嫁よ。


 ここで分かりやすく例示できるものといえいば、性的な作品。


 エロ漫画家……というか規制されてるのは漫画だけじゃないな。


 そういう作品を作っている官能作家としておこう。

 

 表現規制をしている国は、官能作家に責任転嫁をしているに等しい。


 性犯罪の責任を官能作家に押し付けているのだ。


 性犯罪の責任を取るべきは本人である。というのは間違いないであろう。


 国家として社会の体をなすならば、その犯罪者を育てた国家にも責任はある。


 国家は犯罪抑止のための教育が可能だ。それを義務化することも。

 

 しかし、官能作家にはそんな能力はない。官能的な作品をただ作り、読むかどうかは消費者にゆだねられる。


 国家は学習の内容も、時間も定めることが可能だが、官能作家には自身の作品を国民に義務化する権利など微塵もない。


 非常に非対称的な状況である。


 これは、性的表現が規制されている国家が多いので官能的な作品を例示しているが、本来あらゆる作家が理不尽に不利益を被っているのである。


 教育というのは国家に資金と労働力、時間などの多くの者を必要とする。だが、それは国家が社会たるための必要なものだ。それができていないからといって作家に不利益を被らせ当面の対策をしたような恰好をつける。


 極めて幼稚であり、知的生命体を名乗るべきではない愚行である。それを多くの国家は行っている。

 

だからって煌野一人先生の漫画を大々的に地上波で宣伝しろとかそういうつもりはないのよ。官能的な作品を見たくない層に広告を出すのはただの商業的な失敗だからね

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