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第20話 人質①

 皿を片付け終えて、御息所学園の校門を出る。

 随分と疲れてしまった。

 明日には厄介な課題――エリスと美代との顔合わせという、俺のアドリブ力と危機回避力が試されるイベントが待ち構えている。



 それを考えると胃がキリキリ痛む。

 胃の中に変な生物でも住み着いているんじゃないかと思うくらい、胃にずしんとしたものを感じている。



「まぁ、なんとかなるだろ」



 俺はそう呟いてみる。

 明日の恐怖は、明日の俺に押し付ければいい。

 今の俺が知ったことではない。

 そう考えると多少気が晴れた。



 厄介ごとを押し付けられた明日の俺が激怒して、スカイネットを開発し、現在の俺を殺そうとターミネーターを送り込んでくるかもしれないが、その時はその時だ。



 と――




「ご無沙汰しております、於菟坊っちゃん」




 俺に声をかけてくる者がいた。道路脇の車の横に、佇んでいる男。

 上品な声音の持ち主だったが、その声は俺の顔を顰めさせる。


「渋江か」


「はい」


 黒いスーツ姿の男・渋江。

 高級スーツを着こなして、見た目も中身も隙がない男。

 俺の親父である毛利林太郎の側近だ。


 こいつが俺の前に表れたということは、俺にとって良くない流れが来ているということでもある。

 俺は毛利家から離れたつもりでいるが、こいつは俺を毛利家の一員と見なしてやってきているはずだ。



「何しに来た?」


「旦那様が、於菟坊っちゃんをお呼びです」


「行くと思うか?」


「当然、坊っちゃんは抵抗するでしょう。ですから私がやってきたのです。あなたの護身術の師として、あなたを鍛えたこの私が」


「…………」


「坊っちゃんをお招きする際に多少手荒な展開になってもいいと、旦那様からは許可をいただいております」


「…………」


「大人しく車に乗って頂けますね?」


「嫌だと言ったら?」


「言わない方が身のためです」


「もったいぶるなよ、渋江。俺が拒めばどうしようって腹だ?」



 問えば、渋江は目を光らせる。

 そして言うのだ。



「この場にて大声で、5年前の忘年会にて披露した宴会芸を、エンドレスに披露いたします」



 総毛立った。

 こいつ、世にも恐ろしいことを言ってきやがる。



「おそらくこの世の地獄が再び顕現するでしょう。人が集まってくれば、坊っちゃんに命令されてやらされたと証言いたします」


「テメェ……渋江ェ……! あれは二度とやるなと、毛利製薬の内部文書で厳命があったはずの呪わしき災いだろうが!」


 毛利製薬の総務部が、単なる事務連絡に留まらず、発信番号を付した文書で封印を命じたあれだ。

 宴会には参加していなかった当時の俺も、仄聞して震えが止まらなくなったくらいだ。


 企業買収を数多手掛ける剛腕の持ち主の社員たちさえ悲鳴を上げたあれを、一般人がいるような路上でやったら、どれほどの被害規模になるか想像できない。


「坊っちゃんをお連れするためなら、周囲に被害がおよんでも構わないと旦那様は仰りました。坊っちゃんのご学友を巻き添えにしようとも、私は務めを果たす覚悟です」


 なるほど。理解した。

 俺が意地を張ると、無辜の民たちが横死するというわけだ。


「……おい、渋江」


「何でしょうか」


「大人しく連行されてやるから、道中は俺に一言も話しかけるな」


「承知しました」


「あと、その『坊っちゃん』って呼び方はやめろ」


「承知しました、坊っちゃん」


「…………」



 やはり、俺はコイツが苦手だ。







 静かな移動の時間があった。

 渋江が運転する車の後部座席に座った俺がたどり着いた先は……河川敷だった。



「本当にここが目的地なのか?」


「…………」


「……喋っていいぞ」


 言えば、渋江は「そうです」と応じる。


「旦那様がお待ちです。さぁ、ここからはお一人で」


「…………」


 俺は車から降りて、河川敷に立つ。

 すっかり夜になって、外套の明かりもまばら。うら寂しい場所だ。


 そこにポツンと灯りがある。

 屋台の灯りだ。「おでん」ののれんがかかっている。

 

 吹き付ける風がほのかに夏の気配を帯びるなか、おでん屋台というのも珍しい。

 そこに俺はひとつの予感を得た。


 俺は灯りの方向に進み、屋台ののれんをくぐる。



「いらっしゃい」



 屋台の主である老人に声を掛けられた。

 小さな屋台だ。三人も客が入れば息苦しくなる。二人の客を相手して丁度といった具合だろう。


 こうなると屋台だけで採算がとれるとも思えない。

 引退して時間と金をもてあました御仁の、趣味の延長のような商売の気がする。


 そして。

 屋台には俺の他に、もう一人だけ客がいた。


 場末の屋台に似つかわしくない、白い高級スーツ。

 それを渋江以上に一部の隙も無く着こなしているオールバックの男。


「おでんはいいぞ」


 俺の方には目を向けず、彼は眼前で熱されているおでんを見つめている。


「おでんは人類が発明した文化の極致だ。旨いことは言うまでもないが、滋養に富んでいて、食べるぎりぎりまで熱してあるから衛生的にも優れている。そう思うだろう……於菟?」


 場末の屋台の長椅子に腰を下ろし、俺に呼びかけてきたこいつこそ。

 俺の親父・毛利林太郎。

 世界的な製薬会社の頂点に君臨する、製薬界の帝王である。


「……あんたがおでんが好きだったとは知らなかったよ、親父」


 親父と会話をしたのはいつ以来だろうか。

 親父と俺との間には、錆びついた時間がある。



「座れ」



 親父が言う。相変わらず俺の方を見ない。

 俺がしぶしぶ親父の横に座ると、親父が老人に「こいつに大根・しらたき・玉子とちくわ」と勝手にオーダーを入れる。


 それだけなら俺も黙っていたが、親父が「燗二つ、ぬるめ」と注文を入れたので、俺は横の親父を睨む。


「俺は未成年だぞ」


「呑めなくても酒は頼め。おでんの屋台での礼儀だ」


「酒を無駄にすることになる」


「こういうところはワンカップだ。熱燗にせず蓋さえ開けなければ、あとは屋台側で都合よく処理してくれる」


 親父の言うとおり、すぐに更に盛られたおでんの具材とともに、蓋がされたままのワンカップが俺の前に置かれる。


 世界を飛び回る親父は、これまで瓶一本で新車が買えるようなワインやウイスキーを数多飲み干してきたはず。


 そんな親父がワンカップの蘊蓄を垂れるのは俺にとって意外であった。

 親父の飲む酒の種類を知らない程度には、俺と親父の間には距離がある。

 おでんの屋台で肩を並べていても、心の距離は遠すぎる。


「食え、旨いぞ」


 そういった親父は、がんもどきを割りばしで器用に割っていた。

 俺もやむなく箸を割り、皿の中身に口を付ける。燗には手を出さない。


 両者、無言で食べる。

 互いに一皿目を平らげた時、親父がポツリと言った。


「暮らしは困っていないか?」


「ああ」


「そうか。ならばそれでいい」


 また無言。

 その沈黙に耐えられなくなり、俺が言う。


「何の用で招いたんだよ」


「ここの屋台が店じまいだと聞いたので、お前にもここの味を教えてやりたかっただけだ。この店の味を知っている人生と、知らない人生では、豊かさが違う」


「俺の人生の豊かさを斟酌する気があるのか?」


「もちろん。お前は私の後継者だ。将来は毛利製薬を率いる立場になってもらう。だからこそ、若い今の時期は羽を伸ばして豊かに生きてほしいと思っている」


「後継者? 願い下げだ。あの女が生んだ俺の弟たちから勝手に選んでくれよ、不葎とか」




「不葎? あいつならとっくに死んでいるが?」




 その言葉が、俺の心臓をぶん殴った。


 ――死んだ?

 ――不葎がとっくに死んでいた?


「お前が毛利家から距離を置いてすぐ、死んでいる」


 親父が燗を開け、唇を酒で湿らせている。

 俺の隣にいる男は、我が子の死を酒のつまみ感覚で語れるらしい。

 俺は歯を食いしばり、歯の間から絞り出すように詰問する。



「なんでっ……知らせなかったんだよ……母親が違うとはいえ、俺の弟だぞ……」



 俺が毛利家から離れると言ったので、不葎の死を知らせる必要もないと判断したのだろうか?


 いや、違う。

 親父は俺をあくまで後継者として見ている。


 俺がどんな選択をしても、親父は俺を毛利家という枠組みから外していない。

 だから不葎の死が俺に伏せられていたのは、別の理由のためだろう。

 その理由とはなんだ。


 俺が睨みを利かせると、親父は「もう一皿、同じものを」と注文。

 そして言うのだ。



「お前の貴重な青春の時間を、なんで死んだ不葎の供物にしてやる必要がある?」



「……は?」


「あれは自分の仕事を果たせなかった不用品だ。毛利製薬の将来を担うお前の青春の時間を割いてやるための価値すらない。死んだ不葎のために割く時間があったら、もっと有意義なことに時間を割くべきだ。クラスメイト達と他愛もないお喋りをしたり、放課後にみんなでコロッケを買い食いしたり、若気の至りで作った同人誌を販促会に持ち込んで失敗してみたり、あるいは恋をしてみたり――」


 言葉を失っている俺の前で。

 親父が人間味のある表情で笑う。


「お前、ドイツで面白い女をひっかけたらしいな? いや、ひっかかったと言うべきかな。ドイツ人の踊り子との恋愛話を知った時には笑いが止まらなかったぞ」


 新しいおでんが親父の前に出される。

 親父はそれを摘みながら、笑い続ける。


「私が若かった時にできなかったことに、お前はチャレンジしようとしている。息子が父親を越えていくのは、悔しさを覚える反面、妙な清々しさもあるもの――」




 瞬間。

 俺は固めた右拳を、親父の顔面めがけて放っていた。

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