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第14話 後輩と喫茶店を編集

 5月が近づいてきた頃のことだ。

 授業が終わって、放課後。


 俺が校内を歩いていると、なにやら妙な気配が近づいてくる。



「……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぃ」



 妙な気配が、叫びを伴って接近してくる。


「せんぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!」


「げっ!」


 猛ダッシュで近づいてきた人影がだれなのかを認識し、俺は絶句した。

 対照的に、相手は俺に接近すればするほどに笑みを深くして――


「とうっ!」

「おぶっ‼」


 その人物は、俺に高速タックルを浴びせてきた。

 俺が受け止めると、俺の腕の中にすっぽりと身を収めた小柄な女子生徒――久保田花子が「うりうりうりうり」とか言いながら、短髪の頭を俺に押し付けてくる。


 なんか子犬っぽいこの女子生徒とは、俺も面識ある仲だ。

 うん、改めて見るとやはり子犬っぽい。円山応挙が描いてそうな犬。

 なんかこう、全体的に愛らしくてアホらしい。そんな感じ。


「せんぱいせんぱいせんぱいせんぱい! あなたの! くぼた! はなこっす!」


「帰れ!」


「帰りますよ! そしてわたしが帰る場所は! いつだって先輩の胸の中!」


「ふっざけんなお前マジで……っていうかお前、御息所に転入してたのか?」


「はいっ! ここには先輩がいるっすから!」



 その言葉に俺は目を剥いた。



「おい花子、そんなしょうもない理由で、ここに転入を?」


「しょーもないとは何っすか! わたしにとっては重要な理由っす! ……うりうりうりうり」


「うりうり止めろ、おい、花子! 頭を押し付けんな!」


「WRYYYYYYYYYYYYYY!」


 注意を聞かない駄犬を前にして、俺は花子の頭を掴んで、強引に胸から引きはがした。

 花子は「ああん」と残念そうな声を上げて、ようやく離れる。


 改めて、こいつの名前は久保田花子。

 全体的に駄犬感がする女の子。


 陸上バカで走り上手。

 属性があるとしたら、多分風属性なやつだ。


「お前がいるってことは、陸上部に入ったのか?」


「あー、顔は出したっす。けど、部活に入るのは前期末の試験が終わってからの話になりそうっすね」


「……まさか、テストの点が悪すぎるから、親御さんからストップをかけられているとか?」


「…………」


 気まずそうに顔を逸らす花子。

 俺は呆れをため息で表現する。

 花子がウルウルとした眼を向けてくる。


「先輩、べんきょーって難しいですよね」


「難しくない」


「このままだと、わたしは大好きな陸上をすることもなく、御息所学園の土となり果てるっす」


「学園側に迷惑がかかるだろ」


「そこでなんですけどね、先輩!」



 花子が俺に拝み手を作る。



「昔みたいに勉強を教えてください! 後生のお願いです!」


「おい花子。お前の言う後生のお願いってやつ、確か3回くらい聞いてあげてる気がするんだが」


「今回が最後っす。ファイナル後生っす!」


「ファイナル後生?」


「先輩ぃぃぃぃ……お願いしますよぉぉぉぉぉ」


 俺に縋りついてくる花子。


 こいつとは2年前に、喫茶店・餓狼ガロで泣きながら勉強しているところに俺が居合わせたことが縁になり、今日まで関係が続いている。



 花子は陸上が大好き。短距離が得意で、いつも走り回っている。

 が、頭は空っぽ。

 そのせいで通っている中学の陸上部の顧問から「試験で一定の成績を残せないと退部ね」と言われたのだとか。


『勉強を教えてくださいっす~』


『そもそも勉強する意味を教えてくださいっす~』


『なんで人生で使う機会のない古典を勉強しなきゃいけないっすかぁぁぁ~』


 泣き言を言いながら、勉強しなくてもいい方法を探そうとしていたこの駄犬に、俺は青春の一部を供物にして勉強を教えてあげた。


 泣き言を言いつつもペンを動かす花子は、やがて立派な成績を収めた。

 俺は彼女の奮闘を祝い、餓狼の角煮丼を3杯ご馳走した。

 俺や謙吉すら持て余す量だというのに、こいつはぺろりと平らげていたっけ。


 あれ以来、彼女が俺を慕ってくれていたことは察している。

 が、わざわざ俺を追いかけて御息所学園にやってくるとは予想外だ。

 御息所学園は陸上の強豪校というわけでもないので、コイツが来た理由は、やっぱり俺を追いかけてきたからなんだろう。


「お前は俺にまた勉強を教わりたいの?」


「はいっす!」


 迷いない返答に、俺は腕組みをして考える。

 そして花子とは別の方向に向けて声をかける。


【勉強会に一名加わるが、いいかな?】


【問題ありませんよ、オト】


 流麗なドイツ語が返ってくる。

 その響きに、花子が身をびくっと震わせた。


 近づいてくるのは、エリスだ。

 彼女は嫣然とした微笑で花子を見つめている。


 基本的にドイツ人は犬好きである。ドイツ人であるエリスも例に漏れない。

 エリスが花子を気に入るだろうなということは分かっていたし、案の定だった。


 他方、花子はエリスに警戒気味だ。


「あ、あなたは……学園長が紹介していた、ドイツから来たという美人さん!」


「エリス・ヴァイゲルトだ。今夜、喫茶・餓狼で勉強会をやる予定だったんだよ」


「ふぬぬぬぬぬぬぬぬぬ……先輩が異国の美人を連れている……ぬぬぬ……」


 何やら花子のご機嫌が斜めである。


「先輩、ヴァイゲルトさんとはどーいう中ですか」


「一緒に勉強をする仲だ。ほれ、餓狼に行くぞ」


「ぬぬぬぬぬぬぬ」


 釈然としないという面持ちの花子を引きずり、俺はエリスと連れ立って餓狼へと足を向ける。

 早くいかねば。

 餓狼には今、待ち合わせている相手がいるのだから。

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