第8話 海老男、過去の因縁で狙われる──黒龍の亡霊
ヴォルフは上機嫌に笑う。
灰色がかった黒髪に狼の耳のように立った癖毛と、血のように赤い眼が特徴的で、引き締まった筋肉質な体は歴戦の猛者然とした雰囲気を醸し出している。
全身黒の衣装は、東洋の国に存在したシノビと言われる戦士の装束なのだという。
残忍な性格で、虐殺と拷問を楽しむサディストだ。今も絶望に打ちひしがれる女や子ども達の顔を眺め酒の肴にしていた。
「で、そいつ、なんて言ったっけ?」
「だから、海老男ですよ!」
興味なさげに首を傾げるヴォルフに盗賊の男はしびれを切らしたように叫ぶ。
ロブに殴られた顔は青々しく腫れあがっている。
「ふざけた名前だなあ。本当にそいつにザハルがやられたのか?」
「だからそうなんですって!一方的にのされちまったんですよ」
叫ぶ男にうるさそうに顔をしかめる。
「信じられんな。ザハルの剣はAクラスの冒険者にも引けを取らんぞ」
玉座の右に陣取っていた細身の男、カインが納得いかなそうに口を開いた。
赤いメッシュの入った黒く艶やかな長髪に緑色の瞳の中は蛇のような縦長瞳孔で、男に魔族の血が流れていることを示している。
黒いレザーアーマーを着込み、顔の下半分を布で隠している彼は暗殺者でヴォルフの右腕を務めている。
「ザハルがやられた? へっ、大したことねえな。」
ヴォルフの側近の一人、バルドは静かに笑った。
彼の巨大な腕が軽く動いただけで、周囲の空気がわずかに揺れる。
白く乱れた短髪に血走った黄色い瞳、2メートル近い巨躯、異常なほどに筋肉質で獣のように毛深い上半身は、こちらも獣人の遺伝子を色濃く感じる。
巨躯に浮かぶ筋肉の線はまるで鋼鉄の塊のようだった。
「……ザハルを弱いとでも言うのか?」
カインが低く睨むが、バルドは笑いながら肩をすくめる。
「他の奴らに比べりゃ使えるがな。あんな貧弱な魔剣使い、俺の拳一発で潰せるぜ。」
そう言いながら、バルドは隣にいた部下を軽く叩いた。
——ドゴォン!!
殴られた男の身体が、空中で弾けたように吹っ飛ぶ。
「がっ……!!」
盗賊の男は壁に激突し、衝撃で石壁が蜘蛛の巣状にひび割れた。
そのまま動かなくなる。
「あー、悪い悪い。力加減間違えたわ。」
バルドはニヤニヤと笑いながら、拳の関節を鳴らす。
周囲の盗賊たちが青ざめる。
彼の拳は、もはや「武器」ではなく、人間を粉砕するための破壊兵器だった。
「やり過ぎなんだよ。てめえは」
窘めながらヴォルフは笑う。
ロブに顔の形を変えられた男が青ざめながらも何かを思い出し口を開く。
「あ、そういや、気になることが……」
「なんだ?」
「あの野郎、30年前に黒龍団を自分が潰したって言ってやがったんですよ。流石にそんなはずはねえと思うんですが………」
「黒龍団を?」
男の言葉にヴォルフは顎に手を当て考え込んだ。
「海老男………」
しばし思案に暮れ、やがて顔を上げる。
「そいつの背格好は?」
「黒髪黒目の黒ずくめで、見た目は普通の若造でした」
「ふむ……」
顔を腫らした男が説明していると、玉座の後ろに控えていた女がすっと出てきた。
漆黒のロングヘアだが、毛先だけが紫がかった炎のようなグラデーションを描いている。
妖しい紅紫色の瞳は妖艶な魅力を感じさせる。
黒のローブを羽織り、体にぴったりフィットした魔術服を着ているため、くびれた腰や尻のラインが丸わかりだ。
肩と胸元が開いており、そこから覗く谷間が男の欲情を刺激する。
女は水晶を片手に持っていた。
「エリザ、見えるか?」
「ええ、はっきりと」
エリザと呼ばれた女が頷く。
水晶をヴォルフの目の前にかざすと、そこには馬に乗って村に向かう黒衣の男と赤毛の少女の姿が映っていた。
ヴォルフに手招きされ、盗賊の男が水晶を覗き込むと、怒りを露にする。
「間違いない!こいつです、俺たちをやったのは」
指を差す男にヴォルフは眼を大きく見開いた。
「おいおいおい………こいつぁマジもんじゃねえか………生きてやがった」
口元が凶暴に歪む。
「ヴォルフ。まさかこの若造が本当に黒龍を壊滅させたっての?」
「ああ、間違いねえ」
エリザの問いかけに、嬉しそうに笑いながら返す。
「けどよ、こいつどう見ても20そこそこだぜ。エルフでもねえ普通の人間が30年もこんな若さでいられんのか?」
獣人の血が混じったバルトが疑問を口にする。
「まあ、無理だろうな。しかしこいつで間違いねえ。俺はあの時確かに見たんだ。この男が次々に黒龍の仲間を殺すのをよ」
ヴォルフは確信めいた表情で答える。
「エルフの血が混ざってるとかそんなとこかもしれねえし、ひょっとすると魔族かもな。それならあの強さも納得が行く」
昔を思い出すように口元を歪ませる。
「いやあ、あの時は手も足も出なかったぜ。怖えなあ。小便ちびりそうだぜ」
言葉とは裏腹に楽しそうな表情をヴォルフは浮かべる。
「へえ、そんなに強いんだ」
エリザが興味深そうにヴォルフに視線を送る。
その瞳に怪しい光を称えて。
「で、今のあなたならどう?」
妖艶な光を映したまま、微笑する。
「決まってんじゃねえか海老なんざ一瞬で刺身にしてやるよ」
邪悪に笑う。その笑みに金髪の女が怯えた表情を浮かべた。
「最近、腑抜けたやつが多くて退屈してたんだ。俺も30年前とは違う。あの時コケにされた屈辱を晴らさせてもらうぜ」
「それで、どうしますか?ヴォルフ様」
「決まってんだろうが。リベンジよ」
カインが尋ねると嬉しそうに答え、エリザに目配せをしてみせる。
エリザは頷き、呪文を唱え始める。
「ところでよぉ。俺の嫌いなもの知ってるか?」
顔の腫れた男に問いかける。
男はぎくりとした顔で汗をかき始めた。
「いや、その……」
「俺が嫌いなのはな。敵に後れをとっておめおめと帰ってくる無能な部下なんだよ」
「それは……申し訳……」
「てめえが無能なのは仕方ねえ。けどな俺の名前を汚したことは許されねえ」
ヴォルフは玉座から立ち上がり、両手を広げる。
控えていた男たちが彼の武器を取り付ける。
ヴォルフ専用の武器、血爪ブラッドクロー。鋭い鋼鉄の五枚の鉤爪は長さ30cmもある。
「た、助けて……」
ヴォルフが動く。
シュン———。
風を切る音とともに、男の体が頭から胴体にかけて輪切りになる。
ブシャアアアアアアアア!
「きゃああああああああ!」
男の残った下半身から血が火山の噴火のように噴き出し、金髪の美女がその血を顔に浴びて絶叫する。
「不味そうな刺身ができちまったな」
両手を顔の前で交差させたヴォルフが呟く。
その爪には血がべったりと付いていた。
転がった下半身が床に倒れ込むと同時にエリザの呪文の詠唱が終わった。
「影焔業火」
男の肉片から、いや、影がゆらめき黒紫の炎が立ち上る。燃え上がった炎は肉片だけを燃やす。
肉が焼ける嫌な匂いが充満する。
しかし黒い炎は櫓や絨毯に燃え移ることなく死体だけを燃やし続けていた。
「便利なもんだな。目標だけ燃やす魔法ってのは」
黒炎に照らされ、ヴォルフは呑気に笑う。
その光景を周りの盗賊達は顔を青くして遠巻きに見ていた。
金髪の美女も、他の村の女たちも青ざめ震えながらそれを見ているしかなかった。
「カイン、バルト、戦の準備だ。全員をここに集めろ。あいつは必ず真正面から立ち向かってくる。そこを袋叩きだ」
「承知」
「おうよ」
側近の二人が異口同音に返事をする。
「なあ隊長。一番槍は俺にやらせてくれねえか?」
「バルド。勝手なことを言うな」
バルトに窘めるカイン。
二人を見ながらヴォルフは笑う。
「面白ぇ。やってみろよバルド」
「おう、任せろ。俺で終わりにしてやるぜ。両手足を引きちぎってあんたの前に連れてきてやる」
「そんならだるまになったあいつに俺の足舐めさせてからとどめ刺してやるか」
残酷なことを平然と言うヴォルフに、笑いで同調し、二人は櫓を離れる。
ヴォルフはふと思い出し、金髪の美女の腕を掴み強引に引っ張った。
剛力で引かれ、女が痛みに顔を歪める。
頭を掴んで水晶を覗き込ませる。
「男の前にいんのはこの村の娘か?」
「………はい」
震える声で村の娘が答え、エリザがなにかに思い当たった。
「この紅い髪、あの女の妹じゃない?」
「あの女?ああ………」
思い出しヴォルフは豪快に笑いだした。
「いやあ、本当に面白え日だなあ。今日さは」
肩を震わせひとしきり笑うと配下の男がヴォルフの所望したものを持ってくる。
それを受け取りながら男に次なる命令を出した。
「あれを持って来い。海老野郎を連れてきてくれた褒美にいいもの見せてやる」
男は頷き櫓から降りて行った。
それを見届け、極悪な笑みを浮かべる。
嫌らしい傲慢と欲望に満ちた邪悪な笑顔だった。
「楽しみだねえ。あれを見た時の女の顔がどうなるか」
肩を揺らしながら自らの武器を眺める。
たった今、人の生き血を啜った鋼鉄の刃は真っ赤に染まり、切っ先から血をポタポタと滴らせていた。




