第7話 弟子と師匠の約束──涙と炎の中で、ふたりは誓う
――空気が、変わった。
リリアは馬上で思わず息を飲んだ。
ロブの背中から、まるで目に見えない波が広がっていく。威圧というには静かすぎて、怒りというには冷えすぎて、それでも確かに“何か”が、今、そこにあった。
(……あれが、この人の……)
圧倒的な“本気”。
ザハル戦での余裕すら、いま思えば準備運動だったのかもしれない。今のロブには、笑いも皮肉もない。ただ、戦う覚悟だけが静かに燃えていた。
でも、その背中が遠く感じて――リリアは思わず叫んだ。
「私も行きます!」
ロブの足が止まった。
振り返らずとも、言葉に宿る決意は伝わったらしい。彼の背中が、ほんのわずかに揺れた。
「……危険だ」
「知ってます!」
即答。喉が震えても、目は逸らさない。
「でも……ロブさん一人で全部背負わせるの、そんなの、私が嫌です!」
ようやくロブが振り返った。表情は無だった。感情を殺した、戦士の顔。
「俺の仕事だ」
「私は……あなたの弟子です!」
「……足手まといだ」
刺すような言葉に、一瞬、心が揺らぐ。でも、リリアは引かなかった。
「それでも、行きたいんです!」
叫ぶように言った。 自分でもわかっている。非力で、守られる側だってことは。でも――
ロブが、ふっと笑った。
それは、あまりに自然な、けれどあまりに不自然な笑顔だった。
柔らかさの中に、ひどく強ばった何かがある。
頬の筋肉は動いていても、目は笑っていない。
表情としての“笑顔”はそこにあるのに、心が置いていかれている。
リリアは、それを見た瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
あの顔を――知っている。
(……お姉ちゃんと、同じ……)
記憶が、ぶわりと押し寄せてきた。
焼け落ちる家の前で、血まみれになりながら、なお笑おうとしていた姉。
「大丈夫。怖くないよ」と言いながら、手は震えていた。
「逃げて」と背を押した瞬間、彼女の顔にはあの笑顔があった。
あまりに優しくて、あまりに強くて、だけど、どこか痛々しくて。
「……うちの姉も、そんな顔してました」
声が、掠れていた。けれど、絞り出すように続けた。
「私の前では、どんなときでも笑ってたんです。お腹が空いてても、怪我してても、……怖くても……」
拳を握る。涙がにじむ。でも、それでも止められなかった。
「私が泣きそうになると、必ず“平気だよ”って……あの人、自分が辛いときほど、私のことを心配して……!」
ロブは黙っていた。ただ、じっとリリアを見つめていた。
何かを言いかけたように唇が動いたが、言葉にはならなかった。
リリアは、その沈黙ごと受け止めて、続けた。
「……村が襲われた時、私の手を引いて、一緒に逃げてくれました。でも、追い詰められて、もうダメだって思ったとき――姉は、足を止めたんです」
あの時の光景が、まぶたの裏に浮かんでくる。
燃え上がる家々。
空を裂く悲鳴。
血の匂いと、泥と、絶望の中で、姉だけがまっすぐ立っていた。
「“希望になって”。そう言って、私を突き飛ばして、自分は……」
言葉が詰まった。
「……私のために、あの人は笑って死んでいったんです」
震える声。
押し殺した嗚咽。
止まらない涙。
リリアはそれでも前を向いた。ロブを見た。
まっすぐに、泣きながら、それでも真っ直ぐに。
「だから……もう、そんな顔をしないでください。あなたまで、あのときのお姉ちゃんみたいな顔をするのは……耐えられないんです」
ロブの表情が、かすかに揺れた。
いつものように軽口でごまかすこともできず、
逆に強い言葉で突き放すこともせず、
ただ、静かに――目を伏せた。
風が吹いた。木々のざわめきが、涙の余韻を優しく包んだ。
しばらくして、ロブはぽつりと呟いた。
「……そうか」
それは、すべてを飲み込んだ男の声だった。
「……辛い現実を見ることになるぞ。死体もある。子供のだって、きっと……」
「覚悟はしてます。それに……」
「それに?」
涙まじりの顔で、リリアは笑った。
「弟子って、師匠のそばにいるもんでしょ?」
ロブが、ぽかんとした顔をした。次の瞬間、ふっと笑って――リリアの頭にぽんと手を置く。
「……そうだったな」
「忘れてたんですか」
「……いや、こっちの覚悟が足りなかった」
その声は、ようやく師匠らしくなっていて――
「じゃあ、よく見て学べ。俺の戦い方を」
「はい、師匠!」
「……君は、強いな」
ふと、ロブがぽつりと呟いた。
唐突な言葉に、リリアは目を瞬かせる。
「えっ、私が……?」
「そうだ。お前は――俺なんかより、ずっとな」
「……へ?」
思わず間の抜けた声が出た。
何を言っているのか、一瞬理解が追いつかない。
この強すぎる男が、自分より「強い」と言ってのけるなんて。
けれどロブは、それ以上何も言わず、手綱を軽く引いて馬の横に回り込むと、ひょいと鞍に跨った。
動きは軽やかで、無駄がない。その一連の所作すら、どこか美しかった。
そして――手を差し出してきた。
「……せっかくだ。二人で派手に殴り込もうぜ」
言いながら、ロブは片目を瞑って笑った。
その笑みに、リリアの心臓が跳ねる。
冗談交じりで余裕たっぷりなのに、不思議と胸が温かくなっていく。
茶目っ気。頼もしさ。優しさ。そして、どこか寂しげな横顔。
まるで、風の中に咲く炎のように――儚くて、でも確かにあたたかい。
(え……なにこれ……)
息が詰まりそうだった。
頬が、耳が、熱を持つ。
自分の鼓動の早さが、嫌でもわかる。こんな気持ち、初めてだった。
気づけば、手を伸ばしていた。
差し出されたロブの手を、そっと取る。
その手は、固く、そして、驚くほど――やさしかった。
ぎゅっと握られる。ほんの少しだけ、指先に力が入るのを感じた。
そして、次の瞬間。
ふわりと体が浮き上がり――気づけば、彼の腕の中にいた。
「わっ……!」
声が漏れた。
ロブの胸板に、背中が触れる。
熱が伝わる。しっかりとした筋肉の感触が、服越しにびりびりと伝わってきた。
しかもその腕が――腰に、まわる。
「……落ちるなよ」
耳元に響く低い声。
囁きでもないのに、やけに近くて、くすぐったくて、息が止まりそうになる。
リリアは思わず、首をすくめた。
(な、なにこれ……いやいやいや、これもきっと修行の一つだよね!? )
自分で決めた“弟子になる”という覚悟が、ふわふわと遠のいていく。
……それくらい、今この瞬間のロブは、ずるいくらいに格好良かった。
「行くぞ!」
馬が駆け出した。夜の森を切り裂いて。
「だ、大丈夫です!ちゃんと掴まってますからっ!」
「頼もしいな、俺の可愛い弟子は」
「い、いま“可愛い”って言いましたね!?」
「言ってねえ」
「絶対言いました!!」
「空耳だ」
「いいや!絶対言った!」
二人の声が、夜の静寂を破っていく。
笑いながら、泣きながら、それでも確かに、希望に向かって進んでいた。
(この人となら、戦える)
リリアはそう思った。少なくとも今だけは。
そんな彼女の胸に、名前のない想いが芽吹き始めていた。
夜空を焦がす赤い炎が、村の広場を不気味に照らしていた。
燃え上がる家屋の悲鳴にも似た爆音。焔が木を裂き、屋根を呑み込み、希望のすべてを舌で舐め尽くしていく。その地獄絵図の前で、紅竜団の男たちは――笑っていた。
「うおおっしゃあ!! 燃えるってのはいいなぁ! 心が躍るぜ!」
誰かが叫び、他の男たちがゲラゲラと喉を震わせた。笑い声は耳障りに響き、辺りに充満する血と煙の臭いと混ざって、正気を削っていく。
広場の中央には、女たちが十数人、地べたにひざまずかされていた。服は裂け、手足は縛られ、なかには顔面を腫らし、血を流している者もいる。
何があったかは、見ればわかる。いや、見る必要すらなかった。
全員が、泣いていた。
涙で顔を濡らし、声を出すこともできずに、ただ耐えていた。
その姿を見下ろして、盗賊たちは下卑た笑いをやめない。
「ひっひ……おいおい、見ろよあの顔。絶望ってやつが染みついてやがる」
「ほら姉ちゃん、また泣いたぞ。あの顔、たまんねぇなぁ!」
粗野で獣じみた顔をした男が、女の頭を足でぐりぐりと踏みつける。呻く女に、さらに大声で笑いが浴びせられる。
人ではなかった。もはや獣以下。
そのなかでも、ひときわ高い櫓の上――そこに玉座を思わせる椅子が一つ、どっかと構えられていた。
椅子にふんぞり返るのは、一人の大男。
鍛え抜かれた筋肉の鎧。獅子のように逆立った灰色の髪に真っ赤な瞳。
東洋の黒い装束を着込んでいる。
「……いい眺めだなァ。おい、なぁ?」
男が肩に腕を回した女に視線を向ける。女は、金髪の美貌を持ちながらも、唇をかみ、目を伏せていた。うっすらと涙が浮かんでいる。
「なぁ、姉ちゃん。嬉しいよなァ? 自分の村が燃えて、自分の仲間が泣いて……」
女は答えない。だが、男の手が強く肩を締め上げた瞬間、ビクリと震え、ゆっくりと――こくり、と頷いた。
「ハハッ! わかってるじゃねぇか! お前、わりといい女だなァ!」
男の名は、ヴォルフ。
紅竜団、総勢三千の軍勢を統べる首魁――その直下にして、四爪と呼ばれる幹部の一人。
通り名は、《血爪》ヴォルフ。
奪い、壊し、殺す。腕一本で数百の命を奪ったとされる紅の豪傑。
そしていま、その紅き爪は、村を炎と絶望で染め上げていた。
女のすすり泣きが夜に混じる。
それをヴォルフは、勝者の特権として、旨そうに味わっていた。
「さぁて、今夜はどこまで壊せるかなァ。なあ、お前も楽しみだろ?」
再び金髪の女に話しかける。女は目を伏せたまま、もう頷くことすらしなかった。
その様子に、ヴォルフはニヤリと笑う。
「……いいねぇ。壊れてく感じ、最高だよ」
焔は、まだ足りない。
血も、涙も、まだ足りない。
地獄はまだ、完成していなかった――
彼は知らない。
このあと、“本当の地獄”が、静かにその背に忍び寄っていることを。
その名を、海老男ということを。
それは、地獄の前奏に過ぎなかった。
【リリアの妄想ノート】
『ロブさんの背中には、たまに“音”がある。』
誰にも聞こえないのに、確かに響く。
あのときもそうだった。炎の赤に照らされながら、無言で前に進むその背中から――言葉にならない何かが、わたしの胸を、どん、と叩いた。
まるで「大丈夫だ」って、言ってもらったような気がして。
……いや、違う。あれは“言葉”じゃない。あの背中は、見てるだけで、涙が出てくるんだ。たぶん、ロブさん自身が一番気づいてないやつ。
でも――わたしは、気づいてしまった。
(あ、この人、誰にも言えないくらい……独りで、無理してる)
わかっちゃったから、言っちゃった。
「私も行きます!」
――あれ?
今思えば、めっちゃヒロインぽくなかったですか?
しかもそこから馬に乗せてもらって、
腰に手回されて、耳元で「落ちるなよ」とか言われて!?
いや、もうアレ完全にデートイベントじゃん!
“弟子の修行”って名目で、まさか恋のスキルまで経験値入ってません!?
(あと、「君は強いな」って言われた時は……正直、死ぬかと思った)
あれ、プロポーズか何かですか? 違いますか?
わたし、確かにまだまだ足手まといで。力もないし、守られるばっかりだけど。
でも、でもさ。
“師匠の背中”って、こんなに近いんだ。
こんなに――あったかいんだ。
(……やっぱ、もう、好きかもしれない)
はっ!?
だ、だめだめ、これ戦いの前ですよ!?
でもその手、あったかくて、指、太くて、あ、今この感触まだ手に残って……
うわあああああああ!!!!
そんな妄想しながら、今わたしはロブさんの背中にぴったりくっついて馬に乗ってます。
もうこれだけで明日も生きていけます。むしろ三日はいけます。
というわけで――
ここまで読んでくださった皆さま、ありがとうございますっ!!
感想書いてくださると、わたしの妄想がレベルアップします!
ブックマークしてもらえたら、ロブさんとの距離も縮まる気がします!(気のせいだけど!)
それじゃあまた次回の妄想でお会いしましょうねっ!