7章 ケイカクの綻び
「まったく!」
周囲が何事かと振り返り、その声の主を知って納得する。
ここはバールとアイリーンの国境に作られた公館、そのサロンだ。
周囲の田舎過ぎるほど田舎な雰囲気を無視した近代的な建物には、アイリン、バールの外交官や技術官などを始めとし、近隣領の使節や進出を狙う商館の遣いらがひしめいている。
共通する目的は、この周辺に新たに作られた村の利権確保。
場所が場所なだけに安易に領主を封じるわけにもいかないため、浮かぶ利権を見据えて微笑みを交わしている。
呉越同舟のとは正にこの事とばかりの空気。
そこで可愛らしい顔を怒りに染め上げた少女が、苛立たしげに腕組みをしているのであった。
囁く声曰く『獅子賢の子』。
故事に倣うようにこの千尋の谷で悪戦苦闘する若き文官である。
「お嬢様、もう少し落ち着かれた方がよろしいかと」
正面に座るハーフエルフが恭しく嗜める。
何も知らない者が見ればこのハーフエルフの方が執務官で、少女の方を若い付き人と見るかもしれない。
ルーン神に仕えるその女性は美貌もさることながら、知的な落ち着きがある。
普通に考えれば面の皮を五重も六重も被らなければやっていられない文官が純粋に怒りを示すなどありえないのだからなおさらだ。
「わかってるわよ……!
でも、時間がないわ」
冬の終わり。
いよいよ初めての種蒔きを前に、ささやかならが開催される豊穣祈願祭。
この地に散った数多の命を慰める意味でも派手にはしないとし、それでも苦心して手はずを整えた。
「ああ、もう。
だから木蘭のところのは!」
稀代の英雄を呼び捨てにして目前の『脅迫文』を睨む。
式典を邪魔する旨がしたためられたそれは、この地を行きかう行商人の手により届けられた。
渡した相手を問いただすと、銀髪の少女だと言う。
身なりもよく、報酬もかなりのものだったので断られることを承知と受けたらしい。
そして文面まで読めば、事情に詳しい者はどうしても一人を思い浮かべるに違いない。
幸いなのはバール側の反応が薄い事だ。
脅迫文についてはアシュル宰相はおろか、皇帝にまで伝わっているはずだが、アシュル宰相は参加表明を覆してはいない。
彼が出席を辞退しない以上、バールの主だった面々から参加を取りやめる旨は一切なかった。
逆に大騒ぎしているのはアイリーンの面々だ。
何か問題があってはコトだとして、脅迫犯を押さえるまで延期にすべきだと騒ぐ連中が後を立たない。
ならば自分の足で捕まえて来いと、少女は心の中で毒吐く。
「アリス、なんとかあの子を捕まえられないわけ?」
「転移魔術を使える魔術師を捕らえるのは至難です」
即答は全く以って正しい。
ハーフエルフ従者アリシアの冷淡な回答に反論を生むこともできず、最後には「うぅ」と情けなく唸る。
獅子賢の子、シェルロット・ファフテンはこの事態を収める為にわざわざ一度アイリンまで戻り、第一容疑者を確保しようとしたが空振りに終わったばかりであった。
腹立たしいのは『赤』も『黒』も火急の要請に対し、対応は消極的。
何かあれば折角修繕された国交を台無しにしかねないということを全くわかっていないと憤慨するに終わった。
どうせ軍人など戦争がなくなれば干上がるばかり。
戦争が起きる事を望んでいるんだと口を尖らせる。
これからの時代、武力は不要だ。
少女は真剣にそう考えている。
木蘭の功績を否定するつもりはないが、そのおこぼれに群がって幅を利かせてきた無能な武官を排除し、秩序を磐石な物にしなければならない。
そのためには武官直属の『赤』や『黒』に代わり、秩序と法の番人としての何かを新設すべきではないだろうかとすら考えている。
ぺーぺーの文官には余りにも過ぎた案だが、押し通すだけのエネルギーは獅子の子の中に眠っている。
それはともかく、誰よりも腹立たしいのは『赤』の大隊長だ。
「何が『貴女がどんな手を使っても、彼女は捕まりません』よ!
武官でも少しは見所のある人間って聞いてたのに!」
「……ミルヴィアネス大佐ですか」
アリシアは頭の中で人物を整理する。
呼び出した情報を元に考察し、ふと言葉がこぼれる。
「あるいはそれが正しい答えなのかもしれません」
「……どういう意味よ?」
不機嫌を隠そうともせず食って掛かる主人に、女性はわずかも感情を動かさずに言葉をまとめる。
「私が調べた限りですが、ミルヴィアネス大佐は私利私欲には縁遠く、また文官に対して反感を持っているようには見受けられません。
お嬢様の語る状況を理解した上で、彼はティアロット殿が見つからない場所に居ると示唆したのではないかと」
眉根を寄せて思わず怪訝な顔になる。
「つまり……彼はティアロット殿の居場所を知っていた上で、お嬢様では踏み込めない場所に居ると。
言えばお嬢様、どんな手段を使っても乗り込みますし」
「あーりーすー?」
しれっと暴走癖を指摘されてジト目になるが、賢明なる従者は顔色変えずに続ける。
「確か彼女が厄介になっている『人形屋』には入れなかったのですよね?」
「ええ、というか扉のない家って何事かと思ったわ」
看板あれど扉なし。
どんな狂った人間があんな家を建てたのか。
「……恐らくそこに無理にでも踏み込もうとしたら、お嬢様の身が危険と判断したのでしょう」
淡々と推測を述べる唇を見て「なんで人形屋が危険なのよ……?」と問い返す。
「詳細は定かではありませんが、あそこには禁呪使いが潜伏している噂があります。
魔術師ギルドと神殿が連名で追いかけている『神の領域を犯せし者』とか」
さらっと聞き捨てならない言葉が出てきたが、噂にしか過ぎないし、ここに戻った今ではどうしようもない。
要はドラゴンの口に手を突っ込むのを諌められた────そんな話と認識する。
業腹だが。
「でも、何も解決しないのよ……
ああ、もう時間がないのに……」
それにしても表現の激しい娘である。
見た目は明らかにお嬢様然としているので余りのギャップに呆然と見ている者も居る。
これが会議の席では凛としているのだから騙された者も少なくはないだろう。
「人の目というものを気にせよ。
はしたない」
サロンの空気が石化する。
余りにも重厚で、大声ではないのに腹の底にずんと響く音。
笑顔で談笑していた者も、黙々と書類に目を通していた者も、皆一様に固まり、そして声の主に視線を合わせた。
もみ上げと顎鬚が繋がった見たままのライオンヘア。
赤茶けた髪がより一層その雰囲気をかもし出す。
体躯はゴーレムの如く、決して豪奢ではない文官の礼服が筋肉に押し上げられてまるで別物のように見える。
「お、お父様……」
『獅子賢』────クロムアーサー・ファフテン
魔人が到来したかのように誰もがその男に恐れ戦き、視線をはずせない。
一声挙げればまるで獅子の咆哮が如く。
纏う空気は荒野で悠然と佇む獅子そのもの。
時に人はそれを王者の風格と呼ぶ。
これで役職なしの上級文官なのだから笑えない。
「淑女としてサロンで声を荒げたりするのはいかがなものか」
アリシアが高質化した空気に触れぬように立ち上がり、ファフテンのために椅子を引く。
「も、申し訳ありません……」
姿勢を正した娘の言葉を聞いて、男は椅子に腰を下ろす。
「こちらに来られるのは式の前日と伺っていましたが……」
「多少気になる話を聞いたのでな。
心配する輩が多くて追い出された」
シェルロットには意外とファンが多い。
というのも父親との余りのギャップに『心の癒し』扱いされている。要はマスコットだ。
すでに実務的な意味で彼女を甘く見る輩は少ないが、それとこれとは話が別というところか。
そもそも一番面食らっているのはバールの面々だろう。
今噂を口にしたばかりの者が『本物』の登場に顔面を蒼白にしている。
木蘭嫌いのファフテン。
対軍部派の筆頭とされながらも役職を持たず、上級文官に甘んじている不気味な存在。
「心配って……」
ともあれシェルロットにとっては仕事としてこの地に居るのだが、心配の一言で父親を送り出されては面目が立たない。
どういう表情をして良いものかと迷って、しかし父の前で溜息など吐けない。
全てを呑み込んで『来てしまったものは仕方ない』と先ずは割り切る。
「と、とりあえずこの辺りでもご案内しますわ」
「それよりも、お前にはやるべき事があるのではないか?」
一言一言が雷鳴の如く重い。
人を殺せそうな眼光がテーブルの上に置かれた書状を射すくめた。
「鳥を獲るにはどうする?」
「え?
あ……」
不意の問いに戸惑いながらも「弓を用います」と返答。
するとファフテンは間をおかず「では弓も矢も道具の一切がなければ?」と問う。
返答に詰まった娘から視線をハーフエルフの女性に移す。
「どうして鳥が必要なのでしょうか?」
「喰らうためだ」
「ならば諦めます。
鳥でなくても良いでしょう」
轟雷をそよ風のように受けながし、アリシアは主人の問いをいなす。
その問答を呆然と聞いていたシェルロットは不意にはっとして、立ち上がるや「アリス、行くわよ」と声を発する。
「お父様、お話は夜にでも」
「ああ」
男は腕を組み、瞑目したまま短く応じた。
走るような勢いでサロンを出て行く娘の足音を聞き、誰にも気付かれる事のないほどに、口の端を吊り上げる。
ただ─────────
サロンの中は逃げ出すタイミングを見計らう者ばかりということに、彼は気付いていない。
ティーエンは静かに覚醒する。
体に染み付く鈍痛。
脳の奥が重く、眩暈と吐き気を覚えた。
それでもゆるり動き出した脳は次第に加速して現状を再確認する。
敗北。
全てはそこに集約される。
切り札まで用いても自分は負けたのだ。
無恥で粗暴な思考を持っていれば魔術師が突撃するなどという非常識な攻撃を怒り散らしたか、笑って認めていたかもしれない。
だが、賢明を任ずる心は静かに深く事態を思い起こして心を抉る。
「あ、ティーエン導師……」
もぞりとベッドの脇が動いた。
反射で視線を向ければ介護をしていたのだろうか、マルティナが「いけないいけない」と呟きながら目を擦っている。
「大丈夫ですか?」
居眠りしていた事をごまかすかのような照れ笑い。
「……」
何がどう大丈夫なのだろうか。
呆然と同僚の顔を眺め見る。
「ティーエン導師?」
気遣わしげな声に普段なら苛立たしさを覚えていたかもしれない。
哀れみから生まれる慰めという言葉は何よりも嫌いだった。
だが、自分でも理解できないほどに心は澄んでいる。
綺麗過ぎる水に生き物が住めないように、心には何一つ沸き立つ物がなかった。
何をすべきか。
問いがふと胸中に波紋を投げ掛ける。
放浪魔術師討伐の任は一時的とは言え解かれた。
それがフウザー師の知り合いであるとすればそのまま討伐任務その物がなくなるのは確実だろう。
では普段通り修行をして、日々を過ごすのだろうか。
何の為に?
今更だ ─────父の跡を……?
追ってどうなるのだろうか。
研鑽を積めば、自分を不思議そうに見る少女が言った通りウィザードになる道は確実に用意されている。
だが、そうなってどうすると言うのだ。
魔術の至高。
到達者たる階位。
世に問えば間違う事なき栄達。
そこに自分の何があると言うのか。
追いつけなかった父の背は奈落の果てへと失われ、血の呪縛は自らも災いの徒と歌わせた。
その事実に恨みも悲しみもない。
しかし道はとっくに失われている。
「大丈夫ですか?
……もしかして頭を打ったりとかしていないですよね?
ティーエン導師っ!?」
大きな声がまるで遠くから聞こえてくる。
理性と感情の矛盾が脳をかき混ぜ、激しい眩暈と吐き気を訴える。
真っ青になった顔色を心配したマルティナがなお一層慌てたことにも気付けず、少年は自らの顔面をかきむしるように掴む。
「呆けておるな。
小僧」
「っ!?」
弾かれたように視線が向く。
東方の衣装を纏い死神の鎌のような杖を持つ少女が、ガラス球のような瞳で少年の顔を眺め見ていた。
「悩めど答えは出ぬ。
既に完璧な答えを得てしまっておるのだから、それを否定する言葉すべてはごまかしに過ぎぬ」
抑揚なく、少女特有の高い声音でティアロットは告げる。
「そして、ぬしは高潔なれば。
そのごまかしを受け入れられぬ」
「うるさい……!」
詰まった喉を無理やりこじ開けるような声で少年は反駁する。
だがその怨嗟にも似た言葉にティアはわずかも表情を変えない。
「スティアロウさんっ!」
割り入ったマルティナが二人の言葉を制する。
「何をしに……来たのですか?」
「小僧をなじりにのぅ」
見てくれだけで言えば圧倒的に年下であるティアは老年染みた物言いで応じるが、マルティナは静かに首を横に振る。
「嘘です。
スティアロウさんはそんな事に時間を割く人ではありません」
「ふむ」
否定せず、微笑みだけを浮かべる。
「されどなじりたくもなるかのぅ。
己で先を晦まし、暴走する小僧の目を覚まさせたら今度はうじうじと悩んでおる」
「それは……」
「仕方ない事じゃろうな」
幾分柔らかい声音で少女は呟く。
「理性は正しく理解する。
感情はとめどなく暴走する。
そこにさっさと折り合いを付けろと無茶を言っておるのじゃから」
「っ!
お前に!」
「まぁ、あれじゃ」
歯を剥く少年に全く動じる事無く、噛み付いてくるのを予期したように突きつけられた指先に言葉は封殺される。
溢れんばかりの怒りが行き場をなくす様を見つめつつ、少女はその表情を自嘲に変えて、続ける。
「経験者は、語る。
というヤツかのぅ」
何もかもがわかったような、それでも今でも胸の奥から滲み出す苦痛を押さえ込んだ、そんな苦笑。
この少女の年齢不詳っぷりは今に始まった事ではないが、千年生きた魔物と言われてもふと納得してしまいそうになる。
「じゃが小僧、ぬしはまだ取り戻せる。
そしてそのためにはぬしの力が必要じゃ」
「……」
ティアはぐちゃぐちゃになった精神から理性的なものが戻りつつある事を確信し続ける。
「かのウィザードは捜索のために各地に散った魔術師を手駒に変えた。
このままではあやつらは殺す他無い」
「手駒って……裏切るなんてありえません!?」
驚きに声を挙げるマルティナとは正反対に、少年は真剣な瞳で少女を睨む。
「《デバイス》……か?」
「やはり知っておったか。
然様。
そして殺さずに確保できるのは、わしとぬしくらいしか居らぬ」
話に付いて行けずにぽかんとティーエンとティアの顔を比べ見るマルティナ。
その両端にあって少年はある結論に辿り着く。
「俺に模擬戦を持ち込んだのはそういう理由か……」
「ちょ、ちょっと、置いてけぼりで話さないでくださいよ!」
慌てて割って入ったマルティナにティアはすっと視線を向けてわずかに思案。
「要はこやつの魔術は全て首輪とリードが付いておるのじゃよ。
そのリードを介して常に首輪に命令を入力する事で一部分では自動追尾以上の動きが可能になっておる。
先の模擬戦にてわしはそのリードだけを斬った。
故に魔力弾はあらぬ方向へ突っ込んだのじゃ」
「……はぁ……って、え?」
言葉の意味を理解して、知性が理解を拒みながら少年を見る。
「あの……光弾全部に、ですか?」
「まあ、今の斬った飛んだは《光の蜂》が出る前の話ではあるがの。
あの魔術も同じじゃ」
数えるのもばかばかしい無数の光。
それを思い出せば信じられないのは当然である。
ぽかんとしつつも問いただした視線に小さく嘆息を漏らし、
「ああ。
厳密には全てではないけど」
とだけ応じる。
「恐らく十数個の指揮個体に孫接続した個体が従う形でないかのぅ?
指揮個体は常時入力式じゃが、孫個体は自動追尾と相互干渉を抑える事、それから指揮個体からの情報があれば射出される仕組み、かの」
少年は沈黙する。
だがその沈黙は明らかに正解を意味していた。
「さて、小僧」
奇術の種を掘り出した少女は問いを少年に向けようとして、不意に天井を見る。
それは少年も同じだった。
「え? どうしたんですか?」
一人、それを察知できなかったマルティナが怪訝そうにするも、二人の視線は中空を向いたままだ。
一点ではなく、まるで天井に何かを見つけ出そうとするかのようにめまぐるしく動いている。
「小僧……わかるな」
「……ティーエン・ザラッド、だ」
若干の焦燥を滲ませつつも少年は挑むように視線を少女に戻す。
「……わかる。
十では利かない」
「間違う事なく《デバイス》を用いておるの。
マルティナ、全力で防御魔法を張っておけぃ」
「え?」
戸惑う少女を無視してティアは杖を手に呪を舌に転がす。
「収束点がばればれじゃな」
「……」
無言で応じ、どちらからともなく術式を開始。
二人の体はそれぞれの防御魔法に包まれる。
予め取り決めたかのように、続けて詠唱するは転移の術。
視界が切り替わり、跳んだ先で少女は魔力を打ち放つ。
白に染まる視界の先にわずかに人影が見えて飲み込まれた。
─────人間の壊れ方ではない。
吹き飛んだ影だけで判断し、少女は足が地に付くなり低く身を屈める。
「全ての思いは 我が意志と共にありて────」
咄嗟の詠唱。
体を前に投げ出しながら右手に膨らむ殺気に喉が急激に渇く。
放たれた必殺の一撃。
迷いを越えて紡ぐ詠唱は間に合わない。
「光よっ!」
間一髪、少年が一瞬で作り上げた魔力弾が相殺し、貫通して魔術の主を打ち砕く。
「セーフティマリオネットか……!」
その正体を見極め、舌打ちするようにティーエンが呟く。
飛び散る木片を見てそれが『人形』と断定したティアはその視線を再度魔力の糸へと這わせる。
「誘い込まれたようじゃのぅ」
周囲に膨らむ魔力反応。
両側の部屋が押さえられていると判断して問答無用に窓から飛び出す。
高価なガラスが割れる音を掻き消しながら光が壁を打ち破って殺到。
その直前に通路側へと少年が飛び出したことを確認したティアはコンマ数秒の計算の後に魔術の構成を組み上げる。
それは闇と暗黒から招く美しき破壊。
暗闇に降る金の雪
「──────《輝夜》」
それ一つ一つが問いかける。
己が触れし物を喰らうか否か。
否と返されればそれはただ落ちて霧散するのみ。
しかし一度是と応を受ければ───────
業ぅっ!!
触れし物その全てが己がばかりに膨れ上がった炎が包み込み、喰らっていく。
気が狂いそうな程の応答を処理しながら全ての魔術人形が燃え散るのを見る。
魔族魔術を己が身で使えるように記述しなおした禁忌術式。
混乱にでも乗じなければこの様な場所で使う魔術ではない。
ともかく、宙空に居ては格好の的だ。
部屋に舞い戻った彼女は少年がすでに『糸』を追って移動している事を知り移動を開始。
見れば糸の大半は消え去っている。
だが、未だこちらを狙うかのようにうねり、漂っている。
完全に消えたわけではなく、同時にそれは相手の位置を示す。
「また罠……にしてはそろそろ手詰まりじゃろうて」
糸の先が一つ消え、そこに少年を知り集合地点を見る。
「しかし」
今更ながらに思う。
世に数多ある魔術師ギルドで、建物がこれほど損壊をしたのはここが初めてであろうな、と。
少女は下らない思いを失笑に食わせて再度飛翔する。
『糸』の収束地点は真上。
少年が廊下を行くであれば自分は外から回るべきだろう。
闇夜に身を躍らせ高度を上げる。
同時に
「意思持て舞え魔竜の牙 貫け───《竜牙》!」
三条の力場を生み、一つを壁への破壊にする。
残る二つは地面へ疾駆し、糸の先を貫いた。
もうもうと埃を上げる室内に滑り込み、再び《竜牙》を詠唱。
「ひぃっ!?」
余りにも情けない悲鳴の主は腰を抜かして手だけを用いて後ずさる。
その衣服を見て眉根を寄せざるを得ない。
それは魔術師ギルドのローブでなく、軍の────戦略研究室の物。
「上だっ!」
そこに滑り込む声に己の失態を思う。
体が動いても、追尾を命じられた魔術の速度には追いつけない。
「死ねぇぇえええええ!」
《ホーミングレーザー》──────規格外の《神滅ぼし》を除けば人の扱う魔術の中で最高級の威力を誇る攻撃魔術。
そして今のティアが纏う《神鎧》で防ぎきれる魔術ではない。
光が、疾走する。
聖騎士級の英雄は誘導能力を持った魔術すら回避すると聞くが、この距離ではそれも敵わない。
まさに必殺の一撃。
わずかな距離を食い破って襲い掛かる五つの死は少女へ殺到し─────
─────その全てが彼女の後ろへと吸い込まれ、消える。
「─────!?!?」
天井に張り付いた男は忘我から這い出して少女を睨む。
そしてその向こうに浮かぶ物を見て、沈黙する。
余りの憤りに、感情が空白化していた。
結果取り戻された冷静さがその正体を見極める。
『魔王の種明かし』────特殊な操魔剣。
それが暗闇に忌々しいほどのんびりと浮かんでいる。
誰が使っているなど考えるまでもない。
この場に姿を見せないこの武具の作り手────
驚愕は自分だけではない。
少女もまた驚きを、しかしこちらはすぐに忌々しさに置換して男へ向き直る。
「殺してやる!」
冷静さは思考を回転。
怒りを呼び起こし鬼の形相を浮かばせる。
吐き捨てるような怒声と共に懐から抜き放ったのは宝飾剣。
その刀身には禍々しい怨念が渦巻き、強烈な呪いが見て取れた。
「ふん、ぬしが『悪手の仕手』かえ」
対するは余りにも静かな声。
「ぬしのお陰で助かったわ。
ぬしが余計な事をせなんだら、この一件手出しできなんだ」
狂ったように駆け巡る血が脳を沸騰させる。
「小娘がっ……!」
天井を蹴り、飛び込みざまの一閃。
しかし明らかに剣術慣れしていないそれは、死線だけは数多潜った少女に届かない。
「貴様のせいで!
私が一生をかけて創り上げたこの魔術は闇に葬られた!
貴様が……貴様が余計な事をしなければ……!」
大振りの凶器はつたない少女の動きを捉えられない。
だが、狭い室内で逃げ場はすぐに失われる。
だが、少女にはまだ魔力の翼がある。
記憶だけで後方に飛び、刃の暴風圏から離脱。
その最中で男の右手が不自然な動きを見せる。
魔力の流れ。
刹那、膨らんだ魔力に体を沈ませる。
轟音。
隣の部屋から噴出した光は夜闇に一瞬だけ昼間の輝きを与えて消える。
「見よ!
魔術師すらも操るこの完璧な魔術を!
操った人間に魔術を扱わせるなど、私以外の誰にも為しえなかった!
そして!」
男の視線に倣い、走らせた視線が捕らえたのは木製の関節人形。
その指先には確かに魔力の糸が絡まっていた。
「同時に複数の人間を操る事さえ、私は可能にしたのだ!」
人間同士の操作は精神の融解を招く。
ならば途中に人形を介在させればいい。
操られる方は人形との交信の間に自我を溶かされていくが、術者へのフィードバックを人形で止めてしまえば術者の精神は安全に保たれる。
つまりはそういうシステムと推測。
「これで、これでバールは世界を奪い去り、私は史上最高の魔術師として、語り継がれるのだ!!」
確かに、これが先の四カ国同盟の際に使われていれば事態は困惑を極めたかもしれない。
相手はアイリーンまで踏み込んでいたのだ。
魔術師ギルドを襲い、魔術師を支配されていたら混乱どころでは済まなかった。
「だが……!
貴様のせいで……研究は中断され、全ては闇に葬られた……!」
「なれば、それが天命。
おとなしく闇に消えよ」
視界に囚われては拙い。
ティアは一旦屋根まで退避すると、袖口からナイフの柄を取り出す。
簡単な仕掛けで嵌りきれて居ないマジックストーンをぐいと押し込むと、魔力の刃が存在を示す。
すぐさま落下。
中空でそれを無造作に振る。
途端にがらがらと二つ、崩れ去る音が響いた。
「な……」
背後の事なのでティアには見えない。
だが、結果は見えている。
浮力を得て右へと翔り、一閃。
再び一つ崩れる物音。
「馬鹿なっ!
貴様っ!」
「慌てる暇なぞあるまい」
無造作に一振り。
その一動作ごとに中空を蠢く魔力の糸を断ち切っていく。
「魔術構成を読む事に慣れておらなんだら、難しいかもしれぬがのぅ」
同時に自分の後方では別の人形が着実に破壊されている。
ティーエン・ザラッド。
少年の魔術が人形を薙ぎ払い、傀儡と化した人間との魔力糸を食い散らかしていく。
「道具に頼る者は、道具に溺れよう」
指示を送るために意識を集中させるなら、攻撃用の魔術を一つ構成したほうがよっぽど早い。
ようやく動き出したマリオネットを視界の端に捕らえながらも、ふわりと舞った銀糸が視界を埋め尽くす。
先ほどまであたりを埋め尽くした己の魔術ではない。
美しく月明かりを纏う少女の髪。
無造作に振るわれた一閃を辛くも避けるが、足がついていかない。
もつれさせて転んだ目の前を光の刃が薙ぎ払う。
ぱきり、と乾いた音。
続けて木製の人形が崩れ落ちる音。
それは全ての終わりを告げる末期の鐘。
少しだけ苦しそうに息を整える少女を見上げ、唇を噛み締める。
狂気が胸中を蠢く。
終わりだ。
全て終わりだと。
「終いじゃ」
余りにも酷薄な声音に、魔術師の意識は過去へ飛ぶ。
才能はあった。
故にバールの未来を担う極秘のプロジェクトに抜擢された。
表に出ることのない、しかし最大の栄光を約束されたプロジェクト。
世界を握るための大いなる研究。
そしてその全ては上手くいっていた。
世界に広く根を張る二大組織。
神殿と協会。
その片割れを手中に収めた時点で万難は排したはずだった。
表では昼行灯として毒にも薬にもならない端役の導師として振舞いながら、未来の栄光を信じて研究に没頭してきた。
《E2S》の開発、マリオネットを媒介にした人間の操作。
自分の独力とは言わないが、自分の貢献を疑う者など居ないに違いない。
この力を以って各国の魔術師ギルドを内から掌握してしまえば5年も要さず世界はバールに跪くに違いあるまい。
なのに、全てが壊れた。
もはや触れることすらできぬ領域に誰も予想のしなかった一矢が降り込んだ。
世界の首脳にもたらされた『犯行声明』。
事実上起きていない殺人事件の殺人犯は、ありもしない墓にスコップを突き立てた。
世界中にスコップを握らせてしまった。
掘り起こされたのは稀代の天才サン・ジェルマンの無惨な死とバールの罪。
幸か不幸か、表舞台に引きずり出されなかった私は、表の仮面に縋って生きる事を余儀なくされた。
それは余りにも平凡な、つまりは魔術師として役立たずでしかない男の仮面。
疎まれることも尊敬されることもない、歯牙の先にも掛からぬ存在。
約束されていた栄光も、実績も、全ては墓荒らしに掻っ攫われた。
全てを奪われた陵墓の墓守。
そこに一人の詐欺師が語りかける。
そして、私は知った。
世界を手にするだけの財宝を奪った盗賊の名前を。
「スティアロウ・メリル・ファルスアレン……貴様のような小娘にっ!」
心の底からの叫び。
導かれるように膨らむ魔力。
殺してやる
殺してやる
殺意と狂気が入り混じり、自分の『終わり』が加速剤となる。
殺してやる
殺してやる────
「貴様なんかにっ!」
人の操作を研究する最中、ソルジャーユニットに組み込まれる魔道爆弾の原理を応用した技術が開発されていた。
魔力とは生命力から生み出される。
魔力への転化が制御できなくなることを暴走と称する。
生命力の全てを魔力に転化し、純エネルギーに転化する。
人間版のソルジャーユニット開発。
そして魔術師にしてその魔術構成を知る身にそれを宿すのはあまりにも容易い。
全ては終わりだ。
この小娘がわざわざ周囲の戦力を削ったのは自分を捕らえるため。そして全てを語らせるため。
糞食らえ。
殺してやる。
もろとも全て吹き飛ばしてやる!
背後から迫り来る足音を無視。
「殺せっ!」
跳ねるように動いたのは腰を抜かして倒れこんでいた、軍服の男。
《E2S》で催眠を施した保険。
一瞬で構わない。
少女の前へ飛び出てその一瞬を稼げばいい。
体内で膨らむ魔力と歓喜と覚える。
ああ、私は自分は全てを失ったのだ。
今更何を悔やもうと言うのか。
せめて一矢報いなければ本当に失ったまま自分は無意味になってしまう。
それだけは許せない。
許すわけにはいかない。
この一生をこんな小娘に否定させて終われるはずがない!
─────衝撃。
構築しかけた魔術式が吹き飛ばされ、体の中から骨が砕ける音が響く。
痛みと圧迫感に肺の空気が押し出され、目の前が白む。
間延びした時間の中を泳ぐように視線を横へ。
そこには杖が、まるで自らの横腹から生えているようにめり込んでいる。
その先に付属するは少年。
「てぃぃぃえん……、貴様……」
熱い。
痛みよりもなお全身が熱い。
「何故……だ……!」
貴様はこちら側のはずだ。
そうでなくてはならない。
なのに、何故!
「ぎざまぁあああああ!」
あらん限りの、己の魂を吐き出さんばかりの咆哮に応じたのはシンプルで無常な一撃。
魔術師らしからぬ鋭い突きが額を打ち、のけぞったところで軽く顎を掃う。
あっさりと脳震盪を起こした彼に魔術の構築などできない。
ただ天井を見るしかなくなった男の横に歩を進めた少女。
翡翠色の瞳が冷淡に見つめる。
そして、桜色の唇は魔力を形取るための呪文を紡ぐ。
「《誘惑》」
途切れかけた意識に甘い香りが漂い ──────
男は意識を失った。
終局を告げる痛々しいほどの静寂。
少年は男をただ見つめる。
「……ディクワン殿から伝言です」
男の魔手から逃れることの出来た軍服の男は気を取り直し、言葉を紡ぐ。
「パードリク・ツヴァイン子爵を国家反逆罪並びに騒乱予備罪で捕縛した、と」
それが誰かまでは把握していないが、恐らく『条件』に一致した人物なのだろう。
尻尾がつかめればあとは遡るだけだ。
どんな獣が出てくるかはこれからだが、見えざる敵よりよっぽどマシである。
「目的はやっぱりカーン閥の復活?」
フウザーが軽く問うと
「に偽装した、別目的じゃろ」
さらりと少女は断言する。
すでに資料にまみれながら交わした会話だ。
「今更暴力で最高位を奪い取れるはずもない。
それこそ国全てを相手にする力がなければの。
所詮六に割ったうちの一つ。
その大半を既に削がれて何を奮う」
「まぁ、そうなるよね。
とすると『何』を?」
「知らん。
わかっておらば回りくどい調査なぞせぬ」
にべもない答えにフウザーは肩を竦める。
「じゃが」
すっと、視線を虚ろな瞳の男へ向ける。
「ぬしは知っておろう?」
「カーン閥の復興。
それが目的です」
植物の精霊には人を惑わす力がある。
皮肉にも精霊魔法に操られたフェルク・カサルトハルト導師は後ろ手に縛られてもニコニコと応じる。
「だってさ?」
「ふむ」
普通に考えればティアの推論は間違いではない。
カーン家は賭けに失敗しドロップアウトした。
すでに選定皇家の地位を再び得られるほどの掛け金はない。
「……まさか、本当に全員カーン閥の復興が可能と信じている……とか?」
軍服の男がぼそりと呟いた言葉がやけに響いた。
もちろん相手はどれだけ追い詰められていたとしてもきちんと教育を受けた貴族の集団だ。
一人や二人勘違いする者が居たとしても、全員が全員そんな幻想を掻き抱いている等考えられない。
「信じる……」
ぽつりと呟き、それを呼び水に理論を構築。
「そうじゃ。
信じさせることは、可能であったな」
少女の視線の先にはフェルク導師から取り上げたマジックアイテム。
視線を追った大魔術師が溜息混じりに応じる。
「ああ、《E2S》ね。
そうなると……別の意味で厄介だね」
「うむ。
普通に考えれば誰も本気にせぬ故、足取りが揃わぬ。
じゃが、全員が全員本当に一丸となるであれば、いまだにカーン閥は六分の一になり得る」
「そしてそれはバーサーカー……死をも無視した狂乱兵となりえるか」
淡々としたやり取り。
少女に感情はなく、大魔道師の声音は世間話のそれだ。
「でも、やっぱりそれは六分の一に過ぎないよ?
五倍を相手にできやしない」
「それは計算が出来る者の言い分でない。
誰もそんな物を相手にしたいなど思うまい。
しかも敵ではなく身内なのじゃ」
計算が出来るならば、『自分が』『国内の』敵に立ち向かう不利益を強く思う。
世界のいたるところで繰り返された事だ。
侵略戦争には土地という益が出るが、防衛戦争や内紛に国として見る限りペイバックは有り得ない。
もちろん宗教や思想による戦争もあるが、結局のところその大半は純粋な利益から見れば損をしている部分が多い。
「特にここはバールじゃ。
国ではなく家で見れば必ず損得の差が発生する」
「ですが」
老人が静かな声を滑り込ませる。
「ネビュラ帝とアシュル殿は自ら損を取って鎮圧に出るでしょう」
王道と共に人道を見据える新たなる統治者に対する畏敬の念は徐々に芽生え始めている。
その考えはもっともだ。
けれども少女は小さく首を振ると「そこにもう一つの難点がある」と視線をテーブルへ。
机に広げた地図を前に、グリーンスライムにとってこさせたチェスの駒を弄ぶ。
「王都はここ、そしてカーン閥の主要貴族の領地はここじゃ」
ふわり浮き上がったティアは地図の上に黒と白の駒を置いていく。
「アシュルとネビュラの私兵軍はここ」
浮き上がるのはまるで中盤の混戦を描いたような白と黒の混じりあい。
「最初は綺麗にわかれていたのじゃろうがな」
五大王国の一つとなるまでのそしてそこからの歴史を伺わせる模様に誰もが無言で見入る。
「そして、戦争はカタチだけで良い」
「『脅迫』ですか」
軍服の男は地図を睨んで言葉をこぼす。
「なるほど、軍事行動を起こすだけで良い。
誰が動くかを示せば良い……。
一箇所であればまだしも、こう散らばっては……」
「見せしめが成立しない。
どこかを攻撃して、血みどろの内戦を引き起こすわけにも行かない」
困ったもんだとフウザーは肩を竦める。
ひとつ突付いてすべてが弾ければ目も当てられない。
「となると、手は一つ。
手綱を握る者を討つしかあるまいな」
少女は言い放ち、そして盤上を見据える。
「カーン閥オフレンド侯爵家。
よりにもよって、というところじゃな」
視線が集中するはアイリーンとバールの国境。
古くよりバールの盾として、そして剣としてあった家の一つ。
それ故に内乱を避けるべく抑えられるはずの私兵をより多く有する領地。
「今この町には各国の重鎮が集まっておるはずじゃ。
アシュルも赴くと言うておったや」
国境にできた新興の町。
地図の上では外交の問題からバール領でありながら明確な領主を設定していないはずの土地。
「人質だねぇ。
いざとなればここを抑えて各国に喧嘩を売る。
そうなればこれはカーン閥残党の内乱じゃ済まないし、実際に内乱なんてしている暇はなくなる。
世界戦争の再発だ」
フウザーの投げやりな言葉に「ん?」と首を傾げる女ソーサラー。
「その場合っていくら討伐し辛いからって言っても、採るべき手段は全力でカーン閥を退治して、各国にごめんなさいじゃないでしょうか……?」
はいと手を上げておずおずと問うマルティナに軍服は少し考えて「確かに」と呟く。
「狙いは人質を盾に戦争の継続を促す事でしょうが……先の戦争から各国が完全に立ち直っていない今、戦争の継続はありえません」
「じゃが、その手には《E2S》がある」
あ、とマルティナは口に手を当てる。
「どこまでも『それ』が厄介なのじゃよ。
各国の要人に対し洗脳を施すことができれば……バールは二択を迫られる。
秘匿するか、公表するか」
「公表は……できないね。
余所者の立場からしても、そして魔術師の長としても今知る人間以上にこの存在を広めるべきではない」
フウザーの深刻な物言いに誰もが口を噤む。
隣人を信用できなくなる世界は『社会』を容認しない。
これは国はおろか社会を破綻させる毒だ。
「そして秘匿すれば、それは新たなカーン閥にとって絶対の切り札となる」
今度は世界塔だけではない。
世界に対し裏で操る糸を握る。
「何より幸いは、《E2S》が未だに世界に2つしかない事じゃ。
そしてそのうち一つはここにあり、もう一つは恐らく……」
ティアは言葉を区切り、
「トラクルス・ザラッドの所だ」
言葉を接ぐ前にその名のウィザードを父に持つ少年が音にする。
ティアは代わりにもう少しだけ沈黙を継ぎ、「然様」と応じる。
「ある程度の魔術素養がなければ扱えず、また大人数を扱うにはそれなり以上の魔術操作能力を要求される。
故に魔術師でない『黒幕』でなく、ウィザードであるトラクルス・ザラッドが所持しておると見るべきじゃな」
「その護衛はティアちゃんを討つために集められた軍務実習中の魔術師十数名か。
どうする?」
「無論」
と応じて、視線は動かさなかった。
己の為すべき事に他人の顔色をうかがうのは主義に反する。
「災厄の種は討つよ」
「カッコイイねぇ。
どっかの誰かさんとそっくりだ」
フウザーの皮肉に思わず渋面を作りつつ、しかしそれこそが自覚だと察し、聞き流す。
「何にせよ、時間は余りない。
行くとするかのぅ」
着地したティアにフウザーが小袋を投げる。
受け取って鳴り響くじゃらりとした石の音に視線を上げた。
「豪勢じゃな」
「ウチの問題でもあるからね。
正直出し惜しみできる話じゃない」
ニヒルな笑みを浮かべてフウザーは長に視線を向ける。
「ともかく、この件はAAA機密とし、《E2S》に関する全ての記録の破棄を命じる。
また、フェルク・カサルトハルト導師については反逆罪として『処分』する」
そこまでシリアスに言い切ってフウザーは少しだけバツの悪そうな顔をする。
「魔力封印の解法がなければ……もう少し穏便に済ませられたんだけどね」
追放魔術師が絶対に解けないはずの魔力封印を解き、魔術を行使している事実がある以上これを信用する事は不可能だ。
「また、トラクルス・ザラッド導師についても同様に『処分』を行う。
この任務に……」
「志願します」
少年は静かに、しかし緩むことのない意志を込めて言葉を放つ。
「…… ジェファド導師長、他に戦力となる人間はいるかい?」
「ラキアン・クライセス軍務導師が適任かと」
老人は迷う事なく一人の名前を挙げる。
「ああ、あの怖い人ね。
OK、じゃあ頼んだ。
少数精鋭の方が良いだろう」
「では……ラキアン導師には彼女の事は何と?」
「ルーンナイト候補、はさすがに無茶か。
木蘭の秘蔵っ子でいいんじゃない?」
多少不満げな顔をするティアを横目に「では、そのように」と頭を垂れる。
「僕は立場上いきなり戦線に出るわけには行かない。
だからまずは会場に行くよ。
いざとなれば《サジクラー》で一時的にでも《E2S》の発動を阻害できるしね」
軽く言い放つフウザーから視線をはずし、ふと思い出してそのまま軍服に向ける。
「ああ、そうじゃ。
それから資料室7-5の棚にメモを挟んでおる故、それを室長に見せておいてくれぃ」
いきなり話を振られた男はきょとんとしながらも頷くしかない。
「ではそろそろ駒を動かそうかの」
不意にチェスの話をした時の木蘭の言葉を思い出す。
一手一手相手を待ち、しかも同時に動かせない遊戯に興味はない、と。
だが、それを好んで嗜むカイトスもティアと同じく言うだろう。
それはあくまで盤上に表現された結果に過ぎない。
本当の盤面は互いの指し手の脳裏にある物、だと。
その一手は数十、数百の分岐を検討し、取捨選択した結果だ。
互いが指し合うのは数十手先の未来。
戦場から俯瞰するように、視界に映ったわずかな情報のみで未来を予想する。
その手の数は空に瞬く星よりも遥かに多いとされる。
目前にある1の現実を引き寄せる力は木蘭に比肩するものはまず居まい。
それこそが彼女を英雄たらしめた。
だが、万の未来から最悪を廃し、どう転んでも善へ運ぶ手腕こそ、カイトスが防衛・撤退戦の名将である所以。
後者に属する少女は脳裏に広がる盤面に数十の『手』を伸ばした