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大樹そびえる平原の雨  作者: 神衣舞
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6章 幼き葉のカイコウ

 医務室で横になったままぴくりとも動かない少年の前で、少女は困惑の海を泳ぐ。

 『放浪魔術師』の話を聞いた時、予感はあった。

 不意に出会った強烈な違和感の主。

 不快感ではなく、触れ得ぬ尊さを持った存在。

 空を舞う光。

 魔術での戦闘を見たのは実はあれが初めてだ。

 研究畑に生きた自分は、たまたま魔力容量が異常に高く、適正審査で高い成績を出してしまったがために、ソーサラーなどという身不相応な肩書きを得てしまった。

 もちろん望んでも得られない稀有な才能であるとは知ってても、自分にとっては大きすぎる偶然でしかない。

 本が好きで、研究が好きで。

 それだけの女の子にとって、目の前の生と死の光景は余りにも強烈すぎた。

 ティーエン・ザラッド。

 自分と同じく異例の抜擢をされた若きソーサラーにしてギルドの名を汚した大罪人の息子。

 彼に興味を持ったのはきっとその後からだった。




 ソーサラーと言っても若輩者の私には研究に集中できる時間がある。

 むしろそれ以外にする事が無い。

 突然得てしまった立場のために、遊び仲間ともなんとなく疎遠となってしまった私は、いつしかフィールドワークにいそしむ事が多くなった。


 その日も夕暮れまで植物の採取をしていた。

 目的の植物を入手しながらも、何でもない一日が過ぎて帰ろうとしたとき、転移反応を察知した私はその出口がこの辺りと気付いて首を傾げる。

 この辺りはひたすら野山が続き、中には雪を払ったことがないものも多々ある。

 つまり人が好き好んでくるような、来れるような場所ではない。

 薬草の類は潤沢だが、おおよそ市井のヒーラーや狩人が踏み込むには難易度が高すぎる。

 飛行魔術や転移魔術の使用者のみに許される秘奥とも言うべき場所だった。

 研究者にとって最も枯らしてはならない物こそは好奇心。

 火に惹かれる虫のように、私は反応があった場所へ向かった。

 やがて感じたのは背筋をびりびりと奮わせる魔力の高まり。

 不意に脳裏を過ぎったのは『魔族』という単語。

 けれどもすでに視界の届く範囲まで近づいていた私は光の群れを見る。

 少年が呆れるほど大きな魔力を駆使し、それよりもなお大きな魔術制御を続ける姿を。

 その時はしばらく呆然と眺めて、あまりの愚かさに呆れ返ったのを覚えている。

 ソーサラーの位階を得た者に戦闘魔術は必要ない。

 ギルドの基本方針として危険な魔術の行使を禁じられるのだから、戦闘行為をすることはまずない。

 戦闘魔術を研究する学者は居るが、あれは間違いなく研究ではない。

 ましてや訓練でもない。

 『苦行』、いや『自虐』という言葉が脳裏に浮かんだ。

 半歩踏み外せば奈落の底に落ちるだろう。

 賢明を称する者のすべき行いでありえなかった。

 そんな否定の言葉がばっと浮かんで、興味を失う。

 その時は、彼をそう評価して忘れ去ってしまった。




 その光景が天空で繰り広げられた戦いの最中フラッシュバックしていた。

 踏み込めない。

 どれだけ魔術を上手く使えても、自分が居てはいけない場所だと確信する。

 一瞬で全てが失われる世界。

 一生を勉学に励み万能なる知恵を得ても、どんなに権力や財産を手に入れても、その舞台では命という無二のチップが無防備に晒され、貪欲な死神に浚われていく。

 そこに踏み込むための許可証。

 脳裏に浮かぶのは少年の『愚行』。

 ティーエン・ザラッドという少年は、やがてその舞台に踏み込もうとしているのだろうかとぼんやり思う。

 それならば、一体─────命を賭す理由とは何か。

 それが興味の始まり。

 触れえぬ天空の聖者に、生死の美しさを見出してしまったがために。

 純粋な探求者はその途上にある、触れ得る者に近寄っていく。


 つい先ほど行われた戦いが脳裏に反芻される。

 魔法使いの戦い。

 その常識を根本から崩されていた。

 そもそも魔法使いとは『移動砲台』。

 弓矢の手軽さは無いが、応用力と何より必殺の威力が全てである。

 どの国でも魔法戦力は虎の子で、それをどれだけ動因できるかで戦いの優劣は決まると言って過言ではない。

 もし一万の魔術師を集める事ができたなら、花木蘭の指揮する『青』ですら勝利は適わないだろう。

 如何に精鋭とはいえ万条に食らいつく死神を振り払えはしない。

 また奇手を繰り出そうにも索敵能力にも長ける彼らに百の兵すら隠し通せない。

 だが現実としてそれは適わない。

 万どころか千を集めることすら難題なのである。

 大砲は一人で戦わない。

 大砲とは敵を寄せない土嚢があり、近づけさせない防壁があって始めて機能する。

 魔術師も同じだ。

 魔法防御を展開するよりも早く殴られればもう魔法使いに為す術はない。

 だから『砲台』。

 取り付かれれば破壊されるだけ。

 それを先ほどの戦いは否定する。

 二人の戦い方は最初から他人に頼る事を考えずに構築されていた。

 遮蔽を活用し、相手の出方を伺う。

 このスタンスは共に同じだ。

 そこからより洗練されていたのがスティアロウという名の少女の戦い方。

 一瞬の隙を見逃さず、また隙を作るために布石を打つ。

 無駄撃ちしたはずの魔術が、次の行動を助ける。

 人間には一日に使える魔術の数は限られているのだから、魔術師に布石という戦術は根本的にありえない。

 基本則をあっさり踏み越える─────それが生み出す時間こそが自分の命を助ける知っている故の行動選択。

 魔術による魔術の隠蔽、魔術による魔術の迎撃。

 その全てが一撃必殺を承知の上のフェイント。

 当たれば勝ちを前提とした騙し合い。

 なによりも、魔術の構成速度を見切った上での体当たりという選択。

 高速でぶつかられると痛い。

 それがソーサラー級の飛行速度であれば、投石器にも等しい。

 その余りにも当然で、しかし誰も真っ当に考えもしない事実を悪用した、防御魔法を纏っての突撃にフウザー師は爆笑し、自分とギルド長はただただ唖然とするばかりだった。

 魔術戦を制したのは魔術でない。

 戦士に接近を許した魔術師に為す術がないのだから、自分が戦士に成ればいい。

 魔術師は一様にプライドが高く、泥まみれ、汗まみれの作業を鼻で笑う傾向がある。

 魔法戦士のように剣術に魔術を付加するようなスマートな思考ではない、実益オンリーの手段が彼女の中に根付いている。

 それは命のやり取りを背景にした成熟の結果に違いないのだろう。 

 そして─────


 私は少年を見る。

 この少年はその境地に昇ろうとしていた。

 あの僅かな時間で戦い方を変化させ、しかも恐ろしいまでの精密度を誇るオリジナルの魔術を操って見せた。

 蹂躙する暴君のような、光の群れ。

 あれはソルジャーユニットを操る術の応用だろう。操るのは己の身より生み出しし千の魔針。

 ウィザードが専用の魔法具を用いて使うその術を、己の制御一つで成し遂げた。これは誰が見ても驚嘆に値する。

 これがもし、魔術師同士の戦いであれば、勝者はティーエンだったのかもしれない。

 あれほどの魔術を無事凌げる魔術師など如何程居るというのか。

 しかし、技量に勝る経験。勝ったのは少女の方だった。

 彼女は魔術師でありながら魔術師としての勝利に拘らなかった故に。


 改めて私は思う。

 私がその舞台に足を踏み入れる事は無いだろう。

 それは私には遠すぎて、そして鮮烈で。

 だからこそ甘く美しく感じたのだと。

 けれどもこの少年は踏み込んでしまったのかもしれない。

 生死が常に入り混じり、一瞬の判断が死神を招く狂気の舞台に。

 見惚れるだけの私はどうするべきか。

 手にした一石は思うより重く、羽ばたき始めた鳥には辛うじて届く。


 正しき賢人としての私が囁く。

 今は不遇でも、だからこそ未来ある少年に一石を投じよと。

 真っ直ぐで、だから歪みつつある彼の目を覚まさせ、今はその翼を傷つけても正しき地へ飛ぶために今は傷つけてでも休ませよと。


 そうして────私は立ち尽くす。

 手にした石をただ見つめ、確かめるようにはばたきを繰り返す少年を眺めて。

 意味の無い自答を繰り返して、私は少年の目覚めを無意味に待ち続ける。




 少女は書類に埋もれている。

 日はどっぷりと落ちて深夜と呼ばれる時間帯。

 もの凄い速さで書類に眼を通していく姿にはどこか冗談じみた────無意味に早すぎて子供が紙を散らかしているようにすら思える。

 戦闘の後、そのままこっそり抜け出したティアは参謀本部に乗り込んでいた。

 とりあえず一等書記官に嫌味を言ってからここ最近の有象無象の情報を要求したのだ。

 というわけで、現在彼女をぐるりと取り囲んでいるのは、重要機密に類する物の混じらない分類待ちの書類の山だ。

 一等書記官はあっさりとその閲覧を許し、条件としてその整理を押し付けたというのが経緯である。

 外交が落ち着いていても参謀本部の忙しさは変わらない。

 彼らの仕事は元々準備だ。

 起こるとも知れない戦争を俯瞰し、あるかどうかも分からない火の粉を探し回っては気のせいだったと安堵する。

 もし小火を見つけようものなら何が何でも消し、そしてその火を利用できるのであれば利用するために頭をめぐらせる。

 そんな部署なだけに信憑性も定かではない話から、カーテンの裏の密談まで、あらゆる物が蒐集され分析されている。


「時々君が人間と信じられなくなる」


 足音には気づいていたが、処理を優先した手と瞳は止まる事無く動き続ける。


「私の娘なんか君くらいの歳だが、本を読むのが苦手でね」

「子守の好きなソーサラーに面倒を見させればよかろう?」


 さらっと毒を吐くと、ディクワン一等書記官は「はは」と笑う。


「大怪我をしたばかりと聞いているが……無茶は控えるべきではないかね?」

「傷は癒えておる。

 体が認識するまでの時間だけがあればよい」


 それまで何をやっても構わないとして手は速度を維持。


「できれば何を企んでいるか、教えてもらいたいんだがね」

「企むのはわしの仕事でない。

 その企みを探しておる」


 ふむと唸った男は手した袋を目の前に差し出す。


「まぁ、少し話を聞かないかね?」


 袋に視界をさえぎられ、ようやくく男の顔を見上げたティアは続けるように嘆息し、書類を床に置いた。

 ディクワンは一箇所特別に集められた書類の束を手にすると読む風でもなくぱらぱらと捲る。

 その間に袋の中身を確かめたティアは、まだ暖かいパンを確認し、問いかけるように見上げる。


「妻からの差し入れだ。

 君にも会いたいと言っていたけどね」


 床で作業していたため気付かなかったが、机の上にはコーヒーもある。


「……いただこう」

「どうぞ」


 すでに手はインクで黒くなっている。

 しかし慣れたものでハンカチを取り出してパンを手に取ると、ぱくりと小さな口で齧る。

 食べる姿だけ見れば年相応。

 栗鼠か何かが食事をしているようにすら見える。


「カーン家の動向が狙いかな」

「安直に考えればのぅ」


 不意打ちのような問いかけに否定はせず、けれども肯定はしない。

 すぐさま翠の瞳を向けて「鎮圧には動くのかえ?」と返す。


「軍事情報は機密なんだがね。

 代わりに聞こうか。

 どう思うかね?」


 ぱくりと口にしてこくんと呑み込む。

 数秒沈黙。


「あからさま過ぎる」


 と呟いてまた一口。


「同意見だ。

 この謀反……まぁ、あちらから言えば『陳情』か。

 これはどうやっても鎮圧される」


 カーン派閥の勢力は未だ解体途中。

 言い返せばバールの六分の一が蜂起する可能性を秘めている。

 が、現実は誰彼も自分の身の振り方に慎重なため、静観を決め込んでいる。

 どれだけの人員が賛同を示しているかは不明だが、国としてみれば心地よくない話である。

 侵攻という考えを持たないアイリンと、自国の復興に力を注ぐルーンがその期に乗じてということはないが、新皇帝の権威は著しく傷つくのは免れない。

 逆に相手からすればそれが交渉材料だ。元通りにするだけだ。

 それだけで騒乱は防げると。

 だが、これには余りにも大きな落とし穴がある。

 ネヴィーラがこれを反乱と断じ、討伐の命を下せば関与した全ての家は滅び去る事は確実である。

 もたつけば確かに皇帝の─────バールの威信に傷は付くが、迅速にこれを鎮圧するならばその手際こそ認められるだろう。

 無論各国はその『内乱』に嘲笑を浴びせる事には変わりないが、表向きにはこれからの親交という世辞を乗せて新皇帝を賞賛するに違いない。


「気付けと言わんばかりの行動は相手の妥協を待っている。

 普通に考えればそれで終わりなのじゃが」

「そうならない何かがあると言うのかね?」

「ある」


 迷いなく肯定し、天井を見上げる。


「選帝皇家は妥協なぞせん。

 鎮圧を選ぶ」

「まぁ、そうなるな」


 バールの六分の一。

 これを分割して手に入れることが出来るチャンスを見逃す道理はない。

 義理人情でカーン家を存続させるメリットがあるとすれば、どこかの家が傀儡を立て、丸ごと飲み込むことくらいだが、他の四家を敵に回すほどのメリットとは思えない。

 望みすぎては氷海に沈むが、得られる物を逃すような愚鈍に国の執政は勤まらない。


「報告書を見る限り、頻繁に決起集会をやっておるようじゃが……見ようによっては思想操作じゃな。

 追い詰められた状態に煽りをかけて背水の陣を気取ろうとしておる。

 なにもせなんだ、財産を不当に押収するなぞせぬじゃろうに」


 もちろん『焦り』の背景にはカーン家こそが魔術師ギルドの乗っ取りを仕掛けた張本人であるという秘された事実がある。

 諸外国の認識としては、最後の南進が前皇帝ガズリストの指示とされているため、魔術師ギルドへの干渉も彼の仕業ではないかとしている。

 バールとしても国として振舞えば触られたくない腹なので事実を死人に押し付けている状態だ。

 そういう背景もあって、対外的なカーン家単独への風当たりは強くは無い。

 当主が突然『病死』した哀れな貴族、というところで認識をまとめている。

 だが宮中ではそうはいかない。

 風当たりは暴風の如く、新たな人事でもその影響は明確に現れていた。

 特に罪を押し付けられたガズリスト家の憤懣は大きい。

 個人の責としても家が関与しないと誰が看做そうか。


「……普通ならば、今のあやつらが為すべきは代わりの傘を探す事じゃろうに。

 貴族の大半は懐古主義。

 時の風に吹かれて火を燃え上がらせるのは民の風潮。

 あやつらが最も嫌うはずなのにのぅ」

「火付け役、そして燃えろとばかりに煽っている者が要ると?」

「確証はないが、補強材料はある」


 魔術師ギルド。

 トラクルス・ザラッドが復讐に来るのは理解できるが、魔術師ギルドの討伐命令はどうしても腑に落ちない。

 喋りながら、口論を交わして推測を昇華させる。

 頭の別の部分が有象無象の単語をはじき出し、取捨選別して適合しそうな物を選び出していく。


「……主犯格はそれなりに力を持った者。

 そして魔術師ギルドにもその権力が伸び……もしくは支援、共犯者が要る。

 わしへの執着は魔術師ギルドに潜り込んだ者の手管じゃろうが。

 派手な魔術に計画の破綻を危機し、その排除を行おうとした……」

「それは謀反を企むカーン家の残党でも良いのだろう?」


 その通りだ。

 むしろそちらの方が正しい推測。

 だが、言葉にならない何かがしこりとなって思考の流れを妨げる。


「そうじゃ……ようよう思えば魔術師ギルドの動きだけが妙に下策なのじゃ……」


 触らぬ神に祟りなし。

 魔術師ギルドのちょっかいやトラクルス・ザラッドの登場がなければ今回ティアはこの件にどれほど関わっていたか、いささか怪しい。

 バール国内での政変など彼女のスタイルとして関わるものではないのだから。

 しかし実際にはティアに対して余計な手を出したために引きずり込んでしまった。

 もとより承知と考えるには、他の状況と余りにもそぐわない。

 誰かが横合いから手を出した一手。

 突然盤上に現れた駒。

 それらを内包して新たにプランを立て直したとしたら……


「違和感の正体は本来隠そうとしていた目的の露出」


 トラクルス・ザラッドは本当に自分の復讐するためだけに現れたとしたら。

 それを無下に扱う事は計画の瓦解につながりかねない。

 だから、無理にでも計画に組み込んだ。

 誰かが打った余計な一手の補填として。

 彼が現れた先、

 計画の主は彼に関わりが深く、ティアを害する理由を持つ者。


「要は君の暴虐な気紛れに、慌てふためいた連中が居る、ということじゃないのかい?」

「やかましい」


 だが、大正解だろう。

 他人から見れば気まぐれ以外の何物でもない大魔術の行使。

 その爆風で藪が突かれ、蛇か出た。

 噛み付こうとしたら相手はドラゴンだったので蛇が慌てふためいた。


「のぅ、この条件に合うそれなりの有力者はおるかの?」

「……聞くだけ聞こうか」

「魔術師ギルドと関係があり、カーン家に連なっているが末端。

 そこそこに権力を有し……狡賢いタイプ」


 ディクワンは数秒頭の中を検索。


「ああ、それから今は王都におるが、集会には参加しておらん者と絞り込んでくれぃ」

「……ああ、そこまで絞り込めば一人心当たりがある」


 おおよそ裏でも表でも主役に立てそうにない男の顔が彼の脳裏に浮かぶ。


「どうするかえ?

 わしが出向いても良いがの」

「……。

 見返りは情報で十分だな?」


 苦笑しか出ない。

 ディクワンが足早に部屋を後にするのを見送りながら、ティアは周囲を眺め見る。


「まぁ、駄賃じゃ。

 整理くらいはやっておくかの」


 お飾りの三頭書記官を示す印章を撫でて、少女は書類の整理を再開する。

 それから約二時間後。

 魔術師ギルドからの急使に呼ばれ、少女はこの場を後にすることになる。

 『予想通り』、自分を捕縛するべく派遣された魔術師が行方不明になったと伝えられて。




「人間の精神を操るとはねぇ」

 使いアガシオンという存在がある。

 動物等と同調することにより、使い魔を介して見聞きしたり、その魔力を一部を供与させるというものだ。

 これには制約があり、自分と同等以上の精神構造を持つ生物を対象にはできないとされている。


「ソルジャーユニット……すでに犬ほどの精神は掌握できるのじゃ、不可能とはおもわなんだ」

「それはティアちゃんがギルドの人間じゃないからだよ」


 人間を使い魔とする事はできない。

 これは魔術師にとって常識だ。 

 魔術行使できるほどの自我を持つ精神への干渉は最終的には自我境界が曖昧になり、共に破綻するとされている。

 無論、ティアとてその説は知っている。それを踏まえて嘆息一つ。


「数百の犬猫を一人で統制しておいて今更じゃよ。

 研究は間違いなくしておった、そうであろう?」


 断言する。


「……まさしく」


 応じたのは老人。

 ギルド長ジェファドは沈痛な面持ちで羊皮紙の束を机に置いた。


「バールでは古くからソルジャーユニットの研究が内々に行われていました。

 そしてトラクルス・ザラッドはその最後の研究担当の一人でした」


 一枚に描かれたサークレット。

 ソルジャーユニットの制御機構に少女は見覚えがある。


「スティアロウ殿……あなたがフウザー師を吹き飛ばした術。

 あれは貴方のオリジナルにないですな……」


 その記憶を見透かしたような問い。


「如何にも」


 少女は一拍の間を置いて「大使館で犬をあやつっておった女の術じゃ」と応じる。

 無詠唱魔術《掌破》。

 そのオリジナルは同じく無詠唱ながら《マジックミサイル》と遜色のないほどの射程を有していた。

 ティアの使うのはその劣化コピーに過ぎない。


「そうですか。

 やはり彼女はあそこで死んだのですなぁ」


 戦争中であっても両国が停戦を行うための場として不可侵のはずの大使館。

 そこに陣取った災厄の源に対し、確たる証拠を得ないアイリーン側は手出しができなくなっていた。

 事実上、そして現実に大使館にはバール軍は居なかったのである。

 居たのはそこに居ないはずのウィザード一人。

 ならばと木蘭が送り込んだのは冒険者である暁の女神亭の面々だった。

 結果だけを言えば彼等の手によりウィザードは討たれ、ソルジャーユニットによる第一次侵攻は何とか押し留める事ができた。

 だが、その被害は花の都と歌われたアイリーンに深刻な傷を刻み、また後々に別の災厄を招く引き金となった。


「殺したのは……わしじゃよ。

 怨むなら存分に怨めばいい」


 ほんの僅かだが、老人の声音に親しき関係を思わせるやりきれない思いが垣間見えた。

 だからか、ティアは真っ直ぐにそう伝える。


「…………貴女はその場に居たから彼女と相対した。

 彼女の死は貴女が居なくとも絶対だったのでしょう」


 しばしの沈黙を以って、老人はゆっくりとかぶりを振ると明朗に告げる。

 その通りだとは思う。

 あの場に乗り込んだのは女神亭でも優秀な顔ぶれだった。


「ほんと、何でもかんでも巻き込まれる性質だよね」


 空気を読まない男の足を杖で刺しにじって、壁に掛けられた地図を見る。


「残った資料や研究者の聴取をした結果、一つの推測が為されています。

 当初この研究は人間の精神を一段階下げ、操作することを目指していました」

 薬物を使用して相手の意識レベルを下げた上で操作をする。

 しかしこれは自意識を封印するため複雑な────つまりは魔法行使は不可能になる。

「ですが出力を大幅に上昇させる《デバイス》の開発に成功した研究班は、続けて《E2S》の開発に成功しました。

 瞬間的な意識侵略魔術の確立により、『神から賜りし触れえぬ場所』の強制突破に成功したのです」


 『神から賜りし触れえぬ場所』。

 常人には聞き慣れぬ単語だがフウザーが珍しく顔をしかめる。

 魔法を使えるか使えないか。

 その差は『神から賜りし触れえぬ場所』が有るか無いかと言う説がある。

 魔術用語にして『根源』。

 動物とは『本能』を基に行動を起こすものだが、魔術行使をする生物に限って『本能』を無視した行動を起こすことが多々ある。

 魔族に然り、竜族に然り、そして人間もだ。

 時に生死───生存本能を超越し、何かを求める事がある。


 その特異なる意志の源こそが『根源』。


 本能を超えた超本能。それは人それぞれに異なるとされ、神学者用語で『神から賜りし触れえぬ場所』と称される。


「《E2S》……押収資料にあったねぇ。《Evil-Eye System》───『邪眼機構』」


 記憶を探りながらフウザーは顎を撫でる。


「おおよそ考えられる限り最強の魔術機構。

 全てのプロセスを『見る』という行為に収束させる刹那の威力具現。

 即ち、《邪眼》の模造品」

「純粋に、魔術師の観点から述べさせて頂ければ、彼らは間違いなく当代きっての天才です」


 老人は口にすべきではない賛辞をあえて語る。


「《E2S》は対象の『根源』へ受信回路を強制転写。

 送信機である《デバイス》で一斉操作する。

 二つ揃って一つの限界を超えた傑作でした。

 魔術師ギルドの……いえ、世界のルールを無視すれば、ですが」


 つまりはティアを墜落せしめた《ディスペルマジック》は、傀儡化された魔術師によるもの。


「魂の形が違うなら、共通する点を作ればいい。

 なんともまぁ、神殿には見せられない研究だねぇ」


 その推論から最初の襲撃に得心が行く。

 ティアが邪魔ならいきなり吹き飛ばしてしまえば良かったのだ。

 だがそれをしなかった理由は不意をついて傀儡化しようとしたのだろう。


「しかし何より厄介なのは、犠牲者を救う手立てが有るのか無いのか……

 軍部候補生ばかりだろ?

 無傷で捕まえるなんてのは酷だよ」

「非情な決断をするのであれば斬り捨てるべきでしょう……

 もし開放されたとしても、刻まれた印がある以上、いつ猛毒に変化するかわからない」


 そんな人間を軍部に挙げるなどなおさらありえない。

 老導師は沈痛な面持ちでフウザーの言葉を肯定する。


「もちろん捕縛できれば解除方法を研究しますが……至難であることは火を見るより明らかです」


 例えフウザーであっても、10人の魔術師と正面から戦えばおおよそ勝ち目は無い。

 無敵に近い防壁も数の暴力が圧倒する。


「まぁ、よりにもよって戦闘経験者ばかりだからね。

 彼も馬鹿じゃないから広範囲に展開させるだろうし」

「彼らの抹殺は決して容認してよいものではないことは確かです。

 しかしこのまま見過ごすわけにもいきません。

 私の権限で彼らを……」

「助ければよいでないか」


 沈痛な面持ちで言葉を紡ぐ老人の言葉をあっさり奪って逆の事を言う。

 話の流れを真っ向否定されて数秒の沈黙。


「スティアロウ殿……今の話、理解しておられぬか?」


 よくよくこの少女との距離をどう取ればいいのか分からないと思いながらも、一応言葉を選らんで問いただす。


「しておるよ。その上で言うておる。

 あのティーエンとかいう小僧なら、可能じゃ」


 聞いた大人の反応は正反対だ。

 楽しそうに「ほぅ」と呟くフウザーと、ただ怪訝な顔をする老人。


「ああ、やっぱりあれの狙いはそこかぁ」

「うむ、実際それだけ見れればよかったのじゃ」


 主語を抜いた会話に老人は狼狽を殺しつつ沈黙を護って伺う。


「じゃが、あの小僧が協力してくれるかが一番の問題じゃろうな。

 なにしろ敵は父親で、協力すべきがそれを追放した魔女」


 自嘲を浮かべて前にかかった髪を後ろに払う。


「向こうの『脅迫』からすれば日もない。

 わしは先に動くよ」

「『会場』に行くのかい?」


 フウザーの軽い問いかけに、


「さぁ、それは今から決まるかのぅ」


 と少女は嘯く。

 そうしてからふと考え込み、大魔術師に改めて視線を向ける。


「ぬし、あの小僧を説得できるかえ?」

「うーん。気が乗らないなぁ」


 女の子じゃないしとは言う物の、フウザーとて彼の父親を『処罰』した者だ。それが正当な行為であっても引け目くらいある。

 老人は嫌悪を見せながらもやけに気の合ったやりとりを見ながらふと、我ながら苦笑せざるを得ない事を思っていた。


 時代とは、すぐに人を取り落とす、

 かくも残酷なものだな、と。

 何にせよ、『彼』を救う手立てがあるというのであれば、魔術師ギルドの長として、彼らのトップとして、為すべきことを為そうと。

 老人は静かに、そして強く思う。




「こちらです」


 男はにこやかな顔で案内をする。

 魔術師ギルドも深夜ともなれば廊下を往く者も居ない。

 ひっそりとした魔窟を思わせる通路を足音だけが響く。

 案内される方は魔術師ギルドには似合わない普通の服装だ。

 視線はきょろきょろと周囲を彷徨い、物珍しそうにそしておっかなびっくり後ろを歩いていた。

 男は戦略研究室の下っ端で、所謂御遣いである。

 ともあれ魔術師ギルドの内部を歩くなど初めてで、少しばかり浮き足立っていた。


「ああ、そういえば」


 不意に、男は振り返って──────────


  ─────不思議そうに顔をあげた使者の────


   ──────────────────────目をミた。

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