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大樹そびえる平原の雨  作者: 神衣舞
6/13

5章 才能の寄る辺なきチ

 耳が痛いほどの静寂。


 銀色の空、味気ない地平。

 今この世界には二人の人間しか居ない。

 映像で遠方まで望めるが、実際の距離は最大でも100m。

 気配を探るなどという器用な真似は互いにできない。

 故に全てを予測で補っていく。

 魔術反応。

 膨れ上がる魔術構成を見て、少女はゆっくりと一歩を踏み出す。

 応じるのは餓狼を思わせる鋭い疾走。

 二つの魔力弾が少女の隠れ潜む岩を目指して宙を駆ける。

 だが、少女に焦りはない。

 あてずっぽうの砲撃は数歩下がってうずくまるだけで副次的な衝撃からもおおよそ逃げ切ることができるし、実際できた。

 挙がる土煙に紛れて別の岩陰へ。

 不意に眩暈が襲ってくるが、ぐっと我慢する。

 さて、と声に出さず呟く。

 すでに開始から30分程度。

 進展のない戦いに向こうは焦れ始めている。

 魔術戦の基本は前衛によって得られる安全地帯からの遠距離砲撃。

 人間には一日に使える魔術に限界がある。

 故に駒の限られたチェスのように、定石が生まれ得る。

 剣士のような破れかぶれの一撃や、直感の不意打ちは限りなく少ない。

 様子見は前衛の仕事なのだ。


「それでも牽制を打ち込むとなれば、そこそこ実戦魔術に知識はあるようじゃな」


 口の端に笑みを浮かべ、しかし対人戦の経験はほとんどないと断じる。


「導かれいでよ 我が心に灯す光」


 早口でキャスト。

 掌に生まれた構成を風に流すように遠くへ。


「従え─────《光魂》」


 10mほど離れた場所に発生した光の精霊ウィル・オー・ウィプス

 現れるなり高速で飛翔し、魔術の発生源へと飛ぶ。

 それは不意に軌道を変えると、腰程の高さでぐるりと目標地点を迂回した。

 反応はない。

 不用意に手を出すほど愚かでないことは既にわかっている。

 だが、少女もリアクションなど最初から期待してはいない。

 すぐさま隣の岩陰の横へ。

 そうして現れたモノに微笑を浮かべる。


「意思持て舞え魔竜の牙 貫け」


 手はこちらが上。

 もはや待つ必要もない。


「《竜牙》」


 三条の《牙》が光に照らされ延びた影へ喰らい突く。




「これはフウザー師、ようこそいらっしゃいました」


 恭しく老人が迎えたのは二十歳そこそこに見える一人の男性。


「いやぁ、突然悪いね。

 こっちに用事があったから少し寄らせて貰ったよ」


 朗らかに笑って応じながら、視線は老人をさらっと無視してそこらに向けられていたりする。


「開墾地の祭儀ですかな?」


 老練たる、そして賢人たる落ち着きが大人気ない行動をスルーして問いかける。

 悪びれる事なく視線を老人に戻した男は軽薄に笑って、


「ああ、それだよ」


と応じ、


「それにしても相変わらずバールの人は肌が白くて綺麗だねぇ」と威厳のなさを駄目押しする。

 あまりに場違いな物言いは大ブーイングを受けそうなものだが、そこは絶世の美男子の呼び名高い最高魔術師。

 流し目交じりに言い放てば、遠巻きに見る女性達が頬を赤らめるほどだ。


「で、そちらの方は?」


 何度目かの気を取り直して老人が視線を僅かに下げる。

 そこにはボリュームのある髪を不思議な形に結い上げた少女の姿があった。

 うろ覚えの知識から東方の物と推し量れる雅な衣装を纏い、俯いてフウザーのローブにしがみ付いている。


「東方の衣装に見えますが」

「ああ、この子はボクの娘だよ」


 極寒の地と名高いバールの空気が凍りついた。

 誰もが疑問符を浮かべ、にやつくフウザーと、俯いたままの少女を見比べる。

 顔立ちは良く見えないが、髪の色、肌の色、そして種族特性全てに不一致が過ぎる。

 さしもの老人も言葉に窮する。

 思わず「エカ………」と口走りそうになる問いを慌てて飲み込んだ。

 エカチェリーナ──────ルーン王女とフウザーの間には子供はまだ居ない。

 もし知らぬ間に生まれていたとしても未だ赤子に違いない。

 間違っても十になろう年ではありえない。

 そして彼は噂に名高い女たらし。

 立場も相成って聞くのも憚られる。


「あ、そ、そうですか。

 遠路はるばる」


 結局老人が選択したのは苦し紛れと気まずさを存分に含んだ茶で濁す行為だった。


「で、あ、まぁ。

 申し後れました。

 ここの統括を任されている、ジェファドと申します」


 取り繕いながらも老人の丁寧な自己紹介に対して、少女はうつむき加減のまま沈黙を保つ。


「……ほら、挨拶をしないと失礼だよ?」


 フウザーの余りにも優しげな促し方に空気が弛緩し、誘導されるように視線が一点に収束する。


「……サニアライトと申します」


 消え入りそうな声で偽名を名乗りながら、気後れした弱々しさを孕んだ微笑みを見せる。

 老人は好々爺の態で微笑み「いや、可愛らしいお嬢さんですね」と賛辞すると、ゆったりとした動作で自分の背後へ道を空けた。


「ささ、こちらへどうぞ。

 たいしたおもてなしもできませんが」


 野次馬が退き、進路がざざっと開く。

 どちらかといえば進路から逃げるような動きをさらっと無視して「お構いなく」と歩き始める。


「そういえば、さ」


 数歩も歩かないうちにふと思い付いたようにフウザーは振り返る。


「ここに若いソーサラーが2人ほど居たよね。

 彼女ら、元気?」


 ぽっと出た話題に半瞬の戸惑いを飲み込み、


「……あ、ああ。

 マルティナ導師とティーエン導師ですな。

 彼らは今所用で……」


 老人の返答に対し割り込むような勢いで、


 「ああ、そうなんだ。残念だね」


 とフウザー。


「彼女らがどれほど成長しているのか見たいと思ってたのに」


 その言葉に周囲は先ほどとは別種の緊張に包まれる。

 キーワードは『世界塔』

 魔術師ギルドでも世界塔だけは別格の扱いなのは魔術師でなくても知っている。

 上級、しかもギルドを束ねる立場にでもなろう者ならば、一時でも世界塔へ籍を置くのは当然とさえ言われる。

 世界塔の長が興味を示したということはつまりその有力候補。

 塔への発言権を大きく欠いたバールにとって無視できない言葉だ。

 同時にいずれはその席を目指す志の者にとっては逆の意味で余りにも聞き捨てならない言葉である。

 故に凍りつくほどの緊迫感がここに生まれた。


「あ、ああ!

 ですが、すぐに戻ります。

 戻りましたら是非お声をかけていただけますかな?」


 打算を含めた頭の回転。

 ギルド長はすぐに笑みを取り戻して応じる。

 対するフウザーも周囲の緊張など微塵も感じてないとばかりに軽い笑みを浮かべて、


「ああ、それはよかった」


 と飄々と応接室への道を行く。

 楚々と付き従う少女はただ静かに。

 俯き隠された表情にやれやれといった疲れと呆れを滲ませるが、誰にも見せるつもりは今のところない。




 呼び戻されたティーエン、マルティナの両名は到着するなり身なりを整えるように厳命された。

 訳も分からないうちに部屋に引きずり込まれると、ソーサラーの任命式依頼の術師礼装を纏わされていた。


「い、一体何事でしょうか?」


 聞きたいのは彼も同じだが、それよりも周囲の羨望と批難が限界までに詰め込まれた視線が気になる。

 無論羨望の向かう先はマルティナに限られるのだが。


「ティーエン、マルティナ、両名参りました」


 指示された部屋に到着した二人。

 マルティナが先んじて戸の向こうに声をかける。

 すぐに「入りたまえ」と待望を感じさせる返答。

 マルティナは思わずティーエンを見るが、少年は無表情を貫くばかりである。

 小さく溜息をついて扉を押し開くと、「やぁ」とフランクな挨拶に奇襲された。


「っ」


 思わず挙げそうになった声を呑み込む。


「ま、マルティナ・ユークです」


 なんとか声が裏返るのを堪えた少女は視線を少年へ振った。


「ティーエン・ザラッドです。

 失礼します」


 こちらは落ち着いた……というより憎悪のために冷淡となった挨拶。

 部屋の温度を下げる雰囲気に戦々恐々とするが、大魔術師は特に気にした様子もなく「いやぁ、相変わらず可愛いね」などと混乱の渦に片足を突っ込んだ少女にのたまわってくる。


「座りたまえ。

 オリフィック・フウザー師が君たちと話をしたいとおっしゃられてね」


 表情の読みにくい皺顔に安堵が見て取れる。

 それにより一層の不安を掻き立てられたマルティナだが、逃げる道など最初からない。


「こ、光栄です」


 冷静に返答するのは無理だった。

 きょどった物言いを強く自覚して顔を赤らめつつも頭を下げる。

 先行して空いている席に着くと、やや乱暴にティーエンもそれに倣った。

 とりあえず今から何が起こるのか、戦々恐々として思わず視線が彷徨って、もう一人の人物に気付く。


「あ、スティアロウさん……?」


 東方風の可愛らしくも華やかな衣装を纏っているが、余りにも印象深い少女を見紛うことはない。


 それを聞きとがめた長は意外そうな声音で


「おや、マルティナ導師はサニアライト殿と顔見知りかね?」


 と問えば、そんな名前に聞き覚えのないマルティナは、これ以上ないほど困惑を表情に浮かべ、

「え? サニアライト……?」と脳に余裕という容量を不足させ、素っ頓狂な声で聞き返す。


 しん、と静まり返った応接室。

 一番取り乱しているのはギルド長だろうが、経験と貫禄がそれをなんとか押し殺したようだ。


「……ティアちゃん。

 知り合い居たんだ」


 やがて、呆れた声。


「思えばソーサラーと言っておったのぅ。

 名前まで覚えておらなんだ」


 応じる言葉はほんの少し自分への呆れを含んで重い。


「え?

 ええ?」


 自分が何か失言をしてしまった事は空気で分かるが、それが何かが分からずに慌てふためくマルティナに助け舟はない。


「どういうことですかな?」


 老人が眼光と共に問うとフウザーは苦笑だけを返す。


「まぁ、元より隠し通す算段でもないからのぅ。

 ここまで来れば別によかろう」


 応じたのは少女の方。

 表情を隠していた髪をかきあげて、やれやれと溜息をつく。


「まずは自己紹介をしなおしておこうかのぅ」


 失笑を滲ませる声音。

 幼い少女特有の高い音がまるで万年を生きたような独特の空気を混ぜ込まれ不思議な響きと変貌する。


「わしは……そうじゃな。

 バールではスティアロウ・メリル・ファルスアレンで名乗っておる」


 当然の如く、老人はその名前に反応する。

 定まらぬ視線を自制するように老人はぐっと歯噛みして瞑目。

 その様を眺めながら少女は続ける。


「どうやら最近は『放浪魔術師』とか言う仇名がついておるようじゃが」


 だんっ


 椅子が弾け、魔術構成が膨れ上がった。

 冷淡な殺意。

 それを冷めた瞳で受け止めた少女は、面倒とばかりにフウザーの袖を叩く。


 途端に魔術構成が掻き消えた。


 激しい『動』から『静』への変転に空気は砕ける直前にまで高質化。


「これが、サン・ジェルマン師の《構成消去》ですか……」


 それを解き解すかのように、呆れと驚愕が老人から漏れる。

 うろたえるマルティナを含め、席を立つ者

  ────修羅場の緊張感を欠片も持たない者は少年の乱心をまるで見えないかのように無視して向かい合う。


「落ち着け小僧。

 少なくとも今のぬしには何も出来ぬ」

「ティアちゃん……油注いでどうするのさ?」


 珍しいフウザーの嗜めに、


「む?」


 と、本気でわからなそうに小首をかしげる。


「事実じゃろう?

 わしもぬしも、小僧の隠した短剣ごときで傷つくとは思えぬ」

「いや、そもそもボクは対象じゃないし?」


 漫才じみたやり取りを無視して少年は身構えたままじりじりと扉の方に移動している。


「ティーエン・ザラッド導師。

 着席を命じる」


 老人の言葉に、鋭利な視線が向けられる。


「それから、放浪魔術師捜索の任を一時的に解く」

「……」


 十秒ほどの沈黙。

 ティーエンは「失礼しました」と何事もなかったかのように謝罪し、そのまま直立の姿勢を保った。


「ティアちゃんみたいだね」

「ん?

 どこがじゃ?」

「融通が利かないところ」

「やかましい」


 僅かな音は足を蹴り付けたものだろうか。

 コホンと咳払い一つ。

 針の筵を思わせる空気の中、矛先を一番の見識者であるべき者へ突きつける。


「説明していただけますかな?」


 問いかけに、フウザーは隣を指差す。

 その手をぺちりと叩いた少女はもう一度小さく溜息を吐いた。


「ここに来たのはわしの用事じゃ。

 わしへのちょっかいを一時的にやめてもらいたい」


 『放浪魔術師捜索の任』。

 今出てきたばかりの単語が共通認識として浮かび、黙考。


「一時的に、ですかな?」

「うむ、3日ばかりでよい。

 その後は好きに追い回しても構いはせん」


 警戒を決め込んでいるティーエンはさておき、マルティナは状況の変化についていけずにおろおろと首をめぐらすばかり。

 フウザーもまた門外漢を気取って完全に観戦者の心構えである。

 対話相手はあくまで一人だと再認識して老人は言葉を紡いだ。


「応じない場合は?」

「ぬしらだけなら手加減も逃亡もできるが、混ざれば判別がつかん。

 要らぬ犠牲は望むところではなかろう?」


 『無駄な犠牲を出したくなければ引っ込んでろ』というところだ。

 随分と食った物言いである。

 しかしその裏で彼女の言葉は『別からの介入』を示唆している。

 情報を整理。

 長はマルティナへと目標を変えた。


「マルティナ導師」

「は、はい?!」


 こっそり静かにしてようと心に誓っていたウィザードは、その矢先に矛先を向けられて声を上ずらせる。

 それら全てを無視しつくして老人は静かに問いを向ける。


「君はサニア……スティアロウ嬢と知り合いのようだが?」

「え、あ、まぁ」

 ごにょごにょと口篭る。

「どうしたのかね?」

「えー、あ、そのぉ。

 ……実は実家から子守を頼まれまして」


 噴出したのはフウザーで、ギロリと睨んだのは勿論ティア。

 背中に冷や汗をだくだく流しながらも黙り込むわけにはいかないマルティナは精一杯もここに極まる程の気合を込めて続ける。


「預かった子を数日見て欲しいと……で、そこに居たのが彼女でして」

「ふん……。

 ぬし、参謀本部に知り合いがおらなんだか?」

「あ、えっと。

 叔父さんが室長をやってます」


 顔なじみの一等書記官を思い出し、少しだけ苦々しい表情を浮かべる。

 まぁ、ソーサラーを『護衛に当てる』妥当な言い訳でもある。

 そもそも、役職につかない限り魔術師ギルドの導師というものは暇人である。

 その『暇』を研究に当てているのだから面等向かって言うと怒られそうだが、詰まるところ一週間ばかりの時間の融通はあっさりと付く。


「えー、あー。

 で、ですね。

 そこが何者かに襲撃されまして……」


 ばつが悪そうにおずおずと言い出し、辺りを伺いながら、


「で……それを彼女が撃退しちゃったという流れが……あったわけでして」


 と続ける。

 自分でも記憶に不安がありますと滲ませて、誰も合いの手を入れてくれないので少しだけ俯き、


「そういう知り合いなんですが……」


 と括る。

 自分で言ってから、説明になっていないなぁと思いつつ、実際事の経緯が判ってないんだから仕方ないと胸中で嘆く。

 凄まじい居心地の悪さに少し泣きそうになるが、それを救ったのはフウザーの気楽な一言。


「あー、気にしないでいいよ。

 いつもの事だから」


 救うにしても手を握って放り投げるような、豪快な助け方だった。


「い、いつもですか?」

「うん。

 いつもどこかでドンパチやてるもんねぇ。ティアちゃんは

 それに、『闇の牙』とやりあった時のでしょ?」

「余計な事を言わんで良い」


 険のある言葉に笑みで応じ、楽しげに観客に戻ろうとし、


「フウザー師」


 老人に視線で抑えられる。


「なんだい?」

「彼女の紹介をもう一度していただけますかな?」


 冷静かつ冷淡な問いに「堅いなぁ」とぼやきつつ、フウザーはコホンと一つ咳払い。


「ああ、うん。

 じゃあ僕の恋び」


 どん


 凄まじい音に空気が凍りつく。

 一言で言えば、『飛んだ』。

 青年の体が冗談のように横ベクトルの加速度を得、慣性に従って空中移動。壁まで転がって沈黙。


「え……えええ!?」


 素っ頓狂な声はマルティナが挙げたもの。

 先ほどは勢い良く対応に回った少年も目を見開いて倒れ伏す最高魔術師を見つめるしかない。

 誰もが状況を理解しながら受け入れられない中、余りにもありえない痛々しい空気をざっくり破ってフウザーはむくりと起き上がる。


「し、死ぬじゃないか!」

「やかましい。

 というか良いから一度死ね」


 むくり立ち上がり様に叫ぶフウザーにかけらの情け容赦もない一言。


「って言うか、一応僕は魔術師ギルドの最高魔術師だよ!?もっと敬おうよ!?」

「黙れ変態」


 にべもなにもない。

 突然の大惨事。

 普通なら死人が出てて当たり前の出来事にティーエンでさえ目を丸くしている。


「てか、困ってるじゃないか!」

「誰のせいじゃ……」

「いや、間違いなくティアちゃんのせいだってば!」

「うぉっほん!」

  

 史上最強の咳払いにぐだぐだな空気が凝結する。


「フウザー師、席へどうぞ?」


 有無を言わせぬ言葉に「あー、うん」ととりあえず従う。

 というか従わざるを得ない。


「もう一度、問います。

 フウザー師、説明を」


 威厳よりも怒りを爆発的に増大させた促し方に冷や汗一つ垂らしつつ


「えー、あー、うん」とひと頷き。

「この子はまぁ、なんて説明していいかわかんないんだけどね」


 いざ説明しようとして頭を掻き、それからしばらく唸って


「『木蘭の秘蔵っ子』とか『小さな魔女』とか『リトル・ファルスアレン』とか呼ばれてる子。

 実際に僕の娘だとか、カチューシャの妹とか言う話もあったんだけどね」


 藪を突付いて出てきたのはドラゴンだった。

 そんな顔で老人は僅かなうめきを漏らす。

 フウザーが隠し子を世界塔で養っているという噂は魔術師ギルドではそこそこ有名な話だ。

 また『木蘭の秘蔵っ子』に到ってはそこそこの地位にあれば耳にしないほうがおかしい。

 『小さな魔女』や、『リトル・ファルスアレン』の名も風のうわさに聞く。

 そのどちらもバールにとっては苦々しい、四カ国同盟の戦いに措いて特に響いた名だ。

 全てをイコールで結べと言われても理解が追いつかない。


「で、実際何かって言われると……なんだろうね?」

「ふん。

 事実上はただの小娘じゃて。

 何の地位も身分もない、の」


 事実そう答える他ないのだが、その自称に頷いてくれる人間は余りにも少ないのも事実だ。

 自覚しつつもあくまで自称する少女は視線を少年へと向けながら余りにも素っ気なく、続く言葉を発した。


「それから、『サン・ジェルマンを殺した者』じゃ」


 一秒、時が止まった。

 事実はすでに誰もが認識している。

 その上でそう称するのであれば、意味は一つに集約される。

 少年に隠し切れない敵意が膨れ上がる。

 まるで相対するような冷静さで少女は達観した無面目を貫く。

 それに気づいても咎めず、ましてや己の中の驚愕を飲み下すのがやっとの態で老人は口を開く。


「フウザー師。

 では、彼女が『告発の主』……と?」

「ああ。

 僕に塔の主を押し付けた原因だよ」


 複数人のウィザードにより隠匿された死。

 その綻びを外からの手でこじ開けた文書。


「気に入らぬかや、少年?」


 皆の驚愕が収まらぬうちの問いかけ。

 ティアは僅かに笑みを浮かべて言葉を突きつける。


「ティーエン・ザラッドとか言うたな。


 三日の停滞。

 認められぬかや?」


 あからさまな挑発。

 反射的に、怒りに任せて紡ごうとした魔術構成もこの空間の中では妄想として終わる。


「ねえ、ジェファド導師。

 このままじゃ彼だけ飛び掛りそうなんだけど」

「あ、いえ、そんなことは……」

「というわけで、すっきりしてもらおうかと思うんだ」


 そう言いながらフウザーが取り出したのは握り拳大の宝玉だ。


「まぁ、若い者同士に後は任せようじゃないか?」


 楽しそうに笑う最高魔術師を、妖怪か魔族かのように老練の導師は見つめるしかない。

 この部屋の余りにも混沌とした空気を重く感じながら、これから何が起こるかを沈痛な面持ちで想像しながら。




 足元での衝撃。

 岩陰から転がり出た少年を横目にティアは自分の立ち位置を変える。

 ここは模擬戦闘システム────アイリンの闘技場や軍隊の一部で採用されている戦闘訓練補助システムの中だ。

 この中に居る限り、戦闘行為による致死ダメージはキャンセルされ、強制的に保護される。

 訓練にも死が付きまとう軍などでは垂涎の一品である。

 独特な雰囲気を持つ空間の中、既に少なからぬ傷を負っている少年は、焦燥を滲ませて遮蔽に身を収める。

 しっかりその姿を確認しているティア。

 この瞬間にでも誘導型の魔術を放てば勝ちは決定するだろうがそれでは意味がない。


「我が干渉は 万物を支配する《浮舟》」


 キャストした構成を維持し、ずきりと痛む体に小さく呻く。

 昨日の今日で痛みが消えるはずもない。

 死に掛けた体は冷静に冷酷に、休息を訴えている。

 上空へ逃がしていた《光魂》を降下させる。

 その瞬間、投げつけられた石に《光魂》が弾け、消滅した。

 刹那、身を屈める。

 その頭上を魔力の矢が駆け抜けていく。


「これか……」


 急な動きに体が絶叫。

 にじむ涙もそのままに魔術構成を見る。

 魔力の糸を繋いだ能動的誘導型の魔術。

 大気を走るそのラインを見て手を突き出す。


 《掌破》


 無詠唱で打ち出されたそれが作り出す魔力光を見て僅かに頬を緩める。

 左向こうで魔力の矢が地面を穿っていた。

 目的は達した。

 ならば後は終わらせるだけだ。


「意思持て舞え魔竜の牙 貫け────」


 迷いないファストキャスト。

 それを瞬間的に破棄して


「断絶の陣 不可侵なるは 天意の衣 ────《神鎧》!」


 目前に現れたのは魔力の玉。

 刹那に弾け、小さな矢が無数に悲惨する。

 見る。

 その小さな弾丸一つ一つが少年に繋がっている様を。


「これ全てを操るか……!」 


 一つ一つの威力は格段に減少するが、仮にもソーサラーレベルの魔法威力。

 直撃すれば一つ二つで相手を死に至らしめる。

 まるで蜂の大群。

 編隊を組んだ魔力の群れが不意に二つに、四つに分かれ物陰を蹂躙を開始する。

 パスが繋がっている以上、一つでも当たれば全てがそこに集中しかねない。

 蹂躙の速度も果敢に、選択肢は段々と狭まる。

 空転する思考を嘲笑うように一群が左から殺到する。


「くっ!」


 地面に叩きつけるように《掌破》を放つ。

 鉄砲水のように巻き上がった土が殺人蜂の群れを飲み込み、時待たずして蜂が破壊の咆哮を撒き散らした。

 高速ビートを刻むドラムのような衝撃が小さな体を圧倒する。

 直接的なダメージはなくとも、今の体にはあまりにも酷な仕打ちだ。

 しかもこれで終わらない。

 ターゲットを見つけた残る群れがそこに終結せんと迂回を開始。


「意思持て舞え魔竜の牙 貫け───」


 上方と左右。

 集う魔の槍を見定めて力を放つ。


「《竜牙》っ!」


 僅か1mの距離で竜の顎が貪欲な蜂の群れに飛び込み────


「散れっ!」


 互いの力が身に秘めた魔力を解き放つ。

 瞬間身を投げるように伏せて耳を押さえた上を衝撃が襲い掛かった。

 これが野戦であれば相手に勝利を確信させるというペテンもあるが、あいにくこのシステムの中では相手のリタイアは告知される。


「う……」


 頭の片隅でそんな事を考えつつも、ペテンを繰り出す前に本当に気を失いそうだと失笑。

 精神を苛むような痛みに意識が朦朧とする。

 相手はソーサラー。

 もとより甘く見る積りはないが、思うように動かない体がもどかしい。

 絶対目標は完遂したのだから、別に負けても構わない。

 頭の一部でそう考えながら、もう一部では勝つためのプランを再構築していく。

 この場所の様子は外から見られている。

 古代語魔法の《竜牙》や《神鎧》、精霊魔術の《光魂》は別に構わないが、《輝夜》や《応報》等の魔族魔法や竜語魔法は魔術師ギルドの聴衆の中見せるべきではない。

 それに神聖魔術も可能な限り隠しておくべきだ。

 いくら十三系統魔法として編纂していても見る者が見れば元が知れるに違いない。

 油断していないが、足かせは存分に履いている。

 体だって時が経つ毎に痛みを強く訴えている。


「魔力の白翼よ 我が身に宿れ 《天翼》」


 身を伏したまま高速詠唱。

 体に生まれた浮力を感じる前に魔術を接ぐ。


「意思持て舞え魔竜の牙 貫け───」


 ふわりと体が浮き上がる。


「《竜牙》!」


 三条の魔力が地面を削りながら三方向に放たれる。

 右迂回、左迂回。

 そして直進。

 盛大に土煙を上げながら威力を減衰させていくそれに追いすがる。

 巻き上がるのは土煙。

 一寸先も見えない煙幕の中、少女は息を止めてぐっと堪えて体をひねる。

 進行方向を背に呼吸を確保するなり


「我、そを探り 全ては我が眼に 《魔力感知》」


 魔術の波が周囲を洗う。

 それと同時に袖に煽られた土煙がばっと広がり、《天翼》に巻かれて爆発したように広がった。

 急激な右旋回はいくら《天翼》に備わった衝撃制御の保護があっても重力と慣性の全てをキャンセルするなどできやしない。

 この世界に備わった力がぎちぎちと体に食い込む。


 ど、ど、ど


 先に放った《竜牙》が派手にはじけてさらに視界を塞ぐ。

 変えた軌道の傍を魔力が掠めていくのを感じる。

 相手も黙っていない。

 再び生まれた光の群れが容赦なく土煙を蹂躙し始める。


 「我が望まぬは こに在るを認めず 消えよ 《解呪》」


 実質十数秒という短い時間。

 上も下もわからなくなりそうな世界で少女が最後に構築するのは魔術消去。

 魔術を食い破る貪欲なる獣。

 いかに堅牢な魔術の壁もこの術の前には役には立たない。

 同時に土煙の廊下を抜ければ、正面に少年の視線と、背後に光があった。

 とてもではないが、最早何をやっても回避は不能。


 故に─────────


  ────────回避をしない。


 突き出した手が魔力を集結させるよりも早く、少女の足に触れた。

 捻った体が生み出すのは速度を存分に注ぎ込んだ単純な破壊力。


 どごん。


 おおよそ人と人がぶつかったとは思えない音が響き渡ると共に。

 その音をかき消すかのような演習終了を告げるブザーが鳴り響く。




「ふぅん」


 喧々囂々と、有象無象の声が入り乱れる中、青年は気のない風に鼻を鳴らす。

 雑音にしか聞こえない声の内容は『カーン家の選定皇位を引き継ぐ』事を正当な行為と論ずる物。

 議論の最終局面を目前に控え、状況は余りにも芳しくない。

 カーン家の類縁がどんなに声を挙げようとも、残る五つの選定皇家を納得させる力はない。

 その上仔細に聞けば、あるのは恨み言と精神論だけ。

 誰もが心の奥底で無理と悟りかけているのが見て取れた。

 壁際で、その様子をぼんやり眺めていた青年は、それらの雑音の間隙を突くように囁かれた報告に不敵な笑みを浮かべる。


「行動が早いね、リトル・ファルスアレン。


 頭は回っても、か弱い女の子と思っていたのに」


 潜入工作員が消され、要注意人物が渦中に飛び込んできた。

 少年にとって悪いニュースなのだが、目の前の茶番劇に比べたら待ち望んだ美酒のように心に沸き立つものがある。


「歓迎するよ。

 予想通りとは言え、ワンサイドゲームは好みじゃない……」


 盤上はかき乱され、駒が踊り狂う。

 有象無象の『歩兵』達が、決められた通りにただ前へ前へと突き進む。

 その先の運命が死地であろうと、彼らは『歩兵』故に進む他ない。


「カーン家に再び栄光を!」


『栄光を!』


 愚かなる者はひたすらに。

 前へ、前へ。

 その先に死の沼が広がっていると知っても、最早止まる事は許されない。

 駒は最後まで駒なのだ。

 声にも顔にも出さぬ笑い声が、深い闇の奥で響いた。

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