3章 魔術のモウドク
宮仕えをする護衛者にとって恐るべきは何か。
例えを挙げればきりはない。
無理に挙げるとするならばまず毒を語らずにはいられまい。
殺傷用は言うに及ばず、食事に含まれた毒に対しては、どこまで武を極めようとも護るに無力だ。
また鏃やナイフに付着させた僅かなものであっても、掠めただけで命を奪いかねないのだから武人としては脅威を通り越して憎悪すら覚える。
続いて身内。
護るべき者を金庫に入れて管理できるなら護衛は格段に楽になるだろうがそうもいかない。
重要であるからこそ、その対象は公の場にある。
そしてその相手を分け隔てなく確認していては何をする暇もなく夜になってしまう。
故に常日頃当たり前のように接する者のチェックは緩くなり、その者が乱心すればどうしても対応が遅れる。
更に挙げれば魔術。
どんなに身代わりになるべく身を挺して庇おうとも、嘲笑うように宙を踊って対象を打ち抜く《マジック・ミサイル》をはじめ、武器防具の一切もなしに死をばら撒くのだから万軍の敵兵よりも抗いがたい。
より効率よく確実に護衛ができるように、一種のマニュアルを作った軍人が居た。
彼が書き残したメモに、マニュアルへは書き写されなかった一節がある。
『毒も、洗脳も、そして魔術そのものも魔術師の専売である。
より効率よく護るならば魔術師ギルドを潰し、全ての魔術師を排斥すべきかもしれない』
無論皮肉に過ぎない。
実際彼は理知的にその一節を心の奥にしまいこんだのだから。
それに、例え魔術師が消え去っても毒も身内の乱心も、消える事は決してあるまい。
「いやぁ、冷えますね」
温和を絵に描いたような男がサロンに入るなり誰にともなくそんな事を呟く。
まずここはどこかと言えば魔術師ギルドである。
その中に作られた喫茶室兼サロンが男の現れた場所だ。
学者と言えば『生命活動に栄養も睡眠も不要であれば朽ちるまで研究に没頭しそう』とまで揶揄されるが、それでも一応人間である。
気分転換が必要な時もあるし、人恋しくなる事もある。
研究を一子相伝とし、自分の『家』のみに誇りを持っていたかつての排他的な時代ならともかく、今の魔術師ギルドでは軽食を取れる食堂やサロンが備わっていることは珍しくない。
研究に没頭したために、貴重な資料がある自分の部屋で食事をしてひっくり返し、台無しにした例があまりにも多いことも原因、というのは社交的な魔術師の戯言である。
それはさておき深夜という時間帯。
男を除いた唯一の客────男はパイプを手に視線を上げる。
「フェルク導師、如何様で?」
静かに問う声は厳かながらも、ほんの僅かに警戒の色を含む。
それを察してか察せられぬか。フェルクは正面の席に腰掛けて「いえいえ、ようやく論文がひと段落着きましてね」と軽い調子で応じた。
「休憩がてらに来たらウォーレン導師の姿がありましたので……
まぁ、ご挨拶をと」
給仕役の女性を呼んで軽食を依頼する。
女性は二人の襟章を見て萎縮しながら厨房へと去っていった。
余談だが、今の給仕はこの魔術師ギルドの構成員である。
かつては貴族の子弟か豪商、つまりは金のある者の集まりでなければ生粋の魔術師の家系のみが集う場であったが、昨今では金銭面で恵まれない者に奨学制度を用いる事が増えてきた。
理由は相次ぐ戦乱による魔術師の脱落にある。
多くの従軍魔術師が命を落としたが、補充しようとしてすぐに集められるものではない。
魔術の才能は何千人に一人の割合でしか備わらず、学ぶだけの財力を持つ者はさらに数十万人に一人という割合だ。
しかも『三つ目の手を使う行為』とも言われる特殊な感覚を掴むには数年の修行期間を必要とし、従軍できるほど若い世代で一応の攻撃魔術を扱えるのは呆れるくらい一握りである。
さらに大半を占める貴族や金持ちの子弟は軍属になる事を嫌う。
なる気があるなら騎士になっているだろう。
結果、国からの切々たる要求に応じるだけの人的資材はないのである。
名目上国家に帰属しない組織ながら国の領土を間借りしている以上、全てを無下にできないのも事実である。
それら全ての解決策として、魔術の才がある者を探し出し、魔術の基礎を学ばせた後に軍に籍を移す事を始めたのである。
万が一を考えれば尻込みもするが、一生を畑で耕し生きる事を良しとしないならば悪い話ではない。
そのまま軍に残ったり、その実績を元にそのまま宮仕え─────文官となる魔術師も少なくない。
実際そうなれば農民として生きる何千倍もの富を手に入れられるだろう。
ギルドとしてもそうして国政に関わる元ギルド員は、国との『実態のない』パイプとして機能する。
そういう理由で特別に集められた者が何故バイトもどきを行うかと言えば、差別のためだ。
年間金貨数千枚と噂される額を支払う正規のギルド員から、いくら軍役があるとは言え同じ教育を受けられるということに不満が発生したためだ。
増してや懐古的な貴族には一般市民が勉学を行う事を快く思わない者すらある。
そこでスタイルとして雑用を専任するようにしたのである。
研究に勤しむ導師達からしてもありがたい人手であり、また閉鎖的なギルド内でも社交的な立場を取るため、軍属になってから役に立っていたりする。
ただ、これだけは言える。
教養とは金の在る者の特権である時代は終わろうとしている。
「……」
ウォーレンはそんな事を考えながら煙を吐き出し、正面に座った男に視線を合わせる。
「率直に」
こんこんと灰皿に灰を落とす。
煙草ではなくもっと強い薬だが、別段咎める事はない。
「いえ、本当に挨拶程度ですよ」
狐目を睨み、新しい葉をパイプに詰めて火を点す。
それから煙を吸い込み、深く肺に溜めてからゆっくりと吹き出す。
その時間を待っても言葉がないのを見てウォーレンは口を開く。
「何故あのような提案をした?」
「はぁ。
別に、思いついただけですよ?」
なんとも頼りなさが前面に出た口振りだが、思い付きを口にする場でない事は同じ位にある自身が良く知っている。
「ギルド長を甘く見ない方がいい」
「ご忠告痛み入ります。
けれどもあの立派な方を甘く見るなど、私のような若輩者には恐れ多くてできませんよ」
白々しい返答を聞き流し、記憶を辿る。
フェルク・カサルトハルト。
位はソーサラー。年齢は40かそこら。
豪商の三男坊当たりで、専攻は薬学。
日和見でどこの派閥にも属している節はないためか、大した権限もない。
押し付けられたのか、それとも趣味か。
講義を多く受け持つためにその点では重宝されている男だ。
追記すればたまにふらりと現れてはこうして当たり障りのない会話を仕掛けてくる変わり者である。
と、薬ですっきりとした脳裏に疑念が過ぎる。
この男は変わり者。
そう、魔術師でありながら己の研究よりも他人との接触を優先させているように見える。
なのに、大した役職にもなく安穏としている。
あの会議での提案がなければ浮かばなかったであろう疑念。
どうでもいいだけの存在がふと不気味に思えた。
再度煙を肺に行き渡らせ、物怖じした様子で給仕をする若い魔術師を横目で見送る。
「ああ、そうそう。
その件で思い出しました。
ティーエン導師、一度戻ってらっしゃったらしいですよ?」
流石に無視できない話題に感情を殺しつつも視線を戻す。
「第一報では《神滅ぼし》に匹敵する魔術の痕跡を確認したとか」
冗談と笑うには場所もそして立場もが阻害する。
「笑えない話だな」
「ええ、まったくです。
偉大なるサン・ジェルマン師とその弟子にして我らの長オリフィック・フウザー師が創り上げた現代魔術の最高傑作『物理魔法』
これの秘奥たる《神滅ぼし》はある意味現代魔術師ギルドの象徴でもあります」
コーヒーに視線を落とし、その香りを不恰好ながら優雅に楽しみ、男は続ける。
「魔術に疎い者はまたフウザー師の気まぐれとも判断しかねない」
現代最高の魔術師として名実共に世界に認められてるフウザーだが、その性癖もまたあまりにも有名だった。
前『世界塔の長』サン・ジェルマンの死が明らかになった時、後任の筆頭として真っ先に名が上がったものの、大きすぎる過去の『実績』が上層部の面々を大いに悩ませた。
女と見れば手を出し、国への干渉の噂は絶えず数多。
技術の流出については呆れるほど確認され、されど要職に付かない癖に世界最高峰という称号だけが燦然と輝いているため明確な賞罰もできない。
上層部としてはいっそ暗殺者でも差し向けたい程の問題児。
その上当代の魔術師ギルド長の愛弟子であるからなお一層タチが悪かった。
そんな彼が結局世界塔の頂点に就いたのは「いっそ権力に括り付けてしまえばいい」というヤケクソ的な発想だったと噂される。
もう一つの問題である女癖についても同時にルーン皇女であるエカチェリーナとの結婚により見事なりを潜める事になったし、ルーン国へもたらされた被害を鑑みれば彼が選ばれる事は選択の余地のない決断だった。
「まさか、彼も子供ではない。
今の自分の立場を十分にわかっているだろうが……
世間の噂はその辺りを考慮しない」
「ですねぇ。
人の噂に戸は立てられぬと言いますし、こう言っては何ですが、今世界は平和すぎる」
平和になればなったで人はどうしてか刺激を求める。
その最も安易な物が噂話である。
「『大地に大穴空ける強大な魔法』とだけ伝われば連想ゲームでフウザー師の名前が挙がってくるのは必然でしょう」
噂話に真実はひとかけらだけあればいい。
誰かわからないよりも世界に名の知れた人物を持ち出した方が面白い。
それだけの理由だから巻き込まれる方は苦労する。
その上一昔前なら、『放蕩魔術師』がフウザーであっても、大半の魔術師が溜息混じりに納得したに違いない。
ほのぼのと語り、サンドウィッチを口にするフェルク。
ウォーレンは事の次第を計ると共に彼の目的を推測する。
「私に危機感を持てと、諌めたいのかね?」
何気なく漏らしたような言葉に狐目の男は惚けた顔をして僅かに首を傾げた。
「いえいえ、私のような若輩者が執行部に名を連ねる方を諌めるなどと荷が勝ちすぎますよ」
慌てた風だがこうなってくるとどこまで本気かわからない。
「まぁ、参考までに聞かせてもらいたい。
君は今回ティーエン導師を放浪魔術師の対処に向けると提案した。
だが、放浪魔術師の力は予想以上に強いようだ。
君ならどう指示する?」
仕掛ける。
魔術師として、賢者として、ここで「考えの及ばない」などという答えはタブーだ。
フェルクは困ったように頭を掻いてから、自信なさげに「まぁ、例えばですけど」と前措いてから、
「もし同様の魔術を都市部に放たれれば……
民は何も出来ず殺され、そして我々の立場も格段に悪くなるでしょうね。
それを阻止するためにも人員を増員して確保を急がないといけませんね」
事態の早期解決は確かに急務だ。
今更指摘されることですらない。
「形式的にはティーエン導師がその部隊指揮を執るべきなのでしょうが、彼の才は認めても如何せん若いです。
補佐というか、実質的な指揮を執れる人を追加投入すべきかと」
前述の通り『学生』の立場である魔術師ギルド員の中には軍に入るべく特別なカリキュラムに取り組んでいる人間は多い。
そのメンバーで構成すればそれなりの体裁を持った組織が作れるだろう。
「ふむ。
君が指名するとすれば誰かね?」
「え?
えーとそうですねぇ……
やはり軍務教官でもあるラキアン導師でしょうか」
元『牙』で長い軍務経験を持つ彼は50近い年齢だが、魔術と体術をこなすツワモノである。
また指揮官経験もあり、人望も厚い。
確かに考えれば彼の名が筆頭として挙がるだろう。
「特別編成する隊の面々も彼の生徒でしょうし」
煙を吐き出し、黙考。
妥当すぎるほどに妥当な答えだ。そこらの連中を捕まえて問うても大体同じ回答に行き着くだろう。
「ウォーレン導師」
不意に、一人のギルド員が二人の座るテーブルにやってくる。
「執行部より召集です」
おや、という顔をするフェルクを見てもう一度深く息を吐く。
「わかった。
フェルク導師先に失礼するよ」
「いえいえ、休息を邪魔してしまい申し訳ない」
ウォーレンは気にするなという意味で手を振り、席を立つ。
ゆっくりとサロンを後にしながら連絡に来たギルド員を見る。
「レシアックを呼んでくれ。
私の研究室に居るはずだ」
「え?
あ、はい」
若いギルド員は怪訝な顔をしながらも指示に従い離れていく。
どうも嫌な予感がする。
気が付けば持ったままのパイプに目をやり、最後と大きく煙を吸う。
いい加減、祭りは終わらねばならない。
心の奥底でそう、力強く呟いて。
「さて、お話を聞かせていただきましょうか」
人払いをした部屋には3人の男が居る。
一人はシックながらも高級な素材を用いた衣装を纏うこの家の主である男性。
一人は若いながらも知的な雰囲気を持つ青年。
そして最後の一人は古式ゆかしいローブを纏う40がらみの男。
家主は緊張を殺して悠然を振舞い、窓辺に立つ男を見やる。
「話は私にあるのではない。
お前にあるのだろう、パードリク・ツヴァイン」
地の底から這い出すような低い声にパードリクは思考を加速させる。
「はて、意味が良くわかりませんが」
「手伝ってやろう」
間髪入れぬ言葉にパードリクはぐっと眉根を寄せる。
が、そんな彼を空気のように少年はさらりと応じる。
「では、手伝ってもらいましょう」
自分を差し置いた行為に目を剥くが、青年は何も考えていない軽い調子で微笑を浮かべている。
「なにを─────!」
「トラクルス・ザラッド導師が協力してくれると言うんだ。
僕らに拒む理由はないよ」
沸騰しそうな感情と反論を飲み込んでパードリクは考える。
そして一つの結論が彼の脳裏に現れて、ようやく落ち着きを取り戻す。
自分が為すべき事はこの場を取りまとめる事。己に任じて不遜な二人を視界に納める。
「アンライズ、と言ったか。君の権限を先に聞いておきたい」
青年は一つ溜息をついて、出来の悪い教え子を見る目をパードリクに向ける。
「全権委任と思って構わないよ」
全権と来たか。
声には出さずいかし口は僅かに動いて無表情を取り繕う。
「ならば私から言う事はありません。
トラクルス・ザラッド導師。
貴方は我々の計画をどこまでご存知か」
数秒の沈黙。
それから男は「知らん」と応じた。
「ただ、お前たちの最大の障害。
それが私の目的だ。
その点について私はお前たちを手伝おう」
「だから、お膳立てをしろ、と?」
アンライズの茶化すような声音にも反応を見せず、ただ肯定を示して黙する。
「けれども導師。
貴方は────貴方たちは一切の魔術行使を封じられたはずだけど?」
「安い挑発は不要だ」
「あらら。
ひっかかるのはそこのオジさんだけみたいだしね」
ここで怒りを爆発させれば負けなのだろう。
パードリクは咳払い一つして気勢を正す。
「魔術の行使は可能だ。
ウィザードとして。
それで貴君らには十分だと思うが?」
「できれば聞きたいんですけどね。
解除は不可能といわれた封印呪。
それをあっさり解いてここに居る理由を」
沈黙。
語る積りはないという明確な意思表示。
「まぁ、その点については貴方の心変わりを期待し、張り切ってお膳立てをすることにしましょう。
正直直接戦力には乏しかったので、困ってましたし」
肩を竦めて青年はおどける。
「オジさんは彼に状況を説明して。
君の知ってる情報なら全部教えて問題ないよ」
く、と喉の奥で殺す。
ずたずたにされたプライドが刷り込まれる塩に悲鳴を上げるのを幻聴する。
「準備はこっちでやろう。
仔細はオジさん経由で連絡するから、導師殿は連絡が取れるようにだけはしておいて」
「……承知した」
自讃するほどの安い忍耐でパードリクは頷き、同意を漏らす。
心の中では青年を苦しめて殺す数百の方法がめまぐるしく踊るのを表情の下で殺す。
「それから」
青年がパードリクを見る。
朗らかな笑顔。
つい睨み付けそうになって、
「っ……!」
息が止まる。
アイスブルーの瞳が万年雪の奥底に眠る氷のように、表情の一切を飲み込んだ闇を秘めて暗く輝く。
「自分の分をわきまえない者は長生きできないよ。
……『彼女』のようにね」
決して悪くない頭脳が『彼女』が何者を示すか、記憶から引きずり出す。
「……わ、我らの目的は……!」
「私欲ではない。
でしょ?」
無垢な笑み。
その薄皮一枚の下に這いずり回る触れ難き悪鬼を悟った男は脂汗と酷い喉の渇きを感じながらも頷く。
「じゃあ、僕は報告に戻るよ」
ひらひらと手を振り勝手に扉の外へ行く青年。
それを人形のように見送り、そして見えなくなって盛大に吐き出しそうになった溜息を飲み込む。
隙を見せてはいけない。
もう一人の『客』に対する意識が男を叱咤する。
去った青年に言わせて見れば、虚勢を張らねばならない小物ほど、その上っ面は滑稽なのだが。
そんな事も露知らず、男は『怪物』に標準を向けた。
一週間と言う時間はまるで幻のように過ぎた。
新たに組織される事となった対策部の体裁を整えるために目の回る忙しさだったティーエンは対策本部と銘打たれた会議室の一席にその身を収めていた。
名目上彼を長としているが、本人を含めてそれを事実と認識していない。
「この一週間、追加情報はなしだな」
ラキアン・クライセス。
隣に立つ壮年の男が事実上の指揮者である。
別にその事実に対してティーエンは何の異論もない。
適任であるし、何より『泥かぶり』の指揮ではやれることすらままならぬのは目に見えている。
「潜伏したということでしょうか」
発言者の論にラキアンはゆっくり首を横に振る。
「今までの動きから察すると、目立つ行動事態は稀に見える。
端的に見れば『たまたまこの前の行動が大掛かりだった』とも言えるだろう」
一同にはすでに『放浪魔術師』が行ったであろう事件が説明されている。
「この者がどういう基準で犯行に及んでいるかはともかく、発生場所が多岐に渡っている。
恐らく魔術による広範囲の移動を行っているのだろう。
だが」
壁に貼られた簡易地図に線を引く。
王都を中心に2つの直線。
数箇所に打たれた点はその線の傍に多くある。
「ルーンとアイリン。
共に首都へ真っ直ぐ引いた線とほぼ合致する」
「二国のスパイということでしょうか?」
若い男が問うが、周囲からは失笑。
「こんな目立ちすぎるスパイはないだろう。
言ってみるならテロリストだな」
ラキアンのコメントは皆の総意でもある。
質問をした者も軽い言葉の応酬のつもりだ。
「ですが、この時期に……?」
指導者が変わったこの時期、国としてすべきは外交。
イニシアチブと好感を可能な限り得る事だ。相手が支配すべき小国ならまだしも、彼らはこの大陸に覇を唱える可能性を持つ大国なのだ。
「国としての干渉者である可能性は低い。
国政として無意味なのは皆思う通りだ」
「ではいずれかの国の反乱分子か、それとも我が国に潜伏する反抗勢力が他国に支援を受けている可能性は?」
やり取りを聞き流しながら、ティーエンは瞑目する。
推論は皆、理に適った物だ。
だが、心の奥底で何かが違うとささやきかける声が聞こえる。
バールへの敵愾心?
何かのため?
大きな目的?
並べられた資料がその一つ一つを舌を出しながら肯定している気がしてならない。
「あのぅ」
手を上げるのは何故か対策部隊にまで潜り込んだマルティナだった。
「単純な人助けと自己防衛ではないでしょうか」
シンと静まり返る会議場。
殆どの者は『場違い』なコメントへの冷たい反応の結果だが、二名については反応が違う。
視線でラキアンが先を促す。
一拍の間をおいてマルティナは緊張にやや上ずった声で、
「『放浪魔術師』が起こしたとされる事件。
その全てが全て『放浪魔術師』の物ではないということは皆さんも考えていると思います。
その前提の下で分別をしていくと結果的な被害の大小が明確にわかれるんです」
何人かが資料を流し読みはじめる。
「特に、無関係者への被害。
これが極端に少ない魔術事件がいくつもあります。
街中で使用された大型魔術でさえ、町に傷を付けずに終わっているものがあります」
偶然と断じるには事例が多いのは事実だ。
「その他にも単純な破壊と見なすより、理由が推測される物が見られます。
先の《神滅ぼし》級の魔術行使にしても、わざわざ水路らしき物まで掘っている以上、溜池の作成と見なせるでしょう」
今までの議論からすれば斜め上を走る意見だが、否定するには筋が通っている。
「何よりも、そういう事例に限って目撃者と思われる人からの証言が曖昧なんです。
というか、故意に隠蔽をしている。
しかも強制でなく自主的にです」
「それで人助け、かね」
ラキアンの視線におずおずと頷く。
場の面々も困惑気味ながらも小さな議論を始める。
それらを無視して老術師は周囲を呑み込む声音で続ける。
「自己防衛という話は、暗殺者と思わしき被害者からか」
「はい」
魔術による死体。
夜中に人知れず殺されたそれは身元を証明するものを持たず、しかし毒やナイフなどの凶器を有する事すらあった。
「だからといって放置するわけには行かない」
唐突に────若さゆえに少しだけ高い声が視線をかき集める。
「それが与えられた任務だ」
変わりつつあった空気がばっさり断ち切られ、そこに生まれるのはただ、不快感だ。
高まる悪意が育ちきるのを嫌って、冷徹を刻んだ鉄仮面が議場をひと睨みする。
「ティーエン導師の言う通りだ」
重厚な音がその一切を雲散霧消させた。
「我々が重視すべきは『放浪魔術師』の主義主張ではなく、魔法行使によるギルドへの不信感、魔法への不信感の払拭だ。
例えそれが道徳的に正しき行いだとしても、安易な魔術行使を行う以上、我々は見過ごすわけには行かない」
「ですが……!」
「無論、マルティナ導師の意見は重要だ」
とたんに流れが傾いて、思わずマルティナは声を挙げるが、言葉が続かない。
続けさせてもらえない。
「我々は争いをしたいわけでない。
相手が道理の理解できる者ならば平和的解決が望ましい。
ましてやその能力はかなり上だ。
ギルドに応じるなら願ってもないだろう」
整然と諭されては二の句もない。
マルティナはおずおずと矛を収める。
それでも残る張り詰めた空気をその主であるように老賢者は見渡してから、ゆっくりとティーエンに視線を定める。
「私から、まずはその『放浪魔術師』に接触を試みる事を提案します」
「同意見です。
ラキアン導師」
返答の声音は落ち着いているが魂はない。
だが、構いもせずにラキアンはむしろ他の面々に向けて口を開く。
「では、方針は決まった。
二人一組で情報の多い地点へ散会。
情報収集は避け、問題発生時の対応とする。
各村落、町へは……そうだな。
アイリーンの魔術師ギルドで行われている治安維持組織への協力活動を試験実施するとしよう」
まるであらかじめ決まっていたかのように淀みなく語り、
「班分けは隣に座っている者とだ。
ティーエン導師とマルティナ導師、そして私は状況に応じて動く。
質問は?」
問いかけにいくつかの細かい内容の確認が応じるが、ラキアンはその全てに考える暇も見せずに答えていく。
「……」
その光景を眺めながら、マルティナは一人の少女を思い浮かべる。
確証などあるはずもないのに、どうしてもその可能性をぬぐえないままに。
その夜。
ティアロットは突然の転移反応に体を起こす。
彼女の眠りは極端に浅い。
少なくとも一人で居るときに熟睡することはなくなっていた。
原因なんて今更である。
自分で撒いた種に文句を言えばそれこそ天に唾吐くというものだ。
手早く髪をまとめているリボンを引いて解き、頭と唇は《浮舟》を構築、考えるより早く次いで防御魔法の構成に入った。
魔力探査。
肌の上を走り抜けた感覚に内心で悪態をついて、決心をつける。
小さな体を窓から投げ出し、着地の衝撃をケープが吸収する。
上空では魔力探査をする必要がないほどの魔術構成が見て取れた。
『この町ごと……!?』
迷う暇が一気に吹き飛ぶ。
防御魔術《神鎧》に《浮舟》を遅延多重発動。
舌を噛みそうな高速詠唱を開始。
再び構築した《浮舟》を維持しながら天空からの悪意を忌々しくも無視。
家屋の影から出て身を晒し、そこで改めて上空へ視線を凝らす。
そうしながら《天翼》を完成させると一層高まった魔力に焦りを感じながら町外れへと加速する。
来る……!
魔術構成を見る。
見覚えのあるそれは五条の光が敵を貫く《ホーミング・レーザー》。
威力で言えばこの町に甚大な被害を与えるには十分だ。
幸いだったのは、当初標的設定を放棄して放とうとしたそれをこちらの姿を見咎めて追尾に切り替えた事か。
生まれた『間』をかき集めるように使い、悲鳴を上げそうな肺を叱咤して紡ぐは《竜牙》。
魔術の放出は同時。
もはや光しか見えない天空へ三つの魔力弾が果敢に駆け上る。
刹那の瞬間、プレキャストスペルをリリース。
光が青白い色を纏い、だが直後にその全ては小柄な少女へと殺到する。
呼吸が止まるほどの衝撃。
音と光と────五感全てを掻き乱す衝撃に思わず涙が零れるが、それを不本意とばかりに脳を、体を、次の魔術構成に導く。
きしんで拒む肺を意思でねじ伏せ、深く空気を取り込むと、あらん限りの声を闇夜に轟かす。
ぐぅぅうううううるううぅぅうううううううぉおぉおおおおおおおお!!
風に、空にのみ響く音ではない。
これは世界に放つ命令。
古き時代に与えられた世界への命令権。
美しい翡翠を思わせる瞳が金に染まり、猫───いや蛇の縦細い瞳孔が闇夜の月を割ってそこに宿っていた。
可能性を視る。
人に捕らえられない無限の要素を束ね、答えに昇華。さらに何十何百の問いを重ねる。
それを一秒足らずでこなしながら圧倒的な力に捻じ伏せられるのを堪え、意地とばかりに前へ進む。
意思が飛びそうな衝撃の中、紡ぐ魔術は切り札の二枚目。
《天翼》で大気を叩き、ベクトルを強制変更。
天に舞い上がった少女はもうもうと巻き上がる土煙を孕んで呪を紡ぐ。
「全ての思いは 我が意志と共にありて狂え《応報》」
狙ったようなタイミングで土煙を掃う光の本流。
その全てが異空に呑まれるのを見た。
間を置かず撃ち出されるは五条の光。
反旗を翻した魔術が使用者へと群がる。
コンマ秒先の『結末』先んじて見据え、困惑に眉根を寄せた。
発動者に返るはずの魔術が全て逸れ、遥か先で美しい曲線を夜空に描いて再びこちらへ牙を剥く。
同時に構成されるのは見なくても判る。
《ディスペルマジック》
予想外の光景に驚く自分を尻目に、冷静な部分が先に放った魔術の着弾を見る。
《竜牙》の二つは相手の魔術障壁に阻まれて霧散したが、ひとつ進路を違えた牙が今とばかりに地面を噛む。
爆音、衝撃。
これでもかと上がった土砂が再び視界を塞いだ。
同時にこれ見よがしに地表近くへ移動。一瞬遅れて光が地面を次々と穿ち、衝撃を撒き散らす。
攻撃魔法であれば適当に居そうな場所に撃ち放つことができるが、《ディスペルマジック》はそうはいかない。
霧散する構成を見ながら思考は2つの道を導き選択を迫る。
攻めるか、退くか。
強化した防御魔法が一撃で消滅しかけたことを鑑みれば戦うのはリスクが高い。
せめて相手を視認したいが、と胸中でぼやきながら《浮舟》をキャスト。
《天翼》の魔術構成に干渉させると迷いを振り切って後方へ加速する。
その速度は音速にも匹敵する。
普通の方法ではいくら風の結界を纏っていても大気の壁が速度を阻み大惨事をもたらす。
その本質を『干渉軽減』とする《浮舟》は仔細を確認することすらできない高速の世界を少女に与える。
実に毎秒83メートル。
わずかにでも制御を誤れば己の身をひき肉に変えかねない世界で、ティアロットはじっとりと浮かぶ冷や汗に不快な顔をする。
頭の中で地図を開き、大きく進路を変えて星の位置を確認。
「魔術師ギルド……ではないじゃろうなぁ」
いきなり町ごと吹き飛ばすような暴挙をするなら最初からティアを追いはすまい。
しかしあれだけの魔術を駆使して見せたのだ。
ただの流れ者や暗殺者とも考えにくい。
どこかの『牙』かとも考えるが、これについてはなんとも判断が付かなかった。
高位術師に心当たりがないわけではない。
むしろありすぎるのではあるが……
「これは、もう受身ではまずいかものぅ」
遥か西の果てにあるという魔術師の都。
そこへの干渉を再度行うかを考えながら、少女は夜闇を飛翔する。
幸いは、《竜眼》を解除していなかったことだろう。
闇
それは抗う暇も与えぬ死の光景。
思考すらも凌駕して進行方向に背を向けて体を丸める。
ようやく追いついてきた脳が最初の一言を発する前に一切が消失した。
理解する。
それは《ディスペルマジック》。
少女を護るあらゆる力を一瞬で消失させる力。
だが、どこから?
疑問は一瞬で白紙に戻される。
突然投げ出された体は、大気に煽られ嵐に舞う枯葉────カオスの軌跡を小さな体に強いる。
こうなっては構成どころではない。
必死に杖を掻き抱いて、風という速度の世界の暴君から少しでも逃れようとするが、非力な体では圧倒的な物理法則の前に抵抗を許されない。
華を思わせる豪奢な衣装が爆音を放ち、縦横無尽の振動が何度も意識を飛ばしては叩き起こす。
時間感覚などとうにない。
異常なほどに間延びした時間の中、混乱に染まりきった思考はただ恐怖だけを訴える。
何も思いつかない。
何も考えられない。
落ちる。
死ぬ。
あらゆる戦いの中にあって、常に戦局を予想することで精神的な優位性を確保してきた少女にとって、一切何もできないこの一瞬は頑強な精神を粉砕するに十分すぎた。
無音。
無痛。
上も下もわからない世界。
指の一本もまともに動かない世界。
達人のそれを遥かに上回る思考加速の中、混乱した頭脳は己の措かれている状況を把握する事を放棄していた。
それは突然終わりを告げる。
衝撃。
正常な五感全てを失ってティアは自分が空を見上げていることに気付く。
数秒の世界が沈黙したかのような静寂を経て、全身が引きちぎれそうなほどの痛みに苛まれる。
恐怖がべっとりと心臓に絡みつく。
手足が小刻みに震え、肺は呼吸を忘れて喉が凍る。
かろうじて生きている。
否、『保険』がかろうじて生命を保たせた。
パニックから脱却する切っ掛けは、皮肉にも更なる危機の訪れ。
余りにも遠い空が、星の瞬きが、圧倒的な光に塗り潰されるのを見た。
《ホーミングレーザー》
三枚目の切り札を失い、満身創痍の彼女に為す術はない。
「っ!」
ない、はずがない。
「っあああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
普段の彼女を知る者からすれば目を剥くであろう『感情』のある叫び。
激痛の全てを無視し、髪を引き抜く勢いで結い隠していた小袋を取り出したティアは、覚束ない動きで必死に袋の口を開く。
緩んだ口に指が滑り込んだ瞬間 ─────────
光が───────────────
全てを白に染め上げた。