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大樹そびえる平原の雨  作者: 神衣舞
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10章 打ち砕かれるセカイで

 一糸乱れぬ行軍、とはいかなかった。


 老将はいつもの顰め面を三割増にして馬上の人となっていた。

 これがいつもの訓練であるならばこのような体たらくの進軍、とうに千の言葉で罵り怒鳴り散らしていたに違いない。


「……大尉」


 少しだけ、馬の歩を早めて横に並んだ副官が声を潜めて囁く。


「……言うな」


 開きかけた口を老将は無理やり閉ざす。


「常日頃の教えを忘れたか。 

 我ら一介の駒が個々に動いては、それは軍でなくただの群れに過ぎぬ」

「忘れてなど……!」


 老将を慕い教えを忠実に守っているからこそ、副官に付いた男は師に反する事を苦と言わんばかりに顔を歪める。


「ですが、主を諭すのも部下の役目と教えてくださったのも師です」

「……」


 わかりにくいが。

 老人が確かに表情を緩めた。

 それだけで副官の男は救われたような気がして、そして師の言葉を待つ。


「ワシは長くロックスニア様に仕えてきた。

 故にあの方がこの様な浅はかな行動に移る方でないとも知っているつもりだ」

「……では……!」

「だが、今がある」


 重い足取りで隣接する領を目指し、歩を進めている。

 それはまぎれもない事実だ。


「……昨今、ロックスニア様の様子がおかしい事には気付いておった。

 何かあろう。

 カーン家が潰えた事でない。

 変化はそれからしばらくしてからじゃ」


 老人は目を細め、見えぬ先を眺め見る。


「だが、それがわからぬ今、ワシらがこれに叛くのはよろしくない。

 正常でないのであれば、不用意な動きは寄り良くない事を引き寄せかねん」

「……ですが、このまま戦端が開けば、どのような理由があれ、後戻りができません……!」


 そんな事百も承知と知ってなお、思いを留められずに口から漏れ出る。

 古今数多に戦争があれど、味方を討つ戦いの如何に悲しきか。

 如何に悲惨か。

 そして如何にその未来が明るきを得ないか。

 わずかなりにも士官としての知識を得た者には語る必要もあるまい。

 老人は応えず、副官は奥歯が割れんばかりに口を結んだ。


「報告いたします!」


 斥候の早馬が駆け寄って騎馬を停める。


「この先2キロ先で崖崩れが発生し、通行不能」

「崖崩れだと?

 雨も降らずにか!」

「詳細は調査中ですが、恐らく故意に引き起こされたものかと」


 それは、詰まるところ──────


「我らが動き、見透かされておるか」


 領内の地図は頭にある。

 この道が通行不能となれば、引き返して北の道を行かねばならない。

 だが、北の道へはここより4キロ戻り、更に高くないが山を越える必要がある。

 ざっと試算しても行軍の時間は4から5倍に延びるだろう。

 何しろ最後尾に連なる兵站の部隊が反転するのにひたすら時間がかかる。

 脇に避けようとしてもこの辺り一帯は木々が多く根が遊んでいる。

 馬車が道を逸れる事は車輪の破損に繋がるのは火を見るより明らかだ。

 崖崩れポイントの先が領内での最後の休止地点であり、そこであれば反転も容易なのだが……


「ふふふ……はっはっは」


 いきなり、だ。

 酒が入ってもむっつり顔の老人が笑うのを副官の男は始めて聞いた。


「い、いかがなさいました?」

「よし、全軍に通達。

 今から土木工事だ」

「……は?」


 年を思わせぬ身軽さで馬を下りた老人は剣の先でがりがりと地図を書く。

「一個中隊はこのまま前進し、土砂の撤去を。

 残る一個中隊はこの場に陣を張る」

「こ、ここでですか?」


 先にも述べた通り、ここは回りに木々多くとてもじゃないが馬車を避けておくスペースがなければ天幕を張るスペースもない。


「話を聞いておらなんだか。

 土木工事をするのじゃよ」


 やたら上機嫌の師に唖然としてばかりいられない。

 副官の男はすぐさま部隊長を集めて会議に入る。

 その背中を満足げに見送り、老人は青い空を見上げる。


「誰か」

「はっ」

「ロックスニア様に伝令を。

 『我らが進軍は阻まれり。

 先の憂いを絶つためにこれより土木作業に入る』とな」

「……はっ」


 疑問の表情を浮かべつつも去る伝令を見送る頃に副官が軍議の準備ができたと報告してくる。

 応じて向かいながら老人は一人考える。

 さて、隣領の坊主に思いつく事であるまい。

 これは誰の采配か、と。




 コンマ数秒の、死までのカウントダウン。

 間延びした世界で夢想する。


 2対1。

 数の差がこれほどまでに役に立たない戦いは ─────

 珍しくないと、失笑する。

 いつもとは逆だ。

 此方が圧倒的に数が少ない戦いには慣れているが……なんとも数とは心もとない物か。

 圧倒的な力の差。

 これはいつも通り。

 しかし相手は魔術師。

 そして人間。

 魔族でもなければ代行者でも転生者でもない。

 それ故に、勝利を得る事は可能だと判断する。

 人間であるが故に、相手を理解できるが故に、ゲームは成立する。


「さて、絶望的な状況からの対戦と行こうかの」


 それが、無駄な言葉の最後。

 天空で、光の竜が身を捩るのを心臓が引き攣る思いで見上げる。


「神炎の王──────!」


 真昼の空が流星雨に埋め尽くされる。

 焦りなど、浮かべる暇もない。

 世界が白に塗り潰され ─────


「───煉獄より至りて吼え猛れ 《輝夜》」


 世界が金に───そして赤が上塗りしていく──


 身をあぶるほどの炎熱。

 ティアロットが有する空間魔術が見渡す限りの世界に魔炎の洗礼が降り注ぐ。

 無限に等しい点でも、空間の一部にしか過ぎない。

 なればこそ、見渡す限りの世界を対象とする魔術での迎撃は可能───────


 迎撃による相殺の爆風と、急激に熱せられた空気とが凄まじい上昇気流を生み出す。

 巻き上げられる土煙に天が遮られ、まるで夜のように辺りは闇に落ちる。

 その空間をブチ破って少年の生み出した光が天へと行く。


 無視界。

 魔術師戦でありえない状態に持ち込むのは予定通り。心構えができているとできないでは──────


 コンマ数秒の甘い考え。

 心の余裕と解釈しつつ魔術を再構成。

 折角得た余裕ならば保っておこうと、杖を振るう。


「神炎の王 煉獄より至りて吼え猛れ 《輝夜》」


 世界を金に染め上げて、射光のように土煙を打ち破って降り注ぐ数多の光輝とせめぎ合う。


「厄介な!」


 目隠しのチェス戦は、序盤の様子見を終えて中盤戦へ突入する。




 少年は荒野を彩る金と赤の供宴を遠く見る。

 《光蜂》こそあの中に置いて来たが、彼自身は最初の一瞬から移動に徹していた。

 空へと揚げたのは目くらましの一環。

 身を屈めて土ぼこりの中、空に新たな竜が生まれるのを見る。

 ティアロットの使うあの魔術は確かに───《光竜》と言うべき光の本流を防ぎきっている。

 だがあの竜を形取る魔術は、自分がしてみせたようにいくらでも分断できる。

 瞬間的な防御では分割され、波状攻撃を仕掛けられた瞬間終わりなのだ。

 それに気付かぬ男を相手としていない。

 その上で、再度竜が一斉突撃を仕掛ける。

 相手の姿が見えていないこと、そして、精神的な揺さぶりのためにだろうか。


 浅く深呼吸。


 序盤のやり取りは終わった。

 これからミスが許されない戦いになる。

 構成する。

 これがカタチとなった時、全てはノータイムの殴り合いとなる。


 生み出すのは二つの《光蜂》

 すぐさま遥か上空へと放り上げ、同時に最初に作り出し、やはり空へと揚げた《光蜂》を引き戻す。

 三度目の《光竜》が構成される中、その急襲を見て天空に座する男は無視。

 その全てを身に纏う魔術防壁で防ぎきる─────!


「────っ!」


 数百メートル離れた高みから、己の身をその眼光が貫くのを感じた。


 呑まれるなっ!


 己を鼓舞する事があるなんて考えもしなかった。

 溢れ出す戦慄を食い殺すかのように《ウィングス》を展開。

 後に作り上げた一方を拡散させて自分と、トラクルス・ザラッドの間に敷く。

 その向こうで竜が産声を上げる。

 尾のひとかけらが空を舞い、埃に過ぎぬと掃い去る。


 それで、良い。


 体は空へ。

 目を見開き《糸》を見る。

 その大半を散らされた《光蜂》がそれを追うように、流星の如く地面へ落ちる。


 世界が吼えた。


 統一性のない、しかし全力の魔術が四方八方から、その流星の落下点へ殺到。

 そこに潜む『人形』を破壊する。

 ラキアン・クライセスと開放された魔法使い達だ。

 あの少女にはまだ潜んでいるであろう『人形』は自分が受け持つ事だけ伝えておいた。

 彼らはありったけの魔力で『人形』を破壊せしめると、最後の魔力で全力逃亡を行う。


「ティーエン導師」


 風が、声を伝う。


「生きて帰れ。

 私だけの言葉ではない」


 無骨な声に届かぬ頷きを思わず返し、少年はもう一つの《光蜂》を操作する。


「喰らえ、弱き蜂たちよ!」


 天空には竜。

 伝説に名高い黄金竜すらも眩むほどの光の竜。

 それに挑むのは百分の一ほどの光の蜂達。

 比較するにも愚かしい戦力差だが、無策に飛び込むほど愚かではない。


 散れ─────────


 血が弾けた。

 脳が軋み、眼球に血管が浮く。

 数百にも及ぶ一本一本に対する精密操作。

 狙いは竜を操る《糸》

 万軍から逃げる騎馬のように、縦横無尽に駆け抜けては《糸》を切り裂いていく。

 途端に形を失い始める《光竜》の姿を喜ぶ暇もない。

 狙いを悟ったトラクルス・ザラッドは一部を切り捨てて爆風と変え、《光蜂》を喰らいつくしに掛かる。


「っがっ!」


 即座に全ての《糸》を放棄。

 新たな《光蜂》の創生に対して脳に激痛が走り、鼻から血が滴る。

 崩れそうになる膝を気力だけで支え、生み出すのは限界を超えた三つの《光蜂》

 首が重い。

 頭が重い。

 空を見上げることすら体が拒む。

 人間の限界を超えた脳の酷使は予想を遥かに超えた負荷を訴えてくる。

 その全てを気力だけで持ち直すほんの僅か、一瞬の遅滞。

 それは彼の眼前を光で埋め尽くすのに充分過ぎた。


 終わった。


 余りの呆気なさに心が軋む暇もない。

 余りの魔力に魂の芯まで痺れてしまったのかもしれない。

 恐怖を感じる暇もなく、


「────っボーッル》!!」


 目前が紅に染まる。

 爆音、爆風────それが《ファイア・ボール》だと気付いて振り向こうと


「きゃぁっ!?」


 どがっと、デジャヴを覚えそうな衝撃に転倒。


「ったたたた。

 何で《ウイングス》の操作中にみんな魔法使えてるわけっ!?

 こんなの無理っ!!!」

「っ! おい!」


 今更誰だと問う必要もない。

 それよりもと押し退けようとしてぐにょ、と右手が妙な感覚の物を掴む。


「っ!?」


 凄い勢いのパンチが目前で停止。

 それでようやく顔を真っ赤にして目に涙を溜めたマルティナの顔を見る。


「こんな時に何処触ってるんですかっ!」

「こんな時に何を悠長なっ!」


 思わず怒鳴り返して力の限り払いのける。

 すぐに上を見上げるのは土煙が晴れると同時。


「えーっとっ!?

 I hope ────The world is full of fire and storm!

 《ファイヤーボール》っ!!」


 空に向けて振り上げた手から火球がほとばしり、空中で爆散。

 追撃と降り注いだ光をなんとか迎撃する。


「何であんたがっ!」

「死に掛けてたくせに文句言わないでくださいっ!」


 どちらの怒気かわからないが、顔を真っ赤にしたまま立ち上がると、腰に手を当てて言い放つ。


「不測の事態の方がいいんですよね」

「だからっ」

「次です」


 苦情をさっぱり無視して呪文の詠唱に入る少女に舌打ち。

 そうだ、そんな暇なんかない。

 つい十数秒前に死を覚悟したとは思えないほどの落ち着きで二つ《光蜂》を生む。

 先ほど放棄せざるを得なくなった3つが惜しまれるが、まだ魔力は尽きていない。

 土煙を越えて新たな光の竜が生まれているのを知る。

 あれを邪魔するほうが先だ。


「I want to go farther!」

「っ!?」


 それは転移の詠唱。何をするつもりだと開きかけた口が、泣きそうな微笑みに止められる。


「ティーエン導師。

 信じてますから」


 自分が完璧にこなせば良いと暗に言い放って。

 少女はその身を大空へと放り投げる。

 転移の先など中位以上の魔法使いなら追う事は容易い。

 迎撃されるのがオチだ。


「させるなと……!」


 マルティナの考えることじゃない。

 ならば発案者など自ずと限られる。

 つまり、自分の仕事を肩代わりさせた。

 ならば最早魔力を残す必要はないと割り切る。


「死ぬなよ」


 ここで死なれでもしたら、自分はどうしたらいいか、見当もつかない。

 二つの《光蜂》がこれでもかとばかりに天空へ飛翔。


「っっっっっっっ!!!!」


 そうしながら、更に2つの《光蜂》を生み出して追走。

 それぞれを四つに分割し、先に昇った一つを散らす。


 世界が黒と白に染まる。

 一秒は百秒に間延びする。

 目視不能の高空で千にも昇る光の針が竜へと挑む。


 少年は大地に立ち、対峙する。

 追い続けた背中ではなく、真正面から────

 一対一なんてかっこいい物じゃない。

 拗ねて、恨んで、勝手に一人になって……

 それでも背中を蹴飛ばされて、支えられて。

 対峙しているなんてかっこいい物じゃない。

 ようやく、対峙できてる。


 光竜が崩れていく。

 崩していく。

 迎撃を掻い潜り、糸を食い破る。

 第二陣を投入し、追いついた第三の《光蜂》を迂回させて投入。

 三分の一を喰らったところでこちらに狙いを変えたのか、竜が身を捩る。


 遥か上空。

 そこからの落下は内蔵を圧迫し、ただパニックを引き起こす。

 けれども《ウィングス》を制御しながら別の魔法を使えない彼女にとってそれ以外に方法はない。


「ったく……どいつもこいつも」


 肉眼で視認する事のできない先にそれを見て、必死に恐怖と戦いながら術を構成する姿を幻視して。

 マジックストーンを一つ砕いて魔力を身に溜める。

 まだ安全ではない。だから可能な限りの事をする。


 《ディスペルマジック》


 上空で放たれたそれは如何に大魔法使いとしても抗いようのない、真なる魔術師殺し。

 生み出した一つの《光蜂》を走らせて、即座に転移の術を構成。

 目算で出た先には


  ──────父の顔があった。


 言葉もない、コンマ数秒の邂逅。

 自分の足元から《光蜂》は追いかけてくる。

 それが父を飲み込む前に向こうでも完成した《ウィングス》で軌道から逃れられ決着に至らない。


「っっっっっっっっっ!」

「しっかりしろ」


 速度をあわせて受け止める。


「っわ、え!?」

「《ウィングス》じゃ二人分支えられないんだよっ!」

「あ。

 え、うん!」


 余裕を取り戻したマルティナが《ウィングス》の構成を完成させ、自ら浮力を得ると同時に上方へ加速。


「っわ!?」


 ちらり背後を見れば地面までもう幾ばくもない。

 一歩間違えれば自分を地面に叩きつけるところだったと冷や汗を流す。


 父の姿を探し、そして一瞬にしてそれを忘れてしまうほどの脅威が頭上を薙ぐのを見た。


 ……さっきから何をしていると思えば……!


 天空を二つに割った光は雷撃。

 それを辿れば、化け物の姿があった。

 伝説にありし九つ頭の竜。

 まさかそんな物を見ようとは─────────




「キャスト────意思持て舞え魔竜の牙 貫け 《竜牙》」


 今思えば、これが竜の頭を模している事は天啓であったか。


「キャスト────意思持て舞え魔竜の牙 貫け 《竜牙》」


 脳裏に描く構成が二つとなり、共に最後の一線でその形を維持。

 別に難しい事じゃない。

 即座に9もの《アイシクルランス》を生み出すフウザーに比べれば手すりに捕まって階段を昇っているようなものだ。


「キャスト────意思持て舞え魔竜の牙 貫け 《竜牙》」


 三つ目の構成。

 そこで一つ息を付き、轟音を遠くに聞く。

 敵わぬとは百も承知で、あの少年は挑んでいる。

 できるのであれば己の手で決着を付けたいだろう。

 だが、その業は重いと改めて思う。


 ────大空タイクウに我は汝の姿を描く────!


 ばちりと、空気が啼いた。


 ────の神よ我に伏し 万条の魔手を解き放たん!


 紫の光がティアロットの周囲を渦巻き始める。

 それは雷撃。

 詠唱の通り幾つもの小さな紫電が、万条に生まれ、少女の体を隠していく。

 それは魔の象徴とされる力────人の築いた魔術の歴史に雷撃を生むものはない。

 伝承に刻まれるそれはアークデーモンやモルロの扱う《サウザンドサンダー》や、雷竜の扱う《サンダーブレス》に近い。

 それを『神鳴り』とは皮肉な名前と思う。

 一説によると、神と魔の対峙に措いてその身に纏う力と力のぶつかり合いで大気が啼いた音を指したらしい。

 天空からの稲光。

 その轟音を神威と考えた人々が呼んだとされる。


 土煙が電磁の波に巻き込まれ渦を巻き始める。

 牽制か、光が降り注ぐが、その全ては細かい雷撃に弾かれて彼女に届くことはない。

 電気の流れは強い力の流れを生む。

 魔力によりその流れを強められて一種の防壁と化しているのだ。


 転移反応。

 どうやらマルティナが動いたらしい。

 あの小僧、どんな顔をしている事やらとほんの僅かな笑みを浮かべ─────


「─────リリース」


 九の魔力弾が同時に発生。

 その全てが雷撃の繭を食い破らんばかりに空へと。


「吼えよ─────《九頭龍》」


 龍の頭が雷撃を纏い、九つの頭が長き首を伴う。

 蠢くそれは伝説の魔龍そのもの。

 奇しくも天に舞う胴長き龍と同じ東方の神獣。


 《サウザンドサンダー》をベースに作り上げたその本質は─────


 ぎぅぅううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!


 ぎょろりと、九つの頭が天の龍を向いた。


 ぱかりと開いた口腔でイカヅチが渦を巻く。

 そこで巻き起こった空気の軋みがまるで巨竜の嘶きを思わせる。

 刹那───────吐き出される九つの光が天空を割った。

 その先にあるは同じく竜。

 目にはあまりにも眩し過ぎる光が《光竜》の体を削り取る。

 それはまさしく雷纏し竜が放つ《サンダーブレス》。

 生成した雷撃を《竜牙》の口腔に設置したエネルギー偏差からなるレンズで収束。

 静電気で螺旋回転を与えることで拡散を抑えたブレスを吐き散らす。

 同時に生み出し続ける電撃は、竜の鱗もかくや、外部から干渉を弾く障壁ともなる。

 それが複合魔術《九頭竜》の姿であった。


 一瞬の魔術で撃ち負けるのであれば、永続すればいい。


 もし相手が強烈な一撃を生み出す魔術の使い手ならば、この障壁は余りにも無力だろう。

 だが、相手が細やかなる光の群れであるからこそ、これを突破するのは至難。

 かねてより死者の宮殿にて探索し、モルロやアークデーモンの《サウザンドサンダー》を解析した結果組み上げた雷撃魔術を今回のために更にアレンジした魔術こそ、この《九頭竜》であった。


 ぎぅぅううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!


 まるで光の大剣。

 大上段から振り下ろされる光が《光龍》の胴を真二つに切り裂いて無人の荒野を穿った。

 続いて渦巻く雷撃が幾条にも天空を薙ぐと、その威もさることながら制御を失った《光龍》が散り行くさまをうかがわせる。

 《ディスペルマジック》が発動した事を悟って脳を活性。


「我、そを探り 全ては我が眼に 《魔力感知》」


 《ウィングス》らしき反応を三つ確認。

 うち二つが近い事を感じて残る一つに狙いをあわせる。


 ぎぅぅううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!


 冗談にしては悪趣味で、悪夢にしては醜悪な、まさしく死の一撃が次々と大気を焼いては残光を残す。

 後に残る奇妙な匂いは高圧で大気を焼いた名残だ。

 異界の科学に通じたアルルムであるなら、それを指してイオン臭なる言葉を告げたかもしれない。


「我、そを探り 全ては我が眼に 《魔力感知》」


 この魔術の弱点を挙げるであれば、電磁の障壁に遮られ、視界を著しく妨げられる事だろうか。

 だが、元より超遠距離戦闘。

 マルティナが悲鳴を上げた複数同時の構成維持を続け魔術の目を飛ばす。

 新たな《光竜》が生まれないのを確認しつつ魔力探知を密に放ち、牽制の雷撃を絶やさない。


 だが、そろそろ悟る頃だ。

 この必殺の魔術も個人対個人の魔術戦においては決定打になりえないと。

 もしも相手が軍隊ならば、この《九頭竜》の姿は強く威圧し、ブレスを全て叩き込む事で壊滅させる事ができるだろう。

 しかしウィザードの称号を冠し、畏敬される男を捉えるには魔力感知をした上でのブレスでは余りにも遅すぎる。

 増してや無尽蔵の雷撃など生み出せるはずもない。

 時間を追うごとに維持するために魔力が搾り取られていくのを感じながらティアロットは終盤戦へと移った事を悟る。




 魔道を極め、ウィザードの名を与えられた者として、戦慄を禁じえない。

 世に禁術とされるものは少なくない。

 そのほとんどは、人道的見地によるものだ。死霊操術や毒ガスを精製する魔術等が挙がる。

 実に9割以上は人民の反発を回避し、魔術に対する恐怖を人に与えすぎないために禁呪としている。

 だが残りの一割の禁呪は別の理由からなる。


 不可能魔術


 理論上存在を示唆されながらもその構成を未だ誰一人として完成を見ない────数多なる者が挑戦望み、失敗の果てにその心身を著しく損ない続けた魔術に冠されている。

 雷撃の魔術。

 それは古代から営々と受け継がれてきた魔術の歴史において人の身に許されぬとされてきた。

 理由こそ不明だが、扱えるのは魔族と竜族に限られるとされてきたのである。

 術構成を僅かに感じる限り、あれはそのどちらともの残滓が見える。


 竜語魔法、魔族魔法、コモンマジック……その全てを融合せしめて不可能を可能にしたか────!


 これを天才と言わずして何とするか。

 ただ漫然と才能に溺れていては決して不可能な。

 どれほどの月日を費やし、身を削って得た知識だろうか。

 見た目は童女だが、その実は齢数百歳にも及ぶバケモノかもしれないと想像が働く。

 自分やオリフィック・フウザーのような創造の才でない。

 既存の知識と技術を新たなものへと変貌させる才能。

 出撃の際、あの男が背にかけた言葉を思い出す。


「ああ、そうそう。

 どうも先皇が最後の一矢─────どうやら彼女の手によるものらしいよ」


 皇帝ガズリストの最後の情念。

 南の肥沃なる土地を求めた最後の一矢。

 難航不落とは言わずとも、しかし落とされてなお時間を稼ぎ、長きに渡ってバールの夢を阻み続けたデスバレー城砦を騎兵数百、工兵一万で落として見せた奇劇。

 しかも両軍あわせての負傷者が千を超えぬとあっては冗談にも程がある。

 『鬼姫が残した最後の軍略』とも、今際に瀕してなお南を求めた野心にバール神が授けた知恵とも言われるそれは、形こそ違えどもバールに肥沃な土地を齎す結果となった。


 今、彼女が私と戦うは、ここに得た安寧を守るためか。

 魔術師ギルドの簒奪を邪魔立てしたのはそこに正義がなかったからか。

 絶え間なく浴びせ掛けられる雷撃を避けながら眼下の、魔龍を睨み見る。

 己が正義とあくまで言い張るか─────!


 《E2S》という存在が人の在り様を侵す事は百も承知

 サン・ジェルマン公を暗殺せしめた行為に正義がない事もだ。


 だが────正義にいかほどの価値がある?


 魔術師ギルドを掌中に収め、四カ国からなる大連合がアイリンを潰していたならば、バールは新たな時代を迎える事ができたはずなのだ。

 それほどまでに正義を重んじると言うならば言おう。

 バールは未来その限界を迎えると。

 魔を討ち果たし、アイリンとの和平を成して手に入れた安寧こそ猛毒であると。


 何故焦がれるほどにバールが南を目指したか。

 それは識人となって、そして皇となって権力の座にあればこそ、未来を見てしまうからだ。

 安寧は人に安らぎを与えるだろう。

 与えられた安らぎは人を増やし、そして国が限界を迎える。

 厳しい冬、大海でさえひれ伏す極寒の地でどれほどの食料生産が望めると知るか。

 このまま仲良しごっこを続けるならば、いつか起こるであろう飢饉が国を殺すだろう。

 仲良しごっこは所詮ごっこなのだ。

 友愛を模した援助は猛毒と共に送られる。

 そして永劫の負債となって更に国を蝕むのだ。

 正義を語ろう。

 我は中立を謳う魔術の徒。

 されど国を愛して何が悪い。

 国の未来を憂いて何の義がある。

 我らはその思いに集い、そして最善の策としてギルドの簒奪を狙ったのだ。

 いずれ億にも至ろう国民の、永遠の安寧こそを祈って。

 神々でさえ、世界全ての人間を幸せにする事敵わぬのだ。

 神ならぬ身で、愛すべき国の徒に未来を齎して何が悪か。

 犠牲のない世界は無い。

 選ばねばならないのなら、せめて目前の、愛すべき人たちを守りたい。

 それこそ正義でないか。


 我らはその思いを秘して、誇るべき魔力を封印された。

 これ全て功名を求めるが故の暴走とすれば、国に責を問われないからだ。

 だがこの痛みは消えない。

 我らがただ悪であると、盲目の愚者に胸貫かれる痛みは消えはしない。

 驕るな小娘。

 分け隔てぬ愛にどれだけの価値があるか。

 志ない正義にどれだけの意味があるか。

 私はお前を恨み、憎しむ。

 お前の行った正義の犠牲者として、お前をこの世の何よりも嫌悪する。


 私が守ろうとした国の、敬意を表すべき『牙』を私に向けた事に憤怒する。


 そして何より ──────

  何よりも────────────


 我が愛すべき息子を我が敵とした事を

 私は絶対に許さない。




 《九頭竜》は正しく分類すればフィールド系の付与魔術になるだろう。

 首を作る事で全方位への攻撃を可能としているが、本体は陣を敷いた場から動く事ができない。

 胴の中、少女が中央にして円形に魔法陣が淡く輝く。

 これが術者から魔力を吸い上げ、雷を生み出し続ける仕掛けであると共に発生した電気に流れを与えて防壁とさせている。

 さて、とティアは呟きを洩らす。

 《九頭竜》が座する限りもはや《光竜》を生み出す愚は冒さないだろう。

 それは自分の場所を知らせるだけ。

 しかも9の頭から放たれる雷撃がそのほとんどを食い尽くしていく。

 そうなれば手段は限られる。

 一つはこの雷の障壁を破壊せしめるほどの高威力魔術による粉砕。

 かの天才が放つ《ホーミング・レーザー》であれば容易く胴を破って内部まで死の弾丸を届かせるだろう。

 内部を晒していない以上、《スプリッツア》の心配はあまりないが、要はどんな魔術でもかなり危うい。


 ネタばらしをしてしまえばこの《九頭竜》は対トラクルス・ザラッド専用、しかも周囲に何もない荒野限定の魔法なのである。

 《光竜》の正体が威力を細分化し、数を増やした力の群れだからこそ他の魔法障壁よりも脆弱で、しかし目減りしない電磁障壁が意味を成す。

 元々考案していたのは《三頭竜ヒュドラ》。

 これには防壁の胴はなく、収束した雷撃を放つという特性しかない。

 わざわざ無理をして頭を九つまで増やしたのは外観による威嚇に過ぎないし、光の群れを焼き尽くすためには何度も作り直すわけには行かないからこそ電撃発生の陣を敷いた。

 言わばはりぼてである。

 魔力を振り絞っての大魔術の目的は相手の《光竜》を封じる事、そしてこの《九頭竜》に対して対策を取らせること。

 どこだと探さんばかりにブレスを撃ち、同時にティアは胴を抜ける。

 ばちりと周囲がはじけるが、身に纏った魔法防壁は充分にその威力を受け止める。

 マジシャン級の魔法障壁でも充分に突破可能な程度である。

 九つの頭の制御をなるべく単調にならぬように自動化。

 この状態ではもはやブレスを吐く事は不可能。

 できたにしても、もし放ってしまえば、最早追加の供給はないのだからその身から雷撃が不足したことが一目でわかってしまう。


 詰めを始めよう。


 思考の中でも口は呪を紡ぎ、魔力探知の詠唱を繰り返す。

 数多やりとりを経て、追う者、追われる者は逆転した。


 魔術の反応が膨らむ。

 まばゆいばかりの光は幾条からもなる《ホーミング・レーザー》

 あれだけ追い立てられながらそこまでの構成を組んだか!


 されど──────────────




 遠くで少年もその光景を見上げる。

 降り注ぐ光の槍が九頭の魔龍を刺し貫く時。


「意思持て舞え魔竜の牙 貫け 《竜牙》」


 相対して天へと昇る三条の力が終盤戦の合図となる ─────!


 三つの魔力弾は刹那で距離を食い破りトラクルス・ザラッドへ肉薄。

 だがすでに展開していた魔法防御で弾き去る。


「──────っ!」


 反逆者なるウィザードは構成を緩めず驚愕を浮かべる。

 ティアロットの力量を見誤ったつもりはないが、予想を遥かに越えて魔法障壁を食い破ってきた。

 まるで威力が格段に跳ね上がったような───

 だからといってここで再度魔法障壁を張り直す選択肢はない。


 敵はあの雷撃魔術の陣を放棄した。

 何故だ?

 今の魔術は別所から生まれた。

 刺し貫き、崩れようとする魔龍の中に術者が居ない。

 あの魔術は役目を終えたということ……では、役目とは?

 戦場はどう変異したか?


 天才と謳われる脳が疾駆。

 そして一つの回答へと収束。

 即ち─────《ミリオン・レイ》を封じるための心理誘導!

 不利を悟って戦術を変えることこそ、狙い。

 ならば、至るべき結論は容易い。

 刹那の構成。

 それとほぼ同タイミングで光が取り囲む。


「ティーエンか……!」


 構うまい。

 更に圧倒する光で身を包む。


「させない……!」


 声が届くほどの至近で、光が疾走し、確実にこちらの術構成を打ち砕いていく。

 信じられん。

 今始めて見た訳ではない。

 この戦いが始まってから、この光景は何度となく見せ付けられた。

 術の構成……違う。

 リーダーとなる個体とのパスを狙っている……。

 そんな事が可能なのか?

 否、可能であるからこそこの光景が展開されている。

 操作する光の数は比較にならないほど少ない。

 だが……この制御は……


「十ほどを一単位と見るか……!」


 感嘆が喉を突く。

 ならば制御の難易度は自分と同等。

 僅か一年足らずでこの高みまで来たかと、背が震える。

 だが、それ故に余りにも─────余りにも!


「ティーエン、聞け」


 光を光で撃墜しつつ、トラクルス・ザラッドは息子を真正面に捕らえる。


「その技、その才、感嘆に価する」


 ほんの僅か、少年の必死の表情に驚きが混じる。


「気が変わった。

 もしお前が私を未だ慕うであれば……私と来い。

 ならばこの場は矛を収める」

「……っ!!」


 声を出す余裕もないか。

 しかし、その表情に浮かぶ怒りを見てトラクルス・ザラッドは目を細める。


「っざけるな!」


 一拍の間を置いて、搾り出した怒声に押されるように、光が速度を増す。


「どの口が今更……今更そんな事を言う!!」

「今ならお前が、私と並んで歩けると考えたから言っている。

 昔のお前では我々に付き並ぶことすらできなかっただろう」

「だから捨てたと」

「……捨てた。

 そう思われていたか」


 帯びる哀愁に心が軋む。


「違うと言うなら……投降しろ、トラクルス・ザラッド!

 オリフィック・フウザー師はお前を封印処分としたが、命までは追っていない!」


 激しい憤りに目が霞む。


「帰ってくれば良かったんだ! なのに……」

「だが国には裏切られたのだよ」


 冷たい響きが加熱する光の乱舞の中を往く。


「バールは我らを切り捨てた。

 我らばかりでない。

 古より続いた歴史ある皇家の一つまでも世から消し去り、アイリンに屈したのだ」


 生み出した光を密にして、子の操る光を押しつぶす。


「予言しよう、ティーエン。

 この国は遠からず衰退の道を行くだろう」


「世迷いごとを!」

「聞け。

 これは最後のチャンスなのだ。

 ここでアイリンに膝を屈し、南下の夢を捨てれば遠くない未来に……必ず起こる」


 淀みない、智の極みに近き者の言葉は神託にも等しい重さがあった。


「大罪であろうと、成さねばならぬ。

 そして何より────────────」


 周囲を取り囲む光が全て薙ぎ払われる。

 トラクルス・ザラッドは振り返りながらその姿を冷たき炎宿る瞳に捕らえ、吼える。


「世界を緩やかに殺す魔女、貴様を殺さねばならぬ!」


 時間稼ぎは百も承知。

 故に誘い込まれたのはお前だと、杖の先を向けた。


「フェンリルか」


 わかったところで遅い。

 これならば、いかに頑強な魔法防御を展開していようと、抗する手段などない。


「わしが世界を緩やかに殺す事は否定せぬよ……」


 されど、と小さな唇が形取る前に、杖に魔力を注ぎ込む。


「拙速なる淘汰で失われる命が未来を殺す事と同義と、思うてはならぬのかえ?」


 返答など不要だ。

 生み出された三つの刃は少女の体に殺到。


「人は、神以上に創造し、未来を作れる生き物じゃろう?」


 死を前にして、少女の表情は平坦───


「が……」


 歪み。

 正にそうしか言いようのない揺らぎを見た瞬間。

 四つの衝撃が立て続けに身を襲う。


「《魔理反法》……だと」


 最初の衝撃は背。

 ティーエンが体当たりをして体を逸らしていなければ、その刃は頭と胸を貫いて速やかなる死をこの身に刻んだであろう。

 杖と右腕はどこかに飛んでいった。

 反撃するには体が重過ぎる。

 なんとか持ち上がった視線で悠然とたたずむ少女を睨む。


「世界が安定すれば、これまで隠さざるを得なかった技術も使えよう。

 『賢者の石』然り、竜や魔の力も然り。

 神に等しき魔の王すら人の身は退けられるのじゃ。

 抗って得ればよい。

 そのための『智』じゃ」

「夢に、空想に縋れと言うか」

「南進も夢に変わりあるまい。

 それに、わしは見たぞ」


 不用意にも、ティアロットは振り返る。

 まだこの身に宿る魔力の全てを持っていくらでも殺せるというのに。

 体に力が籠る。

 だが籠る故に、自分を支える手を強く感じた。


「バールの農業技術は素晴らしい。

 寒さに、病に強い種を試行錯誤で作り上げておる。

 それはやがて世界を助ける一手となろう。

 権力者が夢に現を抜かしておる間にも、人は生きようとしておるのじゃよ」


 再び頭を此方に向けるまで、結局動けない。


「それを踏み躙ってまで戦をしようとする馬鹿者の頭を引っぱたくくらいしか、わしにはできんからの」


 戦場の土ぼこり全てを一掃するような風に目を細め、少女は自嘲じみた笑みを零す。


「研究所に籠って未来を悲観しすぎじゃな、魔術師は。

 たまには人に触れて未来を語ってみよ。

 わりと世界は悲しみに暮れてないことくらい、容易くわかるよ」

「…… 父上。

 俺も……そう、思います」


 声は後ろから。


「父上の人形の技術……これを発展させれば人の身では厳しい土地でも作業ができる。

 他にも……バールの民を助け発展させる力があるはずです」

「私が……拙速に過ぎたと……お前も言うか」

「……言います。

 そして……今こうして父上と話していなければ。

 俺は父上をただの暴虐の徒と思い続けていました」

「……それは」


 体から、確かに力が抜けたのがわかった。


「余りにも、報われぬな」

「……はい」


 その光景を見つめながら、ティアはゆっくりと手を上げる。

 空に上った《ウィル・オー・ウィスプ》。

 戦いの終焉の目印。

 それを放ってから遠くを見る。

 さて、上手くやっているだろうか。




「第十三分隊より報告。

 オーランド川を挟んで両軍対峙とのこと」

「第二十七分隊より報告。

 エーシャク伯軍は予定通り街道を南下。

 間もなく領首都陥落の伝令が入ると思われます」

「第八分隊より報告。

 マイルズ男爵の動き未だ無し。

 市街での混乱を未だに収められない模様」


 次々に挙がってくる報告に安堵以上に頬が引き攣る。


「冗談じゃねえなぁ」


 僅かに首を巡らせれば自分と同じような顔をしている男が居た。

 バールの暗部にその名を馳せる『黒糸使い』。

 腕を組み笑みを顔に貼り付けている。


「全くだ。

 こうも我が軍を封殺されてしまっては……。

 試算だと青の機動力を以ってすれば二ヶ月で首都まで兵を進められるらしいよ?」

「ご愁傷様。

 明日から地獄だな」

「……まったくだ」


 全領内の街道整備や拠点の防衛力強化。


「まさか、彼女から最初に貰った防衛プランをほんとに実施するハメになろうとはね」

「しかし……そんなんでいいのか?

 仮にもここは戦略の専門家集団だろうに」


 ディクワン一等書記官は真剣な顔つきのまま、手の中のファイルを見つめる。


「もちろん手直しをする箇所は存分にある。

 でもこれをベースにする価値は、彼女が我々の諜報では決して入手できない内情を元にしているところにある」


 ルーンナイトや魔道アーマーの数。

 実質的に利用可能な部隊数。

 青の進軍速度やその後に続く緑や白の展開方法。

 各軍の特徴的な布陣。

 その全てを考慮した結果、実にいやらしいところに町や砦を配している。


「あの子は世界中を鎖で繋ごうとしているな。

 どこかが動けばみんな引っ張られる。

 どこかが沈み始めてもみんなで牽引する」

「統一王国でも復活させるつもりなのかね」

「さてね。

 魔王にはなりたがってるらしいが。

 まぁ、今回の動乱で色々と壊したからな。

 道を整備したり砦を作り直すのに他国からの警戒も少ない。

 アイリンからは早速支援の声が来ているそうだ。

 目敏い」


 一等書記官は慌しく報告と指示を繰り返す部屋の中を見渡して頬杖を突く。


「さて、詰めの時間だ」


 視線は遥か南へ。




「どういうことだ……!」


 一切の余裕を失って、男は机の上に広げた地図に拳を打ち付ける。

 ありとあらゆる進軍が足止めされていく。

 計算ならば間もなく主要な地点を制圧し、要求を突きつけるところまで達していたはずなのに。

 だが構わない。

 自分の膝元に抱え込んだ諸国の要人。

 これがあればチェックメイトはいくらでもかけられる。


「お、オフレンド侯!」


 オルフレンド・マイス。

 アンライズと名乗りしオルフレンド侯爵家の跡継ぎの前に血相を変えた私兵が飛び込んでくる。


「今度は何だ?!」

「式典会場の制圧に赴いた一個大隊が……壊滅しました」

「なっ!?

 馬鹿な。

 大隊戦力がどうして警備兵程度に!」


 差し向けた兵は約六千。

 要人の護衛だけにそれに抗える兵数を確保しているとは到底考えられない。


「警備兵ではありません!

 『氷の牙』です!」

「……っ!?」


 どういう化学変化が起きればここで『氷の牙』が出てくる?

 いずれ牙が差し向けられることは予想の内だ。

 各地の混乱を制圧すれば武はここに集まる。

 だがその時には武のやりあいは終結し、交渉の時間に持ち込めるはずだった。


「トラクルス・ザラッドはどうした」

「『氷の牙』により撤退。

 ジャスモート北端で彼らしき魔術の光が観測されていますが未確認です」

「何がウィザードか、所詮は負け犬が……!」

「それはお前の頭にも冠しよう」


 扉が開いた。


「もう終わりだ。

 マイス」


 その声に、顔が怒りに引き攣る。


「誰だ!

 コイツを解き放ったのは!」


 違えることはない。

 やつれの見える己の父を見て叫ぶ。

 新体制に尻尾を振り、弱きバールを是とした売国奴。

 カーンと言う主君の死を仕方なしと切り捨てた男。

 だから投獄されて当然の─────


「私だよ」


 その後に続いた声に、空気が凍りつく。

 報告に来た男は思わず膝を付き、それを見た周囲全ての者が同じく膝を屈する。


「アシュル……!」


 間違いない。

 宰相アシュル。

 カーンを潰した一人。


「父上……いや、この不忠者!

 何故アシュルなどと共に居る!」

「お前の闇が暴かれたからだ。

 息子よ」


 左手は剣を探る。


「終わりだ。

 バールは変わるのだよ」

「黙れ!

 黙れ黙れ黙れ!」


 椅子を跳ね飛ばし、剣を手に。


「っがっ!?」


 その両手が刹那の時間で拘束され、頭を執務机に叩きつけられる。

 何時の間に背後に回ったかすらわからない。


「オルフレンド・マイス。

 君を国家反逆罪で逮捕する」

「俺の行為が国家反逆罪と言うならば、連綿と続いた国を挫いた貴様こそが、反逆の徒ではないかっ!」

「……」


 アシュルは応えず、ただ「連衡しろ」とだけ囁く。


「応えろ! 何故カーンを……何故殺したっ!」


 氷のような冷徹な表情を変える事なく、また横を通り過ぎても振り返ることもなく。

 連衡される青年の声だけを耳に刻む。


「……数々の無礼、また我が身の不甲斐なさ。

 謝して済む問題ではありません」


 老い、疲れた声が支えられた老人から漏れる。

 投獄の疲れか、それとも目の前で息子が連れて行かれたからか。

 十も二十も老いた男は介助を辞して、頭を擦り付けるように床に伏せる。


「我が身を以って償いましょう。

 されどこれ全て我ら親子の不徳。

 家臣ならびに領民全てに非はありません。

 どうかどうか御慈悲を」

「わかっています」


 溜息を押し殺したような答え。


「あなた方二人の責を問わぬわけには行きません。

 が、ここは私の直轄領とし、安定した政治を行うためにも家臣の方々には非を問いません」

「温情まことに感謝いたします」

「では、戻りましょう。

 ……領民は私よりも貴方を待っているのだ」


 はっ、と老人は顔を上げる。


「皇帝共々若く非才の身。

 責を取って侯爵位の返上を求めますが、貴方には相談役として私に仕えてもらいたい。

 長くアイリンからの盾と矛として仕えた身、今しばらくここにあってもらえまいか」

「……もったいなきお言葉……老骨に痛み入ります」


 場を収めて、若き宰相は報告を思い起こす。

 全ては思慕故の復讐か。

 国とは何と脆く、思いとはなんとも強いものか。

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