幕間 ハザマの囁き
「のう、黒糸使い?」
部屋を辞した少女が不意に声を放つ。
「……なんだ?
というか、勘だけで所在を予想されると密偵として傷付くんだが」
「勘ではなく、ただの予想じゃよ。
必然に基づいた」
舌打ちと共に、男は壁に背をあずけて腕を組む。
「ぬし、どこの者じゃ?」
「親愛なる皇帝陛下に仕える一臣民だが?」
「で?」
間を措かない問いに「かわいくないな」と悪態を付く。
「どこなら良いんだ?」
「アシュルならばまだ良い」
間を措かない返答に僅かに眉根を寄せ、
「皇帝を差し置いてか?」と皮肉気に言えば
「あれはしかと『皇』じゃ。
故に不用意な力なぞ知らぬ方が良い」
やはり迷いなく応じる。
「は、天下の五大王国のトップに対してどれだけ上から目線なんだよ」
肩を竦めて鼻で笑い「そうもいかんだろ。あれは王が知らなければならない力だ」と呟く。
「まったく、難儀じゃな」
「お前に比べればよっぽどわかりやすいけどな。
だがお前さんの希望通り、アシュル様経由で耳に入るようにしておこう」
あっさりととんでもない事を言うが、少女は「ふむ」とだけ呟くだけだ。
「それで、『人質』への対応は?」
「俺の仕事じゃないがね」
前おいて黒糸使いは腕を組む。
「すでにアシュル様の耳には届いているよ。
ついでに伝言だ。
『希望を抱いた人々の未来に愛を』だそうだ」
「『やりすぎるな』かぇ?」
それは相手に言ってもらいたいと思いつつ、予想される相手の魔術性質を鑑みて納得する。
フウザーといい、自分といい。
やたら派手な魔法が多いに嘘はない。
ただそれは敵に向けられる物だ。
苦心して作った村や畑に向けられてはならない。
「努力はしよう」
少女は嘯いて体を中空に躍らせた。
「ねえ、アリスさん?」
青年の軽い言葉にハーフエルフの女官は顔を上げる。
「何でしょうか?」
名はエクメール。
シェルロットの補佐役を務める優男だ。
「お嬢様と近くの村を回らないかい?
ほら、視察ってやつさ」
「唐突ですね」
確かに唐突だ。
収穫祭を明後日に控えたこの時期に思いつく話ではない。
「ほら、お嬢様の準備も終わったしさ。
気分転換も兼ねて」
「賛同したいところですが」
アリス───ファフテン家に仕えるハーフエルフの女性は表情を変える事なく首を振る。
「すでに耳に入っています」
数秒の間。
やおら青年は「あちゃぁ」と頭を抱えた。
「ったく……親子揃ってなんでああも融通が利かないんだろうねぇ」
「それ故に獅子賢と称されるかと」
違いないと苦笑し、あきらめたように椅子に腰を放る。
それから少し考えて、青年は持ち前の美形を最大限に引き締めて手を伸ばす。
「アリスさん。
僕は君を死なせたくないんだ! 僕と一緒に逃げよう!」
「お断りします」
コンマ一秒の即答に、
「ですよねー?」
すぐに相好を崩してにへらと苦笑。
一切のやり取りに無感動を貫いて、アリスは言葉を継ぐ。
「それに、明日にはアシュル宰相閣下がこちらにいらっしゃいます。
警備の具合からして下手に逃げるより安全と見るべきでしょう」
「……そりゃぁね」
皇帝になるだけの器を持ち、現皇帝の盟友であり、そしてこのバールの宰相である男の警備が緩いはずがない。
「俺だっていろいろ考えたんですよ?
けれどもここでドンパチするのは追放魔術師と世界塔の主と、それからあの木蘭の秘蔵っ子……
流れ弾一つで消し炭になるのに護衛がどうって話なのかなぁ」
エクメールの分析は正しい。
その上でアリスは何でもないように応じる。
「だからこそ、逃げると言う選択肢はファフテン家にありません。
ファフテンの者は例え千の敵に囲まれようとも文官として交渉するためにテーブルにあるのです」
それは武人の心構えだと青年は失笑。
だが、女性の言葉には若干の揺らぎもない。
「万の刃に晒されようと、怯えで舌鋒を緩めることはありません。
逆に、万の刃に守られねば話ができない相手の小心を食い破るのが在り方です」
知識の神に仕える女性は、澄んだ水面のような雰囲気を揺らがせもせずに手にしていた書類をたたむ。
「でも、相手さんは最初っからテーブルをぶち壊すつもりみたいだけどねぇ」
呆れ混じりの言葉にアリスが眉根を寄せる。
「その言葉は旦那様の前では控えるように」
「え?」
次の書類を手に取り、流し読みながら可憐な唇は僅かな溜息を乗せる。
「アイリンの交渉相手はバールであり、テロリストではありません。
テーブルで対峙を待つのはアシュル様です。
彼はテーブルに着くためにこちらに向かっているのに、我々だけが逃げるという選択肢はない。
そういう話ですよ?」
成る程と呟き、頭の中を再構築する。
緩くだらしない青年だが、ただそれだけでファフテンの家に出入りなどできはしない。
「テロリストはただの舞台であり、背景か。
まずはそのテーブルに着け、と」
ハードだねと青年は笑う。
武官はよく仕事の危険度を持ち出して虚勢を張るが、それが余りにも見当違いだと思い知らされる。
武官は確かに命を張る。
だがその背後には多くの兵を従えるだろう。
だが、文官はたとえ丸腰であっても刃の只中へ歩を進めなければならない。
否、丸腰でなければならない。
交渉とは刃では成せない。
力を持って成すは交渉でなく、脅迫に他ならないからだ。
そして同じ利権を生むにせよ、脅迫は負の感情を生み出す。
それは後に諍いとなって国を蝕むのである。
頼れるのは己の知識と舌鋒。
そして鋼の心のみ。
「なんとも厳しいね」
「厳しいですよ」
事もなげにアリスは応じる。
「私も旦那様に会って、武官の方が気楽だと思いましたから」
気楽、という言葉に妙なおかしさを覚えて青年は爆笑する。
余りの笑いっぷりに気を損ねたか。
しかしアリスは不機嫌も一瞬に留め、主の到着を待つ。




