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大樹そびえる平原の雨  作者: 神衣舞
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序章 若き賢者と古きヨクボウ

 幾千万の命が大地に蠢く。

 さまざまな宿業を抱き、その一生を全うしようとして。

 人は英雄を褒め称え、貴族の優雅な生活に憧れを抱く。

 英雄は穏やかに暮らす者を眩しく見つめ、貴族は自由に生きる民を横目に生きていく。

 幸せな人生が何であるか。

 きっと本当に何一つ不自由なく幸せであるということはありえないのだろう。

 だから人は自分で目指す先を定義する。

 夢や理想を描いてそこにどこまで近付けたかを心で計る。

 無限に広がる選択肢から、不要な枝を断ち切って、望む幹が太く大きく伸びるように。

 だが、人は幾千万居て、地面は有限である。

 時に触れ合った枝が干渉し合い、その方向を大きく歪めてしまう事がある。

 伸びようとした枝を枯らして、望まぬ方向に伸びることもあるだろう。

 これは大きな干渉に望む未来を遮られた者達の話。




 ティーエン・ザラッド。

 成人前にしてソーサラーの称号を受領した天才。

 だが今となっては彼を見る目は羨望と嫉妬ではなく、嘲り。

 『泥かぶり』────それが彼の別称。

 彼の父テトラクルス・ザラッドは魔術師ギルドの本懐に反し、世界塔の主であったサン・ジェルマン殺害に組するとともに、バールの覇道にその力を振るった大罪人である。

 その企みの一切に加担していなかったティーエン自身は罪に問われることはなかった。

 罪なき者を叱責する事を嫌う現魔術師ギルド長フウザーの意向のためだ。

 だが最も力を持っていた一派の壊滅、新たな派閥の台頭という背景の中、彼は『汚名』の象徴として日々侮蔑と嘲笑の中に居た。




 王都から数十キロ離れた荒野にその少年の姿があった。

 手にするワンドは上等なもので、それ以上に使い込まれた痕が染み付いている。


「招くは力 放つは光の矢!」


 生み出されるのはコモンマジック《マジックミサイル》。

 それをたっぷり一分は固定維持して、それから放つ。

 まっすぐ疾走する光。

 魔術士としての目を凝らせば少年と矢を結ぶ『糸』が見えたかもしれない。

 前に伸ばした杖をタクトのように振る。

 すると矢は突然起動を変えて天へ矛先を向け、飛翔。

 また杖を振れば少年へと回頭し、食いつかんばかりの勢いで距離を詰める。

 それに驚くことなく三度杖を振って少年の直前で光の矢は静止した。


「招くは力 放つは光の矢!」


 それをそのまま維持してもう一つ光の矢を招く。

 そして今度は二つの光を同時に操作。

 一見単純な作業だが、恐ろしいほど難度の高い技術である。

 いくつかのパターンはあるが、《マジックミサイル》は『対象』と『魔力の矢』をパスで繋ぐことで誘導性を持たせる。

 相手がどんなに逃げても繋がれた紐を手繰ればそこに辿り着く。

 一方彼がやっているのは『自分』と『魔力の矢』を繋いでの有線操作。

 自分と繋ぐことで魔力の減衰、自然消滅を防ぎ、当たるまで何度でも追いかける事を可能にしている。

 これの欠点は2つ。

 操作のタイムラグと操作そのものが非常に困難であることだ。

 要は石に紐をくくり、振り廻して当てるということを魔術的にやっているというべきか。

 石一つでも相手の動きを予測して振り廻す必要があり、二つならそれを同時に制御しなければならない。

 それ以上に一つの魔術を維持し続けるということは脳に凄まじい負担を掛ける。

 その維持も並列制御しているのだから、常人の脳で処理できるレベルではない。

 少し制御を乱せばフィードバックで脳が焼き焦げる可能性だってある。

 狂気じみた制御を延々続け、たっぷり十分経過したところで二つの矢をぶつけて威力消滅させた。

 荒い息が白く視界を曇らす。

 じっとりとかいた汗が湯気となって立ち上る様はどれほどの困難さだったかを物語っていた。

 これは彼の日課だ。

 自殺行為にも等しい限界ギリギリの魔術制御を毎日人知れず続けていた。

 彼は生まれながらの天才ではない。

 ウィザードという魔術師最高峰の称号を持つ父をプレッシャーにして血の滲む修行を続けていただけだ。

 父が追放されてからは汚名の返上が更なる重責となった。

 誰にも批難されない力と高潔な意思を得る。

 彼の目指す先はいつしかその点に集約されていた。

 息を整えて再度同じ制御に望む。

 栄光なる道から突き落とされた少年は、暗い未来から這い出る夢だけを見続けていた。

 あまりにも不毛で、そして報われない道だとは決して考えないようにして。




「ふむ」


 ずんと重い音が耳の痛くなるほど静寂に満ちた書庫に響く。

 一冊一冊が人間一人生涯をかけて研究し、まとめたものだ。

 羊皮紙を使用していることもあり、その重さは半端ではない。

 手書きの記述には悩み、惑い、絶望がひしめき、ほんのわずかに喜びが入り混じっている。

 無論報われぬままにその命の果てを感じ、未来へ自分の夢を継いでくれる者を望んで終わるものもある。

 もっとも、有限なる己の時を恨み、他者の才能を妬む方が圧倒的に多いのだが。

 膨大な先人たちの『結果』を少女は繋ぎ合わせて形を求める。

 彼女は恐らくこの歳にあって世界で有数の読書量を誇るだろう。

 この二年、暇さえあれば本をめくり続けている。

 ただの技術書や研究記録ならば問題はない。

 だが彼女が求める書物の中には『魔道書』が含まれる。

 まず基本的に魔術師は己の研究を他者に知られる事を嫌う。

 故に記された文章はほぼ間違いなく暗号になっている。

 また、そもそも他者に開かれないようにさまざまな工夫を凝らす。

 魔法による施錠などは生易しい方だ。

 中には触れれば呪いを発動したり、本そのものが変形して襲い掛かってくることもある。

 さらに開放すればしたで魔術的な視覚毒や、読む事によって発動する強制魔術の他、ダンジョンのトラップが可愛く見える多彩な悪意が秘められている。

 極めつけはその内容自体が人智を超える『意味』を有し、読み手の許容量を純粋に圧倒する場合すらある。

 例えるならば、金貨を手に入れるスイッチを押したら数十万枚の金貨に圧死させられたようなものか。

 特に世界塔の禁書庫にはその手の本が山のように眠っている。

 そこを一年以上案内なしで読み漁っているのだがら命知らずもいいところだ。

 そんな少女────ティアロットが今居るのはバールの王宮書庫の一つである。

 スティアロウ・メリル・ファルスアレン。

 その名にかつて臨時的に与えられた『参謀本部所属三等書記官』の肩書のまま、そこに篭っているのである。

 無論少なくとも参謀本部の面々は彼女の素性を忘れたくても忘れられない状態にある。

 まともに考えれば彼らが仕事上抹消を考えなければならない有力候補の一人が、のうのうと目の前を闊歩しているのだから悪夢を通り越して溜息しか出ない。

 既にかの『新鋭軍略家によるデスバレー攻略』から半年近い。

 慣れというのは恐ろしいと参謀本部の面々は思い至っては苦笑を抱く。


「希望のものは見つかったかね?」


 不意に掛けられる声は40近い中年のもの。


「ないのぅ」


 そちらに視線を向ける事なく、応じながら花のような装いの少女はページを捲る。

「それはそうだろうな。

『竜』に『魔王』に『アイル神』。

 どれも一級品の禁忌だ」


 ディクワン一等書記官。

 名目上の上司で管理者である男は、もはや敵とみなす気にもなれない少女から視線を外すとゆっくりと周囲を見渡した。


「ところで第五期のデスバレー戦役の資料を見なかったかね?」

「左に四、奥へ十二の七段目から八段目じゃ」

「ありがとう」


 ポーカーフェイスを貫きながら座り込む少女の脇を抜ける。

 ここには書庫としては小さいとはいえ一万冊近い本が納められている。

 が、その大抵の位置をこの少女は把握してしまっている。

 それどころか司書が整理の方法を指南されて奥のほうで必死に作業中というありさまだったりする。

 探し物をしたいならこの少女に聞いたほうが早いと言う状況は、ここに眠る情報の価値を知る者としてはなんとも言えない気分だ。


「軍事演習かえ?」


 本を抱えたティアがふわり横に並ぶ。

 どうやら読み終わった本を戻すらしい。


「ああ、戦争するつもりがなくとも軍は遊ばせられないからね」

「本当に戦争がないならば、なんとも無駄な話じゃな」


 まったくである。

 軍事行動は例え演習でも大量の資材を必要とする。

 その兵站の調達やスケジュール管理などバックアップにも多大な手間が必要となり、結果的に金貨数千枚の予算が必要となるのだ。

 だが、軍とは『規律を持ち集団で行動できる部隊』だ。

 災害対応や治安維持、モンスターの発生などに対処するためにも不可欠と言える。

 訓練は欠かすことが出来ない。

 少女がその辺りを知らないわけがない。

 素直に災害対応や治安維持の部隊ではなく、『軍』でなくてはならない世界への皮肉というところか。


「それにしても、君の目的の記述についてはむしろ魔術師ギルドや神殿の記述を見るべきじゃないかな」


 目的の資料を手に取りながら一等書記官が問いかけると、少し離れた棚に本を戻しながら少女は肩を竦めた。


「さしも全ての本を読みつくしたとは言えぬが、魔術師ギルドの書物は探すのに厄介、読むのに一苦労。

 効率が良くない。

 しかも主観が多すぎて真偽が定まらぬ」


 魔術師が『変人』と言われるゆえんは書き記した書物にも色濃く出ているらしい。


「一方の神殿にある記述は虚飾の山じゃ。

 信仰上都合の悪い事実はその全て検閲削除されて脚色されておる。

 まるで吟遊詩人のサーガじゃな」


 吟遊詩人が歌を作る手法の一つとして『造詣が悪く、見るに耐えない顔』の英雄を『その面持ち魔をも祓う力を秘め』などと表現する。

 よく考えれば嘘とは言えないが、元を想像することは困難な言い回しをする。

 人類の敵として見られる魔族や竜族に対して『敵』『悪』という記述は山のようにあるが、その本質に触れた物はない。

 それどころか火山の噴火を『竜の吐息』。

 不正を働いた神官への糾弾騒ぎを『魔族の先導』と言い表すことすらあった。

 史実を知らねば神殿がどれほど絶対善なのだろうと呆れ返るほどである。


「正直魔術書の暗号より厄介じゃ」


 別にそれは神殿に限ったことではない。

 が、確かにここに集められた書物に関しては多少の事実隠匿があっても複数の書物を読み合わせればおおよそ正しいことは読み取れる。

 少女が床に広げている本は『聖戦』の記録である。

 この時期、人類は滅亡すらも未来に見据えていた。

 それ故に非戦闘員である研究者達は国に招聘され、ありとあらゆる『兵器・技術』の検証、開発を行っていた。

 中には百人に聞けば九十九人眉唾と言う技術すらもある。

 そこまで切羽詰っていたと言う事だが、そのために世の賢人が資料という資料をひっくり返したのは紛れもない事実だ。

 彼女の狙いはそれらしい。

 確かに自分で魔術書をひっくり返すより早い可能性がある。


「今更だが、それだけ頭に各国の軍事機密を詰め込んでいるんだ。

 危機感はないのかね?」

「確かに今更じゃな」


 気負う風もなく応じる。


「バールに限らず主要五国の軍事施設の場所、性質は頭の中に入っておる。

 無論現時点で変化しておるじゃろうが、この時勢に破棄はあっても増設はしまい」


 地図というのは戦争をする上で兵隊や武器を措いても重視しなければならない物だ。

 万軍を動員できても細い道しか知らなければ、また沼の位置や森の位置を知らずに進軍すればいかなる未来が待っているかは軍略家でなくともわかる。

 ほぼ間違いなく出回る地図には故意に間違えている部分がある。

 本当に正確な地図など戦略研究室等ごく一部にしかない。

 国の許しを得ない測量は違法行為なのだ。

 国以外に正確な地図など造りようがない。


「戦時ならまだしもこの時期ならば少し手間を掛ければ十分に調べることは可能。

 なればわしを捕まえて聞き出すのは……いろいろとしがらみを抱え込むのは愚策じゃろうて」


 この少女が生かされている理由は単純明快。

 全ての国に中途半端に保護されているから。

 アイリンと魔術師ギルドの連名で発行された許可証や、ドイルやバールでの仮の地位など中途半端にいろいろ持ちながら何も持たざる故に干渉しづらい。


「君とは鬼姫が生きている間に会うべきだった」

「さすれば迷わず殺しておったからかえ?」


 物怖じの一つも見せない不遜な返答。

 ディクワンは苦々しくも楽しそうな笑みだけを残して執務に戻っていった。




「あら、ティーエン導師」

 魔術師ギルドはある意味不夜城だ。

 一日中部屋に篭るなど当然のように行っている連中の巣窟なのだから当然であろう。

 本を手に声を掛けてきたのは二十歳に達してるようには見えない女性。

 マルティナ・ユーク。

 彼女もまた若くしてソーサラーとして認められた才女であり、同時期の鋭才とあってこのような状態になっても以前と変わらない付き合いをしてくれる一人。


「また修行ですか?」

「……ああ」


 周囲に人が居ないことを確認して短く応じる。

 何を気遣ったかを察しているマルティナは、苦笑を漏らして「私は好きで話しかけてるんですよ?」とつぶやく。


「大体、そういう態度の方が他の方の批難を集めるんです。

 もっと堂々とした方がいいですよ?」


 言葉もない。

 気にしない方がおかしい状況は確かだが、自分はそれを払拭するために精進しているのだ。


「マルティナ導師、……ありがとう」

「い、いきなりは卑怯ですよ!?」


 年下とはいえこれで美少年である。

 思わず顔を赤くしてしまった彼女は予想外に大きくなってしまった自分の声に辺りをうかがって溜息一つ。


「……コホン。

 まぁ、それはともかくティーエン導師は明日の会議、出ますよね?」


 大量の欠員を出したバールの魔術師ギルド本部ではその運営にあたっててんやわんやの騒ぎである。


「俺は邪魔だろう?」

「そんな事はありません。

 むしろ首脳陣の注目株は貴方ですし」


 思わず首をかしげる。

 ここ数カ月まともにギルドの面々と会話をした覚えがないのだから、内部の事情にも疎くなる。


「魔力封印処分を受けたのはウィザードだけですが、積極的に関与した人たちは運営から退かなくてはならないのは道理ですよね?

 で、するとそれ以外のウィザード、ソーサーラークラスは全員召集となるわけです」


 数千人に一人の才能である魔術師としての能力。

 さらにその数百分の一という限られた者だけがソーサラーの称号を得るまでになる。

 ウィザードと称される者は計算するのも馬鹿らしいほどの確率で発生する『バケモノ』である。

 ピラミッドどころかトゲのような急勾配の様相なのに前代未聞の更迭劇となれば、なるほど道理であろう。


「その中でも今現在どこの派閥にも居ない、けれども将来的に有望間違いない君はこっそり引く手数多なんです」


 胸糞が悪い。

 それが率直な感想だった。

 散々悪意を向けて今度は利用かと。

 だが、理性的な面がそれを認める。

 感情に流されても何も得られない。


「皆さんがどんな考えかは知らないけど、次の会議だけは参加したほうがいいと思います。

 知らない間に自分の身柄が引き取られるのも面白くないと思いますし」


 その表情を見て、黒い感情を捨てる。


「変わったな」

「え?」

「半年くらい前ならそんな事知らないって顔してた気がする」

「……」


 マルティナは面食らった顔をして「子供がナマ言うんじゃないです」と苦笑。

 それから小さく溜息をつくと「まぁ、いろいろありまして」と肩の力を抜いた。


「知ってますか?

『リトル・ファルスアレン』」


 知っている。

 知らないはずがない。

 問題となった四カ国同盟によるアイリンへの集中攻撃。

 突然アイリーンを裏切り『第五の国』となったのがアイリーンの西方に四州を持つミルヴィアネス公だ。

 その時彼が称した国名こそが『ファルスアレン』

 未だその戦争が四カ国同盟と言われるのは、第五の国ファルスアレンがドイルに対する壁でしかなかったからだ。

 半ば噂話に近い。

 その報を受けてかの鬼姫が『誰か』の事を指してそう呼んだと言われる。

 『千年生きた梟より狡猾な』とさえ言われるミルヴィアネス公でない、その『誰か』がこの策を打ったのだと。

 そして何よりも無視できないのが、その『誰か』こそが前世界塔の主であるサン・ジェルマンの死を暴き、罪を白日の下に曝したと言われている。


「実はですねぇ。

 遭ったんですよ」


 自分でもどこか信じられないとばかりにあっけらかんと言われた言葉がなかなか頭に届かなかった。


「多分、ですけど。

 彼女がその『リトル・ファルスアレン』だと思っています」

「……女、なのか?」

「それどころか君とよりも年下かもしれないです」


 途端に胡散臭さが湧き上がってくる。

 自分だって十分例外だ。故に天才などともてはやされた。

 だがそれはしょせん個人の才覚でしかない。

 どんな子供が世界に影響を及ぼす動きを取れると言うのか。


「確証があるわけではないですよ?」


 彼女はもう一度だけ念押しして続ける。


「あの日、私は複数の『牙』と渡り合う彼女の姿を見たんです」


 アイリンに『青』が、ルーンに『ルーンナイト』と各国を代表する精鋭部隊の名は誰の耳にも届く話だが、バールにとってのそれは各家が持つ『牙』だ。

 その実力は最低値でもソーサラー級の魔術技能と騎士を圧倒する戦闘能力を有すると言われている。


「……夢でも見たんじゃないのか?」

「そう思いましたよ、真っ先に。

 なにしろ複数の《ホーミングレーザー》を屈折させて相手に返すなんて非常識すぎますし」


 規格外の《神滅ぼし》を除けばトップランクの攻撃性能を誇る魔術。

 それを一度に複数捻じ曲げるなどオリフィック・フウザーでもできないのではないか。


「でも目の前に思いっきり穴の開いた壁があって、飛んできた破片は痛くて、何を夢って思えばいいんですか?」


 自分で語った真実に苦笑するように、彼女は天井を見上げる。


「天才だなんだって言われて……ウィザードの技を見ては、いつか届くと思ってました」


 若くして魔術の極みへと一歩踏み入れた二人ならば留まらぬ限り決して奢りではない。


「いえ、届くでしょうね。

 でも、あの人の居る舞台は全然違った」

「……」

「無縁の世界ですよ?

 でも、だからこそでしょうか」


 視線を戻して微笑む。


「きっと彼女に会わなければ私は魔術師の最高峰、ウィザードの称号を得た一人。

 そこが限界だったと思います。

 フウザー様のように千年名を残す魔術師には絶対になれない」


 千年名を残す。

 それは同じ世に何人も成せる所業ではない。

 英雄、まさに歴史に選ばれた者だけが成すべくしてなる唯一無二の極み。

 まだ少女とも言えるあどけない顔で苦笑して「そんな事考えたこともなかったですよ」と頬を掻く。


「私なんかが大それたものですよね」


 照れ隠しのはにかみ笑いをする少女を見て少年は思う。

 胸の奥が重くて気持ち悪い。

 そんな胸中を知らず彼女は遠くを眺め言葉を続けた。


「まだ道すら見つけていない状態でおこがましいですけどね。

 見つけたいと思いました。

 初めて、魔術師として成したいことが見えてきたんですから」


 彼女は未来を見ている。

 魔術師とは完全なる『個人主義』。

 その研究を第一としてその成果を世に出すことなど考えもしない者こそ『正しい魔法使い』だ。

 それが『過去』になりつつある事実を感じていない魔法使いは居ない。

 フウザーだけでなく、アイリンやルーンでマジックアイテムを研究する部署が一般の冒険者にも売り始めたアイテム。

 それらは荒事だけに留まらない機能を持ち、やがては人々の生活にも溶け込み始めるだろう。

 ただ高みだけを目指して他者には利用価値の有無と敵意の有無しかなかった時代は終わりつつあるのだ。

 だから、だからこそ疑問が強く胸中を渦巻く。

 父は何を求めてギルドに逆らったのか。

 『過去』の魔法使いのように己の高みだけを求めて道に潰されたのだろうか。

 それとも新たな『未来』を見据えたのだろうか。


 胸が重い。

 自分は『過去』に縛られている。

 見ているつもりの『未来』は『過去』に連なる物でしかない。


「ティーエン導師?」


 不思議そうに覗き込んでくる少女から目を逸らす。

 『未来』─────『己の道』

 それは自分が見ることのできるものなのか。

 天才故に。

 年を越えて発達しすぎた精神が心を縛り上げている。

 そんなことはとうの昔に気づいている。

 気づいて振り払えないのが己の未熟だと知って、それをどうすることもできない。

 うらやましいと思いながら、認められないという黒い闇が膨らんでいく。

 全てを噛み殺して背を向ける。


「……ティーエン導師?」

「悪い」


 離れる。

 いや、それは間違いなく。

 己の心に負けて、『逃げる』行為。

 今、この未熟な少年にできる唯一の行為がそれだった。




 長き歴史の果てに一つの朋友を失ったバールの夜は深い。

 カーン家の滅亡後、新たな皇帝の戴冠は二家が手を結んだ事ですんなりと終わったが、一つ重大な問題は未だ解決に至っていない。

 即ち1つ減った選定家を再選定するか否か。

 情勢的にはこのまま残った五つを選定家とし、補充しないという流れになりつつある。

 理由は世界が物語る。

 そもそも封建制度が揺らぎを見せていた。

 文化の発展は大都市を生み出し、大都市は富裕層を増やす。

 富裕層はこれまで貴族にのみ許されていた教育を広め、国を支えるにふさわしい人物を生み出し始めた。

 するとこれまで確約されていた権力から転げ落ちる者が現れ始めたのだ。

 政治という舞台がじりじりとその高みから引きずり落とされようとしているのだ。

 無論十年二十年でいきなり変わる話ではあるまい。

 しかし長年胡坐をかいていた者達の中にはその未来を見据え、迫り来る『決断』の時を夢想する。

 王権が不要となってもしがみ付けば、大きな争いと文化の後退を招くだろう。

 それを理解する者、せざる者。

 した上で認めぬ者。

 決して自ら触れえぬ所を誰もが口にせず会議は今宵も結論を出せずに終わっていた。


「不毛だな」

「新たな選定家を望まぬ者はこれで良いのでしょう。

 別の大きな問題が生まれれば立ち消えになる」

「それほどまでに自分たちの権力が大事なのか」


 それがまじめな憤慨なら即座に今の発言をした者は放り出されているだろう。

 冗談じみた物言い。

 先ほどの会議ではどうでもいい野次として使われ擦り切れた言葉だ。


「まぁ選定皇家であるとないとでは雲泥の差だ。

 一年だけでも富を倍に増やす事は可能だろう」

「確かにな。

 だがそれにも結局限度がある。

 世界中の富を手に入れては他の者が飢え死ぬ」


 しょせん富などある一定額を超えてしまえばあまり変わらない。

 実際の金貨は手元になく、証文や権利書が代わりに詰まれる。

 それで買い求められる物など結局は既知に限られ、乱暴に金をばら撒けば己の首を絞めることになる。

 それでも捨てられないのは、人の上に立つという優越感。

 言葉ではどうと飾れても、他人の道筋を決められるというのは人間としてこの上ない快楽だ。

 そしてその最も効率の良い力が富。


「極端な意見には選定制度を廃して一つの王にすべきだとも、あったな」

 無論通るはずもない意見だが、未来を思えば心にしこりのように残る。

「さて、諸君」


 雑談がぴたりと止んだ。

 注目すべきはたった一人。

 彼は静寂を我が物として集まった者達の顔を睥睨する。


「雑談はここまでだ。

 我々の未来の話をしよう」


 言葉なく、首肯の気配だけがこの場を満たす。


「現選定家は新たに選定家を増やすことを良しとしていない。

 これは特権に足を踏み入れる前例を嫌っての事だ」


 声に抑揚はない。

 下らない論理。

 これにこだわるのは選定家に連なるだけの利益乞食だけだ。


「アシュルとネヴィーラが組した今、残る三家もこれに声高々に逆らうことはしない。

 これは事実上の独裁である」


 暴論。

 だがそれでいいのだ。

 ここに正しい理論など必要ない。

 これは儀式なのだ。

 己の正義がここにあると自己へと掛ける暗示の儀式。

 肯定は難く否定は易い。

 相手を認めず、否定し、己を肯定し、真実と言わしめる。


「考えてみよ。

 唯一抗するであろうカーンが何故に不可解な断絶を遂げたかを。

 民は長く、そして良く統治した皇の一つが消えたことを悲しんだが、かの二人はいかなる表情を浮かべたか」


 考える必要もない。


『これは仕組まれた暗殺であればいい』


「げに恐ろしきはこれからの先、未来。

 今我々が立たねばバールは飲み込まれ長き歴史に終わりを迎えるに違いない」


 彼らにあるのは恨みでも妬みでもない。


『愛国心』


 まともな反論など不要。

 それが唯一つの真実。


「国の未来に闇を齎す暴走を止められるのは我々しかいないのだ」


 応じるのは熱を持った肯定。

 一つの言葉は呼び水となって膨れ上がる。

 すっと挙げられた手がそれを沈め、それを確認して男は続ける。


「今未来を憂うわれらの心が一つになった。

 故に迷わず歩を踏み出そう」


 声は冷酷に、平坦に、心を侵食する。

 賛同するだけの儀式は強力な暗示となって知らぬ間に強力な楔を打ち込んでいく。


「今こそ、変革の時──────!」

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