二人目の候補者・小賀津美奈子は花粉症の解決方法を語る。
「では次は女性候補者の方に伺いましょうか。田乃郷さんの前の席に座っていらっしゃる、小賀津美奈子さん、お願いします」
「エ~、エ~、小賀津美奈子と申します。よろしくお願いします」
美奈子はバネがはじけた人形のようにピョンと立ち上がると、そう言ってお辞儀をした。
〈お、なかなか可愛いぞ。ちょっと、あがってるね〉
〈コスプレで女子高生やっても似合いそう〉
「年は三十歳で都知事選に出られる最年少です。学校は明慶学園大学のグローバル法学科を卒業しています。現在の仕事は母の店を継いで、フラワーショップを経営しています」
「ハアイ、自己紹介ありがとうございます。ではまた座って都知事選で訴えたいことをおっしゃってください」
「えっと、えっと……」
〈ネエちゃん、ガンバレ〉
美奈子は上着のポケットの中を探し出した。おそらくメモか何かを探しているのだろうが、なかなか見つからなくて焦っているようだった。ふと見ると応接セットのガラスのテーブルの下にいちまいの紙切れが落ちているのが見えた。
「あのこれじゃないですか?」
俺はテーブルの下に手を伸ばして紙を拾い、彼女に手渡してやった。
〈ナイト登場! 僕が代わりたい〉
「ああ、これです。ありがとうございます!」
彼女は驚くほど大きな声でお礼を言いってからメモに書いてあった公約を読み上げた。
「私の一番に訴えたいことは、抜本的な花粉対策についてです」
「なんだ? その程度のことを暗記して来なかったのかよ」
先ほど田乃郷の発言時に口を挟んだ和服の候補者がボソリと言った。
〈誰? あいつ感じ悪いな〉
「まあ、いいじゃないですか堂谷さん」
〈堂谷だってさ。怖い人かな?〉
「それじゃあ小賀津さん、その点について詳細にお願いします」
「ハイ、私は国有林のスギやヒノキを伐採することを提案します」
あまりに大胆な発想に誰かが「ブッ!」とジュースを吹いた。
〈出ました。トンデモ発言! ラノベのヒロインみたいにぶっ飛んだキャラだな〉
〈その前に東京に国有林なんてあるのかよ〉
〈たしか八王子の方にあったと思うぞ〉
「そりゃまあ、抜本的な解決法だわね。でも国有林は防災や建築用の木材、そして良質な水の供給など大変重要な働きをしているのよ。それを切っちゃうの?」
大学教授の真奈美が笑いながら言った。
「それは分かっています。ですから私は段階的に針葉樹の森を広葉樹の森に代えていくことを提案しています」
〈スギの木は、他の木と比べて二酸化炭素の吸収率が高いことが知られている。つまり杉の木を切ることは地球温暖化を推し進めることになる!〉
「視聴者からはこういう意見も出ていますが」
多比余がモニターに映し出されたコメントを読みながら言った。
「花粉症の問題を地球温暖化の問題にすり替えられてもねえ」
真奈美が小賀津をかばったかに見えたが「で、一応聞くけどこのコメントが言ってるのは事実なの?」と続けた。
多比余はすぐにパソコンからデーターを取り出す。
「ええとですね。林野庁のデーターによると適切に手入れされている36~40年生のスギの人工林は1ヘクタール当たり83トンの炭素を蓄えているとか。また杉一本当たり年間8.8キロの炭素を吸収しているそうです。さらに林野庁では近年、花粉の出にくいスギの品種を植林しているそうですよ。それでもスギはダメだと?」
小賀津はどう答えるだろうか?
俺はそっと彼女の表情を探った。もしかしたら多比余のいじわるな問いかけに泣いてしまったりしないだろうか。
しかし、これについて彼女はあらかじめ回答を用意しているようだった。スギの木が二酸化炭素を多く吸収しているというのはけっこう有名な話だったようで、彼女もそこを突かれると予想していたようだ。
「もし森林にCO2の吸収を求めるのでしたら、スギではなくモリンガを植えたらいいんです。これは北インド原産の木ですが日本の冬も超すことができます。この木は奇跡の木と呼ばれていて、種から花まですべての部分を利用できます。さらに驚くべきはそのCO2吸収量で、この木1本で杉の14本分ものCO2を吸収するそうです」
「そりゃ、すごい」
「ですが私はやはり日本では、この国原産の広葉樹を植えた方がいいと思います。CO2の吸収量で言えばモリンガには及びませんが、それでも森林総合研究所が行った『冷温帯落葉広葉樹林』のCO2吸収の変動観測では、落葉広葉樹林は観測地に近接するカラマツの二酸化炭素吸収量(約7.8t)の約2倍の二酸化炭素を吸収したそうです。もちろんカラマツと杉では同じ針葉樹であっても二酸化炭素吸収量が若干違いますが、長野県の林業総合センターの調査ではカラマツはスギと大差ない二酸化炭素吸収量を記録しています。ですからスギだけが二酸化炭素を吸収するわけではないんです」
これには多比余も「おお!」と感嘆の声を上げた。
まさかここまで彼女が理論武装しているとは思わなかったのだ。
小賀津は続ける。
「日本列島は南北に長く温帯樹林帯と亜熱帯に分かれています。温帯樹林帯は、北海道から中部地方までの広い範囲で、本来であればブナ科やカバノキ科などの広葉樹が中心であるはずです。また亜熱帯の地域では常緑広葉樹林が森を形成しているはずです。しかし、現在飛行機で地上の森を見ると圧倒的にスギが多くみられます。これは植林によるものです。私は自然の植生による花粉症なら仕方がないと思うんですが、本来あるべき植生を人為的に変えた森によって起こる花粉症の被害は人災だと思うのです」
彼女はそこまで言うと、フウッと大きな息をした。漫画に出てくる女子高生のように両手を握りしめていて涙目だった。
〈私は花粉症なので、彼女に一票!〉
「なるほどねえ。林野庁によると、確かに知事から国有林に関する要求は出せるそうですが国有林は国の財産であるため要求が受け入れられるかどうかは判断が必要だそうです。それに林業に携わっている方にも影響が出ると思いますが」
〈だよな。それに都知事選の政策としてはどうなんだろう?〉
「これはあくまで国有林だけの話で民間の森は対象ではありません。需給関係が改善すれば現在採算が取れなくて放置されている森にも手が入り、労力のかかる枝切や選別もすみやかに行えます、また広葉樹は成長が遅い分、根を深く広範囲に張ると言われています。広葉樹が育ってくれば大雨の際に発生する土石流が減ります。さらに最近、熊や猿、イノシシなどが里に下りて来て人間に危害を加えるというニュースを聞きますが……」
〈確かに最近、クマの被害をよく聞くね〉
「実の成る森があれば彼らは山から下りません。それと森が豊かになれば海も豊かになります。近年沿岸部で続く不漁の原因は山からの栄養が届かないからだとも言われています。日本の植生に合わないスギやヒノキの植林を止め、広葉樹に代えることで花粉症が緩和され、土石流などによる被害が少なくなり民間の林業の採算性を向上させ、漁業に良い影響を与え、森に住む動物たちを守ると同時に、彼らが里に下りて農作物を食べることを防ぎます」
「こりゃすごい。一石何鳥になるんでしょうかね」
多比余が感心したように言った。
「食料自給率の低い日本ですが栗とか柿が実り、その落ち葉や朽ちた木からキノコが生え、春には日が差して山菜が実れば食料輸入が困難になった際にも森が私たちを助けてくれます。国有林でキノコ狩りや山菜取りができるようにすれば、子供たちも自然と接する機会が増えると思います」
〈キノコ狩りに行きたい〉
〈 ↑ おまえは毒キノコ食べて新聞に載るかもな〉
「資料では花粉症が原因で外出を控えることにより、個人消費が約7500億円減少し、一日あたりの経済的損失は2215億円と言われているようです」
多比余はすばやくパソコンからデーターを取り出して小賀津の主張を補足した。
「それが解消されればいいですね。まあこれは林野庁とそれに繋がる政治家がどう考えるかですね。それじゃあ続いてはと、堀木 紀之さんお願いできますか?」