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一人目の候補者・田乃郷陽介は高齢者から免許を取り上げず、都内全域の自動運転を普及させようと語る。


 田乃郷は軽く咳ばらいをするとソファーから立ちあがった。

〈あっ、いつも選挙に出てくるオジサンだ。この人、前の横浜市長選にも出てたよね〉


「田乃郷さん、けっこう認知度が上がってきましたねえ」

モニターの画面下に次々と現れるコメントを見ながら多比余がクスリと笑った。


「エ~、私、田乃郷陽介と申します。覚えにくい名前ですんでね。たのもう、たのGOと覚えてください」

 2、3人が失笑したが、それは田乃郷のギャグがあまりにもくだらなかったからだ。


「ハハ、場が和みましたかね。私は今年69歳で学歴は首都大学の教養学部出身です。今は息子に任せていますが長年〇〇海運という会社を営んでまいりました」


 それは結構有名な会社だ。自分の事で精いっぱいで、他の候補者のことは殆ど知らなかったが、田乃郷は意外と高学歴でお金持ちだったらしい。


「そんでもって、この都議選で訴えたいことは……」


「都知事選、都知事選、田乃郷さんの出ておられるのは都知事選です」


「あ、そうでした。で、訴えたいことは老人問題です」


 田乃郷はボケ突っ込みがうまくいったと感じたのか上機嫌で話だした。


「私、若い頃は父から受け継いだ海運会社を立て直し、成長させるために全力を注いできました。ですが引退し妻とも死に別れてから世の中のことが少しずつ見えてきたんです」


「それで最近は選挙にたびたび出られているんですね」


「そうです。例えばこの国では少子化が進んでいます。これは深刻な問題なので、どの候補者もこの問題を取り上げています。例えば『少子化が進むと若者一人が支える老人の数が増え、将来の年金制度が破綻する』という主張ですね。しかしこれを唱える人は高齢者がただ支えられるだけのお荷物であると捉え、高齢者も適切な援助さえあれば、今一度生産者に戻れるのだという発想が欠けています。そこで私は東京モデルという形で高齢者が豊富な経験を生かしてもう一度力を発揮できる環境を整えたいと考えました。家庭や病院に留まらず社会に出て行動してもらいたいと思うのです」


〈急にまじめなことを……。もっと面白いこと言ってよ~〉


「それはいいことだと思いますが、田乃郷さんには具体的なアイデアがあるんですか?」


「はい。まず高齢者が働きにくいと感じる環境を改善する必要があります。高齢者は体力の衰えによって自由な移動が難しくなり、認知機能の低下によって事務能力やコミュニケーション能力が落ちてきます。こういった弊害から効率重視の社会では高齢者を戦力外とみなすのですが、これらは現代のテクノロジーによってある程度は解決できます。例えば都内一円をどこでも自動走行できる車を開発すれば、移動手段は確保できます。これは、高齢者から免許証を返納させて、電車やバスに乗ってもらおうとするのとは真逆の考え方です。事務能力の低下もすぐれたアプリの開発で、十分に補佐することができます」


〈そうだそうだ。これは賛成!〉

〈 ↑ 関心があるお年ですか?〉


「つまりそういう開発を都が指揮をとり自動車会社やソフト開発会社と共に行うのです。どこかの万博では空を飛ぶタクシーの開発をうたっていますが、そんな方向にお金を使うより、こちらを優先して欲しいと思います」


「あれは確かに遊園地っぽい発想ですね。あの自治体はU〇Jを抱えているので、そちらで活用してもらいましょう」


「それから、高齢者の職業訓練も重要です。パソコンのプログラミングや、家電の技術、ドローン技術など、肉体労働以外のものは積極的にやるべきです。人生が百歳という時代では八十歳九十歳でも積極的に勉強しないともったいない。ガンジーは『明日死ぬつもりで今日を生きよ。永遠に生きるつもりで学べ』と言いましたがその通りだと思います」


 ここで田乃郷はゆっくりとジュースを飲んで口を潤した。講演に慣れているのだろう。


「また仕事現場も工夫して解放型オフィスを作ります、これは廊下に仕切りのないオフィスという意味で企業の枠を超えて地域単位で設営します。パソコンを使った仕事が中心なのでパソコンの技術者が医師や介護職員と共に常駐します。解放型工場や家電修理工房もいいでしょう。このように仕事環境を整えることで、戦後の復興を支えてきたベテラン技術者たちが、もう一度働けるようになれると考えます」


〈昔の家電品の修理ができたらうれしい。ウチのも直してもらいたい〉


「年を取っても常に前向きに人生を考えるというのはいいですね」

 大学教授の真奈美が田乃郷の主張に相槌を打った。


「ありがとうございます。高齢者を積極的に活用するこれらの方策は、老人を厄介な存在としてケアハウスに押し込む考え方に抗う発想です。またこうした仕事をする老人のために個人型確定拠出年金制度などの年齢制限は引き上げてもらいたいですね」


〈iDeCoの事かな? 俺は金がないからどうせ入れないけど。www〉


「それに仕事を失った年金生活者は、資産をほとんど使わないという調査もあるんです」田乃郷はポケットからメモを取り出して、それを読んだ。


「例えばビル・パーキンスの『DIE WITH ZERO』という本によれば、資産が多く裕福な人では老後、そのお金を使う総額は僅か12%程度だそうです。資産が少なくて生活の苦しい人でさえ25%ほどしか使いません。つまり老人は倹約してお金を使わないのです。だから高齢者がいくら資産を持っていてもそれが市場に出回らないわけですね。しかし高齢者だって仕事があれば、そこで得たお金は使います。日本のように高齢者の割合が増える社会で、彼らから仕事を取り上げてしまうと、社会全体が不況に陥るということが、この調査結果からも分かるのではないでしょうかね」


「なるほど。高齢者がもう一度働ける環境を整えるべし。それこそが日本のためになるということですね」


「ただ、肉体の衰えは機械がサポートできると思うが認知症が進んだ場合、これはやはりしっかりとしたケアや治療が必要になる。それなのに認知症を疑われる者が老人であると薬があっても使ってもらえないことが多い。大病院には認知症センターもあるがこれも紹介が無いと診察をしてもらえません。かかりつけ医は老人が認知症でも当たり前だと考えているので、大病院の認知症センターに紹介などしない。要するに日本では色々と入れ物だけは作るが利用することが事実上できないものが多いんです」


「確かにいきなり大病院に行っても診察を断られますね。あれはまあ、大して重病でもない人が押しかけたら、本当に治療が必要な人が困るからと言うわけでしょ」


「しかし血液検査などは大病院であれば待っている間に結果が出るが、町の病院は検査センターに送って結果を待つので三日程度はかかる。重篤な病が隠れていると、その三日が命にかかわります。また日本では診察項目が診療所ごとに分かれています。このあいだも知人が転んで頭を打ち出血したんですが、かかりつけ医に連絡すると『ウチは内科なので診られませんと言われたそうです。外科に電話すると脳神経外科ではないので』と断られたとか。結局オ〇ナインを塗って自分で手当てしたそうです。ただこんなふうに原因が分かっている場合はまだいいんですが、症状によってはさらに困ったことになります。患者は素人なのでどこに不調の原因があるのか分かりません。そこで内科に行ったり胃腸科に行ったり循環器科に行ったりを繰り返さなければなりません。日本の救急医療は世界一かもしれませんが、クリニックの診療項目の細分化は現実に合わず不便です。そんなふうに専門医を作るのであれば、最初に大病院で総合的な診察を受け、病気の原因を掴んでから町の専門医に行って治療を受ける方が患者の立場としてはいい。病床数の規制があるとか財政上の問題は自分たちの都合で患者を第一に考えた発想じゃない。つまり順番が逆なんですよ」


「田乃郷さんが知事になれば大病院は地域住民や老人の認知症患者にも、もっと寄り添い共感した対応をして貰えるように要請するということですね。政策はよくわかりました。それから田乃郷さんは選挙公報でもう一つ、スローライフの勧めを提案しておられますが、これを説明して頂けますか?」


「ちょっと待ってくださいね」

 そう言いながら田乃郷は持ってきた紙袋の中からLPレコードを取り出した。


〈おお、これは! 松〇聖子のアルバムではありませんか〉

〈レコード、写真が大きいから迫力あるよね〉


「最近はCDさえ知らない人がいるので、若い人はレコードを知らないかもしれません。これは昭和時代を生きた我々にとって音楽を聴く時に使う物なんですよ。最近はまた復活しているらしいけど、知らない人から見れば、なんでこんなでっかいものを専用のプレイヤーに入れて音楽を聴かなけりゃいけないんだと思うかもしれないが、こうしたレコードで音楽を聴いたり紙媒体の本を開いて小説を読むというのは演奏したミュージシャンや物語を書いた作家さんへのリスペクトのようなものなんです」


〈エ~、面倒クセーよ〉


「今の時代、なんでも電子化が進んでいますが、それが行きつく先はどうなるのか、私はとても不安なんです。例えば今の若い人だって音楽はデータ送信で聴くとしてもスイーツはお店で買って食べますよね。でもそれはとてもアナログ的な行為だと思いませんか? 美味しい物を食べれば舌が味覚を感知してそれを脳に伝える。同時に目からも情報がもたらされる。すると脳下垂体からエンドルフィンが出てその人は満足します。これがデジタルだと美味しいスイーツを食べたことにして脳に電気刺激を与え、エンドルフィンを発生させるだけでいい。人間は愚かではないから、そこまでのことはしないと思うけど次々に障壁が取り払われていくと、やがてそういう時代が来るかもしれません。だから私はもうこれ以上効率化を図らないでも良いと思うんです」


〈ただでさえ日本は遅れているのに、デジタル化を拒否するとガラパゴス化が進むだけ〉

〈人類の行きつく先はマ〇リックスの世界よ〉


「しかしそれは先ほど田乃郷さんが言っておられたAI技術を利用して高齢者を仕事に復帰させるということと矛盾することはないですか?」

 多比余が突っ込んだ質問をした。しかし田乃郷は怒り出さなかった。


「よく指摘されますが、要するにテクノロジーをどのように利用するかということです。人は常にテクノロジーを便利に利用する側でなければならず、けっして隷属することがあってはならないのです。新しいテクノロジーが開発されると無条件に受け入れて強引に国民に押し付ける国があったとしても、日本はそうなって欲しくないんです。テクノロジーが、人間にとって本当に心地よいものかどうかをよく吟味して選択的に取り入れていくべきだと私は考えます。たとえばここに来るとき久しぶりに電車を利用したんですが券売機が使いにくくなっていることに驚きました。ほんの数駅乗るだけなのに、『買いたいのは定期券か鉄道カードか乗車券か、現金で買うのかそれともカードなのか、特急券は必要か』など、昔はみどりの窓口で行われていたものが廃止され、券売機に集約しているんです。結局切符一枚購入するのに数分かかり、やっと出てきた切符は新幹線の切符のように定期券サイズの大きなものでした。実に使いにくく無駄な話だと思います。また紙のキップを完全に無くしQRコードのみにするという話もありますが、これは高齢者を切り捨てると同時に国民全員にスマホの所持を義務ずけるという、どこかの乱暴な独裁国家のような行為だと私は思いますけどね」


「QRコードってのはデンソーが開発して特許も持っているが無償で提供しているっていうあれだろ?」

 和服を着た候補者が多比余に尋ねた。


「そうです。1994年にデンソーが開発し、2001年からデンソーウェーブという会社に管理を任せています」


「特許ってのは長年維持するのにも多額の資金がいるはずだが、かりにツィッターがイーロンマスクに買収されたように、どこかの誰かがその特許を買い取った場合、ある日突然使用料を払えと言い出したら世界中で大混乱が起こるだろうな」

 和服の候補者が言った。


「まあデンソーがそれを許すとは思えませんが可能性が0ではないでしょうね。要するに田乃郷さんは、人件費の削減とか管理面のしやすさとか鉄道会社にもいろいろな事情はあるのでしょうけど簡単に買える通常型の券売機を無くさないで欲しいという主張なんですね」


「そうです。日本ではなんでも官庁主導で強引に改革が行われるが住んでいる人が置き去りにされては元も子もない。たとえば2027年に蛍光灯の製造を終了するという問題でも、確かに蛍光灯には水銀が含まれるので水俣条約で廃止しようという結論に達したというのは聞いていますが……」


「ええっと、これは2023年にスイス・ジュネーブで行われた『水銀に関する水俣条約第5回締約国会議』で議決された結果に基づいたものですね。でもまあそれだけ水銀汚染を重視している割には先日の水俣病犠牲者との懇談会では発言者のマイクを切ったりしましたから環境省が真摯にこの問題を考えているのかどうかは疑問ですけどね」

 多比余が口をはさんだ。


「代用のLEDは直管20wのものは簡単に手に入るものの40wのものは見かけないし32w丸型のものも出回っていない。それなら照明器具そのものを取り換えればいいと簡単に言う人もいるが、昔からの家庭では天井にシーリングプラグがついていない家も多い。これを取り換えるには電気工事士の資格を持つ人でなければ法律違反になり、かなりの高額になる。高齢者はわずかな基礎年金だけで生活している人も多いのに、蛍光灯が供給されないと在庫も高額になるため、照明器具のない生活を強いられることになる。代用品も揃わないのに2027年には蛍光灯の製造を全面禁止にするというのは非常に乱暴な話です。そういうところを政治家や官僚はまるで理解していないんだ」


〈パラダイムシフトも度が過ぎるとエンドユーザーが迷惑するという話かな?〉

〈一度目標を定めたら国民の大多数が反対していようが強引に保険証を廃止してマイナンバーカード化を進めるというのもそうだな。そんなことして誰が得するんだよ〉


「確定申告の時も国税庁はスマホでの申告を進めていました。しかし高齢者にはやっぱり扱いにくい。それで税務署に出向くと長蛇の列でした。その会場には申告用のパソコンが5台しか置いてなかったんです。しかも事前予約性で、これはLI〇Eを用いるものでした。けれどそもそも高齢者はLI〇Eなんてやりません。そのためひどい時には高齢者ばかりが5時間待ちになったそうです。私はこういうのも需要に合ったやり方に戻すべきだと考えます」


「要するに田乃郷さんの政策としては高齢者が急速な改革に置きざりにされることない、庶民目線の優しい社会を作っていきたいということでよろしいでしょうかね」

 そう言いながら多比余は、次の候補者の物色を始めた。



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