YouTuber多比余健太
この物語はフィクションです。
ここに登場する候補者たちもyoutuberにもモデルはいません。
また登場人物が語る政策等は作者の政治信条と一致するものではありません。
実験小説のため感想覧は閉じていますがレビューは賛否両論・歓迎いたします。
日本の小学生が、将来就きたいと考える職業・第一位はユー〇ューバーだという。
資格もいらず誰でも自称するだけで、その日からなれる商売だ。
自宅のパソコンから手軽に配信してお金儲けができるので、朝早く起きて満員電車に押し込められる通勤地獄に合うこともない。ブラックな職場で嫌な上司に媚びる必要も無ければ顧客から無理難題を押し付けられてうつ病になることもない。
しかしそれは、社会経験のない子供らしい発想から来るもので、大人から見ればユー〇ューバーとして成功するのが極めて難しいことぐらい容易に推察できる。
一人でチャンネルを立ち上げ、たまたまそれを見てくれた人に登録してもらい視聴者数を増やしてお金を稼ぐ。単純なようだが、よほど才能に恵まれない限り公認会計士や弁護士、あるいはタレントとして大成するよりはるかに難しい職業だ。
とはいえ数万人に一人、それを成し遂げる成功者も確かに存在する。山手線内にあるマンションの高層階から毎日自身のユー〇ューブチャンネルで発信する多比余健太という男もその一人だ。
リビングルームだけで二十畳ほどある。分譲だと相場で二億を超えるであろうと思われるこのマンションを所有しているのだとすればかなりの資産家だし家賃で入っていたとしても支払っていくには相当高い収益が必要だ。
多比余はリビングルームの端っこ、窓際にある重役テーブルの上に並べられたパソコンや放送機材を気難しい顔でチェックしていた。高層階なのにカーテンを閉め切っているのは外から除かれるのがよほど嫌いなのだろう。
大柄な男だ。服装にはこだわらないらしく、見たところ量販店に売っていそうなTシャツをラフに着ている。もっともこの俺、佐内雅彦はファッションには疎いので、もしかしたらそのTシャツも有名なブランドなのかもしれない。
俺たち都知事選候補のゲストと目が合うとニコやかに微笑み、バニーガール姿のアシスタントにはぶっきらぼうに指示を出す。その一方で解説役を務める大学教授の香村真奈美には、敬語を使って穏やかに話している。
ニコやかに、ぶっきらぼうに、穏やかに。人によってこれだけ見事に表情を変えられるのはもはや顔芸だ。この表情の豊かさと体全体で表す喜怒哀楽の表現こそが堅苦しい政治経済ジャンルのユー〇ューブチャンネルの中で常に上位をキープできる秘訣なのだろう。
「エッちゃん、こちらのゲストの方にもジュースをお出しして」
多比余が俺の方を見てバニーガール(エッちゃんというらしい)に指示を出した。俺は少し遅れて入ったのでテーブルの上にコップが置かれていなかったのだ。
「佐内雅彦さんですね。どうぞ」
笑顔だが少し疲れた感のある彼女が俺の胸にかかっているネームプレートを確認して缶ジュースを置いてくれた。
『タビトの未来政経予測』は毎日午前と午後、新鮮な政治ネタをユーモアを交えコミカルに語る。どちらかといえば政権与党には批判的だが、与党内にも好意的に放送を捉える人もいるようで、時には驚くほどの大物政治家も出演していた。
いつもは多比余と解説役の大学教授や知人の政治評論家との対話がメインだが、今日は俺を含めて老若男女七人のゲストが招かれていた。
俺たちは全員、リビングルーム中央にある大きな応接セットに座らされている。
首の運動を装い、他の人たちを見回すと誰もかれもが一癖も二癖もありそうな面構え。
例えば左隣に座っている女性は映画俳優を思わせるほどの美形なのに、アンドロイドのような無表情さで、顔を合わせてもその視線は俺を通り越して遥か遠くを見つめている。他にも新人アナのように壁に向かって早口言葉を練習している女性もいれば眉間にしわを寄せてソファーの上に胡坐をかいて瞑想している和服姿の男性もいた。
そういう一風変わった人たちの中に平凡な俺が混じっているのだ。
もしかしたら大変な場所に来てしまったのかもしれない。いやそれ以前に都知事選に出るなんて一般人が考えないようなことに、なぜ俺が関わる羽目になったのか?
まるで死にゆく人が顛末をたどるように記憶がよみがえってきた。
「理想ばっかり追ってるあなたと現実主義の私。きっと私たち合わないね。別れるしかないかも……」
学生時代から付き合ってきた尚子に突然そんなことを言われた時、俺はいつものようにただ彼女の機嫌が悪いだけだと思って「そうやな。そうする?」とパソコンのゲームから目を離さないまま、無造作に答えた。すると尚子は急にワッと泣き出し、部屋を出て行こうとした。
驚いた俺は「ちょ、ちょっと待って」と呼び止め、手を掴もうとしたが電気コードに蹴躓いて派手に転んだ。
「佐内君の鈍感さと不器用さが大嫌い!」
廊下の踊り場から彼女の声がした。
いつもと同じようなやり取りなのに今日に限って、なんでそれほど尚子の機嫌を損ねたのか正直わからなかったが、とりあえず謝ろうと思いなおし、彼女のスマホにメールをしようとしたが、用意周到にも既に着信拒否になっていた。
少し間を置いた方がいいかと考えた俺は、それからしばらく連絡しなかった。すると、一週間ほど経ったある日、尚子とよく行っていたスナックのママさんから「おめでとう。あんた、尚ちゃんと結婚するだって?」と訳の分からない祝福をされたのだ。
「エッ、俺は知らんけど」と驚くと、ママはちょっと狼狽した様子でスマホを見直した。
「あ、ゴメン。これ他の人とだったわ」と複雑な笑顔をした。
「誰やねん?」
ママのスマホを奪い取りスワイプさせていくと、尚子といっしょに知らない男が写った画像がそこにあった。季節感からみて少し前に撮られたような写真画像だ。すると尚子はかなり前からそいつと俺の二股をかけていたのか。
この衝撃的な出来事に加え、会社でも自分の判断ミスを部下に押し付ける卑劣な上司と揉めて退社にまで追い込まれていた俺はすっかり人間不信に陥って部屋に引きこもって、ソーシャルゲーム三昧になってしまった。特に『魔法世界☆ルーライド』というRPGは面白く、昼夜逆転の生活を送っているうち気が付けば100万円近く課金していた。
そんな俺に対して突然、ゲームからのお知らせが届いた。そこには『近日終了』という無慈悲な文字が書かれていた。やっと見つけた安らぎの地が、根元から崩されたのだ。
その虚しさに俺は思わず天を仰いで、平気でこういう酷いことをするゲーム会社を罵ったが、元々誰かによって作られたバーチャルの世界など崩壊する時はこんなものだと少し人生を悟った気がして心を落ち着けた。
とはいえ、これから何を楽しみに生きていこう。
中円寺駅前のファストフード店で遅すぎる夕食を取り、既にほとんどの店がシャッターを下ろしている商店街をフラフラと歩いていると、暇そうなお婆さん易者と目が合った。
誘われた気がした俺は、行燈が置かれたテーブルの前の椅子に座った。
「ン~~~、人生に悩んでますね」
易者は数十本の筮竹をジャラリと鳴らし、誰にでも言うセリフを吐いた。
「そう、まあそうやねん。俺はこれから何をしたらいいでしょうかね?」
俺は特に何も期待せずそう言った。おそらく易者は次も万人に当てはまるセリフを言うはず……。ところが、彼女は俺が予想していた以上のことを言い出した。
「あんた、三か所から裏切られて絶望のどん底にいるね。とても悲惨な『卦』がトリプルで出ているよ。ン~、こりゃ酷い」
「えっ三か所からってわかるの? ハハそりゃすごい……」
俺はちょっとだけ感心してしまったが、いやいやこれもたまたまで、よくある脅し文句なのだろうと思い返した。鑑定料を払って立ち去ろうとした俺の腕を、易者はとても婆さんとは思えない力で引っ張って椅子に戻した。
「それは今までのあなた。ここからはちょっと面白い運命が待っているんだから」
もしかすると、どこかの宗教団体と繋がっていて高額なものでも買わそうとしているのだろうか? 俺は警戒して「そんなこと言っても幸運のグッズとかは買いませんよ。お金も無いし」と言うと易者は笑いながら「ウフフ誰も信じられないんだね。あんた。今まで辛かったものねえ」と言ったので、俺は不覚にも泣きそうになった。そのタイミングで、
「あんた突然だけど選挙に出てみなさい。人生がビックリするような展開を見せるから」
などと、易者はとんでもないことを言い出したのだ。
「選挙ってどこの? 町会長なんてご近所付き合いもないから無理やし、もう三十七歳で学校に通っているわけでもないから生徒会にも立候補もできませんよ」
「いやいや、そういうのじゃなくて今度ある都知事選挙! これにはどんなことをしても絶対当選はできないけれど、立候補するだけであなたの運命の歯車が回りだすから」
そんな馬鹿な。人生なんぞどうにでもなれと思っている俺でもさすがに『どんなことをしても絶対当選できない都知事選』に出たいとは思わない。
「ちなみに選挙に出ないとどうなるんや?」と聞くと「選挙に出ないとすると……」易者は筮竹を鳴らして、その結果に蒼ざめ、もう一度筮竹を鳴らして今度は額に手をやって、ため息をついた。そして首を振りながら「鑑定料いらないから」と言った。
おそらく選挙に出ないと俺の人生は結末を迎えるのだろう。
「出る出る。出ますって」
思わず口に出してしまった軽い決断に自分でも驚きつつ、鑑定料を置いてアパートに戻った俺は、翌日契約していた保険を解約して供託金300万円を作って立候補した。
そんなわけで、政策すらまともに考えないまま都知事選に立候補し、座談会に誘われて今ここにいる。なんとか無難にこの場を切り抜けなければと心を落ち着かせて、雰囲気に圧倒されないように配られたジュースを一口飲んだ。
「まもなく本番に入ります」
エッちゃんがそう告げ、配電盤の横にスタンバイした。
天井付近に吊り下げられた大型モニターにカウントダウンの数字が映し出されている。
「3・2・1、オープニングトーク、スタート!」
エッちゃんがそう言いながらオンエアーのランプを付けると、突然有名な『朝まで〇〇テレビ』という番組風の音楽が流され、多比途が相棒の大学教授と共に少しおどけた歩き方で登場し、二人そろって前方のテーブルに着席した。ただ俺たちはずっと座ったままで音楽に合わせて入場する演出は用意されていなかった。
「ハイ、『タビトの未来政経予測』、今日も見て頂いてありがとうございます。本日は、とっておきのゲストの方々と一時間半の生放送を予定しております。ご紹介しましょう。都知事選に参加され、独自の戦いをしておられる候補者の方々です!」
一台しかないカメラが俺たちの方を向いた。カメラマンを務めるのもエッちゃんだ。
モニターには俺たちゲストの面々が順番に映し出されており、これが現在配信している画面なのだと理解できた。さっそく視聴者から反応が入っているようで、
〈お~、待ってました! 今日は豪華だな。おもしろ草WWW〉
〈どんなとんでもない発言が飛び出すのかなワクワク〉
などという無責任なコメントが次々と映し出されていた。
「え~今回の都知事選はなんと総員31名もの方が立候補しておられます。と言っても現都知事のあの方、与野党推薦の有力候補の方、また有名タレントの〇〇さんなどの候補は、あえてこのチャンネルでは取り上げません。残りの候補者のうち、快く当番組に出演を承諾してくださった方七名をゲストとしてお招きし、どんな政策を訴えて立候補されたのかを女子大教授の真奈美さんと共に、座談会形式でお聞きしようと思います」
真奈美が「よろしくお願いします」頭を下げたので俺たちも一斉に同じ言葉を返した。
「実はユー〇ューブにおける候補者の討論会や座談会などの行為は選挙運動とみなされ、公職選挙法第142条で厳しい制限があります。こうした場所で配信する時は、選挙管理委員会に届け出を行う必要があります。もちろんこのチャンネルでは事前に届け出をしてますがゲストの皆さんもここでは投票を呼び掛ける行為をしないようにお願いします」
「でもおかしいよねえ。テレビやマスコミは無制限に討論会や座談会を流せるのに、なんでユー〇ューブだといけないんだか」
真奈美がそう言った。
「それはSNSに詳しくないベテラン政治家の方々が『我々はインターネットに疎いのに公平じゃない!』なんて言い出したからじゃないですか」
すかさず多比余が返して笑いを誘った。
「というところで公選法に引っかからないように気を付けて配信して行きますのでゲストの皆さんは忌憚なく政策を発表してください。もちろん、このチャンネルを見て頂いている視聴者の方からのコメントも大歓迎です。ただし『てめえは許さん。〇してやる』なんて物騒なことをほざく人は、ただちにブロックさせて頂きますんで、ご了承ください」
ゲストの間からも笑いが漏れたところで、多比余は真顔に戻り「では始めさせていただきます」と座談会の開会を宣言した。
「それではまず、これまでに参議院選挙などに何度か出ておられます田乃郷陽介さんからお話を伺いましょうかね。田乃郷さんは以前このチャンネルに出て頂いたこともあり、慣れていらっしゃるのではないかと思います」
テレビカメラとそれに付随する照明が田乃郷と呼ばれる候補者に向けられた。