第一章③
「……」
「……」
「……おい」
「……な、何でござるか?」
ジルドが真面目な顔をしてこちらに話しかけてくるが、もう本当にやめて欲しい。拙者、今笑いをこらえるのに必死なのでござるから。
「今のアピールポイントを聞いて、何か言うことがあるだろう!」
頭おかしいのでござるか?
……いかんっ。心のなかで問いかけてしまって、今拙者鼻水出そうになったでござるっ!
「いや、ちょっと……」
真剣な表情を浮かべるジルドから、拙者は視線をそらす。
そんな拙者の態度が気に入らないのか、ジルドは苛立たちげに、転がっていた窓ガラスの破片を蹴った。
「……何なんだ、そのイマイチそうなリアクションはっ!」
イマイチも何も……っ!
い、いかんっ。いかんでござる。ここで笑ってしまえば、『絶対魅力者』に一番近い(笑)ジルドのプライドを傷つけてしまうのでござるっ!
ここは冷静に、拙者オトナの対応を心がけるのでござるよっ!
「……ちょっと、拙者にはよくわからないでござる」
……さぁ、これでいいでござろう? 拙者はわからない。ギャング・スターに憧れた少年が大陸から何を囁かれようが、どんな囁きを聞こうが、拙者には全然わからないのでござるっ!
拙者の言葉を聞いたジルドは、心得たといった風に頷いた。
「……なるほど。野蛮人に、僕のセンスは理解できなかったようだね」
センス(笑)って! そもそもお主、この部屋に入った時から制服姿だったでござろう? 何も変わっていないではござらぬか。ポーズ以外。
……いかんいかん。せっかくジルドが引いてくれそうなのでござる。ここは沈黙を守り、早く結果を――
「ならば直々に、この僕の着こなしを野蛮人にもわかりやすく説明してやろう! フランクリンさん、マイクを! アピールタイムだっ!」
解説するのぉぉぉおおおっ!
止めろ。止めるでござる! 拙者祖国での修練は相当積んでる故、これ以上拙者の腹筋は割れる仕様になっていないのでござる!
マイクを持ってジルドからドヤ顔で解説されたら、拙者死んでしまうでござる! 笑い死んでしまうでござるよ……っ!
そんな拙者の祈りも虚しく、ジルドは本当にドヤ顔で解説をし始めた。……まぁ、いいでござる。どんな爆笑トークが炸裂するか、見ものでござるな。
「まずブレザーとパンツだが……まぁ、これは解説するまでもないな。シワだらけのものに比べたら、下ろし立てであるというだけで、僕の方が『魅力』がある。シャツも同様だな」
パンツって! ズボンがパンツなら、パンツは何て言えばいいのでござるか? 拙者の場合褌でござるが。
まぁ、それでも確かに、シワだらけの拙者のものに比べれば、ジルドの制服の方が綺麗でござるな。
そう思った瞬間――。
「……?」
何でござるか? 今、体を締め付けられたような感触がしたでござるが……。
自分の体を見下ろしても、変化は何もない。顔を上げると、ジルドが笑みを浮かべている。
……何でござるか? 何でジルドから、撤退戦の殿を務めた時のような、嫌な気配を感じるのでござる?
ジルドは笑みを濃くしながら、自分の制服を解説する。
「赤色のネクタイには、ネクタイピンでアクセントを添えている。デザインはシンプルなシルバーで、付けやすさと、多少動いても取れづらいワニ口式にしている。付ける位置は制服ということで、あまり目立たせないスタンダードな第一ボタンの少し上だ」
言葉に惹かれるように、拙者の目線はジルドの胸元、ネクタイピンへと吸い寄せられる。
それを確認して、ジルドは満足そうに頷きながら、淡々と言葉を紡いでいく。
「ネイビーブルーのブレザーには、やはり白がよく映える。だから僕は、胸元のポケットにポケットチーフを差しているよ。折り方はスタンダードなスクエア・ホールド、でもいいが、僕はもう少しひねりたい。さり気なく見える、トライアングラーに。それから忘れちゃいけないのが、靴紐だ。以外に靴は見られてるからね。学園指定の靴だって、紐が変われば随分変わる。靴のブラウンは変えられないから、胸元のネクタイと色を合わせて、今日はレッドブラウンの靴紐をセレクトした」
ほとんど、息継ぎをしていなかったように思う。こんこんと湧き出る清水の如く、ただただジルドの言葉は、拙者の胸に響いた。
改めて、拙者は自分の姿を見下ろす。
飾りっけのない、シワだらけのネクタイ。胸ポケットに刺さっているのは、窓ガラスの残骸。指定の靴は泥だらけで、靴紐は今にも解けそうだ。
誰がどう贔屓目に見たって、今の拙者はジルドよりもカッコ悪――
「がは……っ!」
そう思った瞬間、世界が暗転し、全身に衝撃が走った。足元が急になくなったような錯覚。今まで立っていた場所は、薄氷だったのではとすら思えた。一瞬にして、口の中に血の味が広がる。
……何が、起こったでござるか?
気が付くと、拙者は壁まで吹き飛ばされていた。全身がしびれる。体の内から、刺すような痛みを感じた。
「おおっと! これはヒロキ・アカマツ生徒大ダメージ! これは決まったかぁっ!」
フランクリンの声が、遠くに聞こえる。それに反応するかのように、チャールズ先生の声も聞こえてきた。
「『最も魅力的な者が勝つ』は嘘が付けませんからねぇ。相手を侮っていれば侮っていた分、受けるダメージも大きくなりますから」
そういう大事なことは、もっと早く言って欲しかったでござる……!
一言も発することが出来ない拙者を、ジルドはまるで蛆虫が無限に湧き出てくる、ゴミ溜めを見るような目で見ていた。そこまで酷い姿でござるか、今の拙者……。
「ふん! もう勝負は付いたでしょう。フランクリンさん!」
「そうですね。この勝負、エルメネジルド・ゼニア生徒のKO勝ちです!」
フランクリンがそう告げた瞬間、部屋中に広がったのは、ジルドの勝利を祝うファンファーレの音と、色とりどりの紙吹雪。
ファンファーレの音が聞こえなくなるのと同時に、部屋の明かりが戻った。フランクリンは割ったガラスの破片を丁寧に、かつ俊敏に片付けると、何処からともなく取り出した窓を付け替え、
「そぅれでぇわぁみっなさんっっっ! アディオオオォォォオオオッッッスッ!」
と叫びながら、窓の外へ飛び降りた。気が付くと先生たちも立ち上がっており、床に散っていたはずの紙吹雪も、椅子も机もなくなっている。何度も言うが、ここ四階でござるぞ?
フランクリンを見送ったジルドは、拙者を蔑みを込めて見下す。
「これでわかっただろう? 貴様のような野蛮人に、お洒落をすることなんて出来ない! チャールズ先生。申し訳ありませんが、僕はこれで帰ります。学園の案内は、他の生徒に任せて下さい。それでは」
「あ、ちょっと! ジルドくんっ!」
チャールズ先生の呼びかけも虚しく、ジルドは学園長室を後にした。先生は弱ったように、頭を掻いた。
「困りました。ヒロキくんの学園案内をしてもらえないか、今から別の生徒にお願いしないといけません」
「がはははは! 今日は休日だからな! 探すのは一苦労だろうッ! 時間が空いていればワシが案内してやるのだが、ワシも含めて教員はこれから会議だからなッ!」
先生方が話していたその時、先ほどジルドが閉めた扉をノックする音が聞こえてきた。続いて聞こえたのは、鈴を転がすような声。
「すみません、学園長先生。こちらに、チャールズ先生がいらっしゃると伺ってきたのですが」
「おや? この声はロロくんですか?」
「がはははは! チャールズ先生ならここにおる! 入ってくるといいッ!」
「失礼します」
声と共に、扉が開かれる。まず拙者の目に飛び込んできたのは、柔らかそうな淡紅色の髪。学園長が部屋に招き入れた女子生徒は、蕾が花開くように、唇をほころばせた。
「あの、昨日出し忘れた課題を持ってきたん、です、けど……」
ノートを手にした彼女の視線が、拙者に向けられる。まさかここに、先生たち以外の人がいるとは思わなかったのだろう。彼女の豊満な胸が揺れ、動揺しているのがわかる。
彼女は綺麗な飴色の瞳を大きく見開いて、こう言った。
「ど、どうしたんですかこの人! まるで蛆虫が無限に湧き出てくる、ゴミ溜めみたいじゃないですかっ!」
「本当に、今拙者どんな状態なのでござるか……?」
ゴミ溜めでござるか? ゴミ溜めみたいだからチャールズ先生も学園長も、倒れている拙者に手を貸して起こしてくれないのでござるか?
「た、大変! 学園長先生。学園長室って、救急箱置いてありましたっけ?」
「がはははは! あるぞ。ほれッ!」
「あ、でしたら自分は、ロロさんの課題を預かっておきます」
「ありがとうございます」
チャールズ先生からロロと呼ばれた少女は、手にしたノートを先生に渡し、代わりに学園長から救急箱を受け取った。
ロロ殿は拙者の近くで座り、救急箱を開く。肩よりも少し伸ばした彼女の髪が、サラサラと揺れた。
「ちょっと染みるかもしれないけど、我慢してね」
ロロ殿はゴミ溜め(拙者)に笑いかけると、手慣れた手つきで介抱してくれる。拙者は思わず、彼女の手をとった。
拙者の突然の行動に、ロロ殿の顔に驚きと困惑の色が広がる。それでも構わず、拙者は口を開いた。
「お主なら、立派な衛生兵になれるでござるっ!」
「え、衛生……?」
「ああ、ちょうどいい。ロロくんに頼もう! ロロくんなら筆記試験の成績も良かったし、ヒロキくんの質問にもきちんと答えられるでしょう」
さも良いことを考えついたというように、チャールズ先生は手を叩いた。そしてロロ殿に、拙者を紹介する。
「彼の名前はヒロキ・アカマツくん。昨日教室で話していた、噂の子さ」
「え! じゃあ、エアロからの留学生って、この人なんですか? あれ? でもジルドさんが、今日学園の案内をする予定だったんじゃ……?」
「それが、ちょっとすれ違いがあってね。早速ジルドくんとヒロキくんが場外戦で『最も魅力的な者が勝つ』をすることになって……」
「えっ! ダンヒルきっての名家ゼニア家の次期当主。更に学園入試で筆記試験、魅力試験共にトップの成績を収め、『絶対魅力者』に一番近い男と言われているジルドさんと『最も魅力的な者が勝つ』をっ!」
「そのくだり、もうやったでござる」
チャールズ先生の説明を聞き、ロロ殿が驚愕の表情で拙者を見つめる。それで大体のことは察したのだろう。彼女の拙者を見る目に、呆れの色が多分に混じった。それに、ほんの少しの羨望も。
「でも、この傷が『最も魅力的な者が勝つ』で出来たものなら、安心ですね。『最も魅力的な者が勝つ』で負ったダメージは、次の日までには抜けるように出来てますから」
「『最も魅力的な者が勝つ』ってそんなに万能なのでござるかっ!」
「はい。ダメージは一時的なものなんです。もう、体を動かせるようになっていると思いますよ」
ロロ殿に言われて、手足を動かす。確かに、問題なさそうだ。拙者はロロ殿に礼を言いながら立ち上がる。
「かたじけのうござった。おかげで助かったでござる」
「どういたしまして。『最も魅力的な者が勝つ』の傷だから、あんまり役に立てなかったですけど」
片付けた救急箱を学園長に返しながら、ロロ殿がチャールズ先生の方を向いた。
「それで、チャールズ先生。私に頼みたいことって、一体何でしょう?」
「ああ、それなんだけどね。ジルドくんの代わりと言っては何だけど、ロロくんにヒロキくんの学園案内をお願いしたいと思ってね。明日から同じクラスになることだし。お願いできるかな?」
「私、ですか? ……うーん、はい。わかりました」
チャールズ先生のお願いを聞いたロロ殿は、可愛らしく小首を傾げて数秒。その後、朗らかに笑いながら先生のお願いを快諾した。
「いいのでござるか?」
「はい。この後の予定も空いていましたし。あ、私、ロロ・ピアーナって言います。よろしくお願いします」
「かたじけない。拙者、ヒロキ・アカマツと申す。こちらこそよろしくお願いするでござる」
「がはははは! よし! ならば早速行ってくるのだ。同級生同士、仲良くせいッ!」
学園長の豪快な笑い声に後押しされ、拙者とロロ殿は学園長室を後にした。