奴隷義賊
初めての投稿です。
サンオール街、そこでは今日も奴隷市が盛んにおこなわれていた。競りのように獣人の子供が売り買いされ、人間の笑い声と小さくすすり泣く声だけが聞こえてくる。この世界では獣人の奴隷同士で繁殖させることが一般的であり、獣人は成長が早く、ウサギの奴隷であるアリスも同様で、サンオール街で生まれ、アジェストには一度も訪れたことがなかった。
アジェスト、そこは獣人の楽園といわれ獣人の住処であった。霧深い森に囲まれたその楽園は人間の侵入を拒む天然の要塞だが、それでも毎年侵攻し何人も奴隷として捕まえられていた。捕まえられた獣人は近い町でほかの獣人と無理やり交尾をさせられる。そうやって人間は鼠算のように奴隷の数を増やしていった。そして楽園に一番近い町それがサンオール街であった。サンオールは奴隷産業で経済を賄っているのであった。
「ほら、乗れ。遅いんだよ、このノロマが。」
アリスもまた奴隷商人に足蹴にされ、他の奴隷と一緒に乗せられていく。毎日のように傷が癒えることなく生傷が増えたアリスにとって痛みなどもう感じなくなっていた。手足に鎖が付けられ、赤黒くなった青あざが至る所に付いていた。白い毛は所々なくなり肌が見え、体はやせ細っていた。そんな状態でよく生きている、それが今のアリスの状態だった。何度も絶望して死のうとしたか分からなかった。それでも死ぬことが怖かくて死ぬ直前手が止まるのだった。
「生きていればいいことがある」
眠ることが出来ずに泣いた夜はいつも昔の母のそんなちっぽけな言葉を思い出して眠っていた。そんな母はもういない。生きているかも分からなかった。ほかのウサギの獣人たちの多くは売られるか、死を選ぶかでとっくにいなくなっていた。仲間もいない、死ぬこともできないアリスにとってそんな言葉にすがるしかなかったのだった。
ジャラ、奴隷の首輪が音を立てた。アリスはこの首輪がはずれて欲しいと願わなかった日はなかった。この首輪には魔術が施されていた。魔術は魔力があれば発動し、威力は込める魔力量によって異なる。この世界ではどんな生物でも魔力を常に帯びている。もちろん獣人にも帯びている。その魔力を使い、主に従わないときに魔術が発動して首輪が絞まるのである。
「おし、全部積んだな。行くぞ。」
商人はそう言って荷馬車を動かし始めた。3つに連なった荷馬車には1つあたり合計20人ぐらいの獣人が所狭しと、座っていた。アリスはその真ん中の荷馬車に乗せられていた。傭兵は付いておらず商人らしき風貌の男が6人いるぐらいであった。行先はジンカ街、そこは別名奴隷の墓場と(獣人たちの間で)呼ばれた場所だ。奴隷の労働が当たり前であり、人間が労働するときあればそれは犯罪者ぐらいである。奴隷は人間の道具であり、死んだら買えばいいそれがジンカ街の住民の共通認識であった。
「それにしてもあのメスウサギが買うもの好きがいるとはなぁ。やせ細っていていつ死ぬかも分からなかったもんなぁ。餓死されたら処理するのが面倒だし買い手がついてほっとしてるぜ。はははは」
「確か買い手はジンカ街の男爵様らしいぜ。なんでも毎晩奴隷とやってるんだと。ぎゃははは。あのメスウサギにしたら一日で持たずに死ぬかもな。」
遠くからそんなゲスイ話し声が聞こえてきた。アリスにもウサギの獣人の奴隷にとって未来は絶望という一つの選択肢しか残されていないことは分かっていた。分かっていたはずだった。しかしそれども怖いものは怖い。また震えが止まらなくなった。
「嬢ちゃん、大丈夫や、とりあえず大きく息を吐くんや。」
かすれた声でそう言われ隣を見ると、大きな耳の片方に包帯が巻かれた、毛が抜けた、垂れ目の狼と目が合った。いわれた通り、時間がかかったが大きく息を吐くと少し落ち着いた気がした。
「おじさん、誰?」
「俺は、チョンパって呼ばれとる狼や。嬢ちゃん、大丈夫や。だから落ち着こうや。」
「チョンパ……おじさん。」
チョンパの声で震えが止まっていたが、ほっとしたのか涙が頬を伝っていた。チョンパの声はなぜか温かく心の中にしっくりきていた。
「そうや、チョンパおじさんや。おじさんが嬢ちゃんに付いとるからな。」
そう言いながも胸を叩いたチョンパの腕は震えていた。
「チョンパ、何を持ってるの。」
叩いた手には何かを握っていた。人間が薬を飲むときのような瓶を握りしめていた。
「これはそう、そう、悪い鬼のところに連れていく薬を封印している瓶や。だから絶対勝手に飲んじゃだめなもんや。」
「悪い鬼の方が今より全然いいよ。それ、ちょうだい。」
アリスは悪い鬼とは何かを知っているかのようにその瓶の中身を欲しがった。
「ダメや、もっと苦しむことになるからな。それに連れていかれたら戻ってこれなくなるからな。……………………飲まなくても、大丈夫や。」
チョンパもこんなのではごまかせないと感じたのだろう。真剣な口調でそう言った。
「なにが大丈夫なの。」
「それはな、これに乗る前にフードの男が、仲間が助け…」
「うっせえぞ、奴隷風情が。また鞭で叩かれたいか、あ゛ぁ゛」
どちらかの声が聞こえたのだろうか、商人たちは割れた声で怒鳴ってきた。その声によってチョンパの声が聞こえなかった。
商人たちは静かになったと思ったのか、またしゃべり始めていた。
「そういえば、最近この道に盗賊が頻発してるらしいぞ。ま、金目ものなんてない奴隷商人なんて見向きもしないだろうがなぁ。」
「確かに、奴隷なんて盗む奴なんて盗賊がいたらとんだもの好きだな。しかしそれにしてこの魔道具のおかげで風景と同化したり、姿形を変えれるようになって魔物に襲われることも無くなったからなぁ。」
商人たちは横目で白い煙を出すツボに似たようなものを眺めながらそんなことを言っていた。
魔道具を発動させるには使用者の魔力を必要とするがほとんど魔力を使わず、魔道具に溜めた魔力を消費して魔法を発動する。よって魔道具は高価であるが、魔力を少ししかない商人や農民でも簡単な魔法なら使うことの出来る代物であった。魔術との違いは常に魔力が必要かどうかだ。
煙を媒体として姿形を変えているこの魔道具は魔物に襲われる回数を激減させた。そして魔道具の開発が進み、そのためよりいっそ人より力も速さ違う獣人の捕獲が進んだのであった。
「そうだなぁ、こいつのおかげで俺たちの商売は安泰だなぁ。
それにしても後ろがうるせぇな。まだ奴隷どもが騒いでんのか。うっせえぞぉ」
怒鳴りながら振り返ると、明らかに商人でない出で立ちでサーベル片手に馬で追走する集団がいた。
「と、盗賊だぁ。逃げるぞ。お、追いつかれる。」
気づくには遅すぎた。もう一度後ろを見ると、もう真横にスカーフで口元を隠し、獣のように鋭い目でこちらを睨んでいた。
「死にたくなけりゃ、止まれえ゛」
逆に止まったら殺されるだろがぁ、しかし口も開けずに体は恐怖で冷静さを失い従ってしまっていたのだった。
「どうしよう、殺される」
「死にたくないよ~、マッマ~」
騒ぎに気付いたのか、さっきまでしゃべらなかった奴隷たちも立ち上がったり、頭を抱えたりパニック状態に陥っていた。
「どうしよう、ね、どうしよう、チョンパ。」
アリスもまたそのパニックの渦に巻き込まれていた。
「大丈夫や、俺がおる。だから落ち着けや嬢ちゃん。俺が守ってやるから傍にいてくれ」
チョンパの声はアリスを落ち着かせるものだった。アリスとチョンパの仲には一時的だが絆が生まれていた。アリスはチョンパの袖にしがみつくと離れなかった。
「それにしても、どういうことや。」
「何言っているの、チョンパ、と盗賊がきたんだよ。」
チョンパだけがブツクサと小声で何かを言っていたが、周りがうるさかったからか何を言っているのか隣にいたアリスでも聞こえなかった。
バサァ、ギィー、荷馬車の後ろの布が捲れる音と誰かが乗り込む音が騒がしかった荷馬車にもやけに響いた。奴隷たちは恐怖し一斉に静まると恐る恐る振り返った。
そこには一人の男が片手にサーベル、片手に瓶らしきものを持っていた。
「獣人ども、ちょっと静かにしてろ」
男はそう言うと、バリィ、瓶を床に叩きつけ、出て行った。瓶からは白い煙が出て、荷馬車内に充満したかと思ったら、立っていた獣人は次々に倒れ、アリスも例外ではなかった。
ここで死ぬのかな、こんなに楽に死ねるならもういいや。
そこでアリスは意識を手放したのだった。
ガッタン、ヒーヒヒヒヒ。大きく揺れたかと思ったら荷馬車が止まった。
あれ私、何してたのだ、ひっ。アリスはすべて思い出し、震えが止まらなくなっていた。盗賊に捕まって白い煙で殺されたんじゃなかったの。チョ、チョンパは。隣にはぐったりとしたチョンパが仰向けに倒れていた。ね、お起きてよ。ゆすり動かしてもピクリとも動かい。涙がアリスの頬を伝っていた。置いてかないでよ、私だけ置いてかないでよ。
ポンポン、誰かが頭をなでてくれていた。
「大丈夫だよ、嬢ちゃん。だから涙で顔を濡らすなよ。」
毛が抜けて、ごつごつした手はぬくもりのある温かい手だった。
ほっ、としたのか、涙がさらに止まらなくなっていた。
「あれ鎖がはずれているな。それにしてもここはどこや。周りには誰もいなさそうやな。」
チョンパは耳で周りの様子を窺っているようだった。アリスも周りを見るとほかの獣人の鎖も外され、そばに無造作に置かれていた。チョンパはアリスを抱えると後ろの降り口に静かに向かった。
バサ、バリン、荷車の降り口に被っていた布を持ち上げるとチョンパもアリスも目に前の光景に信じられなく空いた口がふさがらず、蹴飛ばしたものにも気づいていないようだった。
そこには幻想が広がっていた。天まで続くような大木が何本も生えて、大木の高いところに大木どうしに縄梯子がかかり、枝葉の間には木でできた、家には質素すぎる小屋のようなものが何個か建てられていた。近くには底が見えるくらい澄んだ湖があり、魚が優雅に泳いでいた。
「おう、もう起きたのか。まだもう少し効くかと思ったんだがな。」
声の方向を見ると、顔をスカーフで隠し、目もとしか見えない男が立っていた。片手には血がベッタリついたサーベルを持っていた。チョンパはアリスを抱えたままその男の間に入ると、目が鋭くなり、狼の獣人特有の爪を突き出していた。
「それ以上近づくな。ここはどこだ。」
「おいおい、そんなに警戒すんな。ここはアジェストだ。」
そう口調は軽いが、見えている眼は冷酷なものだった。
「え、ここがア、アジェスト。じゃあここが楽園。え、どういうこと。」
「おい、嘘つくなやぁ。ここが楽園なわけないやろ。そうだとしても、なんで盗賊のオメエがこの楽園を知ってるんや。どういうことうや。」
とアリスは混乱して周りを見渡し、チョンパの目と爪がさらに鋭くなった。
「…いいから落ち着けよ。とりあえず、一から説明するからよ。」
一瞬首を傾げるとサーベルごと両手を持ち上げ、白旗をあげるようだった。顔は見えなかったが、口もとで笑っているように感じた。しかしだからこそ警戒を解いているのに目の鋭さは変わらず余計に異様に感じるのだ。
相手のちぐはぐ様子をチョンパも感じたのだろう、警戒しているようだったが話を聞くほどには冷静さを取り戻したようだった。
「まず疑ってるようだが、ここは間違いなく楽園アジェストだ。そして俺は確かに盗賊だが、獣人の味方であって糞どもの味方になった覚えはねよ。」
アリスは目の鋭さにも慣れ、男の目の雰囲気とは異なる口調は嘘を言っているようには感じなかった。
「じゃあ私たちは何が起きたの。」
「俺たちは獣人の荷馬車を見つけて襲った。そのあとお前らを眠らせてここまで連れてきた、それだけだよ。」
「おい、それじゃあおかしいやろ。盗賊は奴隷商人を襲わない、それが人の常識や。相手の商人だって身ぐるみをはいだとしても商品は見逃せって言うやろ。」
チョンパは大声で叫んだ。
確かに奴隷は商品だ。主を殺して代わりの主となれば売ることもできる。しかし奴隷は宝石とは異なりそれほど価値があるわけではないのだ。まして食料とも違い捕えても食い扶持が増えるだけなのだ。
アリスはチョンパが相手の装いと話している内容の乖離についていけないのだと感じた。
「チョンパ。この人嘘言っていないと思うよ。」
「こんな奴が信用できるわけないやろ。こんな殺人鬼のような眼をするやつのことを。アリスだけでも今すぐ逃げるんや。」
そう言うと、アリスを下におろすとスカーフの男の方に向き直った。その行動でアリスはチョンパが男の目にあてられて周りが見えていないことに気付いた。
「おいおい何勘違いしとるんだ。俺は獣人やぞ。」
チョンパは足を止めて恐る恐る振り返ると、そこには獣人がいた。立派な毛と獣人特有の耳がある獣人だった。
「おいおいどういうことや。さっきまで目が殺人鬼のようなスカーフ巻いた男がいたはずや。それが何で立派な毛が生えた虎の獣人になっているんや。」
「だから盗賊だと分かったのか。言ってもいないはずなのにおかしいなと思ったんだ。まだこれに魔力残ってたのか。ああえっとなぁ、この魔道具で盗賊に見せてお前らを人間から助けたんだ。」
そう言うと男はから取ったスカーフを掲げて見せた。
チョンパは安心からか腰を抜かしたようだった。
「なんや、そう言うことかいな。てっきり今度は、フゥッフゥ…盗賊に、無理やり、死ぬまで使われるのかと…。」
チョンパはアリスを抱えていない方の手で顔を隠しながらむせび泣いていた。今までどれほどの苦痛に耐えてきたのか少しだけ分かるようだった。アリスはチョンパの頭を何も言わずなでていた。
泣きつかれて少し落ち着いたのかチョンパは疑問に思ったことを聞いた。
「フゥ―……、なぁ、俺は荷馬車に入れられる前にフードの男に『仲間が助けてやる、だから荷馬車でじっとしてろ』って言われたんや。こんな計画なら話す必要なかったんじゃないか。」
「それについては俺から話そう。」
「団長ご苦労様です。こちらは薬が弱くアジェストの人たちに受け渡す前に起きてしまったようです。あ、こちらは人間だが俺らの盗賊団の団長だ。団長は人間だからサンオールでも自由に動くことができるんだ。」
そこに現れたのはフードを片手に抱えた人間だった。見かけは若く線が細そうだったが袖から覗く二の腕はしなやかで、強靭な体が窺えた。
チョンパは警戒しアリスの前に腕を横に広げた。
そして虎の獣人はその男に頭を下げてると現状の説明を行った。
「驚かせてすまない。人間であるから君たちには会うつもりがなかったが、それを言った本人として説明をしようと思ってな。」
そして男はチョンパたちとは一定の距離を開けつつそんな言った。
チョンパは獣人の説明を受けても目を細め、警戒を緩めるつもりはなさそうだった。
「その発言に関してだが、君が荷馬車の中で死ぬのではないかと思ったからだ。死ぬ覚悟を決めた目をしていたからだ。アジェストに亡骸を連れて行きたいわけじゃないからな。」
そう言われたチョンパはどこかあきらめた表情だった。
「確かにな、最後にアジェストを見れてよかったよ。嬢ちゃん残すわけにはいかないと思ったけど、これでようやく楽になれるわ。嬢ちゃんの事頼むで。」
そう言うと懐から瓶を取り出した。そして瓶の中身を手に移した。
バリィン、バタン。
獣人と男が近づいたときには、チョンパの上に覆いかぶさるようにアリスがいた。
あの一瞬でアリスがチョンパに飛びついて死ぬのを阻止したのだった。それによって握っていた瓶が落ちたのだ。
「なんで死なせてくれないんや。もう生きててつらいんや。」
「死んじゃヤダよ。生きてたらなんかいいことあるよ。お母さんそう言ってたもん。チョンパ言ったもんそれ飲んだらもっと苦しいところに行くって。死んじゃダメだよ。」
そう言ってアリスは泣き崩れていた。チョンパは生きていた。チョンパは恨めしそうに悲しそうにけれど生かされたことに喜びを感じているようだった。
その後、チョンパの薬は人間が預かることとなった。そしてほかの元奴隷にもこのような物を持っていないか点検しているとアジェスト側から多種多様な獣人が近づいて来ていた。そしてアジェストの獣人によってチョンパを含め元奴隷たちは介抱されていった。
人間は介抱されていく元奴隷を眺め、おもむろに私に近づいてきた。少し距離を開けて立ち止まると私と同じ目線まで目線を下げた。
「お嬢ちゃんのおかげであの狼の獣人を死なせずにすんだありがとう。お嬢ちゃんも強く生きてくれよ。」
そう言うと頭を下げた。
しかしアリスの中ではなにか小さな灯が生まれていた。
「あの、えっと、どうやったらと、とうぞくだんに入れますか。」
男は驚いたようで頭をあげるとアリスと目を見て真剣な表情でこう告げた。
「そのためにはまずしっかり勉強しなさい。それから一杯ご飯を食べてたくさん運動して体力を付けなさい。そして大人になったらまた誘う。それでいいかな。」
アリスは頷くと頭を下げた。
「助けてくれてありがとう。」
男は少し微笑むと背を向けて去っていった。
後日談として結局アリスは盗賊として団長補佐まで上りつくのだがそれはまた別の話である。
感想をもらえると、前向きに取り組めるので面白かったら感想をください。