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【PATRASCHE】使い魔獣パトラッシュ、主を探して  作者: 桜良 壽ノ丞
【 I 】ジェミニ村の老夫婦~Gentle villagers~
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ジェミニ村の老夫婦-01(002)



【 I 】ジェミニ村の老夫婦~Gentle villagers~




 陽の照りつける真夏の街道。


 草原は姿を消し、草もまばらな礫砂漠が広がる。老猫……の姿をした魔獣にとって、それは決して楽な環境ではない。


 乾いた肉球と僅かに出た爪が、固い土の上にプチプチと音を立てる。それはとても軽快とは言い難いリズムで刻まれていた。


「ああ、塩をよく拭き取ったベーコンが恋しい。魚の乾物、鶏肉、カエル……ああ、わたくしは今までなんと贅沢な思いを」


 パトラッシュはヨボヨボと歩き続け、やはり眠りたい時に眠り、歩かなければならない時には歩いていた。ふさふさなので分かりづらいが、何日も何日も続けるうちにすっかり痩せてしまい、この数日で口にしたのは小さなバッタと沢ガニだけだ。


 パトラッシュは困った事に地図を持っていなかった。どのくらい進めば次の村に着くのかを全く分かっていない。


 猫の視線の高さから見える範囲など、たかが知れている。猫モドキ……いや、元使い魔の目線では、前方に広がる世界は果てしない。



 そんなパトラッシュが村を出てから7日目。およそ50キロメータ(1キロメータ≒1キロメートル)程街道を進んだ頃だった。


 老いた体でよく頑張ったものだが、それももう限界だった。とうとうパトラッシュは歩けなくなり、街道の横でうずくまり、倒れてしまった。


「ご主人様……わたくしの、ご主人様……ご主人様にお仕え、したい」


 元々は綺麗好きだったパトラッシュだが、目やにが溜まり、毛並みはパサパサになって絡んでいる。肉球も固くなり、使い魔だった頃自信に満ち溢れた姿は面影もない。


 猫として見た場合、もう後がない事は誰の目にも容易に分かった。その目元が微かに濡れ、力の入らない前足が土を掻こうとして宙を探る。


 それでもパトラッシュは、ご主人様が欲しいと願っていた。


「ご主人様に、お会い……しなければ」


 パトラッシュの物語はここで幕引き。バッドエンドで静かに終わるのか。そうなれば「めでたくなし」だ。


 そう思われた時、1台の馬車の少し騒がしい音が聞こえてきた。


 どうやらそれは北からやってくるようで、車輪の音も蹄鉄の音も軽やかだ。もしもパトラッシュの元気が良ければ馬車に飛び乗り、下手な猫真似をして媚びを売って、楽々次の町を目指せただろう。


 だが無情にもそのまま馬車は通り過ぎる。パトラッシュにも追う力はない。


 ああ、せめて轢かれるような場所に倒れていなくてよかった。


 パトラッシュがそう思った時、馬車の動きが止まった。馬が鼻を鳴らし、車輪が軋んで何やら声が聞こえてくる。


「あらあら……こんな所で猫ちゃんが」


 深紅に塗られた上等な馬車から、老齢の小柄な貴婦人が大慌てで降りてきた。


 白髪は綺麗に後ろで纏められ、白いブラウスの上には紫のカーディガンを羽織り、ふんわりとした紺色のスカートを穿いている。それなりに身分が高そうな印象を受ける。


 貴婦人は上品な服が汚れる事も気にせず、パトラッシュをよいしょと持ち上げた。だがパトラッシュは大型猫に等しく、老齢の女性には重すぎる。


 パトラッシュは意識も朦朧としており、自身が拾われた事も分かっていなかった。御者に命じて馬車に乗せると、貴婦人は呼吸の浅いパトラッシュを撫でながら馬車を急がせた。





 * * * * * * * * *





 ジェミニ村という人口およそ1000人の集落に着くと、馬車は大きな屋敷に入って行った。


 町並みはよく整っており、煉瓦造りの建物が多い。木造の家も壁がニスで綺麗に塗られ、手入れが行き届いている。


 家々は建ち並ぶほど多くはなく、各戸の間には農地が広がっている。簡素な柵に囲まれた牧場では牛や馬、羊などが気だるそうに放たれていて、遠くからは鶏の声も聞こえた。


 そんな豊かな村で一番大きな屋敷に着いた馬車は、人の背程の石垣に囲まれた敷地内の、馬車用の車寄せで止まった。召使いの女が待機しており、貴婦人は先にパトラッシュを降ろした。


「道端に倒れていた猫ちゃんよ。手遅れかもしれないけれど、放っておけないの」


「まあ奥様、旦那様に知られたら大変ですわ」


「ええ、上手く匿ってちょうだい」


 よわい40程の召使いは、貴婦人からパトラッシュを受け取ると、重そうに屋敷の中へと運ぶ。家の主に知られてはまずいとあれば、女性の夫は猫嫌いなのだろうか。


 両開きの大きな玄関扉を開くと、すぐ足元に熊の毛皮を使ったマットが敷かれている。良く磨かれた長い焦げ茶色の木板の廊下には、召使いのパンプスの踵の音が響く。


 両側の白い壁には風景画が飾られ、花台には青磁の花瓶に溢れんばかりの花が活けられている。


 立派な角を持った鹿の頭部のはく製が、まるで壁から顔を出したように飾られ、廊下の左右にはいくつも部屋の扉が並ぶ。裕福な村の中でも特に立派な屋敷だ。


 召使いは自身の部屋にパトラッシュを連れて行き、ローテーブルの上にタオルを重ねて置くと、パトラッシュを寝かせた。


「お優しく穏やかな奥様に拾われて良かったわね猫ちゃん。先に旦那様に見つかっていたらどうなっていたことやら」


 目じりに皺を寄せながら、召使いはニッコリと微笑む。パトラッシュの息がある事を確認した後で部屋を出ていき、どこかへ電話をかけ始めた。





 * * * * * * * * *





 パトラッシュが目を覚ましたのは夕方近くになってからだった。


 パトラッシュは整理整頓が行き届いた室内を見回し、どこかに連れてこられた事に気付く。柔らかなタオルを掛けられ、傍には水とよく身をほぐされた魚が置かれている。絡んだ毛は丁寧にブラッシングされ、潤いはないが綺麗になっていた。


「わたくしは……ここは、どこでしょう」


 目の前の水や食べ物は明らかにパトラッシュの為に用意されたものだが、万が一屋敷の飼い犬や飼い猫の者だった場合、始末が悪い。


 パトラッシュは空腹と渇きに耐えながら家の者の訪れを待った。しばらくすると部屋の外でボソボソと声が聞こえてくる。


「奥様、まだ旦那様には。獣医は衰弱しているものの、栄養剤を注射したから大丈夫だと言っておりました。新種の猫かもしれないとも」


「そう、ひとまず無事なら良かったわ」


「私は夕食の用意がありますので」


「ええ、有難うマーシャ。中に入ってよいかしら」


「はい、奥様であればいつでも」


 声は途切れ、樫の扉が僅かに灰色の絨毯を擦りながら、内側に押し開かれる。入ってきたのはパトラッシュを拾ってくれた貴婦人だった。


「あら猫ちゃん、起きたのね。お願いよ、頼むから暴れたり鳴いたりしないでね。周囲に知られたら大変なの」


「……」


 パトラッシュは目の前の女性が自分を拾ってくれたのだと理解した。声を出すなと言われたため、「承知いたしました」の代わりに女性の手の甲を1度だけ舐めて返事をする。


「お利口ね。さあ、お水とお魚はあなたのものよ。早く元気になってちょうだい」


 女性の柔らかい手がパトラッシュの背を優しく撫でる。毛がパサついて撫で心地が悪かろうと、婦人はその手を止めることなく、しばらく撫で続けてくれた。


 パトラッシュにとって、久しぶりの人との触れ合いだ。


 自分が魔獣である事も忘れ、パトラッシュは気持ちよさそうに目を閉じ、喉をグルル、グルルと慣らしていた。


 そんな至福の時間が過ぎていき、パトラッシュが思わず感謝の言葉を述べそうになった時、部屋の扉がノックされた。


「奥様、旦那様がお探しです」


「分かったわ。猫ちゃん、お願いだから少しでも食べて元気になって。お手洗いはそちらにタオルを敷き詰めてあるから。お利口だから分かるわね」


 鳴いてはいけないと言われているため、パトラッシュは力を振り絞って座り、口だけを開けて返事をした。


 女性は手や服についたパトラッシュの長い毛を急いで払うと、足早に部屋を出ていった。


「なんとお優しい方なのでしょう。あのご婦人なら、わたくしが魔獣であっても受け入れてくれるのかもしれません」


 ゆっくりと立ち上がり、パトラッシュは用意された水を飲んで、よくほぐされた魚の身にかぶりつく。久しぶりのまともな食事に、パトラッシュは亡き主との日々を思い出していた。

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