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リムファの静かな遍歴  作者: 熊谷純
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第六話「嵐の夜」

 昼過ぎ、夕闇が近づく頃に再び目を覚ますと、相変わらず窓の外には嵐が滞在していた。

 窓は軋み、轟音が叫び声を上げていた。

 ぼくはベッドを出て、普段着のまま部屋を出る。

 通路を行き、宿の玄関へと向かうと、相変わらずアモルが、壁に掛けられた絵を眺めて頬杖をついていた。

「よお、目覚めたか?」

 こちらに気が付くと、彼は態勢を変え、こちらを向いた。

「な?当たっただろ。ジルは天気見の達人なんだ」

 そういって彼は、片目を閉じる。

「何か食べる物はありますか?」とぼくは率直に訊ねた。

 アモルは大笑いして、カウンターを勢い良く叩く。

「昨日と似たもんで良かったらな!食堂で待っててくれ」

 その言葉にぼくは、素直に従う。

 ぼくが借りている部屋の真正面にある食堂に行く。

 食堂はそれほど広くなく、三つばかり木製の机と、それに合わせた椅子があるだけだった。

 ぼくは奥の机に座り、部屋の窓から見える風景を眺める。

 近くの田畑に育つ麦の穂は風に翻弄され、遠くの森では、木々が泣き叫ぶように揺れていた。

 彼方にあるアルガスの、岩を剥きだしにした山々は、嵐が呼び込む雲に隠れていた。

 しばらくすると、アモルが料理を運んできた。昨日と同じような内容だ。料理は二人分あった。

「俺も一緒に食べるよ」

 そう言って彼は、テーブルの上に料理を置き、対面の椅子に座った。

「どうして嵐がくることがわかったんでしょうか?」

 食事中、ぼくは彼にそうたずねてみた。

「雲がな、アルガスの山々より低く、海の匂いがすると、嵐がくるらしい」

「海の匂い」

「そう、風が海を運んでくる前触れ、とかジルは言ってたな」

 そう言ってアモルは、よく焼けた鴨の肉を口にした。

「それは記録しておくべきですね」

 ぼくがそう言うと、彼はそりゃ良い、と笑った。

「帳簿には二十歳とあったな。リムファ君、酒はたしなむのかね?」

 おどけたように彼はいう。

 ぼくは、いいえ、と首を振る。

「そうか、すまんが俺は一杯やるぞ。こんな日は飲んでやり過ごすに限る」

 そう言ってアモルは、どこからかブドウ酒を持ってきて飲みはじめた。

 食事が終わっても、ぼくたちは外の嵐を眺め、色々な話をした。


 アモルは農家の三男に生まれた。末の子だった。豊かな生活ではなかったが、食うには困らなかったらしい。

 持っている畑を広げて、三兄弟で土地を分けて生きていくつもりだった。

 しかし、若い時に長兄が病で亡くなり、次男はそれを気に病むようになったという。

「医者がいうには、一番上の兄貴は遺伝性の病気で死んだらしい」

 アモルはブドウ酒に口をつけながら、そう言った。浅黒い顔に朱が混じっている。

「そんな事あるだろうか。だって親父やおふくろはピンピンして、親戚もたいがい無事に生きてた。しかし、医者は遺伝性の病気だっていう。俺はあの医者はヤブだと、今でも思ってるよ」

 少しずつ声が荒くなっていく彼の話を、ぼくは無言で聞いた。

「でも二番目の兄貴はそれを間に受けたんだな。いつか自分も、と考え込んで、沈んだ顔の日が多くなった」

 そう言ってアモルは、陶器の杯に入っていた酒を飲み下した。

「そうして、とうとう部屋から出てこなくなった。俺はそれまでさんざん、考えすぎだ、と説得してきた。でもあいつは聞いちゃいなかった。畑は荒れる一方だ。俺一人じゃ手が回らなかった。それで」

 瓶に入ったブドウ酒を、杯になみなみと注ぎながら、彼は話を続けた。

「もう我慢ならん、良い加減に仕事を手伝え、とあいつの部屋に怒鳴りこんだよ。そうしたら」

 彼は杯の酒を飲み干す。

「あいつは首を吊ってた。遺書もなかった。馬鹿な奴だ。」

 つらいですね、とぼくがいうと、彼は首を振った。

「つらいとかの言葉では片付けられない。ただ、訳がわからなかった。医者がいった一言が、巡り巡ってあいつを殺したんだ。あいつの、それまでの全て、人生みたいなもんがたった一言で無くなる。馬鹿な話だ、としか俺には言えんよ」

「それで、あなたはそのあとどうしたんです?なぜ宿屋に?」

 ぼくがそうたずねると、彼は再度首を振った。

「わからん。ただ、全てが馬鹿らしくなった。親父たちが引き止めるのを無視して、俺は旅に出た。食っていくために色々な事をした。色んな場所に行った。まだ小国だったアルガスにもな、あんたの生まれる前だ」

 ぼくは無言でうなずく。

「そうして色々なものを見たあげく、このラカン村に帰ってきた。両親はとっくの昔に死んでた。俺もまた、医者のたった一言から始まる出来事に翻弄された、馬鹿の一人だったんだ」

 そう言って、アモルは窓の外に目をやる。

「しかし、死ぬ気はなかった。自分を殺す、そんな事は馬鹿げてる。俺は同じように流れ行く旅人のために、宿屋をはじめた。それからも色々あったよ。あんた、この宿の玄関にある絵を見たかい?」

「あの農夫が種を蒔く絵ですか?」

「そう、あれこそが、本当の俺たちの居場所なんだよ」

 ぼくは何も答えなかった。

 ただ窓の空を眺めていた。

 相変わらずの嵐だ。

 かすかに宿は揺れているが、ひどい事態にはならないだろう。

 外はすっかり暗くなっていた。

 風が荒々しく鳴る。

 その中に、ふと人の声がする。

 気のせいだろうか?


 いや、違う。

 宿の入口のほうで、誰かが叫んでいた。

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