第五話「隠されたもの」
宿の外では、アモルが風呂に繋がる火口に薪をくべ、火を熾していた。
風呂は木材を長方形に組み、そのすき間を粘土のようなもので埋め、下に鉄の板を敷いた簡素な作りだった。
火口で熾した炎の熱が、風呂の最下部から水を温める仕組みだ。
「良い具合だ。入りな。熱かったらいってくれ」
アモルに促され、ぼくは服を脱ぎ、風呂に入る。少し熱すぎたが、黙って目を閉じた。
「ここは田舎だ。都会の豪華な作りというわけにはいかない。こんな風呂ですまんな」
彼のその言葉に、ぼくは首を振る。
「とんでもない、都会だって、湯のないところはたくさんあります。お湯があるだけで贅沢だ」
秋の風がかすかに森の葉を揺らし、頬を撫ぜた。虫の音が草木の間から聞こえ、薪がときおり軽やかに爆ぜる。
「なあ。あんたたちは、何だって色んなもんを記録して回ってるんだ?そんな必要があるのか?以前泊まった記録係にも訊いたが、正直おれにはよくわからんよ」
アモルは火口に薪をくべ、そこにときおり穴の空いた木の棒で、口から風を送り込んでいた。一息ついたあと、彼はそう質問をしてきた。
「かつて、遥かな地、砂漠を越え海にたどり着く街に、世界の全てを収めた図書館がありました」
ぼくはそう答える。
「その地の王は、世界を求めていました。世界を手に入れるために、世界を知らなくてはいけない、と考えたのです。彼は臣民を使い、世界中のありとあらゆる技術、情報を、その図書館に集めました」
「ふむ」
火口の前で、アモルは少し考えるように、手を顎にあてていた。
「その図書館はどうなった?」
「戦乱で焼失しました」
「なら図書館は無駄だったんだな」
そういったアモルの言葉に、ぼくは首を振る。
「とんでもない。そこは戦が訪れるまでは、世界で最高の学術都市でした。あらゆる情報、学者が集い、またそこから文化を世界に発信していたのです」
繁る森の枝々、その先には無数の星たちがあった。
枝は影絵のように形だけが浮き出て、風に揺れ、濃紺の夜空に金色の光がちらばっている。
「わがレムリアの王は、もう一度その学術都市を作ろうと、時事記録課を設立し、あの星のようにきらめく世界の全てを、わが国の大聖堂に収集なされているのです」
ぼくは夜空の星たちに手を伸ばす。
「我々、記録係はその使者です。世界の全てをレムリアに集めるために在ります」
そう答えたぼくに、
「それは嘘だな」
と、アモルが鼻で笑った。
「世界をレムリアに集めるんじゃない。レムリアを世界に広めるんだろう?違うか?」
言ってから、アモルは火口に薪を投げた。
「なんとなく、あんたらの正体がわかるような気がするよ。それは別に悪い事じゃない。気を悪くしたなら、すまんな」
アモルは火口に鉄の蓋をかけると、両手を服にこすり、埃を払った。
「火はこれくらいで良いだろう。風呂を使い終わったら、火口に湯を入れて火を消してくれ。俺はそろそろ寝るつもりだ」
そうして、彼はぼくに背中を向けた。
ぼくは無言で彼の背中を見ていた。
「明日、朝には宿を出発するつもりです」
そう口を開くと、彼は背中を向けたまま首を振った。
「隣家のジルというやつが、さっきここに来て、明日から嵐になると教えてくれた。二、三日泊まった方が良い」
「嵐?こんなに星が出ていますよ」
ぼくがそういうと、彼は再び首を振った。
「嵐になる。この地方についてだけだが、天気見の達人なんだ。晴れなら良いが、嵐なら泊まっていけ」
「できれば、急いでレムリアに帰りたいんです」
「気持ちはわかるがな、天気はどうしようもない。どうしようもない時には、ゆっくり、じっと待つしかない」
そう言い残して、彼は宿へと戻っていった。
ぼくはもう一度空を見る。
星は変わらず瞬き、風は穏やかだ。
とても嵐がくるようには思えなかった。
しかし、翌朝ぼくがベッドで目を覚ますと、カーテンを閉めた窓がきしんでいた。
雨が窓を打ち、風が荒れ狂う唸りを上げていた。
外には嵐が訪れていた。
ぼくは深いため息を吐く。
そして、身体の向きを変え、ベッドの中でもう一度、深い眠りへと落ちていった。