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あまりの衝撃に息がつまり、目が眩んだ。起き上がろうとした半身をイリアーズが踏みつけた。
「よくも…!」
唇をわななかせるイリアーズは、もう正気を失っている。足があばらに食い込み、きしきしと音が耳にとどく。こらえきれずにあげた悲鳴を、イリアーズが笑う。いっそこのまま気絶できたらどんなにか良いだろう。
「いいざまだ。裏切り者にふさわしい死を与えてやる」
「……死ぬものか」
火の手は勢いをましている。もはや、おそいかかる者はない。逃げ出したのか、消火にあたっているのかわからない。ただ、火のはぜる音や建物が軋む音がする。早くしなければ、カナンは閉じ込められたままだ。
イリアーズが剣の先を向けた。熱風に煽られ、奴の姿が揺らめいて見える。
「最期に教えてやろう。お前の追討を命じたのは、タチアナさまだ」
頭の奥で何かが弾けた。そんなはずがあるものか! おれは満身の力でイリアーズの足首を掴みあげた。平衡を失い、イリアーズがよろけた。そのすきにおれは勢いよく立ち上がった。姿勢を立て直し、剣を構えたイリアーズの胸元を切っ先が薙ぎ払った。
「嘘だ!」
おれの剣はイリアーズの剣を打ち砕いた。イリアーズが再び悲鳴をあげ、くずおれた。血が飛び散り、数本の指の先が消えていた。
おれはイリアーズの胸倉をつかみ、問いただした。
「嘘をつくな、タチアナさまの筈がない。あのかたを汚すな」
はっとイリアーズはおれを見詰めて息を飲んだ。おれを先の欠けた指でさししめす。唇がかすかに震え、動いた。
「きさま、尖耳族……」
最後は吹きつけてきた猛火に遮られた。イリアーズをけり飛ばし、炎を避け塔へ通じる階段を目指した。
「トール……!」
塔から、かすかにカナンの声が聞こえる。煙りで満ちた螺旋階段を昇る。焦る心とは裏腹に、足が思うように上がらない。やっと牢についたときは、煙を吸い込みすぎたせいか、頭が朦朧とした。
牢の数は六。食器をのせた盆のおかげで、どこにいるのかすぐに分かった。
「カナン、大丈夫か?」
鉄格子ごしに中に呼びかける。鎖が触れあう音と、咳こむ声。
「トール? どうして火事になったの?」
「説明は後だ」
なんとか元気そうだ。鍵は入手できなかった。剣で錠の部分を壊すしかない。力任せに数回振りおろすと、意外なほど簡単に扉は開いた。
「怪我はないか」
思いのほか大丈夫そうだが、手錠をかけられた手首は擦れて赤く腫れているのが痛々しい。すぐに鎖も断ち切り、自由にしてやる。
鎖を解くのももどかしく、カナンは牢を飛び出した。慌てて後を追うと、奥まった扉の前に立ち尽くした。
通路に盆が出されてなくとも、ここが特別な場所だということがわかる。あまりにも異様な数の札、符呪が何重にも貼られていた。記憶違いでなければこれは確か危険なものだ。そう注意しようとした矢先にカナンは符呪に手をかけた。
火花が散った。カナンの指先は瞬く間に細かく切り裂かれ、血に染まった。
「やめろ、カナン! 特種な符呪だ」
おれの声など届いていないように見えた。カナンは傷つくことなとかまわずに、札を剥いでゆく。すべてを剥ぎ終えると、扉は自ら開いた。
この部屋にも煙りは侵入していた。勢いこんで入ったが、人の気配はみじんも無く、カナンも不意を突かれたように足を止めた。
「来なくてもよかったのに……」
背後で声がした。振り返るとそこには鎖でつなぎ止められ、うずくまる姿があった。窓から差し込む炎の明かりで見たそれは、紛れも無く尖った耳を持つ尖耳族だった。カナンは言葉も無く、駆け寄るとその胸に顔を埋めた。
少年は、カナンよりも幾つか年上にみえた。深紅の巻き毛は背中を覆い、黄金の瞳がいとおしむようにカナンをみつめる。
「火をかけるとは、無謀なことをする」
冷やかな視線をおれに向けながら、彼はつぶやくように言った。――すべて分かっている――とでもいうように。
「齋民人は進歩がない。野蛮な行為で押し切ろうとする」
「口をきくな、体力を消耗する」
返事を待たずに、鎖に剣を降ろした。が、剣の勢いはやんわりと押し返された。
「無駄だ。術をかけた特種な鎖だから、並の剣は通用しない」
「暴れ過ぎだな」
おれの言葉に自嘲的な笑いを浮かべた。よく見ると、彼が座っている床は放射状にひびが入り、所どろこ欠けている。窓の鉄格子は引きちぎられたように無くなっており、板が打ち付けられてあった。隊長の言った『てこずった』の意味が朧げながら察することができた。
「外せないの? トール……カインを助けて」
涙をためたカナンはいきなり名前を口にした。彼は否定しなかった。むしろ喜ばしげにほほ笑む。
「私のことはいいから、早くお逃げ。万が一鎖が切れたとしても、私は歩けない」
床に投げ出された足を改めて見ると足首が不自然な方向を向いている。逃げられないよう、王に渡すまで殺さぬ程度に痛めつけられたのだ。
「重罪人扱いだな」
おれの視線でカナンも気づいたらしい。小さな肩をふるわせた。
「どうして、わたしたちが何をしたっていうの……? ただ天空に帰りたいだけなのに」
「カナン……」
カナンを抱き締めたいのであろう。カインの腕がもどかしげに動く。
「君だけでもいい。私の首から宝珠を外していくんだ。私の代わりに、皆の代わりに」
そう促したが、カナンは激しく首を横に振った。
「いや! このままじゃ、カインが焼けちゃう!」
「そのほうがいいよ。王のもとに引き出されればどうなるか私はよく知っているから。なぁ、トール」
カインは意味ありげな眼差しでおれを見据えた。
「見たことがあるのか」
「私は一族から、この世の総てを見る力を賜った。知っている。おまえがしてきた総てのこと……。そう、お前の村がこの戦乱の引金になったということも」
膚が粟だち心臓が早鐘のごとく鳴る。カンイの言葉におれはひどく動揺した。戦乱の引金? まさか! そんな筈があるものか。
泣き伏していたカナンも顔をあげる。しかし、カインはそれ以上続けることなく、複雑な面持ちのまま沈黙した。
「けれど、カナンはお前を信用している。カナンをよろしく頼む……。もう私の力も尽きかけている。同族とはいえ、あれの事が見えなくなって久しい。名前も思い出せない。あれの力が増大し、偽りの記憶を見せるからだ。村が潰滅したのは私の力不足が原因だ。このまま皆の所へとゆかせてくれ」
カインの話はそれきりだった。彼はここで死ぬことを願っている。王の前に引き出された巫女たちは、なぶりものにされる。ひとおもいに殺されることはなく、じわじわ拷問を受ける。何度となく見てきた風景。おれはそれに加わることはなかったが、平然と眺めていた。……今では信じられないが。
おれはカインの首から宝珠をはずし、カナンに握らせた。カナンは身じろぎひとつせず、カインから離れそうもなかった。そうして見ると、二人はまるで約束された恋人どうしにも思えた。
しかし、火の手は最上階のここまで迫っている。無理やりカインから引き離そうとしたとき、カナンは叫んだ。
「いや! 絶対いや!」
ふたつの宝珠が輝いた。炎よりも明るく鋭い輝き。とたんに鎖が砕け散った。
「一緒に逃げるのよ、カイン」
カインは自由になった腕を見つめている。一度握った指を開いたとき、何かを決意するようにまなじりをあげた。
「見てごらん、カナン。いいか、ここにあるもの、この世界のものすべてに宿るものたちを。あれが見えるだろう?」
カインが指さす空間にカナンは目を向けた。初めのうちは焦点が定まらないように、せわしく動いた瞳は、やがて一点を見つめた。
「君はまだ力を解放していないけれど、あれを使役することが出来る。お願いしてごらん、ここから助けてくれるように」
おれには見えない何かが二人の前にはある。言葉少なに交わしただけで、わかるのか。これが尖耳族の巫女なのか。
カナンは何かを捕えている。その瞳が力強く輝く。耳の底に響く透き通った音は、宝珠が鳴っているのか。
「助けて、ここから出して!」
カナンの言葉に何かが応じた。次に宝珠が光ったとき壁が吹き飛び、体が宙に投げ出された。
カナン! おれの叫びは声にならなかった。しかし一瞬見えた光景が胸に焼きついた。
手を振るカイン。
どうか、よろしく。カナンを……。
声が聞こえたような気がした。
水音が二つ。
水面にたたきつけられたおれは、がむしゃらに体を動かした。手に当たった人の体の感触。カナンだ。夢中でそれを引きながら岸にたどり着いた。
「カナン、カナン!」
気を失っているカナンの頬を何度もたたいた。と、カナンは咳きこみながら水を吐いた。安心したのもつかの間。早く逃げなくては、堀から上がったところで敵のただ中だ。
早く……。しかし、おれの気力もそこまでだった。
なあ、宝珠って、なに? 四半世紀まえの自分……。
一節には80~90年代のムーブメントで、ファンタジーの必須アイテムだったとか。