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あちこち直しました。
言葉の選択と、言い回し。
差し出された薬湯は、口の中にひどくしみた。ひどい味だったが、間もなく痛みがやわらぐだろうと女将は言った。
「わたしらは情けなかった。武器も若いもんもすべて取り上げられ、おなじ神を信じるあの人たちが無残に殺されていくのを、ただ手をこまねいて見ているしかなかった」
食堂の奥の一間に、村のおもだった老人と女将、そしておれとカナン。広いとはいえないところで、顔をつきあわせていた。
カナンは、壁を穿ったなかに嵌め込まれた小さな祭壇の前に王女のごとく座している。しかし、その目はどこか虚ろで生気が感じられない。
おれは、腫れ上がった瞼のせいで視界が半分になり、しかも歪んで見える状況にうんざりしながら、この奇妙な会合に参列していた。
傷は打撲が大半だったが、肋骨は何本かやられたらしく、せきこんだりすると激痛が走る。誰かに肩を貸してもらわないことには、立ち上がるのもできない。
女将が傷に軟膏を塗り、清潔な布を丁寧に巻いてくれている。
「ラバァタ神の敬謙な信者のあの人たちを助けることができなかった。ただ一人の生き残りの巫女さまも連れ去られた。覇王の軍の、せめて一人だけでもこの手で葬り去れれば、わたしらの心も少しは救われると……」
悲痛な面持ちで鍛冶屋の老人は語った。他の者も一様にうなだれ、巫女たるカナンの決裁を待っているかのようだ。
「言い訳だろ」
ほんの少ししゃべるだけでも、声が頭に響く。でも言わずにはいられなかった。
「本気で助けたいと思ったなら、どうして素手でも立ち向かわない? 武器がないなんてのは、臆病もの言い草だ」
おれの言葉に老人たちが殺気立つ。カナンの眉が少しだけ動いた。部屋はなんともいえない重苦しい雰囲気になった。体中が軋む。反論がないのをいいことにおれは更に続けた。
「奇麗事だろう? 下っ端のおれ一人殺して得られる救いなら、安上りもいいとこだ」
叫んだ途端に激痛が体中に走った。突然、赤い馬が目の前をかすめる……。一瞬気がそがれ、思わず視線が赤い馬を追う。
馬はたてがみから蹄まで深紅で、いななきながら何頭も現れ、壁をすりぬけ駆け回った。直前まで息巻いていたのに、とつぜん口をつぐみ視線をさまよわせるれを、居合わせた連中は肩を寄せ合い気味悪そうに見ている。
「見えないのか、馬が……」
「もういい、これいじょう無関係なお前が口を挟むな、黙っていろ!」
険しい目付きでカナンはおれを怒鳴りつけた。頭に血が昇る。
「……おまえたちを責めはしない。自分の生活を守りたいと思うのは当然のことだ。仇をうとうとしてくれたその心遣いだけで十分だから」
そのまま、カナンは黙した。そして次に口を開いたときには、聖句らしいものを唱え始めた。
「はるか天空の果てにまします我らがラバァタ神よ。われらを約束の地へと導き給え……」
残りの者も一斉にカナンの言葉に声を合わせていく。れがいつも我がままばかり言うカナンなのか。凛とした声を響かせ、朗々と祈りを捧げていく。一族の代表に恥じない威厳を漂わせて……。
とたんにおれ一人取り残された。異端だと思っていたカナンー尖耳族ーがここでは受け入れられ、おれと立場が逆転する。馬は相変わらずいななき、これがおれだけ見えるという意味を思い知らされる。
おれは一人きりだ。これだけの人間に囲まれていながら、この孤独はなんだ。
一通りの祈りを捧げたあと、カナンは一瞥をくれ冷たく言った。
「もう休め」
馬が身をすり寄せてくる。言葉もなくおれは立ち尽くした。
「眠るなよ」
肩をゆすられて目が覚めた。灰色の雲が重苦しくのしかかる空のもと、眼前に城が聳えていた。
剣と鎧がぶつかりあう音がする。あの赤い馬に乗った兵士が居並ぶ。隣でおれを起こしたのは、よりによって奴……ルドヴだった。ルドヴがすぐそばにいるという嫌悪感に耐えながら見渡すと、そこは血の海だった。いまだくすぶる瓦礫の間に屍の山が築かれている。武器を持つ者、持たない者、女、子ども、老人……。そして尖耳族。
赤い馬に乗るのは、やはり覇王の軍の象徴だったのだ。右腕がやけに重い。血を吸ったわけでもないのに、剣が重く感じられる。
「おれがやったのか?」
ルドヴが意味ありげに笑う。
「戦場でのおまえは誰よりも美しく見えた。まるで戦の神のようにな」
ねつい視線が体にまとわりつく。いつからこんなまなざしをおれに向けていたんだ? 少なくともあの夜までおれはルドヴを身内のように感じていた。今はもうない村を同じ故郷とするただ一人の人間として。
「知らなかったのか? おまえの信奉者は多くいたのだぞ」
無言でおれは剣をルドヴの喉元につきつけた。まだ足りないのか。あれだけおれを凌辱しておきながら。
「またおれを殺してくれるのか、光栄だ。おまえになら何度でも首を差し出そう」
怒りに任せて剣を突き刺した。ルドヴは笑ったままだった。
「そうだ。おまえはいつでも自分の手でけりをつけなければ気がすまないんだ。いつでも……」
喉を掻き切られ、血がしぶきがあがる。半ば首がちぎれかけているのにルドヴは話し続ける。その無気味さに背筋に冷汗が流れた。やがてルドヴの体はゆっくりと、馬からずり落ちていった。
それにあわせるように、ルドヴの体と馬はさらさらと砂のように崩れていく。いや、崩れていくの奴だけじゃない。まわりのすべてが……。
握っていたはずの手綱がはらりと落ちた。見ると指先から徐々に砂に変わっている。
耐え切れずに悲鳴をあげた。
がくりと体が大きく揺れた。
「うなされていたわ」
いつの間にか、寝台に寝かされていた。やけに暑苦しく感じた。暗闇の中、その声の人はそっとおれの額に手を置いた。
「熱は下がったみたい」
「どうして奴が夢に出て来るんだ」
「……さっきの薬湯を飲むと幻が見えるんだって」
おれは首を振った。違う、違う。幻ではなく、その意味が分からない。
「救いはいらない。理由はどうあれ、罪悪感もなく人を殺してきた。数え切れないほどな。ここの連中とは違う。死後の平安を望むほどおれは厚顔じゃない。地獄へ真っ逆さま、それでいい。これからもいくらでも切り捨ててやる。必要とあれば……。なのにどうして奴が夢にまで出て来る? どうして眠りを妨げる?」
なにもかも吐き出してしまいたかった。覇王のもとで、ためらいなく幾つもの命を切り捨ててきた。赤い馬は、その血でてきていたんだろう。だからあれほど鮮やかで、兵士が乗っていた。
「だれかに許して欲しいの?」
たおやかな、優しげな声だ。カナンではない誰か……。
「言ってみたかっただけだ」
「私たちの神は寛容よ。きっといまの告白も聞いていて下さったと思うわ。だからもう休んで。きっと今夜はもう悪い夢も見ない」
「おまえたちの神の名は?」
「ラバァタ……最高神ラバァタさま」
小さくこもり歌を口ずさみながら声は答えた。高ぶっていた気持ちが鎮まりはじめる。いつの間にかおれは深い眠り誘われていった。
三日後の朝、おれたちは村人すべてに盛大に見送られ馬上の人となった。食糧やいくばくかの路銀まで差し出してくれたのだが、彼らが口にする言葉は理解できなかった。昨日のおれに対する仕打ちなどすっかり忘れたようにおれの手をとり、
「よろしくお願いします。必ずや助け出して下さいませ」
などということを言うのだ。あからさまな豹変とその意味を問いただしたくとも、その間を与えられず、次々声をかけてくるし、おれの前に乗っているカナンといえばたまに作り笑いをうかべるぐらいでおれの言葉には耳を貸さなかった。
見送りは村はずれまで続き、彼らが去ったときおれはぐったりとしていた。
「誰を助けてくれだって?」
不機嫌な声もあらわにカナンを問い詰めた。大きな声は胸に響くのでできるだけ低い声で。カナンはフードをかぶりながらようやく口を開いた。
「軍に拉致された同胞を救いにいくのだ」
分かりきったことを何故聞く、とでもいった口調で答えたのはカシャスだった。
「……いつの間に決めたんだ」
「おまえが眠った後だ」
「飛んで火に入る夏の虫って言葉を知っているか?」
カシャスは素知らぬ顔で聞き流した。みすみす命を捨てにいくようなものだ。おれの似顔のひとつも流布しているに違いない。つかまれば即日処刑、あるいは王が直々に手を下すのかもしれない。
「顔色が悪いぞ。トール、おまえは一体なにをしでかして逃げ回っているのだ?」
いつの間にか血の気が引いていた。先日の夢を思い出して、手綱を持つ指がかすかに震えている。
「上官と軍師を殺してきたんだ……」
「何故?」
その問いには答えたくなかった。理由は単純なことなのかもしれない。おれにとっては重大でも。
「一人で行ってくれ。おれはまだ死にたくない。お前を守る約束はしたが、他の奴の面倒までみられない」
一歩も譲る気などおれにはなく、しばらくの間どちらも口を閉ざしたままだった。カナンは俯いたまま堅く組んだ指先をみつめている。やがてゆっくりと顔をあげ、静かに言った。
「まだだ。おまえはまだ死にはしない……」
突然の事でおれは声を失った。まだ死にはしない、と言われて平気な奴がいるわけはない。呆然としたままのおれにカナンはあわてて付け足した。
「言い方がまずかったな」
打って変って明るい声で言ったので、逆に腹が立った。
「先の事を予測することなど、神にしか出来ないだろうに何故そんなふうに言い切れる」
人の運命を決めるような口ぶり。カナンが言うことがすべて本当になるように思えて、そこはかとない恐怖をおれは感じていた。
「たしかにわしは神ではない。しかし、カナンは代々伝えられた未来視の力を持つ。その力がおまえの未来をかいま見たのだ」
まどろっこしい。だったらカナンを出せばいい。わざわざカシャスでなくとも。
「そんなあやふやなものに命を賭けられるか、おれは行かないからな」
馬を降りかけたとき、カシャスは軽く笑った。
「では、岩屋の王国への道順を教えることは出来ない。……こんなことで威さずとも、おまえはカナンを見捨てることなど出来はしないだろうがな」
たかぶった気持ちが一気に萎える。最近のおれはいつのまにか、奴の口車に乗せられていることが多い。予言をありがたく信じるしかないようだ。
「もしも、これで死んだらほんとに犬死にだな」
「安心しろ。ラバァタ神の名の元に手厚く葬ってやる」
真顔で言うあたりに許せないものを感じるが、こちらの言い分も受け入れてもらおう。
「条件がある。このはなしを持ち出したのは誰だ、誰が一番切望している?」
「カナンだ」
「だったらカナンと代われ。助けたい奴が協力するのが筋だぞ」
カシャスは頭を振り、鋭い視線を向けた。
「カナンを出せると思うか。村人の話を聞いて深く傷ついてしまったのだ」
「おれだってじゅうぶんなほど、傷ついた。カナンが協力してくれないなら、うまくいかない」
カシャスの瞳がきらりと光った。言葉の意味を察したのかもしれない。
「いいだろう」
目を閉じてひと呼吸の後、ゆっくりと開けた目から大粒の涙が溢れでた。カナンは非難するような目つきでおれを睨んだ。
「協力しろよ」
「どうするのよ」
不承不承といった感じで頷いたカナンは鼻声で尋ねた。それでよし。おれはうなずいた。
「おまえは尖耳族で、おれが元騎士ということだ」
涙を拭きながら怪訝そうにカナンは首を傾げた。