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 カナンはようやく歩き出した。それでいいよ。

 もうすぐだ。迎えの船がもう見えるだろう。……いや、見えているのはおれだけか。たかい山々に阻まれて、カナンには見通すことができないのかもしれない。

 初めのころにくらべれば、カナンはずっと辛抱強くなった。カナンはずっと、わがままな生活を送ってきたのだろう、とおれは思っていた。もっともこの考えは外れていたと、あとから分かったのだが。


 カナン、と呼ぶことにした。奴は自分の名前をとても大切にしていた。


「もういやだ。歩きたくない」

 いきなりカナンは座りこんだ。

 翌日、小さな村の人通りのまばらとはいえ、往来の真ん中でだ。おれは、こめかみのあたりがひきつるのを感じながら、努めて冷静になろうとしていた。

「おまえな、それ今日なんかい言った? たいがい聞きあきたぞ」

 フードの下から上目づかいでおれを睨んだまま、カナンは根が生えたように、がんとして動こうとしなかった。

「もういい、おまえは勝手にしろ」

 おれはさっさと歩き出した。ほうっておいてもどうせすぐに追いかけて来るに決まっている。今日だけでこのやりとりを、すでに五回はくりかえしたのだから。

 また無言で追いすがって来るだろう……と踏んでいたのだが。

 こんどばかりはさらに強情を張っているらしい。

 さりげなく振り返ると、そこにはカナンの姿はなかった。

 潮時だ。こっちだって気を張りつめて、それでもなけなしの気配りってやつをしてきたのに。ここで見切りを付けたほうがいい。どう考えても奴は、カナンは、まともではない。

 『なんでも知っている。』と昨夜は豪語したはずなのに、カナンはみごとに何もできないのだ。わずかの路銀をむだに使い、果物の皮ひとつまともにむけない。目の前にすべてを準備しなければ食事に手を付けない。座ったきりだ。どこぞの姫君か! 歩かせれば、やれ足が痛いの疲れたのと御託を並べる。見た目よりはるかに幼い。うんざりする。

 だいいち自分の立場をいまひとつわかっていない。

 目立つからかぶれという、フードを暑いからとすぐにはずしたがり、何度どなりつけたことか! よく今まで無事でいられたものだと、皮肉の一つも言いたくなる。

 おれの知っている、優美な尖耳族(せんじぞく)とは似ても似つかない。ここで別れたほうがいいのだ。そう考えたほうが身のためだ。不満はいくらでもあげられるはずなのに……。

「ったく!」

 おれはきびすを返し、カナンが座りこんでいたあたりまで駆け戻った。道幅が狭く入りくんだ、ごみごみした町だ。たむろしている奴らもどこかうさん臭げに見える。ここではぐれたら……そう考えたとき、路地の奥から甲高い声がかすかに聞こえた。 

 迷わず――いや、いくらか後悔しながら――声のしたほうに駆け出した。

「はなしてよ!」

 カナンは手足を縛られながらも、ごつい男にかみついて奮闘中だった。二人の男がカナンを麻袋に詰めこもうとしている場面におれは出くわした。

「カナン」

 とたんに男たちは振り返った。ふたりとも剣を帯び、鋭い目をしている。両腕の筋肉がもりあがっていて、上背もおれの頭ひとつ分は高い。

「こりゃ……とんだ拾い物だぜ、相棒」

 第一声を上げたのは、赤毛の男だ。カナンを押さえ付けたまま、もう一人に目配せした。

「こいつと合わせれば、かなりのあいだ遊んで暮らせるな」

 黒髪の男が答える。ふたりは無遠慮な視線を、そしてカナンは安堵と困惑の入り混じった複雑な顔をおれに向けている。

「そいつは、おれの連れだ。放してもらおう」

「声もよしときた」

 赤毛の男は、カナンの縛った手首をおさえながら、下卑た笑いを唇の端に浮かべた。背中を悪寒が走る。

「黒髪にはしばみの瞳か、悪くないぜ。あれだ、純白のトスカ風の長衣でも着せてみな。大金でも喜んで払おうってやつが、かならずいる」

「たしかにな。北の領主さまの好みにあいそうだ」

 男ふたりは、聞こえよがしに話をした。こいつらは人買いだ。尖耳族は、数の少ない貴重なものとして取り引きされている。

 勝手に話しこんでいる男たちを無視して、おれはカナンの縄をほどこうと手を伸ばした。その手首を、黒髪の男がつかんだ。とたんに、おれの体は総毛だった。

「悪い話しじゃない。楽に暮らせる仕事を紹介してやるよ」

 意味ありげに、にやつきながらそうささやきかけてきた。悪寒は一気に怒りに変わった。反射的に腰の剣を引き抜く。とっさのことながら、男は手を離した。

「そんなに怖い顔をするなよ。花のかんばせが台無しになるぜ」

「そうそう、そんな物騒なものしまいな。もっともそれを振るほどの力がその細腕にあるとは思えないがな」

 嘲りをふくんだものの言いかた。あきらかにおれを侮り蔑んでいる。体の中を熱い血が駆け巡る。

「力ずくでも、返してもらうぞ」

 剣を構えなおし、黒髪の男にきりかかった。男も素早く抜刀し、おれに応戦する。しかし、真剣味はあまりないらしい。そう、完全におれを見くびっているのだ。

 しかし、その余裕もわずかのあいだに無くしてやった。狭い路地で何度も男の剣をかわし、弾きかえす。そして袋小路へと追い詰めて行く。

 男が脅えれば脅えるほど、自分の中にある残虐な部分が大きくなってゆく。きっとおれはいま、笑っているにちがいない。

「やめろ! こいつがどうなってもいいのか!」

 突然、赤毛が大声を上げた。思わぬ苦戦をしいられている仲間を援護するためだろう。カナンの喉元に短剣を突きつけているのが、目のはしにうつる。

 その言葉に耳をかさず、身を翻し思い切り剣で赤毛の首のあたりを薙ぎ払う。勢いあまって切っ先が壁をかすり、火花が散る。

 あっけないほど簡単に赤毛の頭は胴体から離れた。血しぶきが壁と地面を汚す。カナンが鋭い悲鳴をあげた。

 かえり血を拭いもせずにふりかえると、黒髪の男は顔色をうしなっていた。もっと脅えるがいい。おれの自尊心を傷つけた代償は高い。

 突然の仲間の死に、男は棒立ちになった。

「赤の竜騎士軍か」

 男がそう口にした瞬間、おれは剣を強く握り飛びかかった。

 男の肩に剣が突き刺さる。先がこぼれて切れ味が鈍っているが、ちからまかせにそのまま振りおろした。大量の血と断末魔をあげて男は絶命した。

 気がつくと、建物の陰からこわごわと覗き見るいくつもの顔があった。

 おれは血まみれの手でカナンの縄をといてやった。カナンは、眼前での出来事によほど衝撃を受けたのか、ただ呆然としている。

「行くぞ」

 しかし、カナンは動かなかった。脅えるような目つきでおれを見つめるだけだ。おれの気持ちの高ぶりもまだおさまらず、そんなカナンにいらつき、つい声が大きくなる。

「どうする!」

 のろのろと立ち上がると、男たちの死体から目を背けるようにしておれについてきた。それを見守る奴らのささやきあう会話が耳にとどく。

 情け容赦ない覇王の軍は……。

 神経を逆撫でされ、おれのまなじりは細かくひきつった。その声がしたほうへ、切り落とした男の頭を蹴りつける。

 奴らは蜘蛛の子を散らしたようにいなくなった。そのまま後ろを振り返らずに路地をぬけ、街道を進んで行った。

 ほどなく村から抜けたが、おれの怒りはまだおさまらず、その矛先をカナンに向けた。

「どうしていうことを聞かない、わざわざ自分から危ないことに首を突っ込むな」

「だって、尖耳族のいるところへ案内するって言ったんだ。あんたさえあんな邪魔しなきゃ、仲間に会えたのに!」 

「ああ、会えただろうさ。どっかに囲われているお仲間にな。他人の言うことを信用するな。ふたつやみっつの子どもじゃあるまいし」

 おれは頭ごなしに叱りとばした。が、カナンは両の拳をきつく握りしめ、おれを睨み返している。

「仲間に会いたかったのよ。……気がついたら誰もいなくて、知ってる仲間が誰もいなくて、いつの間にか知らない所にいる。頭のなかが変になりそうだよ! 誰か知らない奴が自分のからだの中にいて、勝手に命令する。こんな気持ちがあんたになんかわかるもんか!」

 今までの不満が一気に爆発したようだ。カナンは真っ赤になりながらじだんだをふむ。

 こんなに長く話をしたのが、やけに久し振りに感じられる。ゆうべはあれほど饒舌だったのに、今日は朝からわずかに言葉を交わしただけだった。そうだ、カナンにおれの名前さえ教えていない。

「あんた、じゃない。トールと呼べ」

 腕を組みなおし、カナンを見やった。肩で息をしながら、カナンは唇を噛んだ。

「その名前だってほんとかどうか怪しい。信じられるか……ふたりも人を殺して平気な顔をしている奴の話しなんか!」

 言葉より先に手が出た。おれはカナンの頬に平手をくらわしていた。カナンはよろめき、尻餅をついた。大きな瞳にいまにも涙があふれでそうだ。

「誰のおかげで助かったと思ってるんだ!」

 剣をふるうことを、今まで誰からも咎められなかった。だが、カナンの言葉はおれの胸に突き刺さった。

 やがてカナンの肩がふるえだした。大粒の涙がいくつも流れる。その頬はさっきおれに殴られて赤く腫れている。少し後悔した。いや、後味が悪いのだ。冷静になれば、こいつはまだ幼い子どもなのだ。

 頭の中で、なにかが弾けとんだ。

 なぜ気がつかなかったのだろう。カナンはおれの妹と年が同じぐらいなのだ。……もっとも、もし生きていたなら、ということだが。今まで忘れることなどなかったのに。

 手がかかるのにカナンを見捨てられないわけがわかった。

「信じろとはいわない。おれにはおれの目的がある。取引と言ったのはおまえだ」

 いくぶん声を和らげて、カナンの肩に手をおいた。うつむいたままカナンは首を横に振る。まるでただをこねるように。

「とりあえず、おれはおまえとの約束を果そう。ビルカまで必ず守ってやる、だから……」

「ほんとうだな?」

 老人の声!

 カナンは顔をあげた。さっきまでの涙はどこへやら、にやりと笑うとさっさと立ち上がり、服の埃を悠然とはらった。

「契約は神聖なものだ、決して(たが)えるな」

 高圧的な口のききかた。突然の変貌についていけない。けれど、人を食った態度に怒りがまたこみあげてきた。

「前言撤回だ。きさまの方こそ信用できない!」

「では、おまえのことは誰が守るというのだ」

 カナンはそう詰め寄った。しかし、どちらが守られているのか自覚もないのか。

「呪術にまったく疎い武人め。なんとかひとつは解けたらしいが、このさきおまえはそれにつかまるぞ。そのとき必ずカナンが役に立つ」

 またわけの分からぬことをまくしたてる。

「従えとは言わぬ。だがこれは互いの身のためだ。トール・ストライド」

 突然カナンは教えていない、おれの本名を口にした。総てを見透かすような金の瞳。あらためてカナンが尖耳族だと、自分とは異質なものだと思い知らされる。

「そんな顔をして私を見るな。せいぜいこの程度だ。カナンは過去視(かこみ)の力は持ち合わせていない。もっともきさまの過去になぞ興味はないがな」

 立ち尽くすおれの胸を指でつくと、カナンは歩き出した。一瞬感じた無気味さも怒りさえもすべて消え去っていた。

 あわてておれは、あとを追う。 

 いまは、とりあえず歩くしか、すべはないように思えたからだ。




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