首
――人を食べる夢を見た
私は車を運転していた。ふと見ると、女性が手を上げている。車に乗せて欲しいとのことだった。
普通なら不審な人間など無視するが、なにせ夢のなかの出来事である。私は何も疑問に思うことなく、快く彼女を助手席へと誘った。
しばらく走る。後続車も対向車もない。隣に座る彼女とぽつぽつと会話を交わしていたはずが、ハンドル操作を誤ったのだろうか。突如として壁に激突した。痛みも衝撃もない。ただ、気がつけば眼前のフロントガラスに蜘蛛の巣状のひびが広がっていた。
視線を移す。助手席には、頭から血を流す女性の姿。ぴくりとも動かない。かっと見開かれた瞳に光はない。
食べよう
なぜそう思ったのか。夢は不可思議だからこその夢である。
私は、ダッシュボードにもたれかかる彼女に手を伸ばし――
目が覚めた。寝汗で首筋が湿っている。不快感。胸のむかつきもある。吐き気は感じないが、嘔吐するときは一瞬だ。念のためにゴミ箱を抱えて布団から這い出た。
起きてしばらくしてもむかつきが治らない。薬を飲むべきか。
後片付けの面倒を考えると洗面器が手放せない。ソファに背を預けて脱力していると、水滴が落ちる音が聞こえた。
ぽたり、ぽたり
すぐ近くでしたたっている。音の出所を探そうと顔をあげると、正面のテレビ画面に映る私が見えた。鏡ほど鮮明ではないが、暗い画面もよく反射する。
画面の私の口から、何かが垂れていた。止めどなく流れていく。洗面器を見ると、赤。
自覚すると、口内に鉄さびの匂いが広がった。
トイレに駆け込む。便器にすがりつくと、いよいよもって血液が溢れ出した。嘔吐と違い、苦しさはない。吐き気もやはり感じない。
あふれ出す。この表現が一番近い。
血を吐いているという自覚もないが、口中からあふれ出す液体で便器のなかが真っ赤に染まる。吐ききろうと喉に指を突っ込んでも、何も吐き出せない。ただただ赤い体液をあふれさせるのみだ。
これほど大量の血液を失っているのに、貧血の症状も出ない。まるで、自分の血液でないかのように。まるで、さきほど食べたカノジョのけつえきを、はきだしているかのように。
結局、その後二時間ほどトイレにこもっていると、次第に落ち着いた。途中、何度コックをひねったかわからない。もとのとおり白い便座を見ると、血が流れたことが夢のように思える。
疲れているのかも知れない。ともかく、何かしら胃に入れるべきだろう。今日は起きてから何も食べていない。空腹を感じてはいないが、軽く食べるだけでも気持ちが変わるはずだ。
そう信じて腹をさすった手に、違和感。なにやらしこりのようなものがある。ここはへそがある位置ではないか。私はでべそではない。何度かさすり、指を押しあてる。やはりかたい。
おそるおそる上着の裾をまくると、黒いものが見えた。そっと触れてみる。
柔らかいがちくちくと指を指す黒い糸のようなもの。表面は弾力があるのに力を加えると硬い殻にぶつかる。
指二本で押さえれば隠れてしまう黒いでっぱり。
ああ、これは頭だ
黒いものはよく手入れされた髪の毛で、表面にあるのは頭皮。硬いのは当然だ、頭部は頭蓋骨に覆われているのだから。
腹の頭は日に日に大きくなっていた。いや、大きくなるというのは適切ではない。
生えてきた。最初は頭頂部しか見えなかったものが、日を追うごとに後頭部、うなじと姿を現した。
今は頭よりも首と呼ぶほうがしっくりくる。
首は真下を向いている。うなじにかかる長さの髪は下に流れ、あらわになった白い首筋が匂い立つようだ。
うなじが生えた時点で首の成長は止まった。突起物のせいでどんな服を着ても腹が大きく張ってしまう。気分のいいものではない。
気味が悪いと感じるのに、日に何度も確認するのは恐いもの見たさであろうか。
当初は、なだらかな後頭部と一直線に並んだ耳、白いうなじが見えていた。最近は、右耳が見えなくなった代わりに、左耳がよく見える。もうすぐ耳孔ものぞくことができるだろう。
この首と目が合ったとき、私はいったいどうなるのだろう。