二十七話
「壁が!」
「でかい岩が突っ込んでくるぞー!!」
崩れ落ちた壁によって舞い上がった砂塵が晴れ、姿を現したのは巨大な滑り石だった。
人の背丈を優に超える大きさのそれは人々の叫び声など関係なく、何かに誘われるように勢いをつけ転がっていく。
「な、なんーー」
「轢き潰される! 建物に身を隠ーー」
ゴロゴロと音を立てて転がる滑り石から逃げようと走り回る人々。
中には建物を盾に逃げようとしたものもいるがその尽くが建物ごと轢き潰され、辛うじて避けることができたものも滑り石が抉り、破壊した建物の崩壊に巻き込まれた。
「あ、でもあの岩何処かへ行くぞ……」
「た、助かった?」
「えぇ、助かったのよ……!」
壊された壁付近にいた人々は国の中心へと転がっていった滑り石を見て呆然としながらも自分たちが助かったんだと安堵の声を上げていた。
国中が混乱の渦の中、ほっとひとまず危機が去ったのだと緊張していた身体が緩む。
「待て! まだ、壁の外からまだ音がする……」
だが、一人の男が異変に気付いた。
壁の崩壊する音や周囲の悲鳴で分からなくなっていたが、未だ形を保っている部分の壁の方から、絶え間なく衝突音が響いている。
安心し、気を抜いていた人々に戦慄が走る。
ーー爆発。
人々が異変の気づいた瞬間に、まるで気付くのが遅いと嘲笑うかのように爆発が起きた。
逃げ回っていた人々は吹き付ける爆風に飛ばされ、身体を打ちつける。
「今度は……」
吹き飛ばされ、頭を強く打ちつけた男の目には壁の内側に入った大きなヒビが映った。
依然、鳴り続ける衝突音。
さっきまで無事だった部分が今の爆発により、脆くなり、ぴしぴしと衝突音が鳴る度にヒビが広がっていく。
「あ、あぁ」
壊れていく。
壁が、ただの瓦礫へと変わっていった。
巨大な穴を穿たれた壁は、既にその耐久性には大きな問題が発生していた。
さらに内側で起きた爆発。
これによりそらに負荷がかかり、
壁の外側から転がり込む大量の滑り石がトドメを刺した。
壁は完全に崩落した。
と、同時に激しい風が国の中へと流れ込む。
「痛い痛い痛い!!」
「ダメだ! 逃げろ!」
「国の中から出なきゃ! 走らないと!」
崩落した壁が舞いあげた砂塵が砂のように辺り一帯を襲う。
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ある場所では突如として出現した異形の存在を衛兵達が取り囲んでいた。
「なんだこの化物……」
それはグロストが魔精霊と呼ぶ存在。
笛により呼び寄せられた怪物だった。
今、その魔精霊が一人の衛兵をその鋭い爪で引き裂いた。
声もなく即死した衛兵から流れ出る血を、魔精霊が啜るように口をつける。
口を赤く染めた魔精霊に恐れ慄く表情の衛兵達。
その禍々しい雰囲気に飲まれてか。
手に握った槍をカタカタと震わせながら、怯えている。
「えぇい、何を弱気になってる! こんなのただの魔物と同じだ! 動きをよく見て槍を突き刺せ!」
一人のいささか年を食った衛兵がそう叫ぶと、衛兵の様子が変わる。
「そ、そうだ」
「皆で一斉にかかれば……」
僅かに戦意が回復した衛兵たちがじりじりと魔精霊に近付いてく。
「皆、かかれ!」
一人の号令により、衛兵たちが駆け出した。
恐怖を紛らわせるためか、強く雄たけびを上げながら彼らは魔精霊に向けて突進する。
先ほどまでカタカタと震えていた槍の切っ先は魔精霊へと向き、その奇妙な体毛ごと肉を貫こうと槍が突き出された。
が、
「!? どこに行った?」
「なっ、空中を!」
胴を貫かんと繰り出された槍はそのどれもが空を切り、魔精霊に当たることはなかった。
「キキ、キキナイ。ナイナイナイ」
衛兵たちの耳が奇怪な声を捉え、空を見上げる。
いつの間にか攻撃を躱した魔精霊はその巨体に似合わず、軽やかに宙を走っていた。
武器の中では比較的長いリーチを誇る槍ですら届かない場所で、虫けらでもみるかのように衛兵たちを見下ろしている。
ケラケラと嘲笑うような声を上げ、困惑する衛兵たちを見ていた。
「この、化け物風情が!」
舐められている。
そう感じ取った衛兵たちが怒りを露わにする。
「降りてこい!」
叫ぶ衛兵に向け、魔精霊は側にあった建物を爪で砕き、弾き飛ばした。
ばら撒かれた瓦礫が衛兵に降り注ぐ。
「そんなものに――――」
ほとんどの衛兵たちはその攻撃を見て、その場から離れた。
ひと際大きな声を上げ、威嚇していた衛兵も他の衛兵たちと同じように避けようとしたとき接近してくる魔精霊の姿。
瓦礫を浴びせかけると同時、宙を蹴って一直線に向かってきている。
「っく!」
衛兵はそんな魔精霊を迎え撃とうと足を止めた。
ばらばらと落ちる瓦礫をなるべく避けるが、そのすべてを避けきることはできない。
身体をボロボロにしながら、瓦礫の雨を耐え凌ぎ、衛兵は槍を構え続けた。
しかし、肝心の魔精霊の姿が近くにない。
「どこだ! どこへ行った!?」
叫ぶ衛兵。
「キ、キキ」
と、その頭上から先ほど聞こえてきた不気味な声。
魔精霊は衛兵の見上げる顔を覗き込むように頭上に、とどまっていた。
飛び込んでくるように見せかけ、足止めをしたのだ。
「ナイナナナ、キキキキ」
そうと気づいたものの、少し遅かった。
「あ」
にんまりと笑うような表情の魔精霊が断頭台の紐を切るように、頭上から瓦礫を落とす。
熟れた果実のように瓦礫に押しつぶされた衛兵は真っ赤な血をあたりに飛び散らせた。
「くそ、地上に降りてこないつもりか!」
「誰か、あいつを引きずりおろせ!」
殺された衛兵の姿を見て、歯噛みする他の衛兵たちが顔を真っ赤に怒らせて槍を構える。
「うぉおおお!」
一人の力自慢が手に持った槍を勢いよく魔精霊に投げつけた。
しかし、
「こいつ、存外速いぞ!」
一直線に飛んだ槍は魔精霊に軽々と避けられ、どこか遠くへと飛んでいった。
「また来るぞ!」
「一旦引け!」
反撃が来ないと見た魔精霊が再び瓦礫の雨を降らせる。
一方的な攻撃。
そして背中を見せて走る衛兵に狙いを定め、素早く宙を蹴る。
「火瓶でもないと」
「あぁ、誰かが持ってきてくれれば――――」
並走し、急いで建物の陰に隠れようと走る二人の衛兵。
まるで空中を泳ぐように、自由自在に動き回る魔精霊は自分で降らせた瓦礫の雨の隙間を縫って、
「ぎゃぁぁぁぁ!」
その鋭利な爪で逃げる衛兵の背中を深くえぐり取った。
隣を走っていた仲間の悲鳴に、残された衛兵は死に物狂いで走る。
衝撃で地面へと転がった衛兵が落ちてきた瓦礫に押しつぶされた。
「いやだ、いやだぁぁ!」
走る衛兵は迫りくる死の気配に必死になって声を上げた。
それは誰に対して求めた助けだったのか。
「早く、こっちだ!」
衛兵の正面に他の衛兵の姿が映る。
姿が見えたことで微かな安心感が衛兵の心に浮かんだ、その瞬間。
「あぁぁあぁぁああ!!」
自分の腹から突き出た爪の感触に、絶叫を上げた。
魔精霊は突き刺した爪を上へと振り上げ、衛兵の上半身を四等分に割いた。
ぴたりと絶叫が止む。
「ひっ、ひぃぃぃ」
「ダメだ、やっぱり化け物だ!」
爪先についた血肉を舐めすすり、新たな獲物を見定めている魔精霊の姿を見て衛兵の心が挫けた。
攻撃は届かず、自在に宙を動き回ることのできる圧倒的な機動力。
ならばと密集して攻撃を受け止めて地上に引きずりおろそうにも、ばら撒かれる瓦礫によって妨害される。
「なんなんだ、こいつは」
年のいった衛兵がその惨状を見て、呆然とつぶやく。
その後も魔精霊は建物を砕いては地上を走る衛兵たちへ瓦礫を降らせ、孤立した衛兵を一人ずつ仕留めていった。
衛兵たちは宙を自在に駆ける魔精霊にかすり傷一つ負わせることができず、一方的に数を減らされる。
蹂躙。
槍の届かないところから為す術なく、じわじわと殺されていく。
「キキ、ナナナナナナナ、イナ」
見るも無残に殺された衛兵の血だまりを優雅に闊歩しながら、魔精霊はその不気味な声を上げ続けた。
※※※※※※※※
「おらぁああ!」
一歩踏み込んで突き出された槍をグロストはあえて挑むように身体を倒し、直撃の寸前で身体を捻る。
槍の柄に身体をこすりつけるようにして躱す。
回避と同時に距離を詰める。
無防備に腕を伸ばしたままの敵の目が大きく開かれのがよく見えた。
「はぁっ!」
斜め下からの斬り上げ。
腰下から入った剣身が腹を引き裂き、肩へと抜ける。
「もらったっ!」
噴き出た血を被りながら、背後から接近してくる衛兵に向けて回し斬り。
グロストが気づいていないと踏んでいたのか、衛兵は回避すらできず、身体を二つに分けた。
新たに死体が二つ増え、取り囲む衛兵の顔にも一層緊張感が増す。
「こいつ、一体何人斬って……」
「怯むな! 国を仇なすこいつを野放しにはできん!」
髭面の男が唾をまき散らしながら周囲の衛兵に怒鳴りつける。
――――はっ、悪者扱いかよ
反吐が出る、とグロストは血に濡れる剣を構えたが、
「いや、今やってることを考えればそうなるか」
構えを解き、自嘲するように苦笑いを浮かべた。
「何を笑っている! 皆一斉にかかれ!」
髭面の号令に衛兵たちが一気に距離を詰める。
「はっ、まぁにしても、こいつらに対して思うことなんてのは!」
ぐっと大きく力を溜め、
「これっぽっちもねぇがな!」
全力の横振り。
剣圧によってうっすらと風さえ巻き起こしながら繰り出されたその攻撃は。
近づいていた衛兵の足を断ち、槍を斬り、胴をちぎり飛ばした。
まだ距離を詰めきっていなかった衛兵の足が止まる。
「う、うそだ」
「強すぎる……」
飛び込んでいった仲間が瞬く間に細切れの肉片と化したのを見て尻込みをする衛兵たち。
そんな姿を見て、後方で見ていた髭面の男が叫ぶ。
「ええい! 軟弱者が! それなら槍を構えて取り囲め、奴の攻撃範囲の外から一方的にいたぶってやれ!」
その指示を聞き、当惑しながらも衛兵たちが円を作る。
ぐるりとグロストを囲み、槍を突きだすことで近づけないようにしながら陣形のようなものを組んだ。
「いいぞ! 少しずつ近づけ! 剣を振った瞬間を狙って槍をぶっ刺せばいい!」
グロストは髭面の男の声に顔を顰めながら自分を取り囲む衛兵たちを睨む。
確かにこうも取り囲まれてしまえば今までのように大振りな攻撃はできない。
少し隙を見せれば踏み込んだ槍の攻撃によって身体に穴を開けられてしまう。
突撃しようにも突き出された状態の槍が邪魔で接近しにくい。
――――あれをそのまま突き出されたらさすがに躱し切るのは無理だな
この取り囲まれた状況で一斉に槍を突きだされれば躱す場所は精々、上に跳ぶ位。
だがこういう場面には何度か遭遇しているが上に跳ぶのは却って悪手の場合が多い。
緑龍の時にも似たような場面にあったが今回はルシーのような協力者もいない。
そう考えたグロストは腰に付けた水袋を手に取った。
「なんだ、観念したか? 最後に酒でも飲みたくなったようだな」
見当違いなことをぺらぺらと得意げに話している髭面にいらだたしい気持ちになるグロストだったが、一つ息を吐いて気持ちを切り替えた。
「ごちゃごちゃうるせーぞ、髭」
グロストが水袋を頭から被る。
中身の水がグロストの頭から身体をずぶぬれにしていく。
「なんだ?」
「身体でも清めてる、のか?」
理解できないといった衛兵たちの困惑する姿に不敵な笑みを見せるグロスト。
そして水を被った瞬間、
「……! 消えた!」
「どこに行ったんだ!?」
衛兵たちの視界から溶けるようにグロストの姿が見えなくなった。
敵が見えなくなったことで衛兵たちに動揺が走る。
「落ち着け! 惑わされるな、今のは消え水。姿は見えなくなろうが足元には滴り落ちる水がたまる。地面をよく見るんだ!」
しかし髭の男は慌てることなく、衛兵たちに指示を飛ばす。
この男は被った水とすぐに消えたグロストを見て即座にそれが消え水だということに気付いた。
そして消え水の効果には致命的な弱点があることも理解していた。
だが、
「浅ぇんだよっ」
グロストの声が聞こえ、衛兵たちが気を引き締めなおす。
「わぷっ」
「なんだ、何か飛んできて……」
衛兵たちに向け、何かがまき散らされた。
瞬間、
「ぐ、あぁぁぁあああ!」
一人の衛兵が悲鳴を上げて崩れる。
血しぶきを上げて、前のめりに突っ伏した。
「なんだ!?」
隣にいた衛兵が困惑の声を上げる。
「こっちに、うわぁああ!」
今度は真逆の側の衛兵が胴を深く切り裂かれた。
「……! 何故、お前ら、地面をよく見ろ!」
そんな髭の男の声に、衛兵たちが答える。
「み、見てます! でも、水たまりなんてどこにも――――」
報告していた衛兵が顔を横にそむけた。
「なんだ、顔に何か」
衛兵が言い終わる前にその首が飛ぶ。
「はは、そんな指示で俺の剣を防ごうなんて甘いんじゃねぇか!」
衛兵たちの視界に映ることなく、グロストは取り囲む衛兵たちを順に斬り殺していく。
姿の見えないグロストを恐れ、衛兵たちの腰が引ける。
消え水はかけた対象の姿を見えなくする効果があり、グロストとルシーはその効果を利用して建物へ潜入する作戦を立てた。
しかしその欠点として使用者の足元には消え水が身体を滴り落ちることによって水溜まりができてしまう。
だからグロストたちは水虫を使い、その欠点を消す方向で消え水を使用した。
だがそれはあくまでも消え水の使用者がその場にある程度の時間立っているときの話だ。
滴り落ちる水が足元へ流れる間、同じ場所に居続けるために水溜りができてしまう。
それならば、常に動き続け、移動し続ければいい。
「はぁあああ!」
また一人、衛兵を斬り飛ばす。
地面に水溜りを出現させない程に速く、動き回ることでその姿の痕跡を悟らせない。
「ど、どこだ、っく、また何か飛んで――――」
「おら、もう一人!!」
グロストはさらに、空中で腕を伸ばし、強く体を捻ることで身体の水を周囲へと飛ばし、地面へと落ちる水の量を減らしていた。
――――まぁその分、身体が渇くせいで効果時間は短くなるが……
それでも姿が見えないグロストに衛兵たちは手も足も出ない。
そして、衛兵を斬り殺したことで取り囲んでいた円に隙間が生まれる。
「そこっ!」
衛兵たちが体勢を整える前にその隙間に身体を差し込み、強引に突破する。
「っ! 何逃がしてる! 追え!」
丁度消え水の効果が切れたらしく、グロストの姿を捉えた髭面の男が指示を飛ばした。
「おら、追いつけるもんなら追いついてみろ!」
囲いを突破したグロストが吠え、衛兵たちはぞろぞろとその後を追った。




