第六話 地震の時の話
現在の、熊本を舞台にしている為。
地震の話は避けては通れないので、この話で取り上げます。
なお、地震の話が出てくるので、不快な方は注意して下さい。
また、不謹慎に思われる表現があるかもしれませんが。
その点は、ご容赦下さい。
「あ〜、美味しかった〜。
叔母さん、ありがとうごさいます〜」
「ふふっ、悠ちゃんに喜んで貰ろうて〔貰えて〕良かった〜」
久しぶりに食べた、有明の海の幸に満足した悠ちゃんに。
母さんも喜んでいた。
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夕食が済むと、僕達は居間へと移動した。
母さんが食器を片付ける際、悠ちゃんがいつの間にか手伝っていたので。
それを見た母さんが、
”女の子が居ると良かね〔良いわ〕〜”
と言いながら、感激していた。
そうやって、母さんと悠ちゃんが片付けを終え居間に来た。
『(熊本地震から、今日でXXX日を迎えました)』
二人がソファーに腰掛けた所で、点けていたテレビよりアナウンスが流れた。
「・・・あの、地震の時。
コッチの方はどうでしたか?」
テレビのアナウンスを聞いて。悠ちゃんが真剣な面持ちで尋ねる。
「まあ、こっちん〔の〕方は、大した事は無かったばい」
「そうそう、酷かったとは、益城とか熊本市内から南ん方やけん〔だから〕。
玉名とか、北ん方はそぎゃん〔そこまで〕は無かったたい」
父さんと母さんが、そう応える。
テレビの全国ニュースでは、さも熊本県全体がそうなっている様に報道されているが。
同じ県内でも、被害の状況はかなり違う。
酷かったのは、震源の益城を始めとした熊本市内から南の方及び。
阿蘇方面が酷くて。
僕が住んでいる玉名から北の方は、そこまででも無かった。
「最初ん時が凄かったね。
何さま〔何より〕、部屋全体が揺るるごたる〔揺れる様な〕揺れは初めてやけん」
「・・・えっ、そうだったの」
「うん、コッチん方も一応地震はあるとばってん。
あぎゃん〔あんなに〕酷かとは初めてばい〔初めてだよ〕」
「そんなに・・・」
「そん〔その〕時の揺れは、一分くらい続いたとやけど〔けども〕。
同じ位ん〔の〕揺れが、そん翌日ん夜中にまた来たけんね」
僕の話を、悠ちゃんが真剣に聞いている。
この辺りも、地震は阿蘇や九重、または宮崎沖辺りが震源のやつが、時々あるのだが。
あの時は、今まで体験した事の無い酷い揺れだった。
最初に来た揺れは、余りにも酷くてビックリしたが。
それとほぼ同じ揺れが、しかも夜中に来た時は更にビックリした。
「だんだん弱く、数も少のう〔少なく〕なって来よった〔来た〕けど。
3ヶ月位は、余震も結構大きかと〔大きいの〕があったし」
「そんなに続いたの・・・」
「まあ、コッチん方は酷うなか〔酷くない〕とは言え。
あれからスーパーやらコンビニで、水やらカップ麺とかが棚ごつ〔ごと〕無うなってしもうて〔無くなってしまって〕。
何さま〔何しろ〕、熊本市内とかん〔とかの〕人は、ワザワザ福岡市ん〔の〕方さん〔へ〕買い出しに遠征したらしかけん〔らしいから〕」
「そうなの・・・」
あの時の事を、彼女に語っていると。
それを聞いていた悠ちゃんが、唖然としていた。
「・・・でも良かった、颯ちゃんが無事だって。
私、本当に心配だったんだよ・・・」
「えっ?」
「最初、聞いた時はビックリしてしまって。
颯ちゃんに何か無かったかって、心配で堪らなかったの・・・」
「そぎゃん〔そんなに〕、心配してくれたとね〔の〕・・・」
僕は、彼女がそんなに心配してくれたにビックリしていた。
それも悠ちゃんが男のままなら。
若干オーバーだが、単に従兄が心配してくれたと思えるのだが。
可愛い女の子にそう言われると、何だか別の意味に錯覚してしまいそうだ。
「・・・あっ、その時の事を思い出したら、涙が出ちゃった・・・」
「ああっ、悠ちゃん!」
「こらっ、シッカリ慰めてやらんね〔やりなさい〕、こん〔この〕色男」
そんな事を思っていたら、突然悠ちゃんの目から一筋の涙が流れ。
その涙を見て僕が慌ててしまい。
母さんの方は、そう囃し立てる。
先程もそうだが。
女の子に泣かれた事の無い僕は、焦ってしまった。
「・・・ごめんね、・・・ごめんね。
今、涙を止めるから・・・」
「ほらっ、さっさと悠ちゃんば〔を〕抱き寄せんね〔寄せなさい〕!」
「ちょっ、母さん!」
必死で涙を止めようとする悠ちゃん。
それを見て、僕をけしかける母さん。
さっきは成り行きで抱き締めたけど、こんな人目がある所で出来ないよ!
僕は必死で何とか、彼女を慰めようとした。
そんな騒がしい僕達を、ただ一人父さんは。
呆れた目で見ていたのであった。
因みに、私(作者)は前震の翌日、手続きの為、玉名市内に行っておりましたが。
その時は、玉名市内はモチロン通った道筋も、一部通行止めがあった位で。
特に、被害があった様には見えませんでした。
それは、その当時の益城や阿蘇方面の惨状と比べると、余りにも掛け離れていました。
つまり同じ県内でも、被害にそれだけの違いがあったと言う事です。
また本震があった時は夜中だった上、その当時木造のボロ屋の二階で寝ていたので。
今までにない揺れが起こった時、半分死ぬのかと覚悟しました。