プロローグ
煉獄。
天界と魔界の中間に位置する世界。
燃えるような赤が続く空に、竜の巣の如く巨大な黒雲が渦を描いていた。
その黒雲から空気を伝い、雷音、破裂音、斬撃音が絶え間なく鳴り響く。
音は雲の中心部から発生しており、内部で戦争でもしているのかと思える程の激しさだった。
だが、其処に居るのは……少女が二人。
騎士剣を持つ白い羽の少女と、黒い双剣を持つ黒い羽の少女。
衝撃による反動が耳を劈き、目が灼ける程の光を撒き散らしながら尚もお互いに何十回、何百回と付かず離れずぶつかり合っていた。
そして、一際大きな剣同士の斬撃音が鳴り、互いに距離を取って静止する。
「天使ミーシャイェール!あんたとこうしてやり合うのは100回目ね!今日こそ決着の時よ!」
黒い羽の少女が双剣の一つを相手の少女に向け、勝気な表情で啖呵を切る。
一方、白い羽の少女も騎士剣を構えるが、困った様な冷めた様な表情で、ため息混じりに返す。
「お言葉ですが悪魔ベルゼリーゼ……今回で101回目です。貴女は前回も同じ事を言っていましたし、残念ながら決着は付きませんでした。こうやって対峙しているのがその証拠ですよ。えぇ、本当に残念です」
「う、うるさいわね!あんたのそう言うところがムカつくのよ!本当に今日であんたをぶっ殺してやるんだから覚悟しなさい!魔界の灼炎よ、我が魔剣に集え!眼前に立つは忌まわしき天の者、その欠片も残さず焼き尽くせ!」
恥を指摘され激昂するベルゼリーゼ。
詠唱を始めると、子供みたいな逆ギレに似つかわしくない巨大な魔法陣が展開し、手に持った双剣を中心に黒い炎が全身を包む。
「はぁ……お互い、ただでは済みませんよ。……天界の雷よ、我が聖剣に集え!我に仇なす魔の者に、裁きによる救済を!」
それに呼応する様にミーシャイェールも詠唱を開始すると、同じく巨大な魔法陣が展開し、白い雷がその騎士剣に集まってゆく。
「過去最高の火力で跡形もなく消しとばしてやるわ!受けなさい!!」
「それも聞き飽きました……!」
「シャドーフレア!!」
「コールオブテンペスト!!」
天使の力と悪魔の力が際限なくぶつかり合う。
人智を超えた攻撃を、互いに全力でぶつけ合う。
黒雲が炎で爆ぜ、雷で裂かれ、見る見る内にその巨大な身体を崩していく。
無限にも似た轟音が続く最中、白雷と黒炎が幾度と無く衝突しては消え、或いは混ざって、雲どころか次元すら超えて飛び散り……やがて音が鳴り止んだ頃、そこには赤い空の光に照らされたボロボロになった二人の姿と、全壊して散り散りになった黒雲の欠片が有った。
101回目の勝負も、引き分けに終わった天使と悪魔の話。
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人生最悪の日だ。
その日は特別に嫌な天気だった。
工場の煙突から噴き出る煙がそのまま雲になり、コールタールの雨がいつ降り出してもおかしくない。そう思ってしまう曇天だった。
僕はそんな日にもいつも通りに学校に行き、いつも通り授業を受け、いつも通り帰路につく……筈だった。
たまたま学級委員長がインフルエンザにかかって休んでおり、たまたま担任の教師が用事があるとかで職員室に寄れないから、部活や塾などもない僕が進路希望調査の用紙を集めて職員室に持ってくるように指示され、たまたま帰りがいつもより遅くなった。
……いや、帰りが余計に遅くなったのは他ならぬ僕自身が進路希望に何と書けば良いの一時間悩んでいたからである。
よくないと思いつつも、クラスの皆の希望を覗いてみると、皆しっかりと希望の大学やら専門学校やら記入している。
果たして皆が皆、真剣な心の内から決めた進路をここに記しているのだろうか。
僕のように唸りながら目に留まった学校名やらを書き殴っただけなのではないか。違うのか。
結局、余計にもやもやを抱えながら、第一志望に近所にある大学の名前だけ書いて職員室へ向かった。
捻り出すように考えて書いたつもりでも、実質何も考えていない様な物だな。と一人思うが、多分僕だけじゃないだろうと自らを納得させる。
「失礼します。2-7の進路希望調査の紙を持ってきました」
「ん、そこ置いといて」
「はい」
中年の教師が気だるそうに返事をするのを尻目に、職員室の入り口近くの棚に用紙の束を置いて、さっさと会釈して帰ろうとする。
が、おい、と呼び止められる。
「顔に元気がねーぞ。病気か?」
「いえ、元からこういう顔です」
「っかぁー!返しも面白くねーな!お前モテねーだろ!」
「友達はいるんで問題ないです。それじゃ」
「おーう。ゲームばっかしてんじゃねーぞ。あと雨降りそうな天気だしさっさと帰れよ」
はい、と適当に流してその場を去った。
そんなに生気の無い顔をしているのか僕は。
いや、あの教師の軽口だろう。気にする事ではない。
……無いのだが、少し思考を巡らせてしまうと、つい深く考えこんでしまう。
仕方がないのだ。特に頭が良い訳でも無いが、定員割れで何となく入った進学校。
入学したところで頭が急に良くなる訳もなく、勉学に熱を入れる事も無く、だらだらと過ごしていたら二年生も半ば。
周りは大学受験に向けて動き出している者も居る。僕と同じ理由で何となく入学した友達すら、塾や部活やらでせわしない。
「どうなっちゃうんだろーなぁー……」
諦めにも似た独り言を吐き、下駄箱でシューズを履き替て外に出る。
「うわ・・・朝と何も変わってねーな」
登校時と同じ色の空が有った。
ごろごろと鳴る雷の音も、いつもよりうるさく感じる。
「雨が降ったら面倒だしな。走るか……」
これも思いつき。
たまたま、そういう気分だから走って帰ろうと思った。
たったったった、とリズム良く、少しだけ重量を感じる鞄を揺らしながら小走りで道を走る。
走りながら様々な事を考える。将来の事とか、今日の晩御飯とか。
これと言った凝った趣味が無いので、家に帰ればゲームか漫画かインターネット。
そうやって日々を過ごしていく自分に何も思わない訳では無いが、特別真剣に考える訳でも無い。
晩御飯と同じくらいの優先度。そんなもんだ。感慨も沸かない。
こんな生き方でも、いつか”何か”に出会えるのだろうか?
期待するだけ損かもなぁ。
ゴロゴロと、果てしなく上空にある黒い雲から低音が響く。
今日は本当に嫌な天気だ。雨が降りそうで降らない。しかし、こういう天気こそ突然の土砂降りに見舞われるケースが少なく無いのだ。
僕の長くはない人生経験でもそれくらいは判る。心持ち急ごうと、ペースを緩めずに走り続ける。
刹那。
けたたましい破裂音を鳴らし、落雷が僕を直撃した。
火花を散らし、炎雷が僕を打った。
一瞬、本当に一瞬の出来事。
「あ」の言葉を発する間も無く、何が起こったのか、この身体が、この脳が理解する事も無く。
肉体の外から、内から。皮膚も内臓も、目も脳も。瞬間的に沸騰し、完全にその機能を破壊し尽くされた僕の身体は、即座に意識を奪われ地に伏した。
急に、本当に急に。
抵抗という文字が生まれるより先に。
僕という生命はそこで終わりを迎えたのであった。