ななつめの話
「ふーむ……結構溜まってきたわね」
桃香と奏がここで戦い始めてから二ヶ月ほどが経ったその日、第三波を迎撃し終わった後にユキは自分の小瓶にナミダを乗せながらそう言った。
「この調子だと、やっぱり最初にクリアするのはユキじゃねーかな」
自分の小瓶を軽く振りながら、小百合はそう言った。
「かなり頑張ってきたはずなんだけどな……」
「いや、さすがに三ヶ月近い私らのリードに追いつくには、二ヶ月程度じゃ無理があると思うんだけどな。そもそも、私らも増えてってるし」
自分の小瓶の中を除きながら呟く奏に、小百合はそう言い返した。
「んー……そろそろ第四波が来るかな」
そこに、スフィアが唐突にそう告げる。
「それじゃ、クリア目指してもうひと頑張りしますか」
「そうなると、ユキ抜けた後の私らと、代わりに入ってくるだろう後続の子がすっごい不安要素になるな」
ユキの呟きを聞いた小百合がそう言った。
「まぁ、その辺はあんたがなんとか頑張れ」
「それ、私の背負う責任、異常なまでに重過ぎないか?」
小百合の肩を軽く叩きながら言うユキに、小百合はそう言い返した。
「何か見えてきました!」
そこに桃香の声が響き渡り、他の三人は同時にそっちに視線を向けた。
そして三人同時に絶句した。
「……あれってさ……アレだよな?」
小百合はそう小さな声で呟いた。
「……どう見ても……アレにしか見えないわよね……」
その呟きを聞いたユキはそう答えた。
そこには大きくて茶色いゴキブリの姿をしたエレメントが、徐々に彼女たちに向かってきているところだった。
「あの……奏さんがもの凄い勢いで逃げていきましたけど……」
「さすがにアレだとそれくらいの過剰反応はするわよね……今回ばかりは彼女を責めることはできないわ」
桃香の言葉に、すでに遠くにいる奏の姿を確認しながらユキはそう分析したことを呟いた。
「それよりも、本当にアレどうするんだよ!?」
駆け寄ってきた小百合はユキにそう尋ね、
「知らないわよ。とりあえず鉄板で潰したら?」
「冗談じゃない! アレを潰すとか生理的にできんわ! そもそも、それでアレがどうにかできる気がまったくしねぇ!」
そんなユキの言葉に小百合はそう言い返し、
「というかこれ……私らもとりあえず逃げた方がいいんじゃないか!?」
その直後に思いのほかゴキブリが素早い動きで近くまで来ていたのを確認し、小百合の声を合図に三人は同時にゴキブリのいる方向とは逆に駆け出していた。
「アレから逃げるのはいいんですけど、二人とも走るの遅いですよね」
「お前が早すぎるんだ田舎っ娘!」
すでに奏に追いつこうとしていた桃香の振り向きながらの一言に、小百合は走りながらそう言い返した。
「ちょっと、あいつきっちり追いかけてきてるわよ!」
ユキが走りながら後ろを振り向くと、そこには明らかに距離を詰めてきているゴキブリの姿があった。
「とりあえずこれ投げるので、二人とも巻き込まれないように頑張ってくださーい!」
離れたところで停止した桃香が、槍を手にそう大声で二人に言った。
「投げるって……あれ爆発するやつか! やべぇ! ゴキに轢かれるか爆発に巻き込まれるか、脅威の二択が完成してる!」
それを見た小百合がそう叫ぶのと同時に、桃香は全力で手にした槍を投げた。その槍が走るユキと小百合の頭上を弧を描いて飛んでいき、迫ってきているゴキブリに当たった瞬間に大きな爆発が起こり、その爆風に吹き飛ばされるような感じでユキと小百合は桃香のいる場所へとヘッドスライディングした状態で辿り着いた。
「な……なんつー爆発だよ……」
「前のイチゴの時は鉄板で遮られてて見えなかったけど、こうして目の当たりにすると随分とえげつない武器を思いついたものね」
二人は起き上がりつつ、爆発した辺りに立ち上っている煙を見ながらそう呟いていた。
「それより、これでダメだとちょっとやばいかもしれないわね」
「そういや、イチゴのやつはこれ一回じゃダメだったっけか」
ユキの言葉に答えるように小百合がそう言い、
「そういうこと。つまりこれでまだ生き残ってたとしたら……最悪、あんなのと接近戦やらなきゃならないわよ」
そんなユキの言葉を聞いた二人は、同時に逃げる体勢に入っていた。
それからしばらくして煙がゆっくりと晴れていき、そこにはさっきまでいたゴキブリの姿はなかった。
「……よっしゃー、いない! なんとか終わったか」
「ちゃんと戦ったの、桃香ちゃんだけですけど」
その場に座り込みつつ呟いた小百合に、いつの間にか三人のところに戻ってきた奏は苦笑しながらそう言い返していた。
そんな中、ユキは煙の晴れた後に現れた何もないその空間を見て何か違和感を感じ、それが何なのかが分かった瞬間にある予想を導き出し、ゆっくりとその視線を上へと向けていった。
「……嘘……でしょ……」
その先にいる空中を浮遊しているゴキブリを見て、彼女はそんな言葉を漏らしていた。そんなユキの様子に気付いた他の三人もそれぞれ視線を上の方に向けていき、
「そういやゴキブリって飛んだな!」
「だからって、ここでまで飛ばなくても!」
ユキと奏がそれぞれそう叫んでいた。
「羽を動かさないで飛ぶなんて、昆虫の風上にもおけない奴です!」
「それを言ったら、前に出てきたカブトムシも、こんな感じで飛んでなかったかしら?」
「どう考えてもそういう問題じゃない!」
そして唐突な桃香とユキの会話に、小百合は大声でそう言っていた。
「……なるほど、飛ぶと地面を這うよりスピードは遅くなるのか。それなら、矢で撃つのが一番確実なんだろうけど……」
そんな小百合の声を聞きながら宙に浮くゴキブリを見ながらユキはそう呟き、そのまま奏のいる方に視線を向けると、すでに奏はそこにはいなかった。
「奏さんがさっきよりさらにハイスピードで走ってます!」
「でしょうね。さて、どうしたものか……」
そんな奏の姿を見た桃香の言葉に、ユキはため息と共にそう呟き、
「届くかどうか分かりませんけど、もう一回これ投げてみましょうか?」
そんなユキの呟く声に答えるように、桃香は手にした槍を投げる素振りをしながら言った。
「そうね、このまま考えていてもどうにかなる気がしないし。ちょっとやってみて」
そんな桃香の提案を聞いて、ユキはそう実行するように促した。
「了解、じゃあいきます!」
そう言って桃香は助走を開始し、ある程度近付いたところで槍を投げるために振りかぶった。その瞬間、ゴキブリの頭の辺りから何かが打ち出されるのがユキの視界に入ってきて、
「桃香ちゃん、ストップ!」
それを見たユキは槍を投げようとした桃香に大声でそう言ったが、その声は間に合わず桃香が投げようとした槍にその何かがぶつかり、その場で爆発を起こした。
「さすがに槍を狙って何かを飛ばしてくるなんて発想はなかったわ!」
ユキは爆風に耐えつつそう呟き、桃香のいたはずの方に駆け出した。そして煙の立ち込める中で、
「桃香ちゃん、大丈夫!?」
「だ……大丈夫……とは言いにくい……ですけど……大丈夫です……」
ユキの声に反応するような感じで、彼女の足元からそんな声が聞こえてきた。
「良かったのか分からないけど、とりあえず踏まなくて良かったわ」
「踏まれなくて……良かったです……」
屈んで桃香の姿を確認して呟いたユキに、ぎこちない口調でそう桃香は答えた。
「とりあえず、一旦ここから離れるわよ」
ユキはそう言いながら桃香を抱き上げ、一気に小百合のいる方向に向かって駆け出した。
「おお、お姫様だっこ」
「茶化してる場合じゃないでしょ!」
桃香を抱えて駆けてきたユキを見てそう呟く小百合に、真剣な表情でユキはそう言い返しながら桃香を地面にゆっくりと横たえる。
「それで、どんな感じ?」
「いやー……なんか体がバラバラに吹き飛んだような……そんな感覚です……」
そんな桃香の状態を確認しながらそう呟くユキに、桃香は無理に笑顔を作りながらそう言った。
「そりゃ、普通は粉々に吹き飛んでても不思議じゃない光景だったからな、あの爆発は。しかし困ったな、これでまともな飛び道具はなくなったっぞ」
小百合はそんな桃香にそう言い返した後に、そんな呟きを続けた。そこでユキの視線に気付き、
「だからアレを鉄板で潰すとかしたくないし、そもそもできる気がしないとさっきも言っただろーが!」
「いや、そうじゃないんだけど……あれでいくしかないのかなと思うと、ちょっとね……」
彼女のそんな反応を見てユキはため息の後にそう呟き、
「ねえ桃香ちゃん、あの爆発する槍、まだ作れる?」
「作るには作れますけど……私はたぶんもう投げられませんよ?」
「大丈夫、私が使うから」
そう言ってユキは桃香が出した槍を受け取ると、ゆっくりと立ち上がった。
「それで、小百合は合図したら鉄板を出して。出す場所は……たぶんその時になったら分かると思うけど、アレを覆い隠せるくらいの大きさで」
「お前……あー、そういうつもりか。お前がやるっていうなら、私は別に構わないけどな」
そして小百合にそんな指示を出すと、彼女の返事を聞く前にゴキブリのいる方に向かって駆け出した。
「何をするつもりなんでしょうか? たぶんですけど、桃香ちゃんより槍を遠くには飛ばせなさそうですし、届かないような気がするんですけど」
「あいつのことだから、絶対にもっとドエライことを考えてる。というか、いつの間に戻ってきた?」
いつの間にか戻ってきていて、小百合の背に隠れるようにしてゴキブリを見ないようにしている奏の言葉に、小百合は視線を動かさずにそう答える。
一方のユキは、まだ煙が若干立ち込めている、さっきまで桃香が立っていた辺りに到着し、その足を止めた。そしてゴキブリの頭部が自分のほぼ真上に位置しているのを確認すると軽く深呼吸をし、手に持っている槍を投げようと振りかぶった。そして投げようと踏み込んだその瞬間に、それにタイミングを合わせる様な感じでゴキブリが頭部から何か茶色い物体をユキ目掛けて発射し、
「……ここで迷うな……覚悟なんて、とっくの昔に決めてある!」
そう声をあげると彼女は槍を手放すことなくそのまま横に跳んでゴキブリが撃ってきた茶色い物体を避け、着地する直前に手にした槍をそのまま地面に叩きつけた。そこで爆発が起こり、その爆風にのってユキの体は宙に放り出される。
「…………小百合! 鉄板!」
爆風に飛ばされつつ上昇し、宙に浮いているゴキブリのさらに上にまで達したところで、彼女は小百合に大声でそう指示を出した。
「こうなったら、どうなっても知らないぞ!」
その声を聞いた小百合はそう叫びながら、ユキとゴキブリの間に巨大な鉄板を出現させた。ユキは落下しながら右手に剣を出し、その鉄板に激突するような感じでそこに剣を突き立てた。
「いってこーい!」
そんなユキの掛け声が辺りに響いた直後、小百合の出した鉄板から細長い針が一本、一気に伸びていきゴキブリに突き刺さった。それが合図になったかのように、さらに針が一本一本徐々に伸びていき、それが次々とゴキブリに突き刺さっていく。
「な……なんですか……あれ……」
横たわりながらそれを見た桃香がそう呟いた。
「あれがあいつの出せる唯一で一番の大技だよ。私はとりあえずシンプルに剣山って呼んでる。本来は地面からトゲを出すんだが、今回はアレが宙に浮いてるから私の鉄板で無理やりトゲを出す面を作って、そこからあいつが仕掛けたって形だな」
そんな桃香の呟きに、小百合はそれから視線を動かさずにそう答える。
「……前に、自分には大技がないって言ってたような気がするのですが……」
「まぁ、あいつに余力がどれだけあろうと、あれやった後はもうまともには戦えなくなるっていう、自爆に近い切り札なんだよな、あれは。しかもあいつがあれを使うのはこれで二度目だけど、一度だけ使った時に私ら全員まとめて巻き込んだせいか、なんかトラウマ入ったらしくて、ここまで何があろうと使ってこなかったからな」
そんな奏の疑問にも、視線を上を向けたままで小百合はそう説明をした。
それから経過した時間は十数秒程度だが、彼女にとってはあまりにも長く感じられた。そんな感覚を破ったのは、何度も聞いたことのあるあの耳障りな金属をこすり合わせたような音だった。
その音と共に、無数の針によって串刺しになった宙に浮いたゴキブリはゆっくりと地面に落ちていき、その姿が徐々に崩れていく。そして完全に消え去った後、彼女が剣を突き立てていた鉄板もまた消え去り、そのまま彼女は地面に落下していった。
「……おい、大丈夫か?」
そんな小百合の声が聞こえてきて、彼女はようやく状況を完全に飲み込むことができ、
「だいじょ……いや、大丈夫じゃないわ……」
ユキはそう答えた。
「身体がどうやってももう動かないわ……前の時もそうだったけど……この感じ、やっぱりきっついわね……」
「その上、爆心地から打ち上げられた上に落下による鉄板衝突、さらにそこからの全力ぶっぱからのさらに落下なんてしたんだから、疲れ以前に相当ボロボロになってるだろ」
ユキの言葉にそう答えながら、小百合は彼女の両腕を掴んで、
「とりあえず桃香の横に転がしとくから、適当に休んでろ」
「なら……もう少し丁寧に扱ってほしいんだけど……」
小百合がそう言いながらユキを引きずり始め、ユキは無理やり笑顔を作りながらそんな苦情を口にする。
「そんな苦情が言えるなら、まだ余裕はあるみたいだな。さて……これ四つに分けろ」
「ほーい」
そしてユキを桃香の横にまで引きずった後に、小百合は持っていた茶色いナミダをスフィアに渡し、それがスフィアの体の中に吸い込まれていく。
「正直言って、アレから出てきたあれをこれに入れたくないんですけど……」
「そんな贅沢な我侭を言える立場じゃないだろ。それよりも……」
そう小瓶を手にした奏が言ったことに対して、小百合がそう言い返したところで、
「あ……なんか第五波が来るっぽいよ」
「どうせこうなるだろうと思った。さて、そこの二人が動けない以上、その分だけお前に頑張ってもらうことになるからな。それなりの覚悟はしておけよ」
唐突に発せられたスフィアの言葉の後に、遠くに現れた点々とした影に視線を向けながら小百合はそう言葉を続けたのだった。
「……い……るか……」
そんな声が聞こえてきて、彼女はゆっくりと目を開けた。
「おー、よかった、生きてたし起きた」
そんなユキの様子を見て、小百合はそう言った。
「……あれから、どうなったの?」
「とりあえず、さっき第七波を倒したところ。というか、こっちでも寝れるんだな。桃香も完全に熟睡モードっぽいし」
そんなユキの呟きに小百合はそう答え、
「そりゃ受けたダメージを回復するなら、眠るのが一番だからね。その辺は身体も精神も同じだよ」
それを補足するようにスフィアが現れてそう発言した。
「それより、寝てたから勝手にナミダをこれに乗っけといたぞ。まぁ、これでお前はクリアできるんじゃないかと思ってたんだけど、残念ながら一歩手前ってところだ」
そうユキの小瓶を手にしながら小百合はそう言って、それをユキの横に置いた。
「まぁ……いいんじゃないかな? 期限までまだまだ余裕はまだあるだろうし……」
「やめろ重症人、そこで余計なフラグを立てるんじゃない!」
小瓶を見ながらのユキの言葉に、小百合は即座にそう言い返していた。