ここのつめの話
それなりに人が多く行き交っている駅構内、ユキはそこで待ち合わせをしていた。
「……す、すみませーん、ちょっと遅くなりました」
そう言いながら、そこに桃香がやってきた。
「だから最初から私があなたの家の最寄り駅に行くって言ったじゃない。改札の方から来たってことは、電車に乗って来たってことでしょ?」
「いやー、うちの最寄りって本当に何もないので、むしろこっちで待ち合わせる方が私にとっても都合がいいんですよ」
ユキの言葉に照れ笑いをしながら桃香はそう答えた。
「それにしても、本当に私のメルアドをメモなしで覚えたんですね。確かに、そんなに難しいようなものじゃないですけど」
「これでも必要なことを一時的に覚えておくのは得意なのよ。一夜漬けなんかプロ級よ」
「一夜漬けのプロって……あ、あと『これから行くから最寄り駅教えろ』という唐突過ぎるメールにも驚かされました」
「形式的な文法を必要とする長い文章を書くのが苦手なのよ。特に小論文なんか全然ダメ」
「それで……私なんで呼び出されたんですか? どうせ明日、向こうで会うことになると思うんですけど」
「正確には私が出向いたんだけどね」
駅から移動するために歩きながら、桃香とユキはそんな会話をしていた。
「ところで、どこに向かっているんですか?」
そこで桃香がそう尋ねた。
「んー……特に考えてないわね」
「ただ歩いてるだけですか」
「なんか、桃香ちゃんがオススメするようなところってある?」
「ないです」
「……ここ、そんな即答するようなレベルの街なの?」
即座に答えた桃香の言葉を聞いて、ユキはそんな疑問を口にしていた。
「まぁ、ただ歩いているだけってのもあれだし……そこで何か食べない? 考えてみたら、私まだ昼食とってないし」
そう言いながらユキは適当にファミレスを指した。
「そうですね、私もお昼まだなので」
「決まりね」
そう言って店内に入っていき、
「そうそう、せっかくだし、私のおごりでいいわよ」
「え?」
唐突なユキの一言に桃香はそんな声をあげていた。
「い……いやいやいや、さすがにそれは悪いですよ。だって神奈川からここまで来るのだって交通費が相当かかってるんじゃないですか?」
そう桃香が慌てながらユキに言った。
「大丈夫だって。ほら、この前の蛇を倒せたのは桃香ちゃんのおかげなんだから、そのお礼も兼ねてここはお姉さんにおごらせなさい。あと私はもう小遣い制じゃないから、お金のことはあまり気にしなくてもいいわよ」
「えーと……なんかさらっと意味深なことを言われた気はしますが……それじゃお言葉に甘えさせていただきます」
胸を軽く叩きながらそう言うユキに、桃香はそう返すしかなかった。
「……ところで、何の用でこんなところまで来たのですか?」
注文した品が来た後、桃香はユキにそう尋ねてみた。
「んー……そこまで大切な用事ってのではないけど……ほら、向こうじゃ忙しくてあまり話せないじゃない」
「そうですね、話してる途中でエレメントがちょいちょい出てくる気がして、あまり話せてないかもしれません」
「だから、ちょっと長くなるお姉さんの話に付き合ってほしくてね。それでこっちに来たのよ」
桃香の疑問にユキはそう答え、
「それで、どこから話したものかしら……実はあの時の蛇ね、初めてじゃないのよ、私が遭遇したの」
「え? そうなんですか?」
「そうね、まずは桃香ちゃんが向こうに来る前の話をしておいた方がいいのかしらね」
そして、ユキの話が始まった。
私と小百合はね、同じ事故が原因で向こうに行くことになったんだけど、実はその時には他にもう一人、私たちと一緒に向こうに行った子がいるのよ。それが私の妹。
それで私たち三人が向こうに言った時には、向こうですでに頑張ってた人が一人いたのよ。で、その人に小百合が桃香ちゃん達にしたような、あの厨二病入ってたような設定っぽい説明をされてね。
それからエレメントと戦うことになったんだけど、最初はもう何をやればいいのかさっぱりで、とにかく滅茶苦茶だったわ。その分あの人が頑張ってくれて、なんとかなってたけど。
それで、あの頃の私はとにかく妹を最初にクリアさせようって思ってて、私が自分で取ったナミダもあげたりしててね。当然だけど、最初の頃はあの子もそれを受け取ろうとはしなくって。だから「自分は優等生だからすぐに追いついちゃうもの、だからあなたが最初にクリアしておきなさい」って言って無理矢理にでも納得させたりとかしてね。それからね、私が「自分は優等生だから」っていうのを言い始めたのは。最初は妹を納得させるためのものが、今じゃもうそれが口癖みたいになっちゃったけどね。
そんな感じで私たち三人が向こうに行ってから三ヶ月くらいして、私の妹があの人と一緒にあと少しで終わるってところになって、あの赤くてでかい蛇が現れたってわけよ。
もうあの時はどうしようもなかったわ。今回みたいに目を潰せばいいなんてこと思いつきもしなかったから、私たちはあの蛇に思いつく限りの攻撃を繰り出しててね。それでもあの人が全力で戦って頭を吹き飛ばしたりして、なんとかギリギリのところで凌いでたわ。数が増えていくまでは。
途中であの人が矢の打ち過ぎで力尽きて、そこからはもうなし崩しよ。そして、五匹目の蛇が現れたところで完全に手に負えなくなって、あの人と私の妹が二人ともパクーって、あの蛇に丸呑みされちゃって。いやー、えげつなかったわ、あの光景は。私も妹を取り戻そうと最後までその蛇の頭にしがみついてたんだけど、あの蛇、逃げるために頭を切り離しやがってさ。蛇の頭と一緒に地面を転がって……結局、私と小百合の二人だけがその場に取り残されただけで、蛇は全部引っ込んでいったわ。
そう考えると、今回はあの蛇を八匹目……あ、胴体はひとつだっていうから、八匹ってのが正しいのかは分からないけど、そこまで引っ張り出して、さらに倒したってのが、いまだに信じられないわ。
……え? それでこっち側にいる私の妹はどうなったのかって? 確かに、そんな疑問を持つのは不思議じゃないわね。普通に考えると、向こうで大変なことになったとしたらこっちでも大変なことになってて、最悪死んでるかもしれないって思うわよね。私もこっち側に戻ってくるまでそう思ってたわ。でもね、そんな単純な話じゃ済まなかったのよ……結論から言うと、別に妹は死んじゃいないわよ。
私の妹が蛇に飲まれた翌日に目を覚まして、最初に妹の顔を見にいったんだけど……あの子はいつも通りだったわけよ。ただ、話しているとだんだんと何か違和感を感じてきてね。その違和感がなんなのかってのに気付くのに、そう時間がかからなかったわ……明らかに話が噛み合わなくなってたのよ。どうも、向こうにいた時の記憶があの子には無いみたいでね。
憶えてなかった、というのとはおそらく違っていて……これはあくまで私の推測だけど、私たちが向こうに行ってる間、こっちでは擬似的な精神が私たちの身体を動かしてるって、前にスフィアは言ってたでしょ。で、それを前提として考えると、おそらく今も妹の身体を動かしているのは、その擬似的な精神の方なんじゃないか、と考えられるわけよ。だから、今あの子を動かしている精神は一度も向こうに行ってないから、向こうの記憶が存在していない……そんな感じかしらね。推測はしょせん推測だから、これが本当に正しいのかは分からないけど……でも、これ以外に思い当たることって何もないのよね。
まぁ、私の妹の話はこんな感じだけど、それで私はあることに気付いたわけよ。あの蛇が前に現れたときは、妹とあの人があと少しでクリアってところになって現れたってこと。だから私があと少しって状況になった時、ひょっとしたらまたあの蛇が来るんじゃないかって考えてね。
だから、この二ヶ月くらいはいろいろと試してたわ。特にこの前のカニが現れた時はありがたかったわ。なにしろ、それまで生き物の姿をしたエレメントってカジキマグロと犬だけだったけど、カジキはもう調べるどころじゃない攻撃してくるし、犬は調べるまえに奏が倒しちゃったからね。
そんな感じで二ヶ月の間は試行錯誤しながら、いろいろと対策を考えてきてたわけよ。そして、私がクリア直前になったところで、本当にあの蛇はまた現れた。
それでね、私はこう考えたのよ。同じ条件下で同じ赤い蛇が現れたということから、向こうの世界ってのはそれなりのシステムがしっかりと存在していて、何かしらの条件が揃うと何かしらが起こるっていう、まさにゲームのような世界として存在してる感じなのよね。まぁ、私たちがやってることはゲームの世界でやってるようなことそのものだけどね。
「……」
そこでユキの話は止まり、そのまま二人の間には沈黙が訪れ、
「……そこで黙られると、正直困るんだけど」
「いえ、とんでもなく重い話をされて、言葉が出てこないとかそういう感じで……」
その沈黙を破るように言ったユキの言葉に、桃香はただそう言い返すしかできなかった。
「そんなに重い話だったかしら?」
「重かったですよ、特に妹さんの話のくだりが」
「もう二ヶ月前の話よ、あまり気にするようなことじゃないって」
「たぶん、月日の問題じゃないと思います……」
笑顔で話すユキに対して、ため息をつきながら桃香はそう言い返していた。
「昔のことはもう昔のことなんだから、そんな深く考えてたって変えようがないし仕方ないのよ。とはいえ、こんな知らない人には妄言にしか聞こえないようなの、あまり他の人に話せるような話でもないからね。今日話せていくらかスッキリしたわ」
笑顔のままでそう話を終えたユキに、桃香は急に真面目な表情になり、
「……話が終わったのなら、ひとつ相談したいことがあるのですが……」
「相談?」
不思議そうな表情をしているユキに、桃香はそう話を切り出した。
私たちって、日曜日に向こうに行っているじゃないですか。でも、なんか私は他の曜日にも向こう側に行っているんです。
どうも私が寝ている間、曜日に関係なく向こう側……とはいっても、日曜に戦っている場所とは別の場所にですけど、行っているというか連れ込まれてるというか……いつもは真っ白で何もない場所にいるのに対して、そこは本の詰まった本棚に囲まれているような場所で、そこには司書と名乗った人がいました。見たことない場所だったので最初は戸惑いましたけど、向こうに行っている時の赤い服を着てて槍も出せることから、そこが向こう側だっていうことに気付けたんですけどね。
……いや、確かに怪しいといえば怪しいんですけど……朝になって目を覚ますとこっち側にいたから、最初は夢だったんじゃないかって思って、あまり気にはしなかったんですよ。
そこに行くようになったのは、あのイチゴを倒した後の火曜日が最初で、それから毎週のように一日か二日くらいはその本棚に囲まれたところに行くようになって、さすがにそれが夢じゃないってことに気が付いたんですよ。そこで、とりあえずそこにいる人なので何かいろいろと知ってるんじゃないかと思って、いろいろと聞いてみたんですけど……なんというか、よく分からない答えが返ってくるか、適当なことを言ってはぐらかされてるだけなんですよね。
まぁ、そんな感じだったんですよ……先週までは。
今週に入ってからが、ちょっと大変なんです。なにしろ、毎日のように向こうに行くようになってて……なんでそうなっちゃってるのかも分からない上に、向こうに行ってもやることがほとんどなくて暇なんですよ。
いや、やることがないってのは確かにどうでもいいことかもしれないんですけど……それで、司書って人からはそこのことを誰にも話さないようには言われてたんですけど……ここまでくるとさすがにもう心配になって、こうしてユキさんに相談することにしたんですよ。決めたの、ついさっきですけど。
「……なんというか……もう私の理解の範疇を超えた話ね……」
そんな桃香の話を聞いたユキの第一声がそれだった。
「とはいえ、無視するわけにもいかないような話でもあるわね。特にクリア目前になった今だと、そういう得体の知れない存在に足元をすくわれかねないし……」
「そもそも得体が知れないという点では、スフィアがすでによく分からない存在なんですけどね」
ユキのそんな呟きを聞いて、桃香は笑顔のままでそう言っていた。
「……ここでいろいろと考えてても、たぶん答えは出てこないわ。なら、明日になってからなるようになれ、という感じでいた方がいいかもしれないわね。あ、それと最後にひとつだけ言っておくけど、明日向こうに行ったらさ、私はちょっと博打うつかもしれないけど、とりあえず止めないでおいてくれるかしら?」
「……え?」
そこで少しの間だけ会話が止まり、
「……あの、まさかとは思いますけど……その最後の一言を伝えることが、わざわざここまできた本当の目的とか、そうことはないですよね?」
「勘が鋭いわね、その通りよ」
「……片道、どれくらいかかってるんですか?」
「んー……大丈夫大丈夫、往復しても諭吉が吹っ飛びはしないから、たいした出費じゃないわよ」
「もう中学生の発する言葉と金額だとは思えないですよ、それ」
自分の疑問に答えたユキの言葉を聞いて、桃香はため息混じりにそう言い返した。
「とにかく、お姉さんは優等生なんだから、心配するようなことは何一つないわよ」
そんな桃香にユキは胸を張りながらそう言ったのだった。
「それじゃ明日ね」
駅に戻ってきて、そう言って桃香と別れた後、自分の乗る電車のホームに行く途中の階段を上りながら、
「……さて、今日も帰るまで頑張りますか」
そう呟いて上を向いた。そして、
「……笑いながらじゃないと、昔のことを話すとき泣きそうになるの……いい加減、どうにかしたいわね……今日は帰るまで泣かずに耐えられるかしら……」