Edition.Ⅰ 『かつての記憶』
「おとうさん、これ、なあに?」
黒色が混じった灰色の髪の西洋風の少年が、手渡された指輪を持って首を傾げた。
それは白銀の指輪。天使と竜が刻まれた、芸術品染みた美しい指輪。
それを見た瞬間、彼は——天ヶ瀬 優は、理解した。
ああ、これは夢だと。
そんな優を放って、幼き日の優の映像は流れる。
「それはな、優を護ってくれるお守りだ。肌身離さず、ずっと持っているだぞ?」
灰色の髪を持ち、優と同じ金色の目に慈愛を宿らせた青年が、しゃがんで優の頭を撫でる。彼の父親だ。その隣には、優しく微笑む女性、彼の妻、つまりは優の母親もいる。
優はくすぐったそうに身をよじると、自分の指に指輪を塡めた。
明らかに指に合わない大きさだったが、指に通すと伸縮してぴったりと塡る。
その指輪は、夢を見る優の指にも塡められていた。
夢を続く。
幸せな光景を映し出し、過去の憧憬を煽って。
まるで黄金宮殿のように、誰も逃さぬ甘美なる牢獄。
優はそれの一客席に座る、哀れで幸せなたった一人の観客だ。逃げられないし、逃されない。
そしてこの夢は、いつも〝ある光景〟を映し出して幕を閉じる。
彼がずっと忌む光景であり、またこの夢の発生原因ともなった悪夢の根源。
「……ろ」
突然、視界が切り替わる。
優が後ろに押し飛ばされ、道路脇に転ぶ。その視界の先には、自分を押し出した態勢のままこちらに笑いかける二人の男女と——
——彼らを轢き殺さんとする、トラックの姿があった。
「……めろ」
灰色に染まる視界。加速する体感時間。
その中で、ゆっくりと、しかし確定した未来が迫る。体は動かず、ただ思考のみが加速する。
その中で、彼の父親の口が動いた。
——ご。
「やめろ……!」
——め。
「やめろッ!」
——ん。
「やめてくれぇぇぇ!」
夢の牢獄、その中で。
優の拒絶の慟哭が、写し出される虚ろな映像を、小さく震わせていた——
「——は、あっ!」
玉響の夢から覚め、意識がどんどんと覚醒していく。
優は荒い息のまま、顔に両手を当てた。
「くそ……くそ……!」
口から誰にも当てられぬ悪態が出で、夢と同じ黒混じりの灰髪を搔き毟る。
毟って、毟って。頭皮が切れて血が出て、手を赤く汚す。痛みを感じるが、それすらも彼を苛立たせる。
気付いた時には、手が真っ赤になっていて。
「……そろそろ、駄目か」
正直まだしたりないが、昨日の分の自傷行為と合わせると洒落にならない程に出血している。これ以上は危険なので、優は渋々とベッドから出た。
優は幼少——両親が死んだ頃より、連日の自傷行為が日課となっていた。
さすがに毎日と言う訳ではないが、今日のように二日連続で手を真っ赤に染める時もざらではない。
更に、彼は目の前で人が死んだ事により自分の痛みを「所詮その程度の事」としか思えなくなった。無痛症ではないが、ある意味類似しているだろう。
制服に着替え、血塗れの手を洗って元の白い手に戻し、顔を洗う。
その全ての過程が、無表情で行われていた。優の表情筋は、先ほどのような強い感情に振り回されでもしない限り、動かない。意識すれば動かせるが、別に無理をする必要もないと思い直したのだ。
ちなみに見た目はかなり綺麗な顔の美女なので、無表情はかなり怖い。
鞄に教科書その他諸々を入れ、髪を整えて部屋を出た。
がちゃりと鍵を閉め、学生寮の階段を降りる。途中で他の生徒ともすれ違うが、会釈もしないで通り過ぎた。
優が住む部屋はこの学校の学生寮である。
優は天涯孤独の身、自分の学費などは自分で払わなければならなかった。そこで彼が目をつけたのが、学費免除と学生寮のある高校だ。
幸いにして身寄り、とは言ってもたらい回しにされてきて最後に回ったところから近い場所に、自分の学力に合った学費免除制と学生寮を持つ高校があった。
優はそこを受験し、合格、基準値を超え、学費免除がされたのだ。
学校内は雑多としていて、校則は少し緩い。
勉強は出来るものの、チャラい生徒が多いという学校か。優にはそんな余力はないので、それにお金を使えるのが羨ましい限りである。
(世の中不公平だ)
内心不満を滾らせる優だったが、その愚痴を言える友達はいない。つまり、ぼっちである。
入学当初は黒混じりの灰髪で引き込むような金色の目、更に女と見間違える程の目元の涼しいイケメンという事で注目を浴びたのだが、後に彼が貧乏である事が判明、そして本人の気質も相合わさって誰も話しかけなくなってしまったのだ。
別に寂しくない、というか近寄られるとウザいので、そちらの方が良かったりする。
「ねえ天ヶ瀬君、今日みんなでカラオケしに行くんだけど、行かない?」
「行けない。次は行けるよう善処する」
(というより、友達の輪にどうやって加われって言うんだよ。それ抜きにしても金ないし)
内心そう言いながら、お役所の常套句で断る優。針のむしろになることは確定なのに、誰が好き好んで飛び込むのか。別に優はMではないので、そんなのは御免被る。そしてそんなのにお金を使うのも同様だ。
まあ優は容姿と成績は学校トップクラスに良いので、誘うのも仕方ないのかもしれないが。
誘った方も大して期待していなかったのか、そっかーと残念そうでもない声を最後にその友達の所に帰って行った。
(天ヶ瀬ってさ、人付き合い悪いよな)
(噂じゃ親いないらしいけどな。それにしても、どんな美女とイケメンを配合すればあんな顔が出来上がるんだ?)
(アレだな、「ただしイケメンに限る」が余裕で適応されるような奴だ)
(どうせ女も選り取り見取りだと思ってんだろ。確かにこの学校の女子は股ゆるいし、顔も可愛い訳じゃないが)
(……聞こえてんだよ)
少し離れた所で、男子達が優の陰口を言っていた。優に聴かせるように喋っているようだ。
彼らからすれば、優のような存在は邪魔なのだろう。優としては女を取るつもりもないが、女は大体イケメンに群がる。自分達には来なくなるのだ。
もう慣れた事とは言え、陰口を言われるのは気分が悪い。優はこの後の展開を予想して、大きな溜息を吐くのだった。
「天ヶ瀬、ちょっと体育館まで来いよ」
「ほら来た」
ぐでっ、と優は机に体を預ける。あんまりにも予想通りすぎる展開で、気力が抜けたのだ。
授業を終え、帰宅の準備をしている間にそう言われた。言われる前に帰ろうとしたのだが、相手の方が一歩早かったのだ。
「なんだ?」
「なんでもない」
と言って、呼びに来た男は教室を出て歩き出す。付いて来い、という事なのだろうか。
しかし優は、ある事に思い至る。
(……別に行く義理なくね?)
今まで正直に付いて行っていた自分が馬鹿みたいだと思う優。別に呼ばれただけなので、拒否権はあるはずだ。
彼は悠々(駄洒落ではない)と支度を済ませ、教室を出て昇降口に向かった。
尚、呼びに来た男は後ろについて来ない優を見て不審に思い、教室に戻って帰った事に愕然としたそうな。勿論、そんなのは優の知った事ではないが。
◇◆◇
「おい次これ運べ!」
「バイト、それ終わったらこの皿洗え!」
「わかりましたー!」
その日の夕方。
優はゴールデンタイム時のファミレスで働いていた。今日はファミレスのシフトが入っているのだ。
彼は学費免除されているが、生活費などは自分で捻出しなければならない。しかし頼れる親もいないので、こうして自分でバイトしているのだ。
今もトレイに料理を乗せて、忙しく仕事をしている。
「どうぞ、若鶏のグリルです」
「はい、って何か凄い!」
「ごゆっくりどうぞ」
料理を運んだ席で、とある女子高生が優を見て歓声を上げる。理由は明白だろう。
今の優の顔は、にっこりと営業スマイルだ。作り物じみているが、素の容姿が人形のようなので、一周回ってとてもマッチしている。
次は皿洗いだ。
厨房に入り、食後の皿を洗浄する。親が死んだ五歳の頃、親戚に引き取られた時に雑用を全て任されていたので、主婦並みに熟練している。
まあ、十二年間やっていたのだから当たり前なのかもしれないが。別に優は感謝していない。
「いやー、君が来てくれて助かったよ」
「そうですか?」
「うんうん。手際は良いし、愛想は尽くそうと思えば良い。顔もそこら辺の男優が自信喪失するくらいで、特に女性客と女性従業員にかなり受けが良いよ。裏では人形王子なんて呼ばれてるみたい」
「人形王子、ですか。俺が王子なんて無理ですよ。貧乏ですし」
「あはは、面白いね。まあ頑張ってくれ、売り上げが伸びてるから、もしかしたら時給がプラスされるかも」
「マジですか? ありがたいですね」
「うんうん、その意気だよ」
じゃ、と先輩のバイト店員は厨房の奥に歩いて行った。優にとって、家よりも学校よりも何よりも、バイト現場が気持ちの良い場所だった。
その後も働き続け、夕方六時から夜の九時でバイトは終了。その後掃除やなんやらをやって、交代の人に場所を変わって夜十時に帰宅した。
「時給千百円、と。これで大丈夫かな」
リュックの中に給料を入れ、優は欠伸しながら学生寮に帰る。優の学校はバイト許可制なので、違反ではない。学生寮は夜零時に閉まるので、まだ充分時間の猶予はある。
ゆっくりとした足取りで歩む。
しかし——
「よお、天ヶ瀬。お疲れかぁ?」
六人の男に、周囲を囲まれた。よく見れば今日、優を呼びに来た男も混ざっている。
どうやら、優をリンチするらしい。
げんなりする優だったが、相手がそれで許してくれる訳もなく。
彼を囲む男の一人が、前に出た。
「なんで今日、来なかった?」