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とうもろこし「喫茶店」

「佐野さん、悪いんだけど、俺、君の期待には答えられそうに無いわ」


「………………は?」


「だから、俺を見るの、止めてくれないかな? 噂になってるんだよね、俺達」


 そう言って、少しため息をつきながら、半田さんは私を見つめた。ドヤ顔で。

 ナルシストで有名な彼は、何を勘違いしているのか。

 私が彼を見ていた事なんて、一度もない。好意を持っていると思われているなら尚更だ。


「あの、半田さん? 私は……」


「分かってる。言わなくても、俺には分かる。だから、何も言わないで。ただ、これだけは言わせて……ごめんね」


「は?」


 ますます意味が分からない。何を理解したのか、ふっと笑いながら茶髪の髪をかきあげ、客の少ないホールへ戻って行った。

 恐らくだが、私は今、彼に一方的に振られたのだろう。


 この喫茶店で働くようになってから半年。

 いつも通りに高校終わりから出勤しようとしたら、早く来ていた大学生の半田さんにバックヤードに呼び出された。

 そして、冒頭に戻る。


「…………………ま、いっか」


 半田さんは噂になっている、と言っていたが、少なくとも私の耳には届いていない。

 きっと自意識過剰なんだ。それに、私の事を気にする人なんていないだろう。


 喫茶店で働いている人数も、あまり多くない。私を入れて五人くらいだ。

 噂されたって、皆高三の私より二、三歳以上年上だ。店長の田畑(たばた)さんに限っては十五くらい上だった気がする。


「田畑さん、お疲れ様です」


 バイト入りました! と言わんばかりに声を掛けた。

 田畑さんは、この喫茶店を一から立ち上げた。彼だけの喫茶店なのだ。それだけに思い入れも強いのか、店舗拡大の話を断っているのを見かけた事がある。

 田畑さんの容姿も、きっと経営に関係があるに違いない、と密かに私は感じている。

 落ち着いた雰囲気に優顔で、近くで見ると肌も綺麗。身長も高めだし、なにより田畑さんが作る珈琲は格別らしい。


 そんな完璧な田畑さんにも、ある欠点が。


「……お疲れ様」


 私を一瞥すると、そそくさと作業に戻る。お皿洗いがあるらしい。


「あ、私、お皿洗いますよ!」


「……じゃあ、よろしく」


 それだけ言うと、直ぐに次の作業に移ってしまう。


 田畑さんは、あまり愛想が良くないし、話したがらない。柔らかい雰囲気に優しげな表情だから、常に微笑んでいる様に見えるが、実はあまり表情が変わらない。





 それは、突然だった。


「今日、残って欲しい」


 一瞬、本当に一瞬の出来事。

 田畑さんは私に一瞬近づくと、それだけ言って離れてしまった。


 まるで、いつもみたいにナポリタン片手に「これ運んどいて」って小声で指示してくる時みたい。


 残る? いつまで?


 私のバイトは、いつも午後五時くらいから八時までの三時間。

 確か喫茶店が閉まるのは午後九時くらい。え、それまで待ってるの、私? 冗談でしょ?


 もしかして、何かしてしまったのかな?

 まさか、く、クビ? 何したっけ? さっき半田さんに一方的に振られたくらいですけど? ミスとか、してないと思う。


 不安で田畑さんに視線をやると、何事も無かったかのように、通常だった。

 あれ、さっきの幻聴かな?


 疑問を抱きながらも、時間は過ぎて、いつも帰る時刻。

 どうしよう、と考えながらバックヤードにいると、半田さんがやって来た。

 帰らないのを不思議に思っているみたいで、さっきからチラチラ見てくる。私だってどうしたらいいか分からないよ。


「佐野さん、帰らないの?」


 煮えを切らして半田さんが聞いてきたタイミングで、田畑さんがやって来た。「あ、マスター」と半田さんが呟く。


「半田さん、今日は帰って良いよ」


 田畑さんが淡々と告げると、半田さんは少し目を見開いた。


「え、後一時間どうするんですか? 他、もう帰っちゃいましたよ」


 そういえば、と思う。

 最後の一時間と店の戸締まりは、半田さんと田畑さんの担当になりつつある。


「……佐野さんがいてくれるみたいだから」


 名前が出てきて、やっぱりか! と田畑さんに目を向ければ、私の視線を完璧に無視している。

 あれ? いつもと違う?


「え、佐野さんが?」


 私を見る半田さんに、曖昧な感じで頷く。

 何故に佐野さん? みたいな半田さんは、私と田畑さんを交互に見ている。

 田畑さんは、そんな視線を無視するように「お疲れ様」と半田さんの前を通りすぎた。


 あれ、なんか田畑さん今日、冷たくない?

 そう思ったのは、私だけだろうか?


 田畑さんは、私以外からはマスター、と呼ばれている。あるいは、店長。

 私は何故か「田畑さん」と呼んでいるが、それには訳がある。


 正直、自分でも分からない。

 こればっかりは、田畑さんに聞くしかない。


 私も最初は「店長」と呼んでいた。しばらく経って、何故か「店長」の声に反応をしなくなった。「田畑さん」って冗談のつもりで呼んだ。ら、振り返った。

 それ以来、何故か田畑さんにしか反応を示さないので、そのまま続いている。



 頭上に疑問を浮かべたまま、半田さんは「お先です、お疲れ様でした」出ていった。


 客も少なくなる、というかほぼいない。そんな中、私と田畑さんに気まずい雰囲気が流れている。恐らく、だが。

 田畑さんの顔色を伺おうとするが、なにせ分からない。

 でも、どこか普段と違う様な気がする……。



 一時間なんて、あっという間だった。

 気づけば田畑さんは閉店準備を始めていて、何か手伝える事はないか、と問えば「バックヤードにいて」何やら深刻な話なのかもしれない。

 心の準備が必要な事だろうか? 聞きたくなくなってきた。



 こっそり深呼吸を繰り返す私の後ろから、閉店し終わったばかりの田畑さんが来た。そして、そのまま私を睨むかの如く、押し黙ったまま。

 目線は私を射ている。心当たりが無さすぎて泣きそう。


「あ、あの、田畑さん、私」


 心当たりは無いが、きっと何かしたのだろう。そう思って口を開けば、田畑さんがモゴモゴと何か発した気がする。


「え?」


「…………」


 何も聞こえない。でも、田畑さんの俯いた顔から、口が動いている。何だろう? 覗き込むように耳を澄ます。


「え、あの?」


「っ、だから!」


 突然大きな声を上げたと思ったら、大股で私に一歩、近づいた。かなりの距離を詰められて、狭いバックヤードで私は少し動揺して後ろに仰け反る。

 じっとそこそこ至近距離で顔を覗き込まれる。何かを探る様に。そして、口が動いた。今度は、はっきりと。


「半田さんが、好きなのですか!」


「は?」


「どうなんですか?」


 田畑さんが、少し睨むような、眉間に皺が寄る。


 え、何の話?

 まさか、あのナルシスト言いふらしたのかな? 噂を流した犯人、実は半田さんなんじゃないか、と思う。


「…………沈黙は、肯定?」


「え、待って下さい! ちが、違います」


 もう田畑さんが何を言っているのか分からない。

 どうして突然、こんな事に?


「……見つめていたって」


「いやいやいや、何言ってるんですか。半田さん、ナルシストですよね?」


 私の言葉に、田畑さんは顎に手を当てて考えている。

 その顔は真剣だが。それよりも、距離は地味に近いまま。なんというか、少しずつ近くなってきている感じがする。

 恥ずかしい! 居たたまれない!

 二、三歩、後ずさる。距離を置かないと。この距離の田畑さんは心臓に悪すぎる。


「ここで、二人で話していた」


 思い出した様に田畑さんは呟いた。


「げっ」


 知っていたのか。思わず漏れた声を、田畑さんは聞き逃さなかった。

 徐々に眉間へ皺を刻むと、せっかく取った距離を、また詰められた。


「話して下さい。どういう事ですか? やっぱり、佐野さんは半田の事が!」


 突然、なりふり構わず詰め寄ってきた。

 近い。近い近い! 息がかかるくらいの距離まで、躊躇無く顔を近づけてくる。


 私は「ちょ」とか「待って下さい」とか言いながら、止まらない田畑さんに気押され、徐々に後ろへ。

 そして、とうとう、かかとが壁に付いてしまう。


「半田が、あいつが好きなのですか?」


「いや、あの、え、どうして呼び捨て?」


「……どうなんだ?」


 こ、ここここ、怖い!

 どうしたの? 田畑さん、どうしたの?


 距離はほぼ無い。話すたびに息がかかる。

 何も話せないでいると、ふらり、と田畑さんの右腕が私の顔の横へ付けられる。これって、壁ドン?


 パニクった私は、たぶん真っ赤であろう顔で、とりあえず全部話そう! そう意気込んだ。


「何も、あの、振られました!」


「…………やっぱり好きだったのか」


 間違えた! 一番言っちゃいけないやつじゃない?

 田畑さんの顔がみるみる険しくなる。何かを我慢するように、歯がギリギリと音を立てる。


「ちが、あの、誤解で! 半田さん、私が見てるって勘違いしてて。だから、あの、私が何か言う前に、振られたって言うか、えっと?」


「……好きじゃ、無い? 半田が勝手に妄想して、佐野さんに好かれていると思った。だけど、半田は佐野さんが好きじゃないから一方的に断った。つまり、佐野さんは、あんな奴を微塵も想っていない。で、合ってる? 」


「そ、そうです、ね。私、全く好きじゃないですから!」


 ここまで言えば平気だろう。

 ちらり、と、それまで直視出来なかった田畑さんの顔を覗き見ると、優しく微笑んでいた。

 一瞬、呼吸を忘れた。

 鼓動が早まる。初めて見た、田畑さんの本当の笑顔。


「それなら、良かった」


 それだけ言うと、私からすんなり離れた。

 あれだけ興奮していた人が、まるで別人。


「明日から、戸締まり、一緒にやってくれないかな? 半田さんは、学校が忙しくなるみたいなんだ。ちゃんと送って行くから」


 え? そんな事、言っていたかな?



 疑問を胸に、混乱が解けないままの私は、頷く事にした。


 その後、車で駅まで送ってもらった私は、再びの笑顔で見送られ、もう何も言えなかった。

 次の日から、本当に半田さんは来る回数が極端に減り、最後は辞めてしまった。

 大学生って大変なんだなー。


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