ブロッコリー「本屋さんでの出会いは」
平日の昼間、私は、全国チェーン店の本屋で困っていた。
比較的広い店内で、独特の紙の匂いが充満しているこの場所で。
行ったり来たり、本を選んでいる振りをする事、約一時間。
我慢の限界だった。
正直、私は、本屋があまり好きではない。
この静かな雰囲気、走っただけでも怒られそう。
そんな私が、どうしてこの場にいるのか。
それは、友人の里見の職場に会いに来た、それだけ。
「すぐ終わるから、待ってて!」そう告げてレジカウンターへ消えた彼女を待つ。そして時間だけが過ぎ、今に至る。
一か所にずっといては不審がられる、と判断した私だが、店内をうろうろしている方が、返って不審だった。
里見は、私の親友で一番の理解者。
この本屋でアルバイトをし始めて、確かもう五年。今や私と里見は二十一歳。
お互いに学校が忙しくて、会えるのは、今日くらいだって言うから、ひたすら彼女を待つしかない。
それにしても、暇だな……仕方なく足を止め、ぼーとしていると、小さく肩を叩かれた。
「あのー」
「ひっ、え」
里見かと思ったが、低く静かな声で、相手が男性だと知る。
振り返ると、優しそうな紳士っぽい若い男性店員が私を不安げに見ていた。
歳は二十代後半くらいから三十代前半くらいだろうか。
本屋が似合う、長身で細身の優しい眼差しをする、好青年。
内心、どきり、とした。
高校を卒業してから、男性と話す機会、接点が無く、変な緊張をした。
今日、里見と会うのも、お互いに良い人がいないって愚痴り大会を開くため。
「あの、何か、お探しですか?」
「えっ、あ、え……その」
私は自分が思っているより動揺していて、言葉が出ない。
何を思ったのか、彼は勢いよく謝り始めた。
「あ、す、すみません! 先ほどから、何か、探しているのかと思って。ごめんなさい。僕、余計な事を……」
「あ、いえ! 違います、あの、えっと、ゆ、友人と待ち合わせしていて」
何とか答えようと、必死に言葉を繋ぐ。
私の必死さが通じたのか、店員さんは、笑顔を見せた。
営業スマイル、というやつか。眩しい。
「そうだったのですね。あ、では、せっかくなので、僕のおすすめの本を時間潰しにでも……えっと、確か、この辺りに」
何故かオロオロしている間に話は進み、笑顔の彼は、楽しそうに文庫本を紹介してくる。
さすが本屋の店員というか、私好みの本を次々と手に取る。
客を見るだけで分かるのか、本の苦手な私にも読めそうな、比較的ページ数が少ない物を選んでくれる。
なんだか楽しくなってきた。
「あ、申し遅れました。僕、水谷 静と言います」
水谷さんは、本を片手に、そう言って自分の胸元についている名札を指した。
あ、確かに名前が……えっ。
私は名札を二度見した。達筆で綺麗に書かれている辺り、文字が好きな本屋さんらしいけど。
二度見したのは、そこじゃない。名前の上に書かれた、小さな文字————
―———店長。
え、水谷さん、店長?
「あ、あの、て、店長さん、ですか?」
店長、というと普通の店員より、言葉使いとか気になる。
なんか響きだけでも、不安になるというか、恐れ多いというか、なんだか、こんなに若い店長さんいるのか。
「はい。僕が、この店の店長です。失礼ですが、お名前は?」
言い忘れていたが、確か、この店は本店だった気がする。
本店の店長って、何レベル? 最終形態くらいいくかな?
「さ、堺 薺です」
ボスを前にした冒険を始めたばかりの勇者の気分になり、素直に名乗った。
「薺さん。良い名前ですね、美しい」
「う、はあ」
初めて褒められた。それも、笑顔で、う、美しいなんて。
名前が可愛くなくて、あまり良い思い出が無いだけに、純粋に嬉しい。
良い人だな、この人。
「薺さん、どうかしましたか?」
失礼ながら、水谷さん良い人、格好いい。などと見つめていたら、こてん、と首を傾げながら訪ねて来た。
首を傾げる姿は、また、年上なはずなのに、年下にみえる可愛さ。見上げているはずなのに、顔を下から覗かれている様な。
み、水谷さん可愛い! 男性に免疫が無い私みたいな人間に、そんな強い刺激を……。
「あ、えっと……ありがとうございます」
恥ずかしくてお礼ついでに、俯く。
こんなに良い人で、こんなに可愛い店長さんなんて、いるのか。
やっていけるのかい? お人よしそうに見えるけど、お店大丈夫ですか、水谷さん!
なんていうか、仕事をバックレても許してくれそうな甘さが滲み出ているよ。
「あっ、そうだ。薺さん。これ、僕の連絡先なんですけど。良かったら、その、この店で、アルバイトとかどうですか? 恥ずかしながら、店員が少なくて困っていたもので……」
何事かと顔を上げれば、困った顔の水谷さん。
やっぱり、バックレる人が多いのかな。少し同情してしまう。
アルバイト、か。里見もいるから、嫌では無いけど、問題は本と人見知りかな。
「えっ、でも、私、本屋は……」
「苦手でしたか? 先ほど、本を紹介している時、楽しそうだったので、勝手に好きだとばかり」
あれ、言われて気付いた。そういえば、さっき楽しかった様な。店内の匂いも気にならなくなっている。もしかして、慣れた? 食わず嫌いってやつだったのかな。でもでも!
「私、人見知りで」
「あ、それなら、大丈夫です! 本棚の整理とか、在庫管理、POP作成等をしてもらえれば、接客はしませんし、うちとしては、それだけで、助かります」
あれ、私、凄く良い求人、目の前に出されているんじゃない?
「それに、学生さん、ですよね? 忙しいなら、空いている時間でも構いません。勤務時間は薺さんに合わせます」
あれあれ? いけるんじゃない? 里見いるし、家からそんなに離れて無いし。
本気で迷う……。
「給料も、きちんとお支払いします。……どうでしょうか?」
水谷さん良い人だし、優しいし、店長さんだし、話しやすいよ。よくよく聞けば、時給も高い方だし。悪い条件は、何も無いのでは?
「……お願いします」
気が付いたら、私は水谷さんの連絡先を手に、頷いていた。
水谷さんの顔が一気に明るくなる。その顔だけでも、人助けした気になる。
またまた気付いた時には、私の携帯には水谷さんの連絡先。
試しに何度かメールを送りあった。水谷さんの猫の絵文字が可愛い。猫好きなのかな? ちなみに私は猫大好き。
「ありがとうございました。これから宜しくお願いします。勇気出して良かった! これから楽しくなりそうですね」
なんて、心の底からの笑顔です! みたいな顔で言われれば、私も頷くしかない。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「では、また連絡しますね。何か分からない事や困った時、もちろん、それ以外でも、遠慮せずに連絡くださいね。僕も、どうでもいい内容を送ってしまうかもしれませんが」
うちの猫、可愛いんです。と照れながら笑う。
なるほど、猫を飼っているのね。どんな猫か分からないけど、水谷さんはとても年上に見えない可愛さ。
水谷さんと別れて直ぐ、入れ違いで、里見が走って来た。
「もー、里見、遅いよ」
不満を口にし、里見を見れば、視線は私ではなく、去っていく水谷さんの後ろ姿。
「どうしたの?」
「ちょっと、薺、何したの! 店長と話していでしょ! 大丈夫? 死んでない?」
死ぬとは、また大げさな。
でも、里見は真剣そのもので、冗談では無く、緊張しているのか、強張っているのがわかる。
「何、里見、怖いよ? 普通に話していただけだよ」
「本当に? 店長、怖かったでしょ。いつもああだから、私達は気にしてないけど、薺は人見知りだからさ、人間不信になったんじゃないかって、あたし心配で……」
良かった、とばかりに、表情が和らぐ。
「え、人違いじゃない? 優しい人だったよ、水谷さん」
「嘘だー! 無表情が優しく見えたんじゃない? 見た目は草食系って感じだけど。笑わない、で有名だし。それに、性格も最悪で、滅多に話さないし、少しミスしたくらいで、即クビだからね」
この店、あの人だけが厄介なのよ。と愚痴った。だから辞めたくなる、と。
あの水谷さんが? 嘘だ。あんなに笑顔が素敵で優しそうな人が?
冷たい人には見えない。まるで別人の話を聞いているみたいだけど、ありえない。
少ししか話してないけど、私の水谷さんに対する印象はかなり上がっている。
絶対に人違いだ! もしくは。
「ねえ、それ、本当に水谷さん?」
「他に誰がいるのよ。あの人、見た目も良いけど、腕もあるの。傾きかかった他の店舗を、一瞬で右肩上がりにしたみたいだから。でも、その他が欠落してちゃ、終わりよ。あたしなんて、下の名前も知らないもん」
「静って言っていた様な……じゃあ、もしかしたら、従業員には厳しいのかな?」
「下の名前聞いたの!? 意外と勇気あるわねー。あの人は、従業員以外にも厳しいよ、普通に。客となんて話さないし、話しかけられても笑わない。で、薺、どうやって話したら聞ける雰囲気になったのよ!」
「いや、普通に本と自己紹介されたけど……って、聞いて、里見。私、ここで働く事にしたの! 水谷さんに従業員少ないって聞いて。やばかったかな?」
じゃんっ! と、水谷さんの連絡先を見せる。
やっぱり怖い人なのか? と、不安を抱えながら窺うが、里見の表情は一転。
口を開けて固まった。かと思ったら、今度は勢いよく迫ってくる。
「何? あんた、店長と知り合いなわけ? 弱みでも握っているの? これ、まさか連絡先? ありえない! どうやって手に入れたの? てか、従業員足りなくないから! 店の収入も良いし、困ってないよ! それ本当に店長?」
「落ち着いてよ、里見! 弱みとか分からないし、たぶん水谷さんが、この店の店長だと思うけど」
里見に事情を説明するのは疲れた。
それからの時間は、ずっと水谷さんの話だった気がする。
里見の店長は、やっぱり私の出会った水谷さんで。
それが分かったのは、私の初出勤日。
仕事で会った水谷さんは、やっぱり優しくてどこか可愛い水谷さんで。でも、里見達は、その水谷さんに今だに出会っていないみたいだった。
本屋さんでの出会いは……
「偶然現れる、優しい笑顔」か。
それとも
「計画的な、意中の相手」か。
読んでくださりありがとうございます。
本当は、水谷が「寝てしまいました」という本文と一緒に、水谷の膝で眠る三毛猫の写真を薺宛に送ってくるという話。を、下の方に少し書きたかった。
水谷は結構なお金持ちで、三毛猫も、雄か雌かは忘れたけど確かどちらかは高かった気がするので、その高い方を飼っています。ちなみに二男です。末っ子。
薺は一人っ子で、聞き取れないけど、とりあえず頷く。みたいな、リーダータイプがたぶん苦手。犬や声の大きい動物は苦手だけど、基本動物は好き。小動物と猫はもっと好き。
作者は本屋が大好きなので、本屋が苦手な子を書いてみたかっただけです。
次は警察官も良いな、って思ったり。