【転】の章②
左手に大きく鍛錬所の鉄門が見えた。門は中途半端に開いていて、中から気合の入った声が聞こえて来る。後方からは、追手の集団が迫っている。僕は構わず門を通り抜け、道場の中を覗いてみた。
上半身裸の男たちが、汗だくになり素手格闘技の組み手をしているところだった。20組近くはいるだろうか。みんな鍛錬に集中しているためこっちには気づかない。
「ゴルナさんっ!」
僕は思わず声を発してしまった。その余りにも変わり果てたゴルナの姿を見て、叫び、唖然とするしかなかったからだ。
厚い胸板に剛腕、筋骨隆々の若者ゴルナの姿はどこにも無く、もやしのように干からびた身体にいつもの顔が乗っているだけだ。
見慣れた顔で何とかゴルナだと判別でき、急いで道場に上がりそばまで駆け寄る。直前までトレーニングをしていたのか、顔や上半身に汗を掻いていた。いや胃腸でも悪くし、脱水症状でも起こしているのではないか。
「ゴルナさん! どうしたんですか? 何があったんですか? いつもここで鍛えてたんじゃないんですか?」
「よぉ、相棒。鍛えてたさ。この通り、汗流して鍛錬を積んでたさ。今も気分は爽快だぜ」
などと満足げに話してはいるが、ゼエゼエと呼吸は辛そうだ。
「鍛えてるって。こんなガリガリに痩せちゃって、宿屋にも戻らないし。どこか身体の具合でも悪くしちゃってるんじゃないですか⁉︎」
「何言ってやがんだ、タルノ。お前こそ宿屋に引き篭もって鬱々としていたんだろうが! 自分の顔色を見たことがあっか? お前もここに通って心身共に強くなれよ!」
冗談じゃない。ゴルナは、ここに居てこんな姿に成り果てたんだ。自分のように元々華奢な身体だったら、とっくにミイラになっててもおかしくない。
それにしても、ここは、こいつらは?
ふと後ろを振り返ると、組み手をしていた武道家達が、ほぼ全員僕らを取り囲む状態で立っていた。敵意のある目つきだ。
「貴方が、かの勇者殿か。ゴルナ殿から噂はよく聞いている。想像よりも幼く華奢な人だ」
リーダー格のような坊主頭に髭を蓄えた大男が話しかけて来た。例に漏れなく、排斥の目つきである。そして今気づいたが、武道家達の目がどれも赤く光っている。
この時点で、コイツらがまともな人間じゃないことを察知した。
リーダーの後ろから、狐のような鋭角の目をした武道家が首を出して来た。
「へっへっへ、親分。勇者は何かに守られていると聞きますぜ。つまり——」
「ああ、そんなことはわかってるさ。だから、こうして遊ばせてるんだろうが」
遊ばせている?
リーダー格の髭男は、両拳の指の関節をバキボキと鳴らし始めた。
「聞いた話じゃ、勇者殿は10日くらい前に一度亡くなったことがあるんだそうですな。しかし、神に選ばれし者共は、復活の許しを授かり、神の御前に再び立つことができるわけです。現に貴方はこうして我々の前に立っておられる」
滔々と述べる男の目は、更にも増して赤くギラギラと輝き、僕を完全に獲物視している。この男、こいつらは一体は何がしたいのか。
リーダーの男は、尚も話を続ける。
「こういっては何だが、この世を支配する偉大な魔王様ですら、神の領域には入り込めないわけです。だってそうでしょう? 神以上の力を魔王様が持っているとすれば、勇者殿の完全抹殺など容易いはずなのですからねぇ。だが、それはできない。遺憾ながら魔王様をも統べる神の御力によって、我々の野望は妨げられているからね。全く理不尽な世の中ですよ、くっくっく」
狐目の男が、「それじゃあ、親分——」と言葉を接続する。リーダーは拳を握り直し、攻撃態勢の構えを取る。
「まあ、そういうことです。殺せないなら、動きを封じるまで。徒手空拳の我々ができるのは、身体をズタズタにではなく、ボコボコ、バキボキにすること。薬草も回復魔法も届かない場所にダルマ状態で監禁してしまいましょう!」
半殺し状態のまま、拘束されてしまうってことか。そんなの嫌だ!
40人位の武道家達が臨戦態勢となり、リーダーの「やれっ!」の一言で、全員がほぼ同時に飛び掛かって来た。ゴルナはふらふら状態で助けてくれる気配は無いとわかっていた。
自分のベルト鞄のボタンはとっくに外している。中から出したのは液体の入った小さな瓶。お守りみたいなものだ。
コルクの蓋を開け、円を描いて液体を振り掛けた。
周りの連中は、瞬時に怯み、後ずさる。中身は聖水だ。先日、散歩がてら教会で戴いた物だ。
「グワッ! 沁みる、聖水か‼︎」
「熱い! クソっ!」
こいつらが魔物なのか、魔物に身体を乗っ取られた人間なのかはわからない。
しかし、聖水で怯むくらいだから、ヴァルナで遭遇したような高レベルの敵ではないのだろう。ガーゴイル級の魔物であるなら、聖水など全く効かないと聞いている。
立てる余力すらないゴルナは置いて行くしかなかった。
ゴルナの目を確認したが、赤くはない。導かれし者の一人とわかって、魔物達はゆっくりとだが、確実に彼の生気を奪っていたのだろう。酒浸りで思考が乱れていたオリャホも同じ要領で、ツェペシュ達に掌握されていたのだ。なんてことだ!
国王をはじめ、このヴェリコルッセの街は、既に魔物の餌食になってしまったに違いない。
僕は聖水を振りかけながら、退避路を作っていった。
武道家共に手を出す余裕や勇気は無い。ジリジリと近づきつつも決して手出しはできない様子だ。
道場を出て、外の大門を見ると噴水からの追っ手共が佇んでいた。あとは道場の連中に任せようと門前で様子を伺っていたのであろう。僕の姿を確認するとやはり飛び掛かって来た。
戦うことも考えた。だが、武器も防具も無く、戦闘など無理だ。残り少なくなった聖水を撒き散らして行くしかない。
その時、門前から一閃の光。身体が光に覆われたキュナが平然と追っ手共を掻き分けて、僕のそばまで歩いて来るではないか!
「アボイル!」
キュナの一言で、僕の身体も光に包まれた。するとどうだろう。追っ手共も武道家共も、まるでこっちを気にしなくなり、キョロキョロと辺りを見回し始めた。
「ふん、もう声を出しても大丈夫よ。アボイル(聖域魔法)を唱えたから、魔物共からあたしたちの存在は消えたわ」
つっけんどんな言い方だが、僕を助けに来たことだけは間違いない。
「ありがとう」と一言言った。
それには応えず、キュナは鋭い目つきで睨んで来た。だが道場の武道家達とは違い、人間らしいイラつきのある表情だ。
「あんた、何こんなところでウロウロしてんのよ! 街が魔物に乗っ取られてるって気づかなかったわけ?」
と言いつつも、キュナだってここまで歩いて来たんだろうが。顔色は決して良くなく、余裕が無さそうだ。国王との謁見以来だが、随分くたびれたふうに見える。セミロングのカールの髪もだいぶバサバサしている。
「キュ、キュナこそ! 街がこんなだったのにずっとカジノに居座ってたんだろ! 一体どんだけ散財してたんだよ!」
「うるさいわね! 儲かったこともあったんだから、大損はしてないわ。あんな素敵なトコロ、ヴィッツァ村には無かったからついつい長居しちゃったのよ」
「夜も宿屋には戻らないし、どこにいたんだよ。まさか24時間中入り浸ってたのかよ」
「カジノホテルで寝てた。そっちの方がずっとリッチだったし」
カジノは確かこの街の外、西門を出て丘の上にある。
確かにあそこから宿屋までは相当距離もあるし、いちいち登り降りするのは面倒だ。だが、だからといってそこに居座り続けるとはどういうことだ。見ればキュナも確かに健全な状態ではないが、だがそれはオリャホやゴルナとは違い、ただ疲労と堕落の様相を呈しているだけだ。魔物に取り憑かれたというより、現実から逃避した家出娘のようである。
「何よ。ジロジロ見たりして」
「いや、ゴルナさんやオリャホさんに会ったんだけど、二人とも何かに取り憑かれてるようだった。それに比べてキュナは——」
「当然でしょ。あの国王に会った時点から、この街は魔物に蝕まれてるなって、察知したんだから。すぐにアボイル唱えたわよ。アボイルの効果はそんなに強くないけど、低級モンスターくらいだったら、今みたいに気づかれずに済むからさ」
身勝手な奴だと思った。危機だとわかっていたのに、自分だけを守り情報提供すらしてくれない。向っ腹が立った。
「ちょ、ちょっと! どこ行くの⁉︎」
急にイラつきを覚え、光に包まれながら訓練所の大門を抜け、どこへ行くかもわからずスタスタと歩き出した。追って来る者は、キュナ以外にはいない。
「ねえ、ひょっとして怒ってんの⁉︎ だったら謝るわよ! 悪かったってば! あたしもあんたのことがさすがに気にかかって、カジノの丘から降りて来たんだよ! そんで魔物の気配を辿ってここまで来てあげたってのに! そこまで拗ねることないじゃない!」
そこで180度振り向く。
「僕たちの使命を忘れたのかよ! そんなに早くから危機を察していたなら、何でカジノなんかに夢中になってたのさ⁉︎ とっとと知らせろよ!」
キュナは突然歩くのを止め、下を向いて黙り出した。
何とか言えばいいものを、と思う。ふと海での出来事を思い出した。あの甲板での時も、キュナは黙して語らずだった。こいつ、何を考えてるんだろう。
キュナの両肩が震えている。長い前髪が邪魔して最初は気づかなかったが、どうやら泣いているらしい。
「泣いてんの?」
「あんたなんかにそんなこと言われる筋合いはないわよ! 自分だって使命なんか忘れて、毎日ブラブラしていたくせに! 街の異常にさえ気づかなかったか無神経野郎に、あたしのことを注意する資格なんかあんの⁉︎」
そのキュナの言葉でハッと気づいた。
猫目に涙を一杯に溜め、キュナは尚も罵倒を続ける。
「無神経この上ないあんたは、全く気がついてないようだけど、あんた自身は全くこの街に毒されてないんだよ! ゴルナやオリャホは街にやられても、タルノは洗脳も麻痺もしてないってこと。馬鹿なあんたでもいい加減これがどういうことかわかるでしょうが!」
これがどういうことかというと、僕自身が勇者だからか——。神に導かれし者だから、僕自身のステータスに行動不能な変化は訪れない。死しても尚、蘇るのと同じサービスシステムなんだ。
だから僕自身が危機に気づき、危機を乗り越え、仲間や街を救うべきなんだ。キュナに導かれること自体、トリッキーな流れなんだろう。これを彼女は怒ってるんだろう。
更に言えば、彼女の身の上に起こったこと。カジノに現実逃避を見出したこの少女を、僕自身がまず気づき助けねばならなかった。
「アボイル!」
キュナは、二度目の聖域魔法を掛けてくれた。一定時間が過ぎると掛け直す必要があるのだろう。どのくらいエネルギー消費するのかは不明だが、今は体力よりも心労の方が気にかかる。涙はもう溜めていなかった。
「なあ、キュナ。お前船で何があったんだよ? あの時から、様子がちょっとおかしくなってる気がするんだ。何かあったんなら、話を聞かせろよ」
「うるさい! もう聞かないで!」
「パーティを一つにまとめなくちゃならない。僕らは導かれし者たちだろう?」
「っとに白々しいなあ! 一番乗り気じゃないくせに」
今度はキュナが先に歩き出した。何か言いたいのを堪えているようにも見える。
「なあ、おい、キュナ!」
「——人を殺した」
耳を疑ったが、声が多少震えているところから冗談でないことがわかる。
「どういうこと?」
まずは、そんな聞き方しかできない。
「甲板の時のことよ。中に人が二人いたでしょ」
中というのは、船室のことだろう。僕自身見てはいないが、焼け死んでいる二人がいるとオリャホから聞いていた。まさかその二人をキュナが——⁉︎
「あんたの思ってる通りだよ。あれはヘルサラマンダーがやったんじゃない。あたしがフレイムで焼き殺したのよ!」
僕はただ口をパクパクすることしかできなかった。あまりにも言葉が強烈で残酷過ぎたからだ。魔物相手ならまだわかる。だけどそれが人間相手だと、これ程にも生々しいものなのか。
「タルノが何を考えてるかわかるよ。何でそんなことをしたんだ、でしょ? もちろん自己防衛だよ。あたしは自分でも嫌になるほど、ガードが甘いって知ってる。そいつらは船乗りにしては、超イケメンでイカしてた。船の中でオシャレな道具屋を開いていて、あたしに女の子向けの装飾品を紹介するって勧めてくれたの。外見にも騙されて、すぐに船室に向かったわ。そしたらそれが奴隷船でさ、いきなり拘束されちゃったの。若い魔法使いの女をどこかの奴隷市場に売り飛ばすって張り切ってたわ」
ここでキュナは言葉を一瞬噤んだ。
「男共は、その前にあたしを味見しようって襲い掛かって来たわけ。そこで無我夢中でフレイムを連発しちゃったのよ。船が焼けなかったのが不思議なくらいね。外の見張りは一人だけだったけど、ちょうどヘルサラマンダーが現れたところで、それどころじゃなかった。あたしもそいつが持ってた毒針がなかったら、焼けつく息で殺されてたでしょうね」
なるほど、これで合点がいった。
船室の二人もヘルサラマンダーにやられていたにしては、部屋自体には破壊された形跡がなく奇妙ではあった。だがキュナの仕業だとすれば、その謎は解消される。
「あたしはさぁ、それから人生観が変わっちゃったんだよねぇ。本当の魔物は、自分の心に棲み着いてるんじゃないかって思えてね。その辺にうろついている魔物なんか赤ちゃんみたいに見えちゃって。この街に魔物が居ようと居まいと関係ない。もう頭ん中は完全に逃避状態。カジノにドハマりになって、賭博中毒もいいとこ」
魔物退治と人殺しとはまるでかけ離れている、ということなのだろう——。
まして年端もいかない16歳の子どもだ。自分で言うのもなんだけど、残酷な現実を知るにはあまりにも早過ぎた——。
これも導かれし者の定めなのか。今のキュナの心境を救う手立てが、魔物退治だけが使命の僕にあるというのか。これの解決への道が、冒険のサブイベントとして発生して来るのだろうか。
キュナには悪いけど、もう本当どうでもよかった。
魔物退治も。
彼女への救済も。
キュナはまた立ち止まって泣いている。なぜか急に不憫に思った。
いや、この涙の出来事がサブイベントじゃなく、本当に彼女の一生に関わる悲劇となるならいくらでも救済しようじゃないか。冒険の行く末ではなく、彼女の行く末に関わる一大事であるなら、我が身を犠牲にしてでも解決の道を探ろう!
だが、なぜにどうして「冒険」というものが付き纏うのか。どうしてごちゃごちゃいろんな騒動が起こるのか。
「タルノは、あたしを軽蔑してるよね?」
少女の弱々しい声。僕らは、通りの真ん中に立っている。もう誰も追っては来ない。先ほどの喧騒が嘘にように、今は猫の子一匹いない。どこか遠くから、教会の鐘の音が聞こえる。
何かを言える機会を与えてくれたような静謐の時間だと思った。
「もしさ。もしヴァルナでキュナが単独行動を取っていなかったら、どうなってたんだろう。僕ら4人は、酒場で酒を飲んでいて、そこをガーゴイルに強襲されていた。強敵共と戦闘になって、敢えなく全滅だったと思う。だけど、あの時キュナが船に乗ってたおかげで、残りの僕らは町を脱出できたんだ。九死に一生を得たんだよ」
キュナは沈黙している。僕の言葉の結びを待っているんだろう。
「これって出来すぎていると思わない⁉︎ 船が漂流してこの街に辿り着いたのも、僕だけ魔物に支配されないのも都合良過ぎるよ。最初の森でのことを覚えてる? 何で宝箱が捨ててあるんだってことだよ。しかも中には金貨も入ってて、『どうぞ勇者様お持ちください』って言っているようなもんだ。何でこうまでしっかりと導かれなきゃいけないんだよ!」
半ばキレてる自分がおかしいとさえ思えない。それだけにコトは深刻なのだ。
「タルノは、勇者だからだよ」
「いや、そもそも何なんだよ『勇者』って? 戦士や魔法使いみたいに技能もなけりゃ、響きも漠然としてるじゃんか! 『勇者』って『勇ましい人』ってことだろ。一体どういう肩書きなんだよ⁉︎ 周りからの意気込みだけで僕は存在してるっての⁉︎」
その時、キュナはその場で振り返り、僕の下へツカツカと歩み寄って来た。涙で赤く充血した目をしっかりとこっちに向けて——。
「カジノに『勇者最強装備』っていうのが置いてあるの。相当のメダル数で装備品と交換できるんだよ」
何を言うかと思ったら、また魔物退治に関係することか。
「ていうかね。そんなもんはどうでもいいのよ、もう」
は? どうでもって——。
キュナは充血した目を幾分細め、小悪魔的な微笑を浮かべた。
「それをダシに、もう何もかも終わりにしない? タルノ君——」




