【転】の章①
一部、酩酊した男たちの台詞が読みにくくなっています。ご了承ください。
——旅立ち18日目
ヴェリコルッセは、ガリア大陸最大の城塞都市だと地理の授業で習った。
僕らがこの街に流れ着いた(正確には沖合いで、漁師に発見された)のが1週間近く前であり、そのあと正式に国王に呼ばれ、きちんと挨拶を交わした。
それからは、物見遊山にあちこち街を歩き回ってはいるのに、まだほとんどの場所を訪れていない。それだけ馬鹿デカイ街なのだ。
魔物に一度も襲われたことがないらしく、人々の表情は活気に満ち溢れている。パブ、各国のレストラン、格闘技場など娯楽施設も多数設けられていて、キュナなんかは、街の外れにあるカジノばっかりに通い詰めだ。
オリャホは、この街の地酒を飲みにパブへ行きっぱなし。よほど自分の舌に合うのか金銭のことなどまるで糸目を付けず、散財が続いている。僧侶にもかかわらず、節操などとうに忘れたようで、挙句パブの女にちょっかいを出す始末だ。
ゴルナだけがまともというか、動機としては納得できることをしている。街中にある格闘技場で連日鍛錬に励んでいる。格闘技の試合もあるらしく、何度か勝ってもいるらしい。さすが戦士だとはいえ、そこに入り浸りというのは、他の二人と共通した動き方なんだけど。
僕はといえば、はっきり言うと何もしていない。ただボーッと毎日を過ごしている。
この街にやって来た翌日の夜に、国王に謁見、新たな仕度金として金貨30枚を頂戴した(それが今、方々でいろいろな使われ方をされちゃってる)。
それ以来、金に目が眩んだのか、旅の疲れがどっと出たのか、僕らは、これまでの緊張の糸がプツッと切れた感じがした。
カジノ、酒と女、格闘技に、ダラダラとした毎日。それぞれが別の意識を持ち、方々に散らばり出した。魔王退治など、本来存在しないコトだったかのように——。
いや、その気持ちがわからなくはない。ヴァルナであんだけの地獄絵図を見て来た後だ。天国ともいえるこの街の景色を見る限り、魔物の「ま」の字すら頭に思い浮かんで来ないのは当然であろう。街の人々も、みんな良い人ばかりだ。よそ者も僕らにも、道を通り過ぎるだけで笑顔で挨拶をしてくれる。道具屋に寄れば、薬草や服なんかも無料で提供してくれる。宿屋も僕らが旅立つ日まで無期限に部屋提供と来たわけだ。
漂着して三日も立たないうちに、平和ボケしてしまった。僕らに安らぎを与えてくれる街なんだから。
僕たち4人は導かれし御一行だ。でも生身の人間だ。そして人間は、自ずと苦しみから逃れようとする。楽な方は、選択も行為も容易く、現実を忘れさせてくれる。苦しみは、全てその反対で、僕たちの場合は命がけの道をこれまで歩んで来た。
僕だって、これまで何度勇者を辞めたいと思ったことか。
でもさ、矛盾してんだよね。
この街に来て1週間近くだけど、何にもしていない日々を送っていると、不安になったり憂鬱になったりして来たわけだ。
誰からも旅立ちやら、魔王退治やらをしなくていいのかって干渉も無く、まさに勇者の仕事を休止することができたってのに、矛盾した気持ちになったんだよね。
このままでいいのか。他の仲間たちは今の状態に不安にならないのか、って感じにね。
どうしてか。
展開が、あまりにも唐突だったからなのか——。
最初、僕たちが拾われた漁師に自己紹介したら勇者だと真っ先に信じてもらえて、すぐに国王様に会えた。激励を受けたんだけど、それってつまり僕らの仕事遂行を願っているって意味だよね。
じゃあどうしてその矢先から、僕らは同じ街でこんなふうに何日もブラブラしていられるんだろう。
などと、今日も考えに耽りながら、街中を当て所なくブラブラしていた。
ふと、前方の噴水周りに人がたくさん集まっているのが見える。
真っ昼間ではあるが、何やら噴水辺りが一瞬明るくなる。その度に、周りの人々が「おおっ」と歓声を上げ、また光の合間には笑い声が起きる。
大道芸人の類かな。僕は、気持ち急いで噴水へと近づいた。
「何ら、何ら。そんなへっぴり腰らと、奥さんは返さんぞ! もっと、どぉんと切りかかってこんかーい!」
「んだとぉ! てめえ調子にのんのもほどほどにっれらああ!」
片方はオリャホで、もう片方は知らない男だ。二人とも酩酊している。呂律も回っていない。
片方の大柄な男は片手にナタを持っていて、何の躊躇もなくオリャホの右腕目掛けて振り下ろして来た。
「来おったかいな‼」
と、オリャホが叫ぶが早いか右手首に刃が通り、右手がストンと石畳に落ちてしまった。
「うわあああ、痛そうっ!」
衆目からの何とも言えぬ悲鳴。
「ぐわああぁあぁ、お主、やりおってからりいぃいぃ!」
オリャホの絶叫。
「オ、オリャホさん、大丈夫ですかああ‼」
と、ワンテンポ遅い僕自身の間の抜けた叫び声。
見ると、オリャホの切り落とされた部分からは、血が噴き出し、その血がドロドロと流れ落ちている。落ちた右手は、待ってましたとばかりに野良犬がいきなり現れ、どこかへ咥えて持って行ってしまった。
「ワン公ちゃん、ワシの愛の手をかえしぇええ!」
と、何だか恋人を求めるような縋りつく声が出たと同時に、さっきのナタ男がまたもや——。
「そっちのオテテがお留守だれえ‼」
あっという間に左手も切り落とし、同じように血が噴き出してしまった。
「ありゃあぁあぁ、マジデカンベンよおお!」
オリャホは痛いはずなのに、どこか間の抜けた調子で、まごまご慌てふためいているだけだ。酒で酩酊すると、痛みの感覚を麻痺させてしまうのだろうか。
しかし、オリャホがなぜにこんな目に遭わなきゃいけないのか。
「おらおら、オイラの嫁盗った罰りゃ! ふへへへ、ダルマにしゃちゃるぜぇ!」
酔っ払いのナタ男が、オリャホの足に焦点を合わせてナタを振ろうとした時、僕は、周りの地面が血の海になっていることに気づいた。
二人の立つ場所以外にも、石畳に血が流れているのだ。これは、一体——。
次の瞬間、さっき見た光が突然現れた。
「メディマーガ!」
眩しい程の輝きと共に、オリャホは手首が無いままの両腕を胸元に寄せ、そう叫んだ。
メディマーガとは治癒系最強の魔法で、どんな傷をも瞬時にして癒してしまう完全回復魔法だと聞く。
その証拠に今の今までなくなっていたオリャホの両手首は、元通り再生されている。当の本人も何事も無かったかのようだ。
周りの人々は「おおっ!すげえ!」と歓声を上げる。メディマーガは、そんじゃそこらで見られるシロモノではないので、感動もひとしおである。
オリャホはまんざらでも無さそうに、赤らめたドヤ顔のまま新品の手首をこれでもかと振らし、歓声に応える。
ただどうやら再生といっても、全てが元通りというわけではなさそうだ。地面は至る所に血の海が出来ているし、犬も先ほど拾った手首を未だに口に咥えている。つまり、オリャホに付いた新たな両手首は、何もかもが新品ということになる。
これを何度も繰り返せば、オリャホの手首の山ができあがる。などと余計なことにまで思考が飛ぶ。
それにしても気になるのは二点。
まずなぜこんなことをしているのか? そしてメディマーガの光が、オリャホから発せられたものではない気がするのが二点目。どちらかというと、ナタを振り回している隣の大男が発光源に見えたわけだが、衆目の反応は——。
「さっすがは大魔道士オリャホ!」
「魔法の威力が桁違いね!」
隣のナタ男も——。
「如何れしょう⁉︎ ヒック、勇者しゃま御一行の一人、大魔道士オリャホ殿の力をとくとご覧いたらいたきゃと思います!」
さっきまでの争いはどうしたのだろう。もうナタ男は、オリャホを襲うのを止め、今度は酔っぱらったまま褒め始めた。
この一言に、再び周りに歓声が湧き起こる。
いやいや大魔道士なんかじゃないだろ。あいつは片田舎の僧侶のオッサンに過ぎないんだ。どうしてこのように背伸びしてまで、自分をひけらかすのか。
するとナタ持ちの大男の視線は、もっと後方のつまりは僕の顔に向けて来た。2Mは優にある長身だから、上から何でも見下ろせるんだろう。衆目もその視線の先に気づいたのか、みんなが僕のことを見た。
「皆さん、後方をご覧くらしゃい! 彼こしょが、ヒック、彼こしょが、先日国王に謁見を果ちゃし、魔王退治という使命に導きゃれた、ヒック、偉大な勇者殿れす!」
おお、この方が! と、先ほどの血祭りショーなどとうに忘れたかように、みんなの熱い視線が一気に注がれた。
「おお、タルノじゃらいか! まあこっちへ、こっちへ来んかい!」
オリャホも何かを期待してか、酩酊ではあるが懸命に手招きし、僕はそんな周りの勢いに気圧され、前に出ざるを得なくなった。
この街に来て一週間、僕らは一体何をやってんだろうと思う。
「エヘン、オホン」とわざとらしい咳払い。
「ええ、ただいま皆しゃまの前に参りまひたは、我らら故郷ヴィッツァ村よりいでし運命の子、そして伝説の勇者と神託しゃれた——」
間が空いた。酔っ払ったオリャホは目がすわり、いきなり小突かれ、「名前!」と注意された。
「あ、はい。えーっと、タルノ・プロディフです。あの、その、16歳です」
小さく、愛想のない声は自分でも嫌になる。元々人前で発表するのは、小学校の時から大の苦手だった。
「かあぁ、だらしらいのう。もっとシャキッとせえっちゅんじゃ! なあ、ツェペシュ」
「ああ、そうだよお前! もっと活発な子らと思ったんらけろなぁ!」
ツェペシュという大柄の男は、さも僕を前から知っていたという言い方で再び見下ろして来た。
ツェペシュ?
「あ、まさか!」
そのまさかだった。よく見るとこの人は5年前にヴィッツァ村を出た、大工のツェペシュさんである。以前よりは身体がガッチリとし、風格も出て(顔付きも幾分悪くなったが)、すぐにはその人だと気が付かなかった。
「お、おじさん、久しぶりです。どうしたんですか⁉︎ こんなところで!」
二人は吹き出す。
「何だい、タルノ君。ヒック、俺たちゃ、ここでお客さん達を喜ばせてんだれ。みんなは、刺激に飢えているんら。君達がこの街に来たのをきっかけに、ヒック、勇者御一行の力を目の当らりにしてもらってるんら」
「そうじゃ、そうじゃ、タルノ。それもこれもらあ、こういう旧知の仲があるからこしょ、円滑に披露できるもんなんらああ」
酒臭い息が一気に振りかかり、咽そうになった。
そんなことって。そんなことをして何になるってんだ。
大体ツェペシュさんは、オリャホに怒りを向けていたんじゃないのか? 確か妻を取られたとか言って。おばさんのことは今でも覚えている。確かに綺麗な人だった。
それを尋ねると、二人はまた笑った。
「ガッハッハ、ガセ話さ! ヒック、二人で酒場で飲んでた時によお、うちの嫁の話が出れさあ、嫁取られた時の心境になっれらなあ、オリャホに攻撃しようって段取りになったんだよぉ!」
何だそりゃ——。
「クックック。タルノ、ここからが笑えるんらぞ。いいか、こやつぁなあ、ほんろうに赤の他人に嫁を取られたんら。こやつぁ、なぜこのヴェリコの街に引っ越したか知っれるか? (ゲップ)ここ! 最強兵団、ヴェリコ鉄騎隊に入隊するためら! そこで成功を収めようと思ったところ、皮肉にも隊の兵団長と嫁が駆け落ちしちゃったんら。ぎゃっはっはっは!」
いつものオリャホとは違うバカ笑い。酒場でツェペシュさんから聞いた泣き言だろうが、いつものオリャホなら同情して泣いたりするのだろうが、今は揶揄し嘲笑する始末。何かがおかしかった。泥酔いのせいなのか。
しかも自分の悲劇を演劇の舞台としてしまうのだから、相手にも何かおかしいところがある。
「うるへえな! 他人の悲劇をバカにするんじゃれえぇ! 俺らって同じ村の出のよしみ、人肌脱いで演技ぶってやったらあな。感謝されこしょすれ、その言い方ってのはおめえ〜」
その時、「おい、酔っぱらいども早くなんかやれ〜!」だの、「楽屋裏の話はもう沢山だ!」だのと周りから野次が飛び出した。刺激を求めているだけのお客さんは、興奮が冷め止まない。
「おらっとっと、いけれえ。お客さんをほっといちまったい。まあツェペシュ、どうじゃろう、そろそろ客から一銭頂くってぇのはよう? 今以上に凄いのを見せりゃ、きっと金一封のサービスはあるぞい」
オリャホは欲に目が眩んだ顔付きをし、目の座ったのツェペシュさんも同調しニンマリする。
「なるほどら。じゃあ何するんよ? ヒック、おらあ腕に力はあるけど、魔法はさっきのメディマーガ以外に脳は無え」
やっぱりさっきのメディマーガは、ツェペシュさんから出たモノだ。それを大魔道士と名を広め、あたかもオリャホから出したかのように見せ物にしていたのだ。
「安心しぇい。しゃらにも増して凄いコト、凄い人物がここにいらっしゃるれはらいか」
「ここに?」とツェペシュさんは、オリャホの指差す方、僕の方をもう一度見下ろす。
「こやつぁ勇者じゃ。魔王がいる限り、何度でも蘇る。レヴェナント(蘇生魔法)を唱える必要すららい。死んでも教会の祈り一本で生き返れるんじゃい。だからなぁ、言い換えれば、勇者だけに与れられた特権でなあ、その復活を見れば、勇者として何よりの証拠になる」
「なるほどぉ」と、しゃっくりをしながらナタを天に向けて伸ばす。
「聞いたであろう! この方は勇者だ。ヒック、死して蘇り、再び導かれるおから。今ここで一時死んではいららくが、必ずや復活を果らす。それを目の当らりにされたあらた方は、勇気と希望を確信し、ヒック、タルノ君を真の勇者と認め讃えるらろう。そして、聖なる儀式を見届けらことによる賽銭はいららくぞ」
ツェペシュさんは、腰に付けていた布の袋をベルトから取り地面に投げた。つまりそこに金を入れろという指示だ。ちゃっかりしている。
「わかったから早くやれえ!」「しっかり演出して殺せえ!」「派手に頼むわよぉ!」と、一層の盛り上がりを見せた。
「というわけじゃ、タルノ! じゃあ、潔くな 」
え⁉︎
見上げるとナタが上から振って来た。思わず後退り、地面に尻餅を付いてしまった。ナタは、ガギッと噴水の石囲いにめり込んだ。酔ったせいもあり、視点も定まらなかったようだ。
「あらあらおいおい、おーじょーぎわが悪いぞ、タルノ」
オリャホが僕を羽交締めにしようとして来たので、震える手で彼の顎ひげを思い切り横に引っ張った。
「痛え、何すんじゃ!」
と、その衝撃に耐えかねたのか、オリャホは目の前で豪快に嘔吐を始めた。
冗談じゃない!
僕は、大衆とは反対の方向に逃げ出した。噴水池に両足を入れ、バシャバシャと走る抜ける。ナタが石の切れ目から外せないツェペシュは、グイグイフラフラ悶えている。
その呆れた有り様に衆目は完全に怒り、そして動き出す。
「早く捕まえるんだ!」「俺たちの手でやろう!」「殺せえ、勇者を殺せえ!」
恐怖! 魔物よりも怖い人の集団行動。
10分前の優雅な散歩とは一転し、今は決死の逃避行となってしまった。
たとえ生き返れるとはわかっていても、きっと残忍な殺され方をされるに違いない。死よりも、その痛みの恐怖の方が遥かに大きい。
幸いにもこの街は、道が入り組んでいる。裏路地に入れば、上手く身を隠せるかもしれない。噴水のところにいた人は、少なく見積もって30人は居ただろう。バラバラに動かれたらヤバい。しかし向かうところはすでに決めてある。
「す、すみません! 鍛錬所はここからどう行ったらいいですか?」
青果市場通りに入り、目の前の果物露店の女性に尋ねた。
「この道をひたすらまっすぐ行って、右に曲がって。左手に見えて来るわ」
2、3人の若者が走って来た。目が血走っているので、噴水にいた連中だと瞬時にわかった。
「くそっ、コイツら!」
オレンジのふんだんに入った木箱をひっくり返し、中の物がコロコロと一斉に転がった。少し坂道なのが幸いし、オレンジはよく転がり、追っての足を滑らせることに成功した。ある者は尻餅を付いた。
「ちょっとアンタ、何するんだい!」
「おばさん、ごめん! 後で僕の宿屋に付けといて! 」
今はただひたすら走る。後方で、追手どもが僕が勇者であり、一度殺してみる価値がどうのこうのと言ってるのが聞こえる。それを聞いた露店主達もなりふり構わず追っかけて来る。
もうどうなってんだ、この街は⁉︎ 海での一難が去ってから、街でのもう一難だ。平和ボケして狙う相手すらわからなくなっちゃったんじゃないか?
坂道を登るのは辛かった。
民家の軒先にある大きな樽を手当たり次第に転がした。そのたびに下の方からは、樽に激突する人々の声が聞こえて来る。皆さんごめんなさい。だってあんたたちは正気じゃないから。
メディマーガを唱える声も聞こえて来る。ツェペシュとは違う声。どういうことだ。他にも唱えられる奴がいるのか。
などと関心している場合じゃない。自分の命が危ないんだ。この街は、平和でも健全でもないことだけは確かだ。オリャホもどうにかなっちゃっているようだし、一か八か鍛錬所にいるゴルナに頼ってみるしかない。
十字路の看板には、「右:ヴェリコ鍛錬所」との表記を確認し、急いで曲がる。改めて空を見ると、青空は確かに見たことがなかった。いつも鈍色で雲に覆われた街。人々は太陽のような笑顔を振りまいていたが、まやかしなのか。あの国王の労いの言葉や、その後の宴は幻だったのか。
道端で主婦のような女性二人が談笑している側を走り過ぎる。笑い声はいつまでも聞こえるかと思いきや、振り返ると無言のまま二人は僕を見つめている。怖い。今にも襲って来そうだ。
あの噴水の場面から、状況が一気に一変してしまったのか。




