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【承】の章②

酒場の中は活気に満ちていた。税で苦しみ、魔物に怯える日々を送る人々とは思えない陽気さだ。

みんなは思い思いにそれぞれの席で酒を煽り、ゲラゲラと笑う。恰幅の良いイカツイオヤジもいれば、華奢な若い女や、ヨレヨレの爺さんなんかもガブガブやっている。

「おぉい、タルノ! ここに座れよ!」

見るとゴルナもオリャホも既に椅子に座り、ビールの入った金属グラスを握っている。

「おいオリャホの爺さん! 後で地酒のヴァルナ酒も飲もうぜ。ヴィッツァ村にもあったんだけど、価格が半端ねえじゃねえか。これだから山奥はいけねえよな」

「まあな。聖職者の自分があまりアルコールグビグビも気が引けるが、こればかりは止められん」

「何言ってんだ生臭坊主が! 酒も嗜みゃ、生き物(魔物)も殺してんじゃねえか! 今更高僧ぶってんじゃねえ!」

と言いながら、ゴルナは無理やりオリャホの口にビールを流し込む。もう一方の手で椅子を引き、僕に席につけと目配せして来た。

ゴルナに酒乱の気が無いことを祈りつつ、恐る恐る酒席を共にすることにした。

「僕はジュースでいいですよ」

「ああん⁉︎ 何言ってやがんだ。酒で付き合えよ! お前のための祝い酒なんだぜ!」

ゴルナは片手を挙げ、バーテンダーに「もう一杯」、と声を張り上げた。

やれやれだ。

「ところで、キュナはどうしたんだ⁉︎」

「お金のこと気にして、散歩に出ちゃいました」

「ちぇっ! 付き合いの悪い女だ。うん、でもまあ、男同士話したいこともあるし、ちょうどいいかな」

男同士? 何だろう——。

ゴルナがビールをグビグビやっている間に、咽てたオリャホがテーブルに両腕を乗り出して来た。

「のう、タルノ! お前さん、死ぬ前のことを覚えておるかい? 森の宝箱を開けた途端、悲鳴を上げて、キュナを突き飛ばし急に走り出したんだぞ。わしらは、その様子を見て最初呆気に取られたもんだ。一体どうしたっていうんだ。中身は金貨で、特に罠も無かった訳だし、走り出した理由は何だったんだ⁉︎」

痛い過去をほじくり返す。せっかく死んで忘れていたのに、見事に思い出され、思わず眉間に皺を寄せてしまった。

さっきから隣席の中年おばさん二人組の笑い声が、喧しく不快になって来た。夫や子どもから解放され、この週末(だったかな?)のひと時、苦労を共にする仲間同士が酒肴の下で傷を舐め合っているのだろう。

「俺もそれを聞きたかった! 女の幼馴染の手前、カッコもつけたいだろう。だからこういう場が心境を吐露する最適な場所さ。酒の力を借りてもいい」

酒場の姉ちゃんが、テーブルに僕のグラスをドンッと置く。僕は暫し、グラスに並々と注がれた、泡がパチパチいう酒の表面を見つめていた。

「…怖かったんですよ。最初、魔王退治なんかおとぎ話の延長だと思ってました。絵本の世界みたいに、みんなで冒険に出て、魔物の親分をちょっと叩いて降参させれば、それで平和が訪れる、めでたしめでたしってそう思ってたんです。村の外へろくに出たことのない井の中の蛙が、いつまでもおとぎの国の勇者気取りでいたんです。

でも、魔物に出会い腕に怪我を負った時、初めて現実を知りました。自分の身体から、あんなにたくさん血が出るのは初めて見ました。痛かったし、怖かった!」

そこで初めてグラスに口を付けた。鉛の味にしか認識できない自分が、まだただのガキなんだと味覚が教えてくれた。情けないなぁ。

「僕は、あのカマキリの化け物に襲われた時、…オシッコを漏らしてたんです! 初めてだった! 人前で漏らすのは初めてでした! でもそれくらい怖かった。もう自分が本当に死ぬんじゃないか(後で本当に死んだけど)って怯えました。みんなが戦っている時に失禁して腰を抜かしてたんですよ、僕は‼︎ あの時の僕は、上からも下からもゲエゲエ吐いてたんですよ。こんなのが選ばれし勇者だなんて、信じられますか⁉︎」

いつのまにか僕の声は大きくなり、周りの人たちにも聞こえるほどになり、一瞬近くの客たちが黙ったようだった。

「僕が死んでいた時の話をさっき教会で聞いて、複雑な気持ちになりました。みなさんは僕のために、魔物を倒し経験値を積みながら、金稼ぎに勤しんだ。それも見事な連係プレイだって聞いて、そりゃとても羨ましく思いましたよ。僕なんかがいなくたって、立派に魔物退治の旅ができているんだって。逆に僕の存在が、みんなの足手まといになっているんじゃないかってね!」

酒を飲み干したゴルナが、グラスをガンッとテーブルに置いた。

「しょうがねえじゃねえかよ! おめえは、神からの詔だか啓示だかを授かった運命の勇者なんだよ。そうなったらもう動くしかねえんだ。なあ爺さん!」

「まあそういうことだな。ヴィッツァ村の神父様がその啓示を頂き、神の代弁者として町長に伝え、お前さんの元に届いたってことだ。因みに我々に対しても、同じ御言葉を頂いたらしい。我々に一長一短あるのは、人間であるなら致し方あるまいよ。ただ、欠点を補い合うのがパーティというもんだろうに」

ナンダそれ⁉︎ 結局、僕の一長一短の「長」ってのは、何なんだよ。そんなもの生まれてこの方、感じたこともなければ、聞いたこともないよ。そんな自分に、神から何が下りて来るって言うんだ。

最初から胡散臭いと思ってたけど、啓示ってのがピンと来ない。そもそもあの神父は、もう90をとっくに超えてる思考ままならぬモウロク爺さんじゃないか。村の中でも有名だったけど、教会の扉を手前に引いて頭をぶつけたり、村の銅像を人と間違えて談笑していたりなどと耳にしたことがある。

「あんなボケ老人の言うことなんか…」

つい言ってしまった。

しかし、やはり老人を介そうが介すまいが、心のどこかではその啓示とやらがまんざら嘘ではあるまいことも、フィーリングレベルで気になっていた。

そう、口に出して上手く言えやしないが、何かベッタリとしたモノに自分は導かれ、時にはぞんざいにされ、しかし僕の人生そのものを常に掌握している凶々しい力。それが魔物の力なのか、神の力なのか。全ての答えは、あのエビテ(エビルテーブルの略)にあるような気もする。

その時、自分の右顔に思い切り酒が被った。勢いよくビールをグラスごと掛けられたらしい。

「うわっ!」と悲鳴をあげるが早いか、大きな平手打ちを右頬に喰らう。

痛い、そしてビールが冷たい。痛くて冷たい。冷たくて痛い!

全て同一人物の仕業だった。隣席の小柄なおばさんが物凄い形相で、精一杯背伸びをして僕を見下ろしている。

「ったく、冗談じゃないね。こんな青臭い小便チビリに平和を預けてたって聞いたら、ウチの不良息子にだって、勇者ができそうだ!」

続けて向かいに座ってた大柄のおばさんも、ビールを僕にぶっ掛けて来た。

冷たい! 二倍冷たい!

もう下半身までびしょ濡れだ。

「何するんだよぉ」と情けない声で一言抗わざるを得ない。喧嘩なんかまるでしたことないのに、こんな状況を作り上げた先方には、社交辞令的に言いたくもないことを言わなくちゃいけない。本当は、どうでもよくなって逃げたい気持ちの方が強かった。

そんなか弱い声の応戦は、相手を余計にイラつかせるだけだった。

大柄なおばさんは、ズカズカと近くまでやって来て、僕は胸ぐらを思い切り掴まれてしまった。

「おい、ババア。いい加減にしろ!」

「大概にせんか! ご婦人!」

僕とは真逆の対応をしたゴルナたちに、大柄女は振り向くと、

「黙ってな! 酔っ払いの腰巾着どもが!」

と、物凄い勢いで一蹴。

最初に手を出した小柄なおばさんも唾を床に吐き捨てる。

「へっ。そんなにこの勇者様が御心配なら、服を魔法で乾かしてあげたら? 可愛くてしょうがねえんだろ!」

「そんな全自動クリーニングみたいな魔法があるかい!」

オリャホが口答えしたかと思われ、「うるさいよ、生臭坊主が!」

と今度は大柄女に一喝される。どうやらコイツらも酩酊しているようだ。

「やい、くそガキの脳足りん! アタイの夫はなあ! 勇者が近頃現れたって聞いて、ウチのもんを一切合切質に出して、武器防具を整えて旅立ったのさ! ところがだよ、その三日後に帰って来た時にゃ、魔物に両足を切断され、今じゃ甲斐性無しの寝たきり男と化しちまった! けどね、今は何にも役に立たない人だけどねえ、自分も勇者のお供をするんだって、当時は勇者より威勢も自信もあったと自負するよ! 特にアンタの顔を拝めて余計にそれを思ったさ!」

僕の服が破れんばかりに、おばさんの爪が襟首に食い込んでいる。もの凄く息巻く様子に、再びチビリそうになった。魔物とはまた違う恐怖に襲われているんだ。

小柄なおばさんも横から口を出して来た。

「あたいもね、この人の亭主をよぉく知ってるよ! 普段から気のいい頼り甲斐のある男さ。ところが今はどうだい! 2階の部屋のベッドに一日中寝た切りさね。あたいは、この人が打ちひしがれている時、亭主の尿瓶まで変えてやったよ。身体を拭いて、おんぶして窓辺から町の景色を見せてあげたこともあったさ。亭主は、小柄なあたいに『すまないねぇ』って泣いてたよ。酷いじゃないか。亭主は、きっと勇者が世を平和にしてくれる、その希望に心が満ち溢れていているから、自分の五体不満足なんかどうでもいいって、こう言うんだよ。酷いじゃないかい。その勇者が、こんな体たらくなガキンチョなんじゃさあ!」

大柄女はそれを聞いて亭主を思い出したのか、僕の襟から手を話し、テーブルに身体を預け泣き崩れた。オイオイやっている様子に、ゴルナもオリャホも酷く怪訝な顔つきで見つめている。

このおばさん方、話がおかしいじゃないか。

旦那の足切断が、どうして僕のせいみたいにとやかく言われなきゃならないんだ。旦那が、勇者のお供に旅に出るというのは、彼の自由じゃないか。そんなに今の苦しみが嫌なら、先を見越して旅立つ夫を、何としてでも止めれば良かったんだ。

それを僕が偶々酒場で嘆いているのをいい事に、あれこれ身の不幸を僕にぶつけて来るのは間違っている。自分のイラつきを僕で解消してるんだこれは! 僕が理想的な立派な勇者だとしても、酒場で油売ってるなとか何とか言って、やっぱり当たり散らしてくるんだろう。

「このガキンチョ! 何とか言ったらどうなんだい!」

小柄なおばさんが再び僕の頬を叩こうとした瞬間、僕もおばさんに向けて自分のビールをぶっ掛けた。

「ぎゃあぁぁ、冷たい! 何すんだい! このガキャ!」

「やめてくださいよ! 暴力も暴言も!」

殆ど泣きそうな声に裏返りもあり、どうにも勢いに欠けた。

「よく言ったぜ、タルノ!」

ゴルナがはしゃいだその瞬間、酒場の天井が破れ、梁と共に何かが落下して来た。

「ま、魔物が降って来たぞぉおぉ‼」

バーテンダーの親父の声と同時に、梁やら天井板やらが酒場の中央にたたき落ち、続いて両翼を自慢げに羽ばたかせながら、大型モンスターはその場に降り立った。

 大きな黒い翼を閉じ、着地したのは大型モンスターだ。客たちはその姿を見て驚愕の声を上げる。

「おい、ありゃ、ガーゴイルじゃないか!」

オリャホが思わず後退りをした。

「僕も知ってます! 魔王直属の護衛軍で、知能も高く強力な魔物ですよ!」

教科書の受け売りだが、嘴鋭く、三本指から鉤爪が飛び出し、不気味な赤い眼光で敵に狙いを定めたその形相は、参考絵で見た通りである。

体格は大柄で、人間の頭を掴める程の手の大きさ。その頭を優に三個分は放り込めるであろう嘴のデカさが、人々に絶望と恐怖を与えた。鳥獣とは違い毛深くはなく、全身の肌が深緑色に光る怪物である。

ある者は外へすっ飛んで行き、ある者は力無くその場にへたり込む。またせめてもの抵抗なのか、只々悲鳴を上げ続ける女もいる。

僕はといえば、またもやお漏らし寸前、歯ガタガタのチキンに成り下がっていた。

ただ周りのみんなも同様のようで、身体が硬直してなかなか動けないらしい。

「なな、何だいあの醜いデカブツは⁉︎」

と、さっきまで威勢の良かった大柄女も、今ではすっかり竦み上がっている。小柄女もビールまみれになったことなど忘れ放心状態だ。

「グエッヘッヘッヘ! 先発隊の役得ってヤツか。ここにある酒樽は、全て俺様のモノ。まずは邪魔な人間どもを排除してやるぜ!」

ガーゴイルは大嘴を開口すると、いきなり火炎を人々目掛けて放射した。目の前の客たちは、あっという間に火だるまになり、行くとこなく苦しみ喘ぎ右往左往し始めた。

「何てことじゃい! あれは、ギガフレイム級の大火炎ではないか!」

オリャホの声が裏返り、「くそぅっ!」とゴルナは歯を食いしばっているだけだ。

酒場の半分が火の海に包まれ、その中をガーゴイルは平然とカウンター方向へ歩いていく。

目的はカウンター横に積まれている酒樽だろう。人間を襲うのが目的か、酒を飲むのが目的かは不明だ。

ガーゴイルは僕たちに背を向けている格好なので、逃げ出すなら今だ。だが、やはり身体が固まってなかなか立てない。

「オリャホさん、ゴルナさん、ぼ、僕たちどうすれ——」

「おい、リラ! あのデカブツをぶっ倒すよ! 夫の仇だ!」

「あいよ! あんちくしょうの皮をひん剥いてやるさ!」

女性軍二人が、座っていた木の椅子を持ち上げ突っ走っていった。

「おい、お前ら待て! 敵う相手じゃない!」

と、言いつつゴルナの足も固まっている。僕もだけど——。

大柄女は、「下劣野郎がっ!」とガーゴイルの背に椅子をぶつけると、振り向き様に火炎放射を全身に浴び、あっという間に火だるまとなった。

「何すんだい、こんちくしょう‼︎」

と、小柄女がガーゴイルの深緑色の太い足に飛び掛かり、思い切り齧り付く。

「フヘヘへへッ! 蚊が刺した程度の感触だ。齧るってのはな、こうするんだぜぇ」

ガーゴイルは、足に纏わりつく小柄女を片手で持ち上げ嘴の中に放り込み、骨を砕き飲み込んでしまった。こいつは、人も喰うのだ。

そのまま酒樽を持ち上げると、ヴァルナ酒を一気に喉に流し込む。

「あわわわわっ。どうするんじゃい!」

女性二人の末路を目撃したオリャホは、すっかり腰を抜かし床にへたり込んだ。

「オリャホさん、な、何とか逃げましょう! 僕たちじゃ、レベルが違いすぎますよ!」

「そうだぜ。武器防具も宿屋に置いて来ちまったしな。それにキュナも探さなきゃなんねえ。よし行くぜ!」

ゴルナを先頭に、黒炎の中を身体を屈め出口へと急いだ。オリャホも何とかついて来ている。

ガーゴイルは、煙の向こうで酒飲みに夢中で、「ブハーッ、うめええぇぇ!」と、悍ましい声が響き渡る。


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