第9話 極上の猛毒唐揚げと、押し寄せる『飯ゾンビ』
ドバァァンッ!!
特権階級の連中がこの匂いを嗅いだらどうなるか。その嫌な予感に背筋を凍らせていた俺の耳に、凄まじい破壊音が響き渡った。
ルゥが必死に押さえていた厨房の薄い木戸が、外からの暴力的な衝撃によって物理的に粉砕されたのだ。
舞い散る木っ端と砂埃の中から現れたのは、完全に理性を飛ばして血走った目でヨダレを撒き散らしている自称・龍女神のライラだった。
「肉ゥ゛ゥ゛ゥゥッ!!」
絶世の美女の面影など微塵もない恐ろしい形相で、ライラは油から引き上げたばかりでジュージューと湯気を立てている唐揚げへ一直線に突進した。
そして、熱さなど気にする素振りも見せずに、大皿から鷲掴みにした肉をそのまま大きな口へと放り込む。
サクッ。
厨房に軽快な衣の音が響いた直後、ライラの動きがピタリと止まった。
彼女の黒曜石のような瞳が極限まで見開き、漆黒の角の生えた頭からつま先まで、全身が小刻みに震え始める。
猛毒の袋を完璧に取り除かれた沼ガエルの肉は、サバンナの過酷な環境を生き抜いたことで、極上の若鶏すら凌駕する凄まじい弾力を誇っていた。
ライラが噛み締めた瞬間に溢れ出す、暴力的なまでの熱い肉汁。そこに、星砕きニンニクの反則的な旨味と、赤炎唐辛子の心地よい刺激が脳髄に直接襲いかかる。
さらには、ルゥの愛情魔法による圧倒的な多幸感が、彼女の神としての味覚と理性を完全に支配したのだ。
「あ……あぁ……。美味い……美味すぎるぞ……! この世のすべての幸福が、今、我の舌の上で踊って……はわぁ……」
ドサッ。
ライラは文字通り白目を剥き、幸せそうなだらしない笑顔を浮かべたまま、後ろへ倒れ込んで昇天した。
神様を名乗る威厳はどこへやら、美味いものを食って気絶するとはどういうことだ。
呆れ果てる俺の横で、吹っ飛ばされていたルゥが起き上がり「あーあ、だから熱いよって言おうとしたのに」とやれやれという顔で肩をすくめている。
「……メリル。ほら、熱いうちに食べてみな」
気絶してピクピクと痙攣しているライラを床に放置し、俺は小皿に取り分けた唐揚げをメリルに差し出した。
メリルは戸惑いながら、唐揚げと俺の顔を交互に見る。
彼女の震える手は、これがついさっきまで致死性の猛毒を持っていた危険生物であることを、本能的に恐れていた。
「大丈夫だ。俺を信じろ。毒なんてどこにも残っちゃいない」
俺の静かな言葉に、メリルはギュッと目を瞑り、小さな口で唐揚げを齧った。
カリッ、ジュワッ。
その瞬間、メリルの目からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「おいしい……! なにこれ、本当においしい……っ! お肉が信じられないくらい柔らかくて、お口の中に旨味がドバーッて……!」
「魔法の炎で黒焦げにするだけが料理じゃない。毒があるなら、包丁の刃先で完璧に取り除けばいいんだ。硬いなら、捌いて煮込めばいい。そうやって食材と丁寧に向き合えば、誰にだってこんなに美味いもんが作れるんだよ」
メリルは何度も何度も頷きながら、火傷も気にせず、唐揚げを両手で持って無我夢中で頬張った。
自分が魔法を持たない底辺だと諦め、扱えないゴミ食材だと蔑んできたものが、実はこんなにも素晴らしい宝物だった。その事実が、彼女の冷え切っていた心を温かく溶かしていくのがわかった。
メリルとルゥが喜んで唐揚げを食べる姿を見守りながら、俺は誰にも見えないように空中で指を弾き、再び食材庫のウィンドウを開いた。
光るパネルに表示された魔野菜の残量を見て、俺は奥歯を噛み締める。
料理の要である星砕きニンニクや赤炎唐辛子といったレオン爺さんの特級魔野菜が、あと数回分しか残っていない。このインベントリはあくまで空間ポケットであり、中で勝手に野菜が増えるわけではないのだ。
王都へ乗り込み、俺たちの料理で勝負をするためには、一刻も早くこの残った種を撒き、俺自身の『畑』を手に入れる必要があった。
だが、この魔法至上主義の街で、平民の男が農地を借りるなど至難の業だ。焦りが胸の奥に渦巻く。
その時だった。
「うぉぉぉ……」
「お願い、一口だけでいいから……」
ボロ宿の外の路地裏から、不気味なうめき声のようなものが聞こえてきた。
俺とルゥが顔を見合わせ、厨房の換気用の小窓から外を覗き込む。
そして、暗闇に浮かび上がったその異様な光景に絶句した。
薄暗いスラムの路地裏に、きらびやかなシルクのドレスを着た貴族の女や、派手な魔導服を着た魔法使いの女たちが、数十人規模で群がっていたのだ。
彼女たちの目は完全に焦点が合っておらず、ふらふらと覚束ない足取りでボロ宿の壁にすがりついている。
上品に化粧された口の端からは下品にヨダレが垂れ、まるで本能のままに血肉を求めるアンデッドのようだった。完全に、極上の匂いに脳を焼かれた『飯ゾンビ』と化している。
どうやら、俺の嫌な予感は最悪の形で的中してしまったらしい。
普段から、高いだけで味気ない魔法料理しか食べていなかった特権階級の女たちにとって、俺の作った暴力的な唐揚げの匂いは、理性を一瞬で消し飛ばすほどの劇薬だったのだ。
「あ、アンタは……っ! お願い、金ならいくらでも払うわ! 銀貨でも金貨でも出すから、その匂いの元をアタシにちょうだい!!」
群がる女たちの先頭にいて厨房の小窓に必死に手を伸ばしてきたのは、見覚えのある真紅の魔導服の女だった。
つい一時間ほど前、俺たちを高級宿『金孔雀の羽』のエントランスから追い出した、あの高慢な受付の女だ。あの時の汚物を見るような冷笑は欠片もなく、今や泥まみれの壁にすがりつき、涙目で鼻をヒクヒクとさせて俺を見上げている。
俺は冷たい笑みを浮かべ、揚げたての唐揚げが乗った皿を片手に、窓越しに彼女を見下ろした。
「おや? うちの美しい絨毯を汚すなと言って、俺を薄汚い男だと追い出したのはあんたらだろ?」
「ひぃっ! そ、それは……!」
「悪いな。これは魔法も使えない、薄汚い男の平民が、市場で捨てられていたゴミ食材で作った底辺の料理だ。高貴なあんたらの立派なお口には合わない。裏の馬小屋の獣にでも食わせた方がマシなんじゃないか?」
俺が彼女自身の言葉をそっくりそのまま叩き返すと、女の顔が絶望に歪んだ。
「嫌ぁぁぁ! アタシが悪かったわ! 謝るから、土下座でもなんでもするからそのお肉を一口だけぇぇっ!」
「開けて! お願い、匂いだけでも嗅がせて!」
俺は冷酷に窓をピシャリと閉め、木の雨戸にしっかりと鍵をかけた。
外からは、特権階級の女たちの悲痛な叫び声と、扉を引っ掻く不気味な音が響き続けている。
性別と魔法の有無だけで俺たちを蔑み、ふんぞり返っていた女たちの尊厳は、たった一皿の唐揚げの匂いの前に完全に破壊され、地に堕ちたのだった。
◇
「……見事なものだな。まさかあの市場で捨てられていた猛毒沼ガエルが、これほど人の心を狂わせる極上の美食に化けるとは」
外の騒ぎを完全に無視して食堂に戻った俺の背中に、低く、しかし力強い男の声がかけられた。
振り返ると、ボロ宿の二階へ続く薄暗い階段に、ヨレヨレの外套を着た初老の男が立っていた。
白髪交じりの顎髭を蓄え、顔には深いシワが刻まれているが、その双眸だけは、獲物を狙う鷹のように鋭い光を放っている。
「ワシにも一口、その奇跡を味わわせてくれんか」
男はゆっくりと階段を降り、テーブルの上の唐揚げを一つ摘んで口に入れた。
直後、男の目に驚愕の色が走る。
「……信じられん。これは魔法の力などではない。純粋な包丁の技術と、火の扱い、そして未知の香辛料が生み出した暴力的なまでの旨味。これを、魔法も使えん若い男が、あのゴミ食材から作り出したというのか」
「あんた、誰だ? ただのしがない宿泊客って顔じゃないな」
俺が警戒して身構えると、男はフッと自嘲気味に笑い、深く頭を下げた。
「ワシの名はバルド。つい数週間前まで、この防塞都市の商人ギルドでギルドマスターをしていた者だ」
「ギルドマスター……? なんでそんな街の重鎮が、こんな裏路地のボロ宿に隠れてるんだよ」
俺たちの会話を聞いていたメリルが驚いて声を上げると、バルドは悔しそうに拳を握りしめた。
「王都から来た『テローラ・ロルテーゼ』という特使のせいだ。あの高慢な貴族女は、魔法至上主義を盾にしてギルドの権力を強引に奪い、安全で高価な特級食材だけを不当な値段で独占しおった。ワシはそれに反発した結果、ギルドを追放され、追っ手から逃れるためにこの宿に身を隠していたのだ」
テローラ。またしてもあの女の名前だ。
俺からレオン爺さんの畑を奪っただけでは飽き足らず、この巨大な宿場町の経済と食卓すら私物化しているというのか。
「にーちゃん、君のその腕と知識があれば、奴らが『ゴミ』として市場に捨てている安い食材を、すべて極上の商品に変えられる。高価な食材に頼り切っているテローラの独占市場を、根本からぶっ壊すことができるぞ!」
バルドの目は、商人としての野心と、テローラへの反逆の炎で燃え上がっていた。
俺は腕を組み、小さく息を吐いた。
「……話はわかった。乗ってやってもいい。だが、一つ大きな問題がある。この圧倒的な味を出すための特別な香辛料の種が、もう手元にほとんど残ってないんだ。新しく種を撒いて、魔法の力に頼らずに育てるための『畑』が要る」
俺がそう言うと、バルドはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「畑なら、この宿の裏庭がある。魔力が完全に枯渇した『死んだ土』だと言って、テローラの一派に見捨てられた荒れ地だが……君たちなら、あるいは奇跡を起こせるかもしれんな」
死んだ土の荒れ地。
その言葉を聞いた瞬間、俺の隣で唐揚げを平らげていたルゥの銀色のケモ耳が、ピクッと楽しげに跳ねた。
復讐だの、逆襲だの、そんな物騒なことをするつもりはない。
ただ、本当の美味い飯の味も知らずに、魔法の力だけで威張り散らしているあの哀れな特使の、その思い上がりと高い鼻を完全に明かしてやりたいだけだ。
俺たちは王都へ乗り込む前に、この理不尽な街で、特権階級の常識を根底からひっくり返すための、極上の『仕込み』を始めることになったのだった。
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