第8話 女尊男卑の関所都市と、極上スパイスの目覚め
見渡す限りの大草原を抜け、王都防衛の要である巨大な防塞都市ガルドへと足を踏み入れた俺たちは、真っ先にこの世界の『常識』という名の理不尽な洗礼を浴びることになった。
「は? 男の平民が、この高級宿『金孔雀の羽』に泊まりたいですって?」
街の中心部にある、魔法の光で煌々と照らされた豪奢な宿屋。
そのエントランスで、派手な真紅の魔導服を着た受付の女性は、俺を見るなり汚物でも見るような顔で鼻で笑った。
「うちの美しい絨毯を、魔法も使えない薄汚い男の足で踏まないでちょうだい。どうしても泊まりたいなら、そこの美しいお嬢さんたちだけにしてね。アンタは裏の馬小屋で、獣と一緒に寝藁にでも包まっていればいいわ」
すげなく言い放つ受付の女の言葉に、俺は思わず額を押さえた。
大気中の魔力と交信し、魔法を操れる才能を持つ者の大半が女性であるこの世界。
強力な魔法使いの女は貴族と同等の特権階級として振る舞い、男はそれに傅くのが当たり前の社会構造だ。
田舎の村ではそこまで実感しなかったが、特権階級の集まる都市部では、この強烈な格差と偏見が露骨に現れるらしい。
「きさま……我が夫に向かって、なんたる無礼を。その首と胴体を永遠に泣き別れさせてやろうか?」
俺の後ろで、スゥーッと冷たい息を吸い込んだライラが、殺気を放ちながらブレスの構えに入った。冗談抜きでこの宿屋ごと消し飛ばす気だ。
「やめろ、ライラ! 目立つなって言っただろ!」
俺は慌ててライラの口を塞ぎ、今にも飛びかかりそうなルゥの首根っこを掴んで、冷笑を浮かべる女受付を背にそそくさと宿を後にした。
長旅の疲れを癒やすために情報収集と休息を取りたかっただけなのに、まさか性別と魔法の有無だけで門前払いを食らうとは。
だが、ここで揉め事を起こして衛兵を呼ばれれば、昨晩の『肉の匂いのする竜巻』の犯人だと疑われかねない。ここはグッと堪えるしかなかった。
◇
豪奢な大通りを外れ、俺たちは薄暗い路地裏へと足を踏み入れた。
きらびやかな表通りとは打って変わり、この辺りは魔法の灯りもなく建物の壁もひび割れている。どうやらこの都市の貧民街に近い場所らしい。
「兄様、ごめんね。ルゥたちがもっと強そうにしてたら、あのお姉さんも意地悪しなかったかも……」
「気にするな。俺はあんな気取った宿より、こういう路地裏の方が落ち着く性分なんだよ」
しょんぼりとケモ耳を寝かせるルゥの頭を撫でながら歩いていると、やがて古びた木造の看板が目に入った。
『迷い猫の寝床』と書かれたその建物は、外壁の塗装も剥げ落ち、今にも風で倒れそうな小さなボロ宿だった。
中に入ると、薄暗い土間の奥から、パタパタと慌ただしい足音が聞こえてきた。
「い、いらっしゃいませっ! あの、お泊まりですか……?」
顔を出したのは、そばかすが特徴的な、十代半ばほどの素朴な少女だった。
着ているエプロンは継ぎ接ぎだらけ、だが綺麗に洗濯されている。
彼女の微弱な気配から察するに、おそらく俺と同じく魔法を持たない平民なのだろう。
「ああ。大人二人と子供一人だ。一泊、夕食付きで頼めるか?」
「あ、はいっ! お部屋は空いてます! ただ、その……」
宿の少女――メリルと名乗った彼女は、俺たち三人の顔を交互に見比べると、ひどく申し訳なさそうに視線を泳がせた。
「お出しできる食事が、本当にひどいものしかなくて……。もしお口に合わなかったら、宿泊代だけで結構ですので……」
数分後、メリルが案内してくれた食堂のテーブルについた俺たちは、彼女の言っていた意味を痛感することになった。
出されたのは、石のようにカチカチに硬い黒パンと、ほとんど具の入っていない、塩気だけがやたらと強い薄いスープだった。
「なんじゃこれは。我が数百年前に食った木の皮の方がまだ味がしたぞ」
「ライラ、失礼なこと言うな。……でも、確かにこれはどうしたんだ?」
ライラの容赦ない暴言に、メリルは涙目で何度も頭を下げた。
「ごめんなさい……。実は最近、王都から来た特使様が、この街の商人ギルドを裏で牛耳ってしまったんです。金髪をくるくると巻いた縦ロールの、高飛車な女の貴族様で……その人の派閥が、美味しくて安全な食材をすべて高値で独占してしまって」
金髪の縦ロール。高飛車な女貴族。特使。
その特徴を聞いた瞬間、俺はピクリと眉を動かした。
間違いない。あの時、レオン爺さんの畑を理不尽な審査で奪い取っていった、あの嫌味な女だ。
あいつ、王都へ来る道中のこの街でもそんなえげつない利権漁りをしていたのか。
「私みたいに魔法が使えない平民や、裏路地の宿には、市場で捨てられるような『危険なゴミ食材』しか回ってこないんです。それをお金を出して買っても、私には強力な炎の魔法がないから、まともに調理すらできなくて……」
メリルは悔しそうにエプロンの裾を握りしめた。
この世界では、食材の毒素を飛ばしたり、硬い魔物の肉を柔らかくしたりするのは、すべて『強力な炎の魔法で力任せに焼き尽くす』のが基本だという。
だから、魔法を持たないメリルには危険な食材をどうすることもできず、結果としてまともな料理を出せないでいるのだ。
「……メリル。その『危険なゴミ食材』ってのは、どんなものなんだ? 見せてくれないか」
「えっ? は、はい。厨房の奥にありますが……」
俺はルゥを連れて立ち上がり、メリルに案内されて薄暗い厨房の貯蔵庫を覗き込んだ。ライラは「早く肉を出せ」と食堂のテーブルに突っ伏して駄々をこねている。
貯蔵庫には、木箱の中に無造作に放り込まれた食材たちが置かれていた。
「これが『猛毒沼ガエル』と、『鉄殻トカゲ』です。カエルは体内に致死性の猛毒の袋があって、強い魔法の炎で丸焼きにして毒を蒸発させないと食べられません。トカゲの方も、甲羅が鉄みたいに硬くて魔法で焼かないと包丁すら通らない……誰も買わないゴミなんです」
メリルは自嘲気味にそう言った。
だが、俺の目は暗がりの中でギラリと光った。
脳内で、『クッキング・ダンジョン』の鑑定スキルが瞬時に食材の正体を暴き出している。
『――対象食材をスキャン。【猛毒沼ガエル】。毒袋以外の肉質は、極上の若鶏に匹敵する柔らかさと旨味を秘めています』
……ゴミ、だと?
魔法で力任せに黒焦げにするしか能がない連中にはそう見えるかもしれないが、俺たち料理人からすれば、これは宝の山だ。
「メリル。厨房を少し借りるぞ。ルゥ、手伝ってくれ」
「えっ? お客さん、何を……?」
俺は腰に下げていた革袋から、村から持参した愛用の包丁を抜き放った。
まな板の上に丸々と太った猛毒沼ガエルを乗せると、ダンジョンの補助スキル『概念包丁・絶対繊維断ち』が発動し、包丁の刃先が淡い光を帯びる。
俺は迷うことなく、カエルの毒袋がある部位をミリ単位の精度で切り裂き、周囲の肉に一切の毒を触れさせることなく、紫色の毒袋を綺麗に摘出した。
「うそ……猛毒の袋だけを、刃物で切り取った……?」
メリルが信じられないものを見るように目を丸くしている。
俺は手早くカエルの肉を一口大に切り分けながら、誰にも見えないように空中で指を弾いた。
目の前の空間がわずかに歪み、淡い光のウィンドウ――『クッキング・ダンジョン』の管理者権限である【食材庫】が開く。
村を追放されたあの日、レオン爺さんの畑にあった第一の扉が俺の退避を感知し、畑の特級魔野菜の種と一部の収穫物を、この特殊な空間ポケットに自動で保管してくれていたのだ。
俺はその見えない空間から、二つの野菜を取り出した。
一つは、サバンナでの野営でも使った『赤炎唐辛子』。そしてもう一つは、表面が星屑のようにキラキラと輝く『星砕きニンニク』だ。
包丁の腹を使ってその星砕きニンニクを叩き潰した瞬間、グシャッという音と共に、強烈な香りが爆発した。死人すら這い出してきそうなほど食欲を掻き立てるニンニクの暴力的な匂いが、厨房の空気を一変させる。
細かく刻んだ赤炎唐辛子と、村から持ってきた醤油に似た発酵調味料を混ぜ合わせ、特製のタレを作り上げる。そこにカエルの肉を揉み込むと、信じられないほどの弾力を持った肉がタレをぐんぐんと吸い込んでいった。
「よし。あとは衣をつけて、油で一気に揚げるぞ」
深い鉄鍋に油を注ぎ、竈の火力を調整する。
タレの染み込んだ肉に小麦粉をまぶし、熱した油の中へと投入した。
ジュワァァァァァァァッ!!!
その瞬間、厨房内に爆発的な香りが立ち昇った。
油が弾ける心地よい音と共に、ニンニクと醤油の焦げる香ばしい匂い、そしてカエルの肉が内包していた強烈な旨味が蒸気となって溢れ出す。それは、高級な魔法料理の淡白な匂いなど足元にも及ばない、人間の本能と食欲を直接殴りつけるような、暴力的なまでの『唐揚げ』の匂いだった。
「ルゥ、仕上げだ!」
「うんっ! 美味しくな~れ、萌え萌えキュン♡! 『ラブ・エンハンス』!」
俺の隣で、小さなエプロンを着けたルゥが両手を胸の前でギュッと組み、鍋の中の唐揚げに向かってとびきりの笑顔を向けた。
「萌え萌えキュン♡! 『ラブ・エンハンス』!」
ルゥの口から紡がれた可愛らしい詠唱と共に、淡いピンク色の魔力の光が、パウダーのように唐揚げへと降り注いだ。
「な、なんなんですか、この信じられないくらい美味しそうな匂いは……! お腹の底が、ぎゅるぎゅる鳴って……!」
メリルが顔を真っ赤にしてヨダレを拭った、その時だった。
『おいタロウ!! 今すぐその極上の匂いがする肉を寄越せ!! 我はもう限界だ!!』
「だめーっ! 泥棒トカゲは食堂でいい子に待ってて!」
厨房の薄い木戸が、外からドカドカとぶっ壊れそうな勢いで叩き始められた。
扉の向こうで暴れるライラをルゥが慌てて押さえに走る中、俺は揚げたての肉を皿に盛り付けながら、ふと厨房の換気用の小窓を見上げた。
夜の冷たい風に乗り、この暴力的なまでに食欲をそそる『極上の唐揚げの匂い』が、路地裏から表通りへ。
そして俺たちを追い出したあの高級宿の方角へと、濃密な煙となって真っ直ぐに流れていくのが見え、俺は額に嫌な汗をかいた。
味気ない魔法料理しか食べていない特権階級の連中がこの匂いを嗅げば、いったいどんな騒ぎになるか。
俺が作り出した料理の匂いが、魔法至上主義の傲慢な街をパニックに陥れようとしていることに俺はこの時ようやく気づいたのだった。
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