第六話 サバンナの終わりと、肉の匂いがする竜巻
「こら、泥棒トカゲ! 兄様の朝ごはんはルゥのものなんだから、勝手につまみ食いしないでよ!」
「だーれが泥棒トカゲだ、この生意気な駄犬が! 我は偉大なる古の龍女神だぞ! 夫が丹精込めて作った飯を、妻が真っ先に味見して何が悪い!」
サバンナの爽やかな朝は、俺の胃袋――というか俺の作る料理を巡る、不毛な口喧嘩から幕を開けた。
昨晩、空から凄まじい轟音と共に降ってきて、バッファローのステーキを平らげた謎の美女、ライラ・オブシディア。
彼女はルゥの渾身のドロップキックを食らっても「痛い」の一言で済ますという、物理的にも規格外の耐久力を見せつけ、結局そのまま俺たちの野営地に居座ってしまったのだ。
「はいはい、二人とも朝から騒がしいぞ。ほら、昨日の天駆牛の端材と骨で出汁を取ったスープだ。冷めないうちに食え」
俺が呆れながら木皿を二人に差し出すと、ピタリと喧嘩が止まった。
「わーい! 兄様のスープ、すっごくいい匂い!」
「むふふっ! 見よ、この黄金色に輝く汁を! 妻への愛がこれでもかと溶け込んでいるではないか――あむっ、熱っ!? ふぉふぉっ、んぐ……美味い!」
ライラは神様らしい威厳など微塵も感じさせないだらしない顔で、熱々のスープを一気飲みしている。
天駆牛の骨から染み出した濃厚な旨味と、魔野菜の優しい甘みが溶け合ったそのスープは、サバンナの冷える朝には最適だった。
このツノの生えた自称女神様を、俺は一応「目立つから」と追い払おうとはしてみたのだ。しかし全く効果がなかった。
彼女は堂々と胸を張り、『我は神ゆえ、金などという俗悪なものは一切持っておらん! だがこの無敵の力で、貴様らを王都まで護衛してやろう! だから三食しっかり肉を食わせろ!』と、清々しいほどの無一文・居候宣言をキメたのである。
「泥棒トカゲのくせに、食べるのだけはいっちょまえなんだから。ルゥの兄様のお料理なんだからね」
「ふん、駄犬は黙って底に沈んだ野菜でも齧っておれ。肉は我のものだ」
スープの具を巡って再びバチバチと火花を散らす二人を見ながら、俺は深い深いため息をついた。
まあ、この広大なサバンナを抜けるのに、未知の力を持った大人が一人増えるのは、戦力的に悪い話ではない。そう自分を納得させるしかなかった。
◇
それから数週間。
俺たちの奇妙な三人旅は、予想以上に騒がしく、そして呆れるほど順調に進んだ。
道中、ライラがその辺に生えていた毒々しい紫色のキノコを「美味そうだな」と拾い食いしようとするのを全力で止めたり。
突然茂みから飛び出してきた巨大な魔猪を、ライラがブレスで消し炭にしようとする前に、ルゥが素手で首根っこを掴んで地面に叩きつけて物理的に仕留めたり。
それを見たライラが、ルゥの顔をまじまじと見つめながら「……お前、その異常な膂力といい額の石といい、やはりただの獣ではないな?」と首を傾げたり。
俺は常に二人のストッパー役として神経をすり減らし、料理を作り続ける羽目になった。
だが、そんなドタバタな道中も、ついに終わりの時を迎える。
「兄様、見て! おっきい壁!」
ルゥが指差した先。地平線の彼方に、見上げるほど巨大な石造りの防壁がそびえ立っていた。
王都を守る強固な防塞都市であり、同時に各地から商人や旅人が集まる巨大な関所。通称『宿場町』と呼ばれる場所だ。
「よし、ようやく着いたな。さすがに田舎の街とは規模が違う」
「ふむ。数百年ぶりに下界の街に来たが、人間もなかなか立派な巣を作るようになったではないか」
偉そうに腕を組んで頷くライラと、初めて見る巨大な建造物に銀色のケモ耳をピコピコと動かすルゥ。
俺は目立つ二人を連れて、厳重な警備が敷かれた街の正門をくぐった。
一歩街の中に入ると、そこは活気に満ち溢れていた。
石畳の敷かれた大通りの両脇には、色とりどりの天幕を張った屋台がずらりと並び、香辛料や焼けた肉の匂い、そして威勢のいい商人たちの声が飛び交っている。
行き交う人々も、重武装の冒険者から豪奢な服を着た商人まで様々だ。
ここなら、誰も俺たちのような余所者を気に留めることはないだろう。
「まずは情報の収集と、王都へ向かうための食材の買い出しだな」
「兄様! あそこの赤い実が乗った串焼き、すっごく美味しそう!」
「おいタロウ! 串焼きもいいが、我はあっちの肉屋に並んでいる巨大な骨付き肉が食いたいぞ! 早く買え!」
右と左からそれぞれ両袖を力一杯引かれ、俺の身体が前後に揺さぶられる。こいつら、さっき朝飯を腹一杯食ったばかりだというのに、胃袋の底が抜けているんじゃないだろうか。
「わかった、わかったから引っ張るな。服が破れる。とりあえず、冒険者ギルドか衛兵の詰め所に行って、王都の治安や特級審査の――」
俺がなだめながら歩き出そうとした、その時だった。
街の中央広場にある、衛兵の詰め所の前。そこには黒山の人だかりができ、何やら異様なほどの騒ぎになっていた。
「おい、聞いたか!? サバンナの岩場を根城にしてた、あの極悪な闇ギルド『毒薔薇の棘』の連中が、全滅したらしいぞ!」
「マジかよ!? あそこは高位の魔法使いの女が仕切る、王都の騎士団でも手を焼く厄介な組織だったはずだろ! いったい誰がやったんだ!?」
通りすがりの商人や冒険者たちが、足を止めて興奮気味に噂話をしている。
闇ギルドの全滅。
穏やかな話ではないが、田舎から出てきたばかりの俺たちには関係のない、裏社会の抗争だろう。そう思って立ち去ろうとした。
「それが違うんだよ! 調査に向かった防衛隊の報告じゃ、拠点のあった岩場が『極大の竜巻』で跡形もなく吹き飛んで、綺麗な更地になってたらしい!」
「た、竜巻だと……!? なんであんな晴れた日の夜に!?」
「わからねえ! しかも奇妙なことに、その竜巻が通った後の岩場からは、なぜか『極上のステーキの香ばしい匂い』が強烈に漂っていたそうだ!」
ピタリ、と。
俺の足が、石畳の地面に縫い付けられたように止まった。
「す、ステーキの匂いがする竜巻……!? まさか、おとぎ話に出るような伝説の風龍の仕業か!?」
「恐ろしい……王都のすぐ近くに、そんな未知の古龍が潜んでいるなんて……!」
広場は、未知の天災、あるいは強大なドラゴンへの恐怖と興奮でパニック寸前になっていた。
冒険者たちは武器を握り直し、衛兵たちは青い顔をして王都への伝令を走らせている。
俺は、顔面から一気に血の気が引いていくのを感じた。
首をギギギと機械のように動かし、隣を歩くライラを見る。
当のライラは、俺の財布から勝手に銀貨を抜き取って屋台で買ったらしい肉の串焼きを、モグモグと幸せそうに齧りながら、不思議そうに首を傾げていた。
「ん? 竜巻だと? ひょっとして数週間前に我の放った、あのゲ――」
俺は音速でライラの背後に回り込み、その不用意に開かれた口を両手で力一杯塞いだ。
「ふごっ!? むーっ! むーっ!」
「兄様? どうしたの?」
「ルゥ、走るぞ。絶対に振り返るな」
間違いなく、この食い意地の張った自称神様のふざけたゲップだ。
まさかあんな理不尽な暴風が、悪名高い闇ギルドの拠点をピンポイントで粉砕しているとは夢にも思わなかった。
王都へ着く前から、俺たちはとんでもない大事件の元凶として、この国の人々に歴史的な恐怖を植え付けてしまったらしい。
もしこの女が古龍の正体だとバレれば、俺たちは国中の騎士団から追われる国際手配犯に成り下がってしまう。
俺は引きつった笑顔を顔に貼り付けたまま、ジタバタと暴れるライラの首根っこを掴み、人混みを掻き分けて街の薄暗い路地裏へと猛ダッシュした。
「むぐぐぐっ!(タロウ、何をする! 肉が落ちるではないか!)」
俺は冷や汗をダラダラと流しながら、この規格外の『泥棒トカゲ』の口を塞ぐ手に、さらに強い力を込めるのだった。




